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看板娘のもどかしい日常

本編第二十一章に並行しています。お読みになるのは第二十一章読了後をお勧めいたします。

「なんでこんなに遅いのかしら。」

王の住まわる宮殿のその御膝元。

物にも人にも溢れてどことなく雑多な印象を受ける大通りの一角、バザールからもほど近く、立地条件的にはこれ以上望めなさそうなその場所に料理店「暁の雲亭」はある。

「おい、ルーイ。今日も待ちぼうけか?」

暁の雲亭の前に仁王立ちになった成熟しきった肢体を持つ少女、同料理店の看板娘ルーイに声がかけられる。常連客の一人だ。

「うるっさいわね。今日も、ってどういうことかしら。失礼だわ!」

「常連に向かって何て言い草なんだ。大体ルーイがデートのたんびに待ちぼうけ食らわされてるって知らない奴は相当なモグリだぜ。」

「だ、だから何よ!貴方に迷惑なんて掛けてないじゃない!」

ルーイは確かに自分がいつも、そうデートのたびにいつも待たされていることを、近所や常連に知られていることを認識していたが、それを受け入れられるかはまた別問題である。

そもそもルーイは気が強い。燃えるような赤毛はその性格を表しているようだし、成長したのになかなか消えてくれないそばかすもその快活さに花を添えている。

「迷惑だって?まさか!あいつなんてやめてオレにしろって言いたいだけ。」

無駄に顔の整った男はルーイとの距離を一気に詰めて、その赤毛をひと房すくい上げて口づけをする。

近くでその様子を見ていた2軒先の花屋の娘が頬を赤く染めているのに気がついてルーイ溜息をつき、その手を払う。

「だから貴方はその無駄な色気をなんとかしなさいってば。あたしに振りまいたって無駄でしょう。」

「はぁ、オレは本気だってのにいつもルーイはつれないな。」

嘆かわしい、というように男は首を振る。

「いつになったらなびいてくれるんだ?」

「いっっしょう、貴方になびく日なんて来ないわ。」

折角セットしたのに目の前の男のせいで崩れた髪の毛を直しながら、ルーイは切り捨てる。

「オレに?まさか、そうじゃないだろ。」

「良く分かっているじゃない。あたしはアグラス以外の誰にもなびかない!……あっ、アグラス!」

不機嫌そうな顔をしていたというのに、いきなり花がほころぶように満面の笑みがこぼれおちた。勿論、目の前の失礼な男にではなく、待ちぼうけを食らわせた相手であるアグラスに向かって。

「じゃ、またね。」

煌めく赤髪をはねさせて、急ぎ足でこちらへ向かってくるアグラスを目指してソレ以上の速さで駆け寄る。

「……また、振られたか。」

残された男はさっきとは打って変わった切なげな眼をルーイの背中に向ける。

どんなに待たされても、デートをすっぽかされてもルーイの一番はアグラスで、どこにも付け入る隙などなかった。…それはもうルーイを知ったあの日から。何せ、ルーイとアグラスは幼馴染で、2年間遅れてルーイが生まれてきてから2人はずっと一緒だった。

「まぁ、今日は『アグラスを愛している』を聞かなかっただけましか。」

毎度毎度、デートのたびに待ちぼうけを食らわせられるルーイに絡む男はそれなりに、いや近所と常連が気づいて涙ぐむくらいにはルーイを好きなのだ。

「早く結婚しねぇかな、あいつら。ったく、いつまでも諦められないじゃねぇか。」




頭1つ分ちょっと高いその人の隣を歩くたびにルーイは幸せな気分になる。ちょっと前までは自分の方が少し背が高くて、見下ろし気味だったけど、その時も勿論幸せだった。物ごころついたときからアグラスはルーイの特別で、それは今でも変わらない。

幼馴染が恋人に変わった時、ルーイは眠れないくらい嬉しかった。この先もずっと一緒にいられる約束は幼馴染にはなかったからだ。本当に、泣きたくなるくらい嬉しかった。

でも、最近ルーイはアグラスが分からなくなる。

元々顔に出やすいルーイとは違って、いつもほほ笑んでいるアグラスの気持ちは分かりにくい。それでもルーイは一緒に過ごした分だけ、アグラスの感情を読み取れるようになっていたが、今では良く分からなくなっていた。というよりも、ルーイに向ける感情だけが分からなくなっていたというべきか。

