バウンシング・バック②
(1)
激しく震える両手、照準はブレにブレている。
別にかまいやしない。人や物に命中させるわけじゃない。
ヴィゴの足元、地面が見えなくなるほど積み上がった産廃物のほんのわずかな隙間へ向け、発砲。
一回。二回。弾丸は小さな隙間へ、吸い込まれるように入っていく。発砲の衝撃で隙間周辺の産廃物が吹き飛んでいく。弾丸自体は跳弾せず、崩れた産廃物の下に埋もれた。
腕が落ちていなくてよかった。
隙間から数ミリ逸れれば弾は跳弾、どこへ跳んでいくかわからない。
自分に当たるのも困るが(キアラにぶち殺されかねない)、ジャスパーに当たるのだけは絶対避けたかった。
銃声を聞きつけ、ルビーたちがヴィゴたちの方へ,駆けつけてくる。
込み上げる吐き気をこらえ、ヴィゴはとうとうその場に倒れ込む。その拍子にいくつかの産廃物が落下し、派手な音を立てた。
自分とジャスパーの居場所が知られたのもかまわず、ヴィゴはジャスパーへ震える親指を立てて見せる。ジャスパーも口元と片頬を歪めて笑い返す。八歳児が見せる笑顔じゃない。でも、それが彼女だ。
ジャスパーはヴィゴに背を向けると、ホラー映画さながら絶叫し、身を隠していた産廃物の影から飛び出した。しかし、勢い余ったジャスパーは足を滑らせ、産廃物の山から転がり落ちていく。
悲鳴を上げ、転がり落ちるジャスパーにルビーたちは呆気に取られているだろう。あんなに騒がしかったのが嘘みたいに静かになったのが証拠だ。
「……うっ、うっ、いたい……」
込み上げる嗚咽を堪え、ジャスパーはぺたんと座り込んでいる。
倒れ込んだまま、ルビーたちに見つからないよう、ほんの少しずつヴィゴはジャスパーとルビーたちの姿が見える場所まで、這って移動。その間にも、ジャスパーはしゃくり上げ、か細くすすり泣きし始めた。
姿はよく見えないが、声を聞いている限りはなかなか堂に入った演技をしている。
「……ママ、ママ……、やだ……、わたしを殺さないで……。あ、あの人、自分で自分を撃って死んじゃった……」
「なんですって?!」
しくしく、しくしく。ジャスパーは涙ながらにルビーたちへ訴えかける。
倒れたまま、ヴィゴは目線だけ動かし、ジャスパーたちの動向を見守る。
あんなにヴィゴとジャスパーを殺そうと躍起になっていた癖に。いざ人死にが出るとルビーは怖気づいた。もしかしたら、宗教上の禁忌を犯されたことにも動揺しているかもしれない。
対してジャスパーは、ずっと同行してくれていたハウスキーパーの自死へのショック、今から自らもその死へ向かうことへの恐怖を切々と、涙を交えて訴えかけた。
ルビーと始末屋たちの意識は完全にジャスパーへ持っていかれている。
その調子だ……と、ヴィゴは未だ震える両手で腹ばいのまま銃をかまえる。
始末屋たちは有効射程内にいる。夜闇に包まれた中で銃を命中させられるか。
ルビーのランタンライトが二人の姿を闇に浮かび上がらせ、狙いやすくなった。
二十数年のブランク有りでもできるか?
