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夏祭り  作者: イスコ
2/3

揺れる風の中で

夕暮れ、町がゆっくりと色を変えていく。

空の高いところから、星音せいおんの風が舞い降りはじめると、町中の風鈴たちが一斉に鳴き始めた。

やさしく、切なく、どこか懐かしい音が、風に乗って流れていく。


リノアは、町の中央広場にある大きな風鈴塔の前にいた。

淡い桃色の浴衣をまとい、風でほつれかけた髪を整えるたび、胸の奥がきゅっとなる。

「もうすぐ、来るはず……」


そして、ほんとうにそのときが来た。


「……リノア」


風に混じって、声が届いた気がした。振り返ると、そこにカイルがいた。

紺色の羽織、少し伸びた髪。目の奥のやさしさは昔のままだけれど、どこか影のようなものが漂っていた。


「……ひさしぶり」


「うん。久しぶり、だね」


一瞬の沈黙。

だけど、そこに気まずさはなかった。ただ、お互いが相手を見つめなおす、そんな時間だった。


「今年も……来てくれたんだ」


「来たよ。リノアに会いに」


それだけで、胸がいっぱいになった。

言いたい言葉が、喉の奥まで来ている。でも、その先が、どうしても出てこない。何かが引っかかっているようだった。


二人で広場を歩く。夜が深まり、町中の灯りがともる。

屋台の甘い匂い、人々の笑い声、風鈴の響き。すべてが夢のようで、でも現実だった。


「昔と変わらないね、この祭り」


「変わらない。でも……」


「ん?」


「なんか、少しだけ怖いんだ。昔よりもずっと、大事なことがかかってる気がして」


カイルが立ち止まる。

「リノア、伝えたいことがあるんだ」


リノアの心が跳ねた。でも——


「リノアー! こっちこっち!」


ミーナの声が割り込んだ。

タイミングは、一瞬で崩れた。カイルも気まずそうに笑い、少しだけ距離を置いた。


「ごめん、あとで話そう」


「……うん」


それからの時間は、まるで風に流されるようだった。

カイルと歩いたり、屋台を巡ったり、笑ったり。でも、肝心なことは何も言えなかった。言葉が出るたびに、何かにさえぎられる。人の声、タイミング、そして、胸の中の“恐れ”。


「……もう終わっちゃう」


風鈴塔の上から、最後の星音が鳴るのが聞こえたとき、リノアの中にぽっかりと空白ができた。


(このまま終わっちゃうのかな)


風が、少し冷たく感じられた。


「はい、おまたせ〜! りんご飴2つ!」


屋台のおじさんが、竹串に刺された赤く光るりんご飴を手渡してくれる。

リノアは受け取ったものの、手の中の飴はいつもより重く感じた。隣を歩くカイルの顔を、ちらりと盗み見る。

彼もまた、何かを言いかけては飲み込んでいるような、不思議な表情をしていた。


「……覚えてる? 昔、この屋台で、私……りんご飴落としたこと」


リノアが言うと、カイルはふっと吹き出した。


「うん。泣きそうになってたから、俺の半分、分けた」


「その半分、小さくて全然満足できなかったんだから」


「そりゃそうだろ。俺、ひとくちしか食べてなかったんだぞ?」


「えっ……」


「リノアが、泣きそうだったから」


一瞬、風が止まったような静寂が流れた。

でも、それはすぐに、夜風の音にかき消された。


(今なら、言えるかもしれない)


心の中で、何度もそうつぶやく。でも、口は動かない。

言葉にならない気持ちだけが、胸の中で渦を巻いていた。


「風鈴、鳴らす?」


カイルが問いかける。リノアは、思わず顔を上げた。


「……今?」


「リノアの“想い”、きっと届くよ。だって、今日の風、すごくやさしい」


(わかってる……。でも、それが怖いんだ)


“届くかもしれない”という希望は、“届かなかったとき”の怖さと隣り合わせだ。

風に乗せてしまえば、もう戻せない。相手の心が、自分と同じ方向を向いていなかったら——?


リノアはうつむいた。


「……カイル、私、ちょっと……一人で歩いてもいい?」


「……わかった。広場の風鈴塔で、待ってるよ」


背を向けたカイルに、小さく「ごめん」とつぶやく。

返事はなかったけれど、その沈黙すらもやさしくて、余計に胸が痛んだ。


リノアは、町のはずれの通りを歩く。

屋台の灯りも少なく、人もまばらになった小道。

風鈴の音だけが、変わらず静かに響いていた。


(どうしてこんなに怖いんだろう。好きなのに、会いたくてたまらなかったのに)


ひとつ、風鈴が鳴る。

それに続いて、またひとつ。

気づけば、彼のことを想うたびに鳴るような、不思議な感覚があった。


そして、視線の先に、ひとつだけ、ほかのどれよりも高く澄んだ音を奏でる風鈴があった。


「……この音、前に聴いたことがある気がする」


それは、かつて二人で歩いた帰り道、カイルが“秘密の場所”として案内してくれた、町外れの古い神社だった。

その風鈴は“言葉を記憶する風鈴”。

風に乗れなかった気持ちを、そっと留めてくれる、不思議な力を持つといわれている。


リノアは、静かに歩み寄り、目を閉じて祈るように風鈴に手を添えた。


「どうか、この音を、彼に届けて」


でも、その瞬間——

背後から、あの声が聞こえた。


「リノア……!」


振り向くと、カイルが走ってきた。肩で息をしながら、必死に言葉を探している。


「言いたいことがあるんだ。ずっと、伝えようと思ってて。でも、うまく言えなかった」


風が、また鳴った。


「俺、……リノアのことが、好きだよ。ずっと、ずっと前から」


それは、風鈴よりも澄んだ、まっすぐな声だった。

リノアの目から、静かに涙がこぼれた。


「……わたしも」


ようやく、ようやく、届いた想い。


二人の間に吹いた風が、優しく鳴った風鈴の音を乗せて、夜空の星の方へ、そっと舞い上がっていった。



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