「どうかした?」

「う、ううん。全然。アグラス今日は遅かったのね。」

「……ごめん。詰め所の交替がなかなか来なくて。」

最近、アグラスの言葉に微妙な間が生じることにルーイは気が付いていた。

浮気を疑ったことは一度もない。アグラスが誠実で優しい人だということをルーイは誰よりも知っている自信があるからだ。だが、だからこそ『他に好きな人がいるのに自分がいるから、見捨てられないから気持ちを殺している』可能性をルーイは心配していた。

相変わらず、ルーイを見下ろす目は優しいが、それは恋人でなくとも妹のような存在であれば十分に説明がつくように思えて、ルーイは不安になる。ルーイは今年で17歳。下手をすると2人ほど子供がいてもおかしくない年だ。胸も、くびれも男の目を引き付ける程度にはあるはずなのに、手も出されないことに安心を覚えるなどとんでもなく、不安をあおるだけだった。

「いつも忙しそうね、近衛隊。無理しないでね?」

取りあえず、考えないことにしてルーイはアグラスの腕に飛びつく。手をつなぐのもいいが、もっと近くにいられるこの大勢がルーイのお気に入りだ。

「あー。うん、その辺は大丈夫だよ。最近は陛下の周りも穏やかみたいだし。」

心なしかアグラスが腕を引いたような気がして、ルーイは負けじともっと詰める。

「ねぇ、今日はエキのところに顔を出してもいいかしら?」

「勿論いいけど…何かあった?」

アグラスはルーイの従兄であるちょっと、いやかなり変わっている青年の顔を思い浮かべる。彼に関わるとろくなことがない。

「ううん、たぶんアグラスが考えているような大惨事はないと思うんだけど…例の病気が発動して。」

「あぁ……あの飴ね。」

エキ、本名エキラゾールという少々風変わりな名前を持つ青年の本職は芸術家である。趣味などではなく、芸術を生活の糧にしていてなおかつ王侯貴族から熱烈な支持を受けている。まさしく天才の名をほしいままにしている青年。

だが、天才と馬鹿は紙一重とは良く言ったものだ。

「何事も起きてないといいけど。」

「……ごめんね。なんかおじさんとおばさんが心配しちゃって。」

「いや、ルーイが謝ることじゃないよ。……客と喧嘩を始めるくらいだったらいいけど。」

アグラスとルーイは記憶に新しい惨事を思い起こした。

そもそもエキラゾールの病気とはバザールで飴の店を開くことだ。その無駄に有り余る才能と技術を持て余した天才は、時たまバザールの片隅でおおよそ食べるためとは思えない飴細工を作る。そもそも生活の糧ではなく、気が向いたときにしかやらない金持ちの道楽のようなものだ。つまり、売ろうとする気は全くない。

道楽ならばただで配れば良いと思うのだが、エキラゾールといいう男は良くも悪くも自分の作品の価値を十二分に分かっている。天才が作った飴細工を、それに見合うだけの値段を付けて売っているのだ。下手な宝石を買った方が安いと思うような値段を。

貴族が集まるパーティででも提供すれば飛ぶようになくなるだろうが、残念ながら一般庶民の集まるバザールで買い手がつくことなどまずない。

それだけならば、なんの問題もない。エキラゾールは金のためにやっているわけではないし、彼は自分の作品が正当な評価を受けないぐらいならば腐ってしまった方が良いと思っている部分さえある。そこが問題なのだ。

ある時、田舎の領主が御忍びで婚約者とともにバザールにやってきた。当然エキラゾールの変人っぷりを知っているわけではないし、婚約者がねだったその素晴らしい飴細工を領主は買いあげようとした。…値段も見ずに。

ただでさえプライドの高い貴族。しかし、プライドの割には裕福ではなかった彼は婚約者の前で金が足りないという事実に気がつく。普通の商人であれば同情したり、あるいは売れないよりかはまし、と値を下げたかもしれないが当然自分の価値を知っているエキラゾールはそのようなことなど知らないと大声ではねのけた。結果バザールの衆人と婚約者の目の前で恥をかかされた領主は抜刀。たまたまそこにアグラスとルーイが居合わせなかったら大変なことになっていた。