やるしかない。
震える両手に噛みつく。歯形が残り、血が滲むほどきつく、強く。
痛みで震えがマシになった。あとは──
一発の銃声と共に、始末屋の一人がもんどり打って倒れた。
何事?!と、ルビーと残った始末屋が振り返ると同時に銃声。もう一人の始末屋も倒れた。
ルビーは益々混乱し、横たわった始末屋たちのそばに膝をつき、揺さぶり、目を覚まさせようとする。
だが、始末屋たちのつま先からそれぞれ血が流れ、ルビーはすっかりパニックだ。
「ママ。早く止血をしてあげて」
「はっ?!?!」
ついさっきまで、怯え、震え、泣いていた筈のジャスパーが至極冷静にルビーへ呼びかける。
涙もとっくに引っ込み、いつものスンッ……と褪めた顔で。立ち上がり、三人の側へ近づいていく。
「あ、あんた、騙したわね?!」
「騙すも何も……、想定以上に、私の棒演技に簡単に引っ掛かるとは思いませんでした」
ルビーの美しい顔にカッと朱が走る。
咄嗟に始末屋たちが取り落とした銃を拾い上げようとして、ヴィゴが放った銃弾に阻止された。
「いたあいっ!!」
銃弾に当たらずとも、衝撃で手を引っ込め、ルビーはジャスパーを、次いで、産廃物の山から下りてくるヴィゴを睨む。
ヴィゴの足取りはまだおぼつかない。銃を握る手もまだ震えている。
ジャスパーは背後のルビーと始末屋たちへの警戒を見せながら、ヴィゴに駆け寄った。
「ジャスパーさん、すっげえ。迫真の演技じゃないすか。来年のアカデミック賞獲れるんじゃない?」
「くだらない冗談は嫌いです」
「はいはい、すみませんねぇ!でも、あっちこち擦りむいて……」
「こんなのかすり傷です。それより、あの人たちの止血を」
ジャスパーに促され、彼女を背に庇いつつ、ヴィゴは三人に歩み寄っていく。
茫然自失でへたりこんだままのルビーへの警戒はしつつ、未だ意識を戻さない始末屋たちに止血を施していく。
そうしている内に、パトカーのサイレンが遠くより流れてきた。
(2)
事件から二週間ほど経過した。
ルビーと始末屋二人はあの場で現行犯逮捕。
ヴィゴとジャスパーも事情聴取のため、警察に同行を求められた。
ルビーは長年の育児放棄及び精神的虐待、加えて誘拐殺人未遂によりジャスパーの親権剥奪。
ジャスパーは児童養護施設か里親の下へ行き、ヴィゴも自動的に職を解かれ、再び無職に──、ならなかった。
「……で、結局、今もほとんど前の生活と変わりないってこと?」
安息日前日の夜。
ワンダーホールに訪れ、定位置のカウンター席に座ったヴィゴにキアラは問う。
ヴィゴが答える前に、彼の隣でピンクグレープフルーツジュースを飲みながら、ジャスパーが答える。
「はい。母と母の婚約者の二人が、今回の事件への慰謝料と口止め料として、私が十八歳になるまでの十年間、多額の学費と生活費を毎月支払ってくれることになったのです」
「要は内内の示談ってことだよ」
「キアラさんが通話を切らず、ずっと録音してくださったおかげです。音声という証拠が残っていたから、示談もこちらの有利に働きました」
「やっだもう、そんなカタッ苦しいお礼はいいってば!もし、また酷い目に遭いそうになったら、あたしが出会い目的で使ってたSNSに捨て垢作って流出させてやるから!」
「おいおい物騒だな……」
「キアラさんが危ない目に遭うのは心配です。それから……、余計なお世話ですけど、SNS通して不特定多数の男性と会うのも……」
「あっ、今はやってないから!」
「痛いぞ。八歳に心配される二十きゅ……、いってえ!」
注文したサイダーの瓶を、ごん、とこめかみにぶつけられた。
「なんちゅう商品の渡し方……」
「うるっさい!このデリカシーなし男!」
「そうですよ。女性の年齢を口にするのは失礼です。私も不快です」
「え、そうなのか?!」
「子供だからって気にしないとでも?」
ジャスパーは音一つ立てずストローでジュースを啜り、ヴィゴを褪めた目でチラ見する。
「まあ、いいです。これから少しずつ直していってもらいますから」
「これ以上何を直せと?!」
「とりあえず、私に隠れてショーグンにおやつあげるのはやめてください。そんなにかまいたかったら、私を部屋から呼んで、私が見ている前でかまってください」
「単純に自分の犬取られるのが嫌なだけだろ?!」
大人びた口調は変わらずとも、ジャスパーの発言の中身が少しずつ年相応に子供っぽくなってきている。
変化したのはジャスパーだけじゃない。ヴィゴの死んだ魚の目にもまた、確実に生気が戻り始めていた。
(了)




