第3章 魔王ルドリアの素顔1
「すごいな……信じられないくらいきれいな海だ」
眼前に広がる広大な、そして鮮やかな色彩に満たされた美しい海を前に、カイは思わず感極まった声を上げる。
王都シドニスを発って二カ月。
大陸東岸沿いに北へと歩いてきた先にあったのは、美しいサンゴ礁に彩られた、驚くほど美しい海だった。
ここまでの道中はとても快適だった。
魔王ルドリアが大陸を席巻したとはいえ、その期間はわずか三十年。
ルドリアは大陸北東部を最初の支配地域とし、その後東海岸部を制圧しつつ南進、リーグ王国を滅ぼした。
それ以後、東部各地に軍勢を派遣して大陸各地を制圧していたが、魔王とはいえ、すべての社会インフラを破壊し尽くしていたわけではない。
むしろその治世は、人間が行うそれとそう違いがあるわけではなく、人間を『生かさず殺さず』運用していたように思える。そのため、流通に必要な街道などは維持されていた。地域によっては、今の支配者が魔王であることに気付いてない人もいたほどである。
この統治の優しさはルドリアが女性型だったからなのかという気もするが――。
「まあ、死んでしまった以上わかるはずもないが」
ルドリアの最期を、カイは思い返した。
正直に言えば、中身が人間だったことにも驚いたくらいだ。
まして、若く美しい女性だったなど、想像の埒外である。
だが、人間ではない。人間であれほど巨大な魔力――おそらく鎧や翼、角すら魔力で構成していたのだろう――はあり得ない。
人間の上位種という可能性はあるが、この世界にそんな種族がいるかどうかを、カイは知らない。異種族はわずかにいるとされるが、魔族とかそういうよくありがちな種族は少なくとも聞いたことがなかった。
ただ、聞いたことがないからと言って、いないとは限らないが――。
「そもそも奇妙な世界だしな……」
言語体系や度量衡だけではない。誰も原理を知らない知識やモノが多数ある。
最たるものは、神刻機と呼ばれる、世界各地にある時計だ。大抵の街にあるもので、人がちょうど隠れられるくらいの大きさの、厚さは十センチ程度の透明な板である。
それに現在の日付、曜日、時刻などが常に表示されているのだ。そのため、この世界における時刻は非常に正確であり――そして、『結城司』の知る時刻と全く同じ。
しかし何度調べても、その原理はわからなかった。
分かったのは魔力に依存した仕組みではないことくらいであり、前世の知識でもその仕組みは理解はできないものだった。
他にも、前世の記憶から考えると『知識の集積の結果』ではなく、突然結果を与えられたとしか思えないものが数多くある。
単純なところではそもそも文字や数字。これらがこの世界でどのように発達したかは、リーグ王国の大図書館でも記録がなかった。
他にも、十字架が聖印だといわれているが、この由来を誰も知らない。
ちなみにこの世界で広く信じられていて、実在もしているとされる――姿を表すことはめったにないが――女神イークスのシンボルは十字架ではなく、オリーブの枝である。
「ま、ホントはもうちょっと国で偉くなって大々的に調査したかったんだが」
この世界の文化、文明のルーツに関する記録は、驚くほど少ない。
リーグ王国の書庫は、ルドリアが征服している時代にはあまり手を出されていなかったようで、そのまま残っていた。
しかし、リーグ王国より以前の記録となると、ほぼ皆無に近かったのだ。
先ほどの様な風習などは、ことごとくその記録を辿ることができない。
だから、国を挙げて大々的に調査したいという欲求はあった。
だが、貴族勢力に疎まれて国政からつまみ出されたのだから、それは仕方ない。
ただ、一人で自由に動けるのも悪くはない。それに、これほど美しい景色が見られるのは予想もしていなかった。『結城司』の記憶にある、地球のグレートバリアリーフもかくや、というレベルのサンゴ礁が目の前に広がっていたのである。
「すごい景色だな。そして……この街が魔王ルドリアの故郷、ケーズか」
アウスリア大陸北東部のレンブレス自由都市群でタウビル、マケイといった都市と並ぶ中核都市ケーズ。
人口五万人の大都市であり、ここに三十年あまり前、魔王ルドリアが現れたと伝えられている。
「といってもなぁ……突然発生したわけではないだろうしなぁ」
魔王ルドリアについてはほとんど調査されていない。
三十三年前のリーグ王国歴八一二年にこのケーズに現れたこと。
その二年後にリーグ王国を攻め滅ぼしたこと。
そして、リーグ王国歴八四四年に勇者ラングディールに討たれたことしか、カイも知らない。討たれた時にはその場にカイもいたわけだが。