「たぶん、そんなことはないと思うわ。たぶんだけど。」

ルーイの声はもはや懇願に近く、アグラスも全くの同意見だった。


今日も今日とて、エキラゾールの屋台の前は群衆で溢れていた。

エキラゾールの変人を知っていたり、その値段を見て逆上しない人々は、エキラゾールにとって何の問題もない只の有象無象である。上機嫌で飴細工を作成していた。

「…良かった、今日は大丈夫そうね。」

「このまま何も起こらないといいけど。」

群衆を避けて、遠巻きに眺める。近づくにはかなりの勇気が必要だし、別に2人は飴細工を見たいわけではない。騒ぎが起きていなければそれで良いのだ。

「じゃあ、少し早いけどお昼にしま……あら?」

「ん?どうかした?」

不自然に途切れたルーイの声にアグラスが反応する。何かが起こってしまったか、と不安そうな声音で。

「いいえ、問題は起きていないわ。…ねぇ、あそこを見て。」

ルーイは視線の先に1組の男女…むしろ青年と少女という取り合わせを見つけた。取り合わせ自体はそれなりに溢れているものの、どこもかしこもが普通じゃない2人。

「見ない顔…というよりも外の国の血が混ざっているのかしら?」

小さな少女を見て、小さく指さしてアグラスに示す。

「あぁ、本当だ。不思議な肌をしているね。」

どことなく黄色がかった、しかし日の光を知らないような白い肌。この国に溢れている褐色でもなければ、北の方の国に特徴的な白い肌でもない。折れそうに細い肢体に、おおよそ機能的とは言い難い腰よりも長く伸びている栗色の髪は丁寧に櫛梳られ、複雑に結われている。女としてどうこう、というにはまだ早すぎる体つきだけれども、大きな瞳と相まって非常に愛らしい少女だ。

「見た感じ貴族だと思うの。」

「…確かに、服は簡素だけど上質な物のようだし、あの容姿だったらそうだろうね。」

「今、考えたくないって思ったでしょう。…連れの男も全然庶民って感じじゃなかったわ。」

「御忍びか?」

「そうとしか思えなかったわ。…残念なことに物凄く大きな三日月刀を持っていたわ。」

2人の脳裏にあの惨劇が蘇る。もはやデートどころの問題ではない。

アグラスは腰に佩いた刀に手をかけ、さっそく動き出そうとするルーイの前に出る。何があっても彼女だけは守るつもりで。



「1つ、もらおう。」

いくらルーイとアグラスが人ごみに慣れているからといって、進める速さには限度がある。顔見知りが何かを察知して道を開けてくれるものの、その男から低く艶めいた良い声が出るのには間に合わなかった。

この屋台、道楽であるだけあって値段の表示が非常に見づらい。それなのにもかかわらず、あっさりとその言葉を発した黒髪の男に2人はこの前の二の舞を覚悟した。

2人の祈るような思いとは裏腹にエキラゾールはあっさりと値段を告げ、要求した。

アグラスは何かが頭に引っかかったものの、万が一に備えて刀を確認する。しかし男が佩いている刀はあまりにも規格外で、今度は止められる自信があまりなかった。


2人と、幾人かの緊張が走るバザールの一角で、普通の飴なら千個単位で買えるであろうその値段を男があっさりと払う。それこそ、ただの飴を買うような無造作さで。

「あ、あら?」

気が抜けたかのような声がルーイから洩れる。これまた何でもないことのようにエキゾラールの「まいど」という声が呑気に聞こえてきた。

「あたし、あの飴をあんなふうに買っていく人、初めて見たわ。」

茫然とつぶやくルーイの隣でアグラスは妙な近視感を覚えて2人組の、正確には背の高い男の方を凝視した。

男は数ある飴細工の中から、迷うことも連れの少女に聞くこともなく、蝶を模した飴細工を取り上げる。薄い羽根がことさら芸術的なそれはいつだったかエキゾラールが気まぐれに構想を語り、試行錯誤中だと言っていた意匠。それを選らんだ男に満足そうな笑顔を向けているエキゾラールのその前で。

「へ…!!?」

「あら、どうしたの?アグラス?大事に至らなくて良かったわね。それにしても良い男よね。目の保養向きだわ。」

さて、アグラスは近衛隊に所属している。この国において、近衛とは王に最も近く接することのある隊に数えられ、時としては王自らが指揮することもある。当然、その顔は知っていた。

