私が思う小説
ここには、ある1人の幼い少女が書いた拙い文章が載っています。是非温かい目で見守っていただけると幸いです。
「小説」と聞いて貴方は何を思い浮かべるだろうか。
「小説」と言うにもいろんなジャンルがあり、いろんな書き方で、いろんな色で、且ついろんな分厚さで、そこに込める想いだってもちろんそれぞれ違うだろう。
ただ、1つ言えることといえば、『そこには多種多様ではあるが間違いなく作家さんの想いが込められている』ということだ。
こうやって小説を書く側、つまり「読んでもらう側」になって初めて気づいたのだが、小説を書く、というのにはとんでもない苦労が隠れているということだ。
通常はよく考えなくてもわかることなのだろうが、生憎本(主に小説)が好きで読むことに注力し続けてきた人間なので小説が完成に辿り着くまでの作家さんの血の滲むような努力を全く知らなかったし考えようとも思わなかったのだ。
あの人はこの小説を書き上げるのにどれだけの時間を要したのだろう、何度書き直したのだろう、どれだけ悩んだのだろう。そんなことすらも考えられなかった自分にひどく腹が立つ。きっと私はどうしようもなく子供なのだろう。ただ本を読むことしか頭になかった、そこに辿り着く背景なんてどうでもいいとさえ思っていた。
そんな私が小説家になりたい、と明確に考え始めたのはつい最近で、『とある本』に出会ったからだ。その本とは、辻村深月さんの「冷たい校舎の時は止まる」だった。その本に触れた瞬間、幼いながらに何か、言葉では言い表すことのできないような、でも決定的に私の運命を変えるような感覚に襲われた。その本との出会いは、院内図書だった。少し前に借りた住野よるさんの「君の膵臓をたべたい」を返した後、何を借りようかと悩んでいたところ目に止まったのがこの本だった。上と下に分かれていて、分厚いな、と思いつつもなんとなくその本に惹かれていった私は借りることを決意した。
読み始めて、すぐに感じた。
「この本は今までと何かが違う」と。
具体的に何がどう違うのかは自分にもわからぬままだったが、新しい発見にどうしようもなく胸が躍るのを無視できなかった。
そうして、この本に導かれるかのように、私は小説家の道を目指そうとしている。しかし、この支離滅裂な文章を見れば分かるように、私は小説を書くということを今までしたことがなかったのだ。しかし、それでも、どう考えても無理だと言われると分かっているのに挑戦しているのは、間違いなく『とある本』の影響だった。私は『とある本』に心を揺さぶられ、自分の書いた物語で誰かの心を揺さぶりたいと思わせ、さらに将来の夢までも与えた。
もちろんこんなちっぽけな文章が誰かに届くとも、小説家になるための一歩とも思わない。こんなの言ってしまえばただの説明文だ。しかし、私は必ず小説家になって誰かの心を揺さぶってみせる。そう思わせるだけのたくさんの覚悟と勇気を握りしめて私は今歩き出す。
以上、ある1人の幼い少女による拙い文章でした。ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。