戦う相手のことを知らないまま倒したというのも酷い話だが、あの時にそんなことを悠長に調べている余裕はなかった。
ただ、倒してから気になっているのは事実だ。
だからこの地に来た。
三十年あまり前のこととはいえ、まだ当時を知る者が生きている可能性は十分にあるだろう。
それを期待して、カイはケーズに向かって歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街に入ると、思ったより以上に活気があった。
時刻は朝の十時頃。
朝市が終わるころではあるが、それでも思ったより賑わっている。
カイは市場を見回して、目に入った屋台に近づいていく。
「オレンジをこの袋半分くらいくれないか」
カイは商品が並ぶ屋台に適当に寄ると、持っていた袋を渡す。
店はおそらく六十は超えているくらいの女性が立っていた。
「あいよ。おや、珍しいね。あんたみたいに若い子は。ほれ、サービスしとくよ」
「ありがとう」
カイはそう言うと、言われた銀貨を払った。
ちなみに銀貨はリーグ王国のものだが、現在でも流通はしていて、ここでもこの地域でも使えることはここまでで確認済みである。
通貨は各国が独自に鋳造しているが、銀貨の場合は重さや油などの判定で真贋が見極めやすいので、広く流通しているのだ。
渡された袋には半分より少し多くオレンジが入っている。
提示された値段を見ると明らかに二個ほどサービスされてるようだ。
「ありがとう、店主。しかしやはり、俺のような年齢の男は少ないのか?」
「いないねぇ。みーんな魔軍に行っちまって……帰ってきてないよ。帰ってきたやつがいても、なんか心が抜け落ちたような状態だね」
「魔軍から帰ってきたのがいるのか?」
カイは軽く目を見張った。
魔王の能力の一つに、人間を魔軍の兵として組み込むという能力がある。
ただの一般人を魔王に絶対服従する屈強な兵士にし、さらに強力な魔法使いにしてしまうのだ。
これが、魔王が大陸最大国家であるリーグ王国をも蹂躙できた理由でもある。
ただ、魔王が倒れた今、元魔軍兵はほとんどはすぐに死ぬか、数週間から数ヶ月で死ぬはずだ。
「少ないけどね。なんだあんた、気になるのかい?」
「ああ。俺はその、リーグ王国から魔王の影響の調査に来ていてね。ここがルドリアが最初に制圧した土地だと聞いたから来たんだ」
一応、嘘は言っていない。意図的に誤解されるような言い方はしているが。
「おや。魔王を倒した勇者様の国からかい。そりゃまたはるばるようこそだ。それなら、東海岸地区、カルベール通りのイルツって子がそうだよ」
リーグ王国の名を出すことは多少リスクがあるかとは思ったが、どうやら魔王を倒してくれた勇者の国、という認識になってくれているようだ。
「ありがとう。訊ねてみるよ。あとそうだ。あんたの年齢なら……ルドリア現れた時のことを、何か知ってないか?」
すると女性は怪訝そうな顔になる。
「ルドリアが現れたとはまた妙な言い回しだね。ルドリアが魔王になった話なら聞いたが」
「魔王に……『なった』?」
「ああ、そうだよ。ルドリアは三十年前に魔王に『なった』んだ。突然ね。それまではごく普通の、気立てのいい娘だったらしいよ」
カイは唖然とした。魔王とは突然現れる存在だとばかり思っていた。
確かにあの最期の姿は人間にしか見えなかったが、人間であるはずはないと思っていたのだ。
「つまり、魔王ルドリアは、元は人間だったっていうのか?」
「あまり知られちゃいないのかね。ケーズで知らん人はほとんどいないんだけど」
この世界の情報伝達手段は限られる。基本的に口伝か手紙だ。
商人などの情報網は非常に優れていて、その速さも正確さもかなりのものであると分かってはいるが、北東部は魔王ルドリア出現の地として、商人も長らく寄り付かない場所となっていた。
「てことは、魔王ルドリアってのは元は……人間、だったってことか?」
「ああ、そうだよ。それがどうしてああなっちまったのかは分からないけどね……」
女性はそういうと、とても悲しそうな表情になった。
「ルドリアってのは、魔王になった時……つまり三十三年前で何歳くらいだったんだ?」
「確か……二十歳くらいと聞いてるけどね。あたしも直接の知り合いというわけじゃないから、詳しくは知らないけどね。ただ、さっきのカルベール通りが、確かルドリアが魔王になる前にいたとされる場所だったはずだよ」
魔王ルドリアが君臨していたのは三十年余りではあったが、少なくとも外見は人間でいえば二十歳程度の若い女性に見えた。