茫然と男…忠誠を誓った相手を固まったまま視界にとらえているアグラスは、ルーイのあまりの不敬な発言をとがめることもできないまま、ただ突っ立っていた。

「あの…でも……」

か細い少女の、王の連れである少女の声が響く。

「あら、どんな組み合わせなのかと思ったらあたしとアグラスと変わらないみたいね。」

ルーイの考察が隣から聞こえるものの、全くもってアグラスの頭は機能していない。正気なら逆に憤死しそうな様子で会ったからむしろこれで良かったのかもしれないが。

「いらないのか。」

固辞する少女に業を煮やしたのか王の声が鋭さを増す。

「あらあら、あのお嬢さんもしかして鈍感なのかしら。ねだられたから買った、と買ってあげたくて買った、は違うのにね。…ちょっとお節介をやいてくるわ。」

止める間もなく、するりとした身のこなしでルーイは少女に近づいていく。


「いえ、そうではなくて……」

「なあに?お嬢さん!!さっさと受け取ればいいのよ。」

持ち前の明るさでルーイが少女に声をかけている。どことなく少女の顔が青ざめたのにアグラスは気がついたが、ルーイに気がついた様子はない。アグラスの気のせいかもしれないくらいのかすかな変化。

「ほら、そんな顔しないの!せーっかく色っぽいお兄さんが買ってくれたんじゃないの。」

アグラスは明日から王に今までと同じく仕えていける自信を失いそうだった。自分の連れの、良かれと思ったお節介を思い出すたびに申し訳なさ過ぎて死んでしまいそうだ。

王は突然割り込んできたルーイを見て、気を悪くするでもなく少女に飴を差し出す。

「…受け取れ。」

「そうそう!もらえるものは、もらえばいいのよ。大体いくら綺麗っていったってお兄さんにこの飴は似合わないわ。」

そういえばこの王は、頂点にいながらにして必要以上にそれを誇示することがないことをアグラスは思い出す。…それにしてもルーイのあんまりな言い草に頭が痛くなってきた。どうやらアグラスの脳はようやく復旧を成し遂げたらしい。

「あ、りがとう、ございます。」

小さな言葉が少女からこぼれおちる。

「そうそう。やっぱり甲斐性の有る男っていいわねぇ。まったく、それに比べて貴方は。」

少女が飴を受け取ったのを見届けてルーイは大げさに声をあげてアグラスの方へ戻ってくる。『甲斐性のある男に好かれてるんだから、ちゃんと気がついてあげなさい』というルーイなりのメッセージなのかもしれないが、いくら温和なアグラスといえども小言を言わざるを得なかった。

「ルーイっ、君、なんてことを…」

「正しくお嬢さんを導いてあげただけだけど…?それとも、甲斐性なしって言ったこと?本気で思っているわけじゃないわよ?もし、本当にそう思っていたとしてもあたしはアグラスのことを愛しているわ。」

こんな衆人の真ん中で、しかもよりにもよって王の目の前で、ルーイはいとも簡単に愛の言葉を紡ぐ。アグラスにはなかなか紡げないそれを。

いつも気恥ずかしく思いながらも嬉しいその言葉も、今回ばかりは嬉しいばかりというわけにはいかない。

「そうじゃなくて…」

ふと。アグラスは視線を感じた。温和であろうとも王に直接仕えることを許された武人である彼は、その名に恥じないだけの実力を有している。

王とアグラスの視線が絡み、アグラスは正しく主の意向をくみ取った。

「なぁに?アグラス。」

「いや、何でもない。」


「行くぞ。」

そのやり取りを見届けて、王は少女の手を引く。群衆に埋もれるその前に、ルーイが駆け寄って少女に何か囁いた。

一瞬、少女は大きな目をこぼれおちそうなくらい見開いて、そして視界から見えなくなった。



「どうやら先は長そうだわ。」

アグラスの隣に戻ってきたルーイは、自然にその手を絡める。

「何が?」

「あのお嬢さんと、彼よ。あたしの見たところ何1つ大切なことが伝わってないわね。」

「…そう。」

アグラスには良く分からなかったが、ルーイは何に満足しているのか悪戯を仕掛けた時のような笑顔を浮かべた。

「でも、きっと幸せになれる。」

今度は確信に満ち溢れた、輝くばかりの笑顔を浮かべる。

アグラスは、この笑顔を守りたくて刀をとった。それはこれからも変わらない。色々な物を傷つけ、罪悪感にとらわれても、きっと後悔はしない。

「さて、もう今日はエキも問題起こさないんじゃないかしら?自信作の飴を迷わずに選んで買っていってもらったんだからきっともう店じまいをするわ。」

だから、とルーイは言葉を切る。

「これからがデートの本番ね。」



そしてこの日もアグラスはタイミングを逃し続け、プロポーズができないまま終わってしまって。

大切にしまいこんだ、エキラゾールに頼み込んで作ってもらった指輪がルーイの指におさまるのはもう少し先のお話し。


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