第十八話 大人の立場から
「――で、高峰くんのその心情の変化には、姫萩さんも関わってるのかな?」
「……そっちに話がいくのか」
上目遣いにからかうような国見に、晃誠は右手で顔を覆い、天を仰ぐ。
「先日からお昼を一緒に食べたりしてるって噂。あなたたち二人とも目立つから、すぐに職員室にまで回ってくるわよ」
「言っておくけど、別にそういう男女のつきあいはないですよ。この間、トラブルの解決を手伝って縁ができただけの話なんで」
「――そっ。恋バナじゃなかったのはちょっと残念だけど、親や教師にもなかなか頼れない悩みもあるだろうから、そういう友達がいるのはいいことだわ。姫萩さんにとっても、古峰くんにとってもね」
「教師が生徒に妙な話を期待するなよ……」
「あら、別に全然妙な話じゃないわよ。イケメンとか優しいとか、趣味や話が合うとか足が早いとか、きっかけや理由はなんでもいい。単純に『好きだー』って気持ちだけ抱えて、まっすぐ恋愛できるのなんてそれこそ若いうちの特権なんだし」
国見は手にとった湯呑みのふちを指先で軽くこすった。
「十代くらいに健全にやっておくべきそれをすっ飛ばすと、色々と拗らせることもあるんだからね? 体だけが目的になってそれ以外の意味がわからなくなったり、お金や地位みたいなステータスしか興味がなくなったり。そんな哀しきモンスターなんて探せば世の中にいくらでもいるんだから」
晃誠としてはこの手の話は中学時代のとある失敗をほじくり返されているようで辛いし居心地が悪くなる。とうぜん国見はそんなこと露ほども知らないとわかってはいるが。
ただ、こういう時に「俺そういうの興味ないんで」とでも言えば、どんなげんなりする反応が返ってくるかは想像に難くないので、我慢できるうちは黙っている。
「そういうわけで先生としては、あなたたちにはまず気持ちというものを重視したおつきあいを経験して、学んで欲しいわけですよ。焦ってまで絶対やれとは言わないけど。例えば女子のお化粧だってそうなんだけど、高校を出て、大学に入ったり就職したらいきなり全解禁って言う方がなんでも危なっかしいでしょ。大人の目が届く範囲にいるうちにある程度触れておいて欲しいこともあるの。行き過ぎない程度にね」
そういえばこの学校は女子の化粧に関しても比較的緩い。だからといって派手な生徒も少数だが。
ネットでも情報が行き交っている、いわゆる『スクールメイク』にしろ、特に女性教師であればバレないことなどありえないわけで。この学校については校風もあるだろうが、よそでも国見のような考えの教師は意外と多いのかもしれないと晃誠は思った。
「まあ、節度を保ってというか――どうせダメと言っても止まりやしないんだから、見えないところでやってくれという行為もあるにはあるけどね」
身も蓋もないことを言って、国見は茶をすすった。
「知りませんよ、そんな調子で放任して」
「うちの学校は男子は大人しい方だし――」
こちらのくすんだ金髪にまっすぐ向けられた国見のそれを受け止め、晃誠も視線を返す。
「なんか言いたいことあるなら聞きますよ」
「べつにぃ。どっちかというと、女子の方が心配にはなるかな。やっぱり外からの誘惑が男子より多いし、被害者にもなりやすいから」
言いながらどら焼きを開封する国見を見て、晃誠もどら焼きを手に取る。
国見は続けた。
「私くらいの年齢になれば、一回り離れてようが二回り離れてようが当人達で納得しているなら好きにしろって感じだけど、若いうちは三つ四つの年齢差でも大きいでしょ。それだけで高校、大学、社会人と所属ステージもがらりと変わっちゃう。こっちとしては気が気でないわけよ」
そこで国見は振り返り、部屋の奥に声をかける。
「――その辺どう思いますか、年頃の娘さんもいる安藤先生」
「えっ、私ですか」
安藤は突然話を振られて頓狂な声を上げたが、一応こちらの会話は聞いていたらしい。
「そうですね……。私が子供の頃の話ですが、地元にあまり評判がいいとは言い難い女子高があったんですよ。で、放課後から部活終わりの夕方にかけて、周辺に路上駐車の車がずらりと列をなすんです。時間帯的には大半が大学生だったのかな。携帯電話が普及してなかった時代だから待ち合わせも簡単じゃなくて、男が迎えに来る姿も目立ったわけです。今考えるとなかなかキツい光景だったんだなあと」
「ああ、教師かつ父親になった今じゃ、自分の生徒や娘に置き換えて心配になっちゃうってことすか」
晃誠の言葉に安藤はうーんと煮え切らない様子を見せる。
「古峰の言うそれもあるが、違うことも考えるな。――保護者はもちろん、その光景を見た近所の人達から連日どんな苦情が学校に殺到していたことだろうかと。とうぜん警察経由もあったろうなあ」
「あっ、やめてください安藤先生。想像して胃がキュってなったじゃないですか」
国見がお腹を押さえて呻いた。安藤は苦笑して続ける。
