第十七話 西東南の教師達
「いっつも悪いねー、古峰くん。準備室でお茶でも飲んでいって」
中間テストを終え、五月も下旬に入る頃の放課後のこと。
輪転機で印刷したばかりの授業用プリントの束を抱えた晃誠を、印刷室の扉を閉めながら女性教師がねぎらった。
ライトグレーのセットアップに、グレージュカラーの髪を低めの位置でフィッシュボーンに編み込んだ、若い教師だ。
「言われなくたってちゃんと部屋まで運ぶよ、先生」
「あっ、古峰殿~。我をばな忘れたまいそ~」
とてとてと擬音がつきそうな様子で小走りに追いついてきた教師に、晃誠は歩調を合わせた。
国語教師の国見香苗は、一部の生徒からは「香苗ちゃん」あるいは「香苗ちゃん先生」などと呼ばれている。舐められているか親しまれているかで言えば、微妙なところだがおそらく後者寄りだろう。
晃誠も去年今年と言語文化や文学国語を教わっている。一年の頃からたまに雑用を申しつけてくる存在で、タイミングや空気によっては晃誠もそんな風に呼ぶこともあった。
身長は百六十はあるだろう。ただ、骨格が華奢で肩幅も狭く、手足も細いシルエットは、強めの風でも吹けばどこかへ流されていきそうな雰囲気があった。運動も苦手だという話で、立っても歩いてもなんだか頼りない。
逆らったりできずに使いっ走りのような身に甘んじている理由のいくらかは、そのか弱い印象に騙されたからだと晃誠自身は思っている。これで話してみるとだいぶ太い性格をしているのだが。
敷地が広く、校舎も余裕のあるつくりをしている西東南高校は教科全てに準備室が用意されている。英国数あたりの教科準備室は比較的珍しい存在だろう。
教師達には好評で、資料置き場や教科会議、職員室にいたくない時など重宝されているらしい。
国語科準備室では国語科主任の男性教師、安藤が中央に並べた長机の奥で、一人ノートパソコンとにらめっこしていた。
剣道部顧問で、本人も腕前は六段。年齢は四十代半ば過ぎ。十年くらい前までは自身も全日本剣道選手権出場を目指していたという。
他にも柔道部顧問は社会科教師、競技空手部は数学教師でしかも女性と、この学校は体育教師以外に武闘派が揃っていたりする。
安藤は晃誠が一年の時の担任であり、ことさら目立つ問題児がそういないこの学校において、『古峰担当』のような空気が既に醸成されていた。
上級生との暴力的なトラブルにより訓告と謹慎処分を受けてから、晃誠はたびたびこの準備室で指導という名目でお茶の時間を過ごすようになっている。
既に他の教師の管掌にあると思えば、わざわざ干渉しようという教師も出てこない。風よけになってくれているということに気がつかないほど、当時の晃誠も愚かではなかった。
晃誠は長机の端にプリントの束を置く。それぞれ使う学年も違う複数種類のプリントを一度にまとめて印刷したため、そこそこの量があった。
「香苗ちゃんさ、たまには他の奴に頼んでもよくない?」
部屋の隅でお茶を用意している国見に向かって言う。
「女性教師が男子生徒に媚びて侍らしたりしたら、各方面からの信用に関わるでしょ。問題児を安藤先生の権威を借りて指導している体裁でこき使った方がいいの」
「ええー……この教師、しらふで目の前の生徒を問題児よばわりしたよ……」
「――酒を飲んで生徒と接してたらその方が問題だな」
長机の奥から安藤の声が飛んでくる。
「よろしければ安藤先生もお茶おいれしますよ」
「あっ、ではお願いできますか。ありがとうございます」
『記憶』が晃誠にもたらした変化は情緒面だけに留まらなかった。いや、情緒の変化がそれをもたらしたのかもしれないが、以前よりは色々と見えるようになったという自覚がある。
例えば目の前の教師達について、先月までは授業で見る以外の姿をあまり想像したことがなかったが、今はそうでもない。
「段取り八分、仕事二分」「準備九割、実行一割」といった言葉はどこで聞いたか既に憶えていない――『記憶』によるものであるかもしれない――が、一般に仕事というのはたいてい人目につくことのない事前の計画とか準備作業がその多くを占める。
そういうわかっているようでわかっていなかったことが晃誠にも掴めてきた。
教師の授業の背景にも見えない準備や段取りがあるだろう。
毎日の授業のための自分の勉強や教材の準備、スケジューリングとその微調整。連日大小の会議とそのための資料作り。保護者や地域住民、業者との折衝。学校のイベントなど運営面にも参加する。
そうしたホワイトカラーとしての教務作業に加え、部活動顧問となれば朝晩言うに及ばずだ。生徒一人一人の受験や就職といったことも通年で考えて並行的に様々な作業を進めていく。
その隙間を縫い、彼らは今こうして自分のような問題生徒にも個別に目を配っているわけだ。
(ありがたいというより、申し訳ないと感じてしまうのが、俺のこじらせてるところかな。わかっていてもなかなかどうしようもないところも含めて)
朝礼や式典における校長訓話だって、毎回毎回仕事の合間にネタ本をひっくり返し、そこからオリジナリティの一つも出るように話を練っているのだろう。
(あれっ。それはやめた方が校長も俺たちもWin―Winじゃないのか)
「どうかした? 古峰くん」
指導用に用意された小テーブルに湯呑みと個包装のどら焼きを置き、差し向かいに座った国見がぼんやりしていた晃誠の顔を見てそう言った。
「いや……十年後、俺も先生くらい大人になれてるのかちょっと不安になっただけですよ」
「なに、本当にどうしたのいきなり」
国見はぎょっと目を見開いて体を後ろに引き、こちらをしげしげとながめる。そして姿勢をただすと両腕を組んだ。
「でも言っとくけど、先生今年で二十六だから。君とは九歳差だから。さりげなく一年盛らないで欲しいんだけど?」
「……そりゃ、すみません」
謝ると、国見はくっくっと喉を震わせる。
「古峰くん、この春から物腰というか、態度も表情もずいぶん柔らかくなったよね」
「あー……。香苗ちゃんも知ってんじゃないの、うちの事情。一年にも関係者がいるんだし」
「聞いてはいるよ。古峰……睦希さんも言文は私が受け持ちだし」
「すごくいい人達だからさ。そこでいつまでも俺だけ狷介な態度でいるわけにはいかないでしょ。色々と改めようと努めてるとこ」
『記憶』のことなど説明もできないので、こう言い張るしかない。全くの嘘というわけでもなし。
「春休みの間に大人になったんだねえ……あの錆びたナイフのようだった古峰くんがねえ……」
国見は何かを噛みしめるようにうんうんと頷く。
「錆びたナイフってなんだよ」
そう言って、晃誠はため息をつく代わりに肩をすくめた。




