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ひまわりを枯らす手  作者: 葉方萌生
第七章 盲目すぎた過去

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7-2

「いらっしゃいませー」


 十七時半になると、早速新規のお客さんがやってきた。大学生らしきふたり組。男女でやってきた二人はカップルだろうか。


「こちらにご案内します」


 崎山さんがテキパキと二人を席へと案内していく。久しぶりのバイトだが、先輩とともに注文を聞いて、お酒や食事を運んでいると、

自然と要領を思い出していた。

 そして、十九時。


「予約していた加藤です」


 団体客の加藤様がやって来た。三十代から四十代ぐらいの男女の団体客で、みんなスーツかオフィスカジュアル姿だ。仕事終わりなんだろう。


「待ちしておりました。奥の個室へどうぞ」


 店長に指示された通り、大部屋へと案内する。お客さたちが席についてから、それぞれにお酒と食事を注文した。手早くメモをしていたが、あちらこちらから注文の声が飛んできて、書き漏れたものはないかと心配になる。

 ホール担当の店長に注文を伝えると、また大部屋から「すみませーん」と呼ばれて、急ぐ。


「手拭きとお箸、一つずつ足りないのですが」


「大変失礼いたしました。すぐにお持ちします」


 この居酒屋は路地裏にあるこじんまりとした店だ。普段、十五名なんていう団体客を迎えることがほとんどないので、大勢の相手というのは単純に慣れなかった。


「お待たせいたしました」


 お酒と手拭きとお箸を持って再び大部屋へ向かう。部屋から出ると「かんぱーい!」という大きな声が聞こえて、萎縮してしまう。さっきまでは調子が良かったのに。リハビリ戦にしては、相手が多過ぎる。


「柊くん、大丈夫? 顔硬いけど」


「は、はい……なんとか」


「そう。しんどかったら言ってねー。といっても、私もあんまり余裕ないんだけどね」


 へへ、と崎山さんが小さく笑いながら、次から次へとやってくるお客さんを捌いていく。


「柊、団体さんにお造り持っていって」


「はい」


 店長に声をかけられて、振り返る。十五人前のお造りがのった大皿と醤油を大部屋に運んだ。部屋の中はすでにアルコールの匂いで満ちていて、顔を赤くしたお客さんたちが、大きな声で会話をしている。夏場なので汗の匂いが充満して、空気はもわりと澱んでいた。

 俺はまず大皿をテーブルの中央に置いて、それからお盆の上で醤油を醤油差しに入れていく。トクトク、トクトクと醤油がお皿に注がれていくのを見ながら。

 醤油の入ったお皿を、一つずつテーブルに置こうとした時だった。

 疲れのせいか、日葵の日記のことがふと頭をよぎり、手が震えた。

 その瞬間、お皿が汗ばんだ手から滑り落ちた。パシャン、と嫌な音がして、醤油が飛び散るのがスローモーションで見えた。しかも、あろうことか醤油はいちばん手前に座っていた女性の鞄の上に降り注ぐ。すべてが現実じゃないみたいに、目の前で起きた惨状がスローモーションで見えた。


「……おお」


 鞄の持ち主の女性が、現状を飲み込めない様子で声を漏らす。

 今の今までガヤガヤとしていた空気が一瞬にして凍りついた。


「も、申し訳ございませんっ!」


 咄嗟に口から謝罪が漏れる。いちばん遠くに座っている人は何が起こったのか分からないという様子で俺を見つめる。他の人からは冷ややかな視線を頂戴した。


「すぐに拭きますので……!」


 席から立ち、慌てておしぼりや雑巾を取りにいく。店長と崎山さんは忙しそうにしていて、こちらの失態に気づいていない。


「あの、この鞄。ブランドものなんですけど」


 席に戻ると、顔面蒼白になった鞄の持ち主の女性が、俺を睨みつけてきた。


「本当に申し訳ございません……」


「いや、申し訳ございませんじゃなくて。どうしてくれるんですか?」


 目を真っ赤にした女性は、醤油まみれになった鞄と俺の顔を交互に見ながら訴える。


「兄ちゃん、醤油をお皿に入れるときは、テーブルの上にお皿を置いてからの方がよかったんじゃないの?」


 隣の男性に指摘されて、我が身を顧みる。言われてみれば確かにそうだ……。店長からもそう教わったはずだ。それなのに、なぜ俺はお盆の上で醤油を入れてからテーブルにお皿を置いたんだろう。自分でも自分の行動が理解できない。


「本当にすみません……」


 声がどんどん掠れて、萎んでいく。背中を伝う冷や汗が止まらない。


「どうしてくれるの?」


 男性客が俺に詰める。鞄の女性の恋人なのかもしれない。とにかく俺は小さくなって「申し訳ありません」を連呼する。頭が石のように固くなって、それ以上に何を言えば良いのか、分からなかった。

 どうにもこうにもいかず、その場で固まっていたとき、部屋の扉がばんと開かれた。


「お客様、この度はご迷惑をおかけして大変申し訳ございません! 鞄は弁償いたします。それと、今後お出しする食事はすべてサービスとさせていただきますっ」


 現れた崎山さんが、ガバッと腰を二つに折って謝罪していた。


「弁償とサービス……それなら、まあ」


 崎山さんの言葉に、みんなが納得した様子で頷く。

 呆気に取られたままの俺は、崎山さんに小突かれてようやく深く頭を下げた。

 なんとか許してもらえたことにほっとしながら、自分の犯したミスを振り返り、震えが止まらなかった。

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