「今はスマホやSNSがありますし、ネットに場を移して人目につかなくなっただけで、たぶん生徒達の現実はあの光景とあまり変わってないどころか、世代差や地域差を超えた繋がりはもっと混沌としてるんでしょうね。もう止める手段はないでしょう。教師にはだいぶ胃の痛い話ですが」
「ですよねえ……」
教師二人はそろって重い空気に飲まれた。
「先生達はやっぱり生徒が年上というか、大人とつきあうのは良く思わない?」
晃誠の質問に、二人は顔を見合わせる。
口を開いたのは国見だった。
「そうね。まずこれは一般論というか、教師という立場を踏まえた私個人の意見として聞いて欲しいんだけど」
「それはわかります」
「さっきも少し触れたけど、若ければ若いほど年の差というのは大きく感じるし、相手が自分よりも大人だと思えば受ける影響力も強くなるわよね」
「でしょうね。――俺みたいなのだって今ここでこうして、神妙な顔で先生の話を聞いてるわけだし」
大人が相手であれば子供は自然と受け身になるし、その言動に影響も受けやすい。
なにせ相手は『大人』なのだ。未熟な子供の自分より上の経験の持ち主であり、自分より先んじた、正しい存在なのである。そういう心理的な力関係が無自覚的に構築される。反発を感じるのだって、結局は同じ作用の鏡映しだろう。
晃誠としても、この時点で既に恋愛的な交際対象としては、あまり健全とは言えない関係なのではないかという気もする。
同年代の、精神的に対等の相手とのつきあいと比べ、かなり一方的に人生観、異性観、経済観、セックス観といった様々な価値観を強く刺激され、感化されることになるだろう。染められるとか、相手が悪ければ、歪められると言ってもいいのかもしれない。
(ま、魅恋みたいなやつもいるけどな)
「その子のそれからの人生にも関わる大きな影響を与えることになる。そういうことを十分に理解して、教え導いて手解きできるような大人ならいいかもしれないけど、そもそもそんな殊勝で人格者の大人が、十代の少年少女にうまうまと手を出すと思う?」
「……珍しいケースになるんじゃないですかね」
晃誠がそう答えると、国見は大きく頷いた。
「というわけで、先生はあまり若いうちから……殊に十代においての年の差恋愛に関してよくは思っていません。具体的に何歳差からアウト、何歳になればセーフ、とも言い難い話なんだけど」
それはそういうものだろうと晃誠も思う。法だって十八歳が成人年齢とされているが、実際はもっと色々と、年齢ごとに様々な規制がある。精神に関して言えばここだという線引きは肉体よりもさらに難しいだろう。
「あと、タイミングもあるわね。例えば大学一年や新卒社会人一年目を狙って近付いてくる先輩なんかは正直あれだし。慣れない環境で不安なところに、拒絶しづらい立場からつけ込んでくるようなやり方っていうのはね。――やっぱり年の差とか関係の非対称性そのものより、そこに乗っかる人間性の方が問題なのかな……」
何か過去に思うところでもあるのか、国見は少し考え込むように宙を睨んだ。すぐに晃誠の視線に気付いて咳払いし、居住まいを正す。
「ただね、世の中は広いし、何事も常識を飛び越えてうまく回ってる変わった関係の人達もいるから。あんまり堅苦しい杓子定規な考えで、古峰くんの受け容れられる世界を狭めては欲しくないとも先生は思ってます。これからいくらでも原則の外にいる、例外の人達に出会うこともあると思うの。もちろん法律の範囲内でね」
国見は晃誠の目をまっすぐ見つめ、言い聞かせるように語った。
「ずいぶん慎重な言い方しますね」
「教え導いて手解きする立場の大人だからね。――あっ、もし古峰くんが私のこと口説くつもりならそれはあなたも一人前の大人になってからお願いね。教師と生徒っていうのは保護者と他の生徒への裏切りになるし」
「そりゃありえないよ。だって俺が一人前になる頃には香苗ちゃんはさんじゅう――あががっ」
にんまりと笑みをはりつけた国見に、肉付きの薄い頬をつねられて晃誠は悲鳴を上げた。
「安藤先生くらい教職も長いと、教え子と結婚した教師の例も直接知ってそうですけどね」
「そうやっていちいち私に振るのやめてもらえませんか。まあ知ってますけど。――私個人はおおむね国見先生と似たような見解です。あえて何か言うなら、若者が大人やその世界に憧れて近づきたがるのはもうこれは仕方のないことですし、健康な反応なんでしょう。ですが、それで悪い大人の食い物にされるようなことだけは看過できません。それくらいです」
(悪い大人の食い物ね……)
晃誠は頬をさすりながら、ここのところのモヤモヤについて考えた。――気持ちがまとまってきて、少しだけスッキリしたかもしれない。
「香苗ちゃんは堅苦しいって言ったけど、教師はそのくらいの方が子供を預ける親としては安心するもんじゃない? ――ええとその、俺もお二人が自分の先生で良かったなって話なんだけど」
改まって咳払いし、晃誠がそう言うと国見は驚愕に目を見開き、口元に手を当てた。
「本当にどうしちゃったの古峰くん……。飢えた野良犬のようだったあなたが……」
「だからなんなんだよその表現」




