やっぱり不満は募る
ジャスパー・ストーン。
マイルズの街唯一の私立学校聖フェリシア・チャーチ付属スクール初等科二年生。
品行方正、成績優秀。運動は少し苦手だが平均の成績は保つ。入学以来平均より下の成績は一度も取ったことがない。
朝は五時五十分丁度に起床。六時には朝食をヴィゴと共に摂る。六時半から七時の約三十分間ヴィゴと共にマメシバの愛犬・ショーグンの散歩。
七時から七時十五分の間に通学準備を済ませる。七時二十分にはマンションを出て、十五分から二十分弱かけてスクールまで送っていく。その帰りにジャスパーの制服のカッターシャツを、週末前には制服一式(予備含めて三セットある。毎週交代で着用)を揃え、高級クリーニング店へ届ける。
ジャスパーを迎えに行く時間、十五時前までに掃除、洗濯、夕食の仕込み、買い出しなどの家事全般、ショーグンの世話を行う。
スクールから帰宅後、十六時から十六時半はショーグンの夕方の散歩三十分。散歩後、ジャスパーは夕食の時間までショーグンと一緒に部屋に籠り、勉強。
夕食から就寝時間までの間、ジャスパーは風呂とトイレ以外ずっと自室に籠りきりだ。
朝食や休日の昼食も同じく、ジャスパーは食事とショーグンの散歩の時間以外は基本自室に籠りきり。掃除も自室だけは『自分でする』とのことで、ヴィゴは一度も入ったことがない。
ジャスパーとヴィゴが顔を合わせるのは食事をする時、学校への送迎時、ショーグンの朝夕の散歩の時のみ。
その時も終始無言。食事時はまだ食べる作業に集中すればいいが、送迎や犬の散歩での沈黙は辛くなってきていた。
「じゃあ、アンタから何か喋ってあげればいいのに」
ジャスパーを学校へ送り、午前中の家事を済ませたヴィゴはなじみのダイナー『ワンダーホール』へ遅めのランチを食べに来ていた。
様々な年代の映画やバンドのポスターが壁に張り巡らされ、先日国内チャート一位を獲得したバンドの曲が流れる店内。L字カウンターに座るヴィゴの愚痴をカウンター越しで聞いていた、人工的なピンク髪をアップヘアにした女が答える。電子タバコをくわえ、皿を洗っている彼女はワンダーホールの店主キアラだ。
ランチ営業のラストオーダー時間ギリギリ。あと三十分程で休憩とディナー準備で一時閉店するため、客はヴィゴ一人しかいない。
それでもキアラは嫌な顔ひとつせず、ヴィゴの愚痴をのんびりと聞いてやっている。
「……そうすると、『余計なおしゃべりはいりません。黙って運転してください』だの『食事中に喋るなんて品がないです』って抜かされんだよ。あっ!そうだ!聞いてくれよ!一昨日なんてなあ!!」
ジャスパーは甘い物をほとんど食べない。
唯一口にする甘い物は、朝食のトーストやバゲットに塗るイチゴと林檎のジャム。
この二種類のジャムを毎朝一日おきに、交互に塗って食べている。そのジャムは朝食時にヴィゴが決まった量を計り、小皿に乗せるのだが。
『今朝のジャムの量、少し多くないですか?』
二人で向かい合って座るのは広すぎる、ファミリータイプの白木の高級ブランドテーブル。縁に有名ブランドのイニシャルが記された真っ白なテーブルクロスに並んだ朝食プレート。
バゲット二切れ。カリカリベーコンのハムエッグ。ベイクドビーンズ。新鮮な季節野菜で彩ったサラダ。オニオン、人参、キャベツの冷製スープ。そして、林檎ジャム。
毎朝お決まりの朝食を前に、いつもなら神に祈りを捧げる筈のジャスパーは林檎ジャムの小皿をじぃっと凝視。
まさか、虫とか埃が入っていたとかじゃないよな。