あるいは、魔王に『なる』と年齢が止まるのか。
そもそも普通の人間なのかすら疑わしいが。
「今もそこには人が住んでいるのだろうか?」
「いや。さすがに今はだれもいないはずだよ。家も残っちゃいない。ただ、魔王になったルドリアは大陸各地に戦争をしかけたし、あたしらも巻き込まれた。でも、なんていうかね。それでもこの街が滅ばない程度の配慮は、していた気がするんだよね」
確かに魔王出現の地ともなれば、人々はことごとく魔に取り込まれていると思っていたし、街は荒廃していると思っていた。
だが実際にはどうかといえば、このケーズを見れば明らかだ。
確かに働き手たる若い世代は多くが魔軍に取り込まれ、ほとんど帰ってこなかったようだ。
だが産業は維持されていたようだし、街自体もほとんど損壊していないように思う。
「ルドリアは魔軍に取り込んだ男たちも、一時的に開放してくれてたことがあるんだよ」
「え?」
「といっても、本当にわずかな間だけだけどね。男たちがいなくなったら、結果として子供が生まれない。だから、時々帰してくれることがあったんだ」
確かに、適齢期の男性がいない状態になれば当然だが子供が生まれなくなる。
残された女性もいつか老いて死ねば、結果街は自動的に滅んでしまう。そういうことに対する対策もしていたということだ。
(魔王といっても、人間同様『統治』していたって感じか……?)
魔王とは無差別に人々に対して攻撃を行う無慈悲な存在といわれているし、実際魔軍に取り込まれた人間は補給も睡眠すらも必要としないとされていた。
だからまともに統治するはずがないと思っていたが、実際はどうかといえば、街が破壊されることもなく、産業は主たる担い手を失いつつも、それでも何とか維持されていた。
魔軍に滅ぼされて荒れ果てたシドニス城下を目にしていたから、てっきり他の街も同じように破壊されたと思っていたが、そのシドニスにしたところで城周辺は激戦があったから破壊されただけで、街はそこまで破壊されていたわけではない。
リーグ王国陥落時は、その緒戦で魔軍の恐ろしさに恐れを抱いた貴族たちが王を裏切り、王都を護ることなく即座に降伏している。結果シドニス防衛に十分な兵力が揃わず、シドニスは陥落、軍事施設はかなり徹底的に破壊されたらしい。
その後ルドリアは、シドニスを拠点としてリーグ王国を三十年にわたって支配することになるが、最初に降伏した貴族たちの領地には重税を課してはいても破壊活動は行われなかったと聞いている。
その結果、魔王打倒後に貴族の勢力はある程度維持されたままだったので、若き新王となったラングディールが施政に苦労するのは皮肉な話だ。どうせなら徹底的に貴族どもを殺しておいてくれれば、などと思ってしまう。
とはいえこれは、魔王といえども人間と交渉することがあるという事を意味する。
魔王だから絶対に相容れない存在である、というかそもそもの固定観念として人間と異なる存在だと思っていたが――。
元が人間だというのなら、話が変わる。もし人間的な思考や精神があったとすれば、単に強力な力を持つだけの知的存在だ。
実際、ラングディールも人間としては桁外れの存在である。
カイからすれば、彼とルドリアとの違いは、勇者と呼ばれるか魔王を名乗っているかの違いしかない。
無論ラングディールが親友であるというのは大きな違いではあれど、交渉相手と考えるなら、魔王はあり得ない相手ではなかったのかもしれない。
すでに殺してしまっている――遺体も焼却された――から文字通り後の祭りだが。
「ありがとう、店主。とりあえず教えてくれたところに行ってみるよ。それじゃ」
「あいよ。ありがとさん」
カイが立ち去るのとほぼ同時に、十歳前後の子供が二人、彼女の屋台にやってきて何か話している。ほどなく片付けが始まったのを見るに、彼女の孫らしい。
あの子供たちがこれから先、希望をもって生きていける世界にするためにも、復興を進めなければならない。リーグ王国にも小さな子供達はたくさんいるはずだ。
「魔王って、いったい何なんだろうな」
この世界は、カイの持つ『結城司』の知識でほとんどのことが説明できる。
その説明が出来ないのが、『魔法』『魔王』『勇者』『女神』といった存在だ。
今の今まで、魔王というのは人間とは異なる別の生命体だと思っていたが、いきなりそれが否定された。まだ、この世界について知らないことが多過ぎる。それを知るためにも――カイはまず、魔軍から帰還した兵の話を聞きに行くことにした。




