好き、が言えないです
私は今、スーパーの陳列棚の一つに身を潜めている。
私は英語の青崎先生のことが好きだ。
しかし、たった今偶然、お惣菜コーナーで私服の青崎先生と女の人が二人で買い物をしているのを目撃してしまった。
もちろん、彼女だと考えるのが一番自然だとは思う。
だがしかし。
私は目の前に売り物として並んでいる豆腐を見つめる。
日ごろの授業中の雑談で、先生はいつも「彼女はいない」と断言しているのだ。まだ二十五歳である先生に今のところ結婚願望はなく、近い将来は教師を辞めてヴァイオリニストとしての道を歩むという野心も持っているらしい。
つまり何が言いたいかと言うと、私は先ほど見かけた女性が先生の彼女であることを認めたくない。
では彼女じゃないとしたらどういう関係なのか。私は例を挙げてみることにする。
一、教師仲間である。実を言うと女性の顔はそこまではっきり見えなかったので、同じ学校の先生かどうかもわからない。
二、姉もしくは妹である。先生に妹がいるというのは本人の口から聞いたことがあるが、先生は実家暮らしをしていなかったはずなので可能性は低い。
三、ただの友だち。
と、そこまで考えてふっと冷静になる。今日は土曜日。休日。時間は十九時七分。そしてお惣菜コーナーにいる男女。
これがカップルでなくてなんだというのだろう。考えるまでもない、完全に彼女だ。買おうとしているのは夕飯で、もしかしたら同棲生活までしているのかもしれない。
……まあ、先生かっこいいし。仕方ないよな。
顔を上げるともう先生と彼女の姿は見当たらなくなっていたので、私は自分のお会計を済ましてさっさと帰った。
「どうしたの大里ちゃん! 失恋でもしたの?」
月曜日、私は教室に入ってくるなりみんなに取り囲まれた。昨日、長かった髪をばっさり切ったのだ。
冗談で言ったのだと思われる質問に、私はあっさり「そうだよ」と頷いた。
「誰に!?」
みんながさらにざわつく。
青崎先生に彼女がいるというのはプライベートなことだし、私は「秘密だよ」と笑ってその場を回避した。
二時間目は青崎先生の英語の授業だった。青崎先生は私たちの教室に入ってくると、一番前の席に座っている私を見るなり「あ!」と立ち止まった。そして予想斜め上の質問を放つ。
「大里、土曜日スーパーいなかった?」
このとき、私は驚きの度合いが強すぎて笑ってしまうという初めてのリアクションをした。
「はい、いました……」
いつ見つかっていたんだろう。上手く隠れていたつもりだったのでめちゃくちゃ恥ずかしい。
「だよね。真剣に食材悩んでるなーって」
いや、多分それはきっと食材じゃなくて先生のことで悩んでました。
会話を聞いていたクラスの子が「私服なのにすごー」と言うのが聞こえる。確かに、休みの日で制服を着ていなかったのに自分を見つけてくれたのだと思うと嬉しい。
はっとして「先生は何してたんですか?」と聞く。確かめるとしたら今しかない。
「あ、俺? 俺は一人で夕飯買いに行ってた」
一人。信じたい気持ちと信じられない気持ちが交錯する。私は二人でいるのを見た。やっぱり彼女がいるのは秘密にしたいのかもしれない。
「それで、俺はお惣菜見てるじゃん。そしたらさ、横からいきなり女の人が話しかけてきてさ、うわ誰だろうって思ったら、大学時代の同級生だったんだよね。びっくりするよね、スーパーで再会って」
「へ……」
「で、もうすぐ結婚式なんだって言っててさ。うわあ俺ももうそういう年になっちゃったんだなあって改めて感じたよね」
先生が自分に目を合わせながら話してくれるのに、私は上手く反応できずにいた。「先生は結婚しないんですかー?」とある子が質問する。
「俺はしないね、今は。叶えたい夢があるから」
先生の声に被さるように授業開始のチャイムが鳴った。
先生は「いつかできるかな」と苦笑しながら持ってきた教材をどかっと教卓の上に置いた。
「よっしゃ始めるか!」
号令係の号令がかかる。「お願いします」と私たちがそろっているようでそろっていない挨拶をすると、「お願いしまーす!」と先生の明るい声が響いた。
「いやーもうすぐクリスマスだねえ。まあ俺は今年も一人でヴァイオリンの練習だけどな。でもいいんだ。人生ってのはね、ないものねだりなんだよ。みんなは恋人つくって楽しんでくれよな!」
教壇の上で堂々と話す青崎先生を私は眩しく見つめる。
先生が好きな私は、どうしたらいいんでしょうか。見込みないでしょうか。私は心の中で挙手をして質問する。
ないものねだりだよな。そうだ、わかっているのに。
私の片想いは、まだ続いている。
終
読んでくださってありがとうございます! 執筆がんばります。