内心焦っていると、ぽつり、先程のセリフを漏らされたのだ。
『計量器でいつもと同じ数値か、ちゃんと計りました?』
『計りましたけど……?』
『本当に?小皿の重さ含めてですよ?』
『もちろんそうしましたけど……?』
『確認させてください』
ジャスパーは席を立ち、食器棚の開き戸からデジタル計量器を取り出すと。テーブルの端に置き、電源を入れ、ジャムの小皿を乗せる。すると。
『……0.18gも多い』
小さな体から室内中に響くためいきが吐き出される。
その後、ジャスパーはいつも通り神に祈りを捧げ、朝食を食べ始めたが、機嫌が傾いたままなのは明らかだった。彼女の無口には慣れたつもりでいたが、無言で機嫌が悪くなるのが一番困る。面倒だ。
かと言って、彼女特有の『健康のためのこだわり』(曰く、このジャムの量が一日で摂取していい甘い物の規定量とか何とか)にヴィゴが口を出す筋合いもない。
でも、それはそれ。
多少なりとも腹は立つ。
「かわいげのないお嬢様だねぇ。親の顔が見てみたいよ。てゆーか、アンタ、会ったことあるでしょ」
「それが一度もないんだなあ。全部担当弁護士とジャスパー任せ」
「は?弁護士はともかく、まだ小さい子なんでしょ?!」
「金と教育さえ与えときゃそれでいいって感じなんだろうなあ」
「信じらんない!そりゃひねくれる!!」
他人事なのに憤然とするキアラを尻目に『会ったことも話したこともないが、ジャスパーの親……、母親の顔は俺でも知っている』と心中で付け加える。
もう一つ、ジャスパーの母が彼女と離れて暮らし、まったく会いに来ない理由も。
「おっと、そろそろ閉店か。さっさと食うよ」
「えっ、別に慌てなくていいよ。アンタなら少しくらい長居しても」
「そういう訳にもいかんだろ」
「息抜きに来てんでしょ。別にかまわないって。アンタとあたしの仲だし」
そういうと、キアラはヴィゴの頬をそっと撫でる。
「あの女と別れたんなら、お嬢様迎えに来るまでどーお……、いった!」
キアラの手を軽くつねり、ヴィゴは呆れ顔を見せる。
「お前な。医者から禁欲生活言い渡されてんだろーが」
「ちっ、治療始めてからは昔みたいに誰かれかまわず寝てません~!」
「そんなら俺にも軽々しく言うなっつの」
「あたし、アンタは割と気に入ってるからさあ」
「はいはい。四十過ぎのおっさん、あんまからかうもんじゃねーぞ。ほれ、勘定。釣りはいらん」
まだぎゃあぎゃあ言うキアラを制し、支払いを口実に黙らせた時だった。
レジカウンターの近く、小さなダイニングホール全体から見渡せる位置に置かれたテレビに、一人の女性が映し出された。
「あ、ジェリーだ!いつ見てもキレイでセクシーねえ〜」
ヴィゴから受け取った紙幣からチップを抜き取りがてら、キアラは画面の中の美女に釘づけになった。
鮮やかなマリンブルー、総スパンコールのイヴニングドレスの華やかなブロンド美女は、レッドカーペットで名だたる有名俳優たちと一列に並んでいた。
絶えないシャッターの音と光、自信と余裕に満ち溢れた笑顔でインタビューに答える美女ことジェラルディン・ライト──、ジェリーの愛称で親しまれるこの有名女優こそジャスパーの実の母親であった。
「田舎のストリップパーのショーガールがスカウトされて、最初はモデル、そこからトントン拍子で演技派女優に登り詰めたんだもんねえ」
「……そうだな」
その成功の裏で、十代にして未婚で産んだ娘の育児放棄と存在の隠蔽を考えると、ヴィゴは複雑な胸中に陥っていた。




