いきなり戸惑う
(1)
数日後。
高層ビル群がそびえる街中心部。マイルズ唯一のビジネス街。
通りを行くホワイトカラーの人々に引け目を感じつつ、ヴィゴは面接場所にと指定されたビルへ。最上階の法律事務所の扉を叩いた。
「ヴィゴ・トゥルッパ。傷害、殺人、窃盗、スピード違反等の犯罪歴なし。痴漢、強姦等性犯罪も同様になし」
「こう見えて警察の世話になったこたあ一度もねえ……、一度もありません」
「職歴は……、転職回数が多いですね。直近では半年前、清掃会社に三ヵ月勤務。それ以前は飲食店、警備、製造業……、保護犬シェルターでの勤務経験もお有りですか。どれも数ヶ月から一年前後で退職されていますが。一年前まで勤務していた、この鉄工所の退職理由は」
「景気が悪くて解雇されたんだよ」
「自主退職と書かれていますよね」
「うっ……、それはあっちから辞めてくれとそれとなく促されて」
「強制ではなかった訳ですね。その場合は解雇とは言いません。自主退職に該当します」
本革張りの応接セットに、ヴィゴは大きな身体を縮こまらせて座っている。
安定所で面接を希望し、指定された場所がまさかの弁護士事務所とは。
雇用主の代理人を名乗る、高そうなスーツを着こなす女性弁護士はヴィゴの履歴書を見ながら、感情の読めない顔と声で質問をしてくる。まるで尋問のような調子でどうにも尻の座りが悪すぎる。
「……陸軍所属経験がお有りですか」
「二十年以上前の話だけどな」
「三年とこれまでの職種で一番長い。退役理由は?」
「それは……」
どの問いにも答えてきたヴィゴが初めて言葉を詰まらせる。
沈黙が痛い。『答えたくない』と言いたいが、それすら喉の奥に留まっている。
女性弁護士は沈黙を彼以上に重く受け止めたのか。
表情は変わらずとも「質問を変えます」と撤回してくれた。
「軍に所属していたのであれば、当然銃は扱えますね?」
「おいおい。物騒だな。職種は運転手兼ハウスキーパーだろ?」
「質問に答えてください。あなたはこれから、雇用主とはプライベートも共に過ごす時間が多くなります。彼女の身の安全確保も仕事のうちです」
「護衛までこなすなんて聞いてない」
「では、このお話はなかったことに」
「いや、待ってくださいよ……」
銃の扱いならわかる。
わかるけれど、扱いたくないだけ。
銃を見ると、あの時のことを嫌でも思い出してしまう。
今はマシになったが、しばらくは映画やコミックで銃が出てくるだけでパニックに陥ったのに。
生活と銃への嫌悪感を天秤にかける。
ないに等しい貯金。このままじゃホームレスまっしぐら。
背に腹は代えられない。
「銃の扱いなら覚えてる。いざとなれば撃てる」
『努力はする』と言いかけて飲み込む。
曖昧な物言いでは必ず突き放される。
女性弁護士は相も変わらず表情の変化がなかったが、「承知しました。では、後日採用の合否連絡をいたします」と冷たく告げたのだった。
(2)
結果的に、翌日には携帯端末に採用を告げる連絡が来た。
『明日からでも早速』という言葉を受け、少ない荷物をまとめて連泊していたネットカフェを出る。
昨日の面接場所同様、これから働く場所はマイルズの高級マンション群。ビジネス街ならまだ、清掃やごみ収集の仕事で行く機会はあったが、ここはヴィゴが一度も足を踏み入れたことがない場所だ。
その中でも比較的階層が低いマンションの前に立つ。淡いピンク色のレンガ調の外壁、白く塗装されたマンション周りの柵、各部屋にあるアーチ型の小窓。少し古臭く、ファンシーさがチープに思えるが、家賃は桁違いに高いだろう。
門前に立つ警備員からのあからさまに不審の目。己が場違いなのは承知している。
警備員に身分証明書を見せ、あらかじめ考えてきた事情を懇切丁寧に説明する。
警備員の不信感はあまり変わっていなさそうだったが、目的の部屋のインターホンを鳴らし、その部屋とエントランスホールに入るロック解除にどうにか漕ぎつけられた。
エントランスの奥のフロントでも係員へ再び一から事情説明ののち、エレベーターに乗るためのロック解除。念のためにと目的の部屋の前まで監視つきで。
すでに非常に帰りたくなってきたが、ここまで来たら戻る方がかえって怪しまれる。
エレベーターを降りると、フリルのような白い模様が混じった、淡いピンクの壁紙が目に入る。
係員と共に、等間隔に並ぶ、白いチョコレート型の扉の一つの前に立つ。再びインターホンを鳴らすと『どうぞ』と幼い声。程なくして、開かれた扉の先にはこの部屋の幼い住人──、ヴィゴの雇用主となる八歳の少女が待っていた。
「まずは入ってください」
「お、おお……」
「あなたは本来の仕事に戻ってください。ご苦労様でした」
少女はヴィゴを部屋に招き入れると同時に、彼の背後に立つ警備員へ事務的に告げる。
年齢一桁とは思えない態度、話し方。ツインテールの赤毛、マイルズで唯一の私立学校の制服、マメシバの子犬を腕に抱く姿は年相応だが、鮮やかな碧の双眸、整った顔立ちにはあどけなさの影が微塵もない。
「はじめまして。ハウスキーパーさん」
「はじめまして。えーっと、ストーンさん?お、俺はヴィゴ・トゥルッパ。よろしく……」
「私のことはジャスパーと呼んでくれればいいです。早速ですけど、いくつか守ってほしいことがあります。ひとつ。必ずスケジュール通りに動くこと。ふたつ。事前に説明されている仕事以外、余計なことはしないでください。みっつ。用事以外で私に話しかけないでください。私も用がある時しかあなたに話しかけませんので。私は無駄とお喋りが嫌いです。手間を取らされるのも嫌いです。以上。質問があれば、わかりやすく、手短にお願いします」
「……いや、特にない……」
「では、私は自室で勉強の続きをします。ああ、その前にひとつだけ。夕食は十八時までにお願いします。食材は冷蔵庫にある物をご自由にお使いください。ただし、レシピは決まっています。キッチンのコルクボードに一週間分のレシピが貼りだされています。一週間に一度、食材と一緒に送られてきますから、あなたはそれを元に料理してくれさえすればいいです。質問は?」
「……ない……」
「そうですか。では、十八時になり次第、私は部屋を出ます。それまでに食事準備が間に合うようにだけ、よろしくお願いします」
ジャスパーは終始事務的な口調と態度を崩さず、子犬と共にさっさと自室へ籠ってしまった。
小さな背中が部屋の中へ消えるのを見届けながら、ヴィゴは募集の注意事項の意味を深く理解した。
あれは子供の成りをした大人だ。




