予期せぬ真実
(1)
ランタンライトを手にしたジェラルディンがヴィゴたちに近づいてくる。
闇と同化するような黒無地の長袖Tシャツにブラックジーンズ、黒いスニーカー。美しいブロンドはまとめて黒いキャップに押し込んでいる。
映画かドラマの撮影クルーと見紛う服装であっても、ジェラルディンの美貌もオーラも隠しきれていない。彼女が近づけば近づくほど実感させられた。
ヴィゴの間近に迫ると、ジェラルディンはランタンライトを彼の顔のすぐ真横に掲げてきた。
眩しさに顔中を顰めれば、完璧な女優の笑顔で微笑む。
「はじめまして。トゥルッパさん。娘がお世話になってるみたいで」
「こちらこそ……、って、どう考えても、悠長に娘のハウスキーパーへ挨拶する状況じゃないんすけど、ええっと」
「ルビーって呼んで?私の本名なの。ルビー・ストーン。今この場で活動名を呼ばれたくないの」
軽やかな動きで、ジェラルディン……、否、ルビーはヴィゴから距離を取ると。
それが合図のように、二人組はジャスパーの後頭部へ揃って銃口を突きつけた。
「ママ……?」
はくはく、はくはく。
呆然とするジャスパーの呼吸が荒くなっていく。
過呼吸になりかけている娘を見て、ルビーは困ったように笑う。
「ジャスパーはいい子ね。ちゃあんとママの言いつけ素直に守り続けて。スクールと犬の散歩以外ほとんどマンションからも出なくて。この真面目ちゃんぶりはいったい誰に似たんだか。かわいい顔は私に似たのは間違いないんだけど……、私はこんなガッチガチな優等生じゃあなかったし。だから大変だったあ……」
「大変?」
信じ難い状況に、ジャスパーと同じく絶句していたヴィゴが問う……、というより、ルビーの言葉をオウム返しする。ルビーは憐れみを込めた目でヴィゴをちらと見やり、ため息交じりにひとりごちる。
「ちっとも言いつけを破らなくて外へ出ないんだもの。せっかく携帯端末にGPS共有設定つけたり、業界御用達の始末屋も雇ったっていうのに。肝心の始末の機会がなくて……」
「始末って……」
ルビーはヴィゴを無視すると、益々呼吸が乱れていくジャスパーへ申し訳なさそうに笑いかけた。
「ごめんね。ママ、もうあなたが重荷でしょうがないの。隠し通すのもそろそろ限界だしぃ、キャリア傷つけたくないし、お金もかかるし?あと、今の彼とも本気で結婚考えてるの。だいじょうぶ、苦しまずにすぐ……」
ルビーの言葉は続かなかった。
いつの間にかヴィゴが彼女の背後に回り、片手で両手首を拘束。もう片方で口を塞いだのだ。
プロの始末屋ですら見逃したヴィゴの意外な敏捷さ、思いがけない行動。本人以外の、この場に立つ全員が声も出せず、動きを止める程の驚きに駆られた。
「その子とこの女を交換しろ。言っとくが、あんたらがトリガー引くより先に、俺がこの女の首をへし折る方が早いからな」
ヴィゴはルビーの口を塞いだまま、彼女の小さな顔ごと細長い首を、ぐい、と傾ける。
ルビーの顔が初めて恐怖に染まり、拘束から逃れようともがく。だが、ヴィゴの拘束はびくともしない。普段は死んだ魚のようなヘーゼルの双眸に昏い怒りが宿り、始末屋たちですらたじろがせた。
「その子とこの女を黙って交換しろ。そうすりゃ全部黙っておいてやる」
んー!んん!!と言葉にならない声を発し、ルビーの抵抗が激しさを増していく。
YESかNOか。罵倒か命乞いか。
B級かC級映画の撮影のワンシーンみたいで、心底うんざりする。
さながら、ヴィゴは主役の美人女優をピンチに陥れる悪役俳優か。実際はその女優こそが悪役なのだが。
「ダメ!ママを傷つけないでっっ!!」
「……絶対言うと思った」
あれだけ母親の言うことを頑なに守ってきたジャスパーなら、何を言われたとしても、絶対ルビーを庇うと予想していた。これで益々ヴィゴの悪役っぽさに拍車が駆けられていく。
「ジャスパーさんがそう言うなら、しかたねぇなあ。あんた、優しい娘でよかった、なあ!!」
ヴィゴはルビーを開放すると同時に、始末屋たちとジャスパーの方へ乱暴に放り出す。ルビーはバランスを崩し、始末屋たちに向かってよろめき、彼らを巻き込んで転倒した。
三人が転倒した隙を狙ってヴィゴは、ルビーとは反対方向へよろめき、転びかけたジャスパーを担ぎ上げると。工場の裏口に向かって全力で駆けだした。
(2)
裏口から屋外へ飛び出してはみたが、ここから先はどう逃げ出そうか。
最初に入った高い鉄門の入口は厳しい。高い塀を越えるのもジャスパーを連れてでは無理だ。
他にも出られそうな出入口の有無、抜けられそうな隙間がないか。
ジャスパーを担ぎながら産廃物の山を踏みしめ、考え、探す。
敷地内で三人がヴィゴたちを探し回る声、特にルビーの喚き声がキンキンとよく響いてくる。あの調子だと、ヴィゴとジャスパーを発見次第、即射殺する気かもしれない。
「そういや、GPSがどうとか言ってたような……。ジャスパーさん、携帯端末持ってる?」
「……質問の前に下ろしてもらえますか?」
不機嫌極まった声が左肩の上から聞こえた。
咄嗟のことだったとはいえ、ジャスパーを荷物のような担ぎ方していたからだ。
産廃物の影に隠れて、そっと、肩からジャスパーを下ろす。
「もちろん持っています」
「電源を切ってほしい。本当はGPSの共有設定オフにしたいが、時間が惜しい」
ジャスパーはサコッシュから携帯端末を取り出し、素早く電源を落とす。
ルビーと始末屋たちの話し声が徐々に近づきつつあった。
「携帯端末のGPS共有切ろうが、電源切ろうが無駄だから!」
息をひそめ、三人が過ぎ去っていくのを待っていると、ルビーがヒステリックに叫ぶ。
今のやりとりを実は聞かれていたのでは、と疑いたくなるタイミングにヒヤリとする。しかし、声の方向からしても、ヴィゴたちの話し声は聞こえていない筈だ。
「始末屋はね、あらゆる方面で優秀な人が揃ってるんだから!」
ハッタリで不安を煽っているだけならいい。彼女は女優。嘘やハッタリも真実と信じさせる力がある。
でも、始末屋に警察同等の特殊なGPS追跡力があったら?
「ジャスパーさん。悪ぃけど、その端末はどこか捨てて……」
「絶対イヤです。ショーグンの写真とか、ママとの思い出の写真とか動画が残ってるから」
「ショーグンはともかく、あの女、ジャスパーさん殺そうとしてるんだぞ?それでもまだ……」
「たしかにママは変わってしまいました。でも、変わってしまったからこそ、変わってしまう前のママとの思い出まで失くしたくないんです」
無表情を保っているが、ジャスパーの瞳は込み上げる感情を必死で押さえようと揺れに揺れていた。
こんな顔を見せられては、無理やりにでも端末を捨てる気にもなれない。
とりあえず、別の産廃物の影まで移動するか、留まるべきか。
息を殺し、二つの選択の間を行ったり来たり。動くに動けずにいる時だった。
ヴィゴの穿き古したジーンズのポケットの中、携帯端末が震え始めたのは。




