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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死に至る夢

作者: 奈良ひさぎ

 見てはいけない夢、があるという。


 天国を想起させるような、華やかさと儚さを兼ね備えているというわけではない。かといって、絶望を抱かせるような暗く重苦しい夢というわけでもない。


 その夢はただ、見たこともない駅の改札を通り、何の変哲もない列車に乗って、どこか分からない場所へ向けて揺られるだけ。車窓もただ田舎の原風景というだけで、視界が歪んでいるとか、目立っておかしいところがあるとか、そういうわけでもない。強いて言うなら、デジャヴにもなり得ない光景が登場するのが不思議なくらいで、あとは何でもない夢。


 それが、見た人を死に至らせる夢であるという。


 うわさから始まった話だった。つまり初期の頃は、取るに足らないレベルのものだった、ということ。


 ある健康被害に遭った男性が、そんな夢を見たと言い残し、別の臓器を悪くしてこの世を去った。全身を診た医者がそこは全く病気になる気配がない、と太鼓判を押していたにもかかわらず。ついぞ男性は何が原因で死に至ったのか知ることはなかったそうだが、しかし不吉な夢があるらしい、といううわさは大きく広まった。


 健康被害そのものが、不吉な夢と関連しているのではないか、という声があった。


 もはや大昔のものと思われている公害問題は、今も健康被害と名を変えて続いている。それは人類が産業革命以降の工業を続ける限り、避けられない問題だろう。科学には犠牲がつきもの、とはよく言ったものだ。もちろん、科学の発展によって犠牲になる身からすればたまったものではないが、しかし実際に幾度も人々やモノの犠牲と科学の発展を繰り返してきたのだから、疑いようのない事実である。そして科学の発展は知見を広げ、それまで危険だと思われていたものが一転ほとんど無害だと分かったり、逆に無害だと思われていたものが毒劇物に指定されたりを繰り返してきた。


 社会問題となるような健康被害は、その多くが対応の遅れで犠牲者を出している。それは国の動きが遅かったり、当事者たちの気づきが遅かったりと、原因は様々あるだろうが、とにかく犠牲者を多く出していることが共通点であると見て間違いはないだろう。男性が巻き込まれたその健康被害も、また一例だった。


 うわさはさらに広まっていった。人の噂も七十五日とは、いったい誰が言い始めたのだろうか。そのうわさとやらは、何年も続いた。今だって続いているのだから、この先もう十年続いても全く不思議ではない。


 やがて、似たような夢を見たというだけで、あちこちの病院へかかり始める者まで現れた。どこの誰の情報かも分からない、そもそも真実であるかどうかすら怪しい話を鵜呑みにして、どこか悪いところはないかと診てもらうことを繰り返したのだ。何かその人間を死に至らしめるのであれば、重大な病変が隠れていてしかるべきで、早期発見につながっても何らおかしくはないのだが、誰からも病変は見つからなかった。それどころか、健康診断で要経過観察、とされるような異変さえ見つからないといったありさまだった。しかしどういうわけか、しばらく時間が経ち忘れた頃に突然容体が急変し、みな死に至ってしまった。恐れていたことは現実となったのだ。やはりその夢と、死という誰もが避けられない運命は密接につながっていたのだ。うわさは信憑性という絶対的な武器を手に入れたことで、いよいよ手に負えなくなった。怪談程度の小話はいつしか、公知の事実となった。


 くだらない話だと思っていた。それは僕だってそうだ。たかが夢を見たから死んだなんて、そんな馬鹿な話があっていいものか。もちろん正夢なんて言葉があるのは知っている。けれど、それとこれとは話が別だ。


 僕が実際にその夢を見てしまった時も、特に考えは変わらなかった。夢を見たからなんだと言うのか。夢を見ても自分の心の中にしまっておけばいい話で、言いふらすから現実になったと思い込むのだ。僕は言霊というやつに関しては、論理で説明できなさそうだと思った時に信じることにしている。この夢が導く死というやつも、口に出すから悪い。そうに違いない。


 その夢を見てから半年経っても、僕は相変わらずぴんぴんしていた。念のため健康診断にも行ったが、全て異常なし。もちろん異常がなかったから健康診断に使ったお金は無駄だった、と思うほど僕は馬鹿ではない。この半年の間、僕は誰にもこの夢のことを打ち明けていない。その代わり世間で僕と同じ境遇らしい人は言いふらしたのか口を滑らせてしまったのか、原因不明の死に方を次々にしていった。


 さすがにうわさや迷信で片付けるには人が死にすぎているということで、学者が大真面目に動き始めた。本当に夢が関係あるのか。直近に夢を見た人間を集めて、データを取る作業。もともとすぐに周りの人間に打ち明けてしまって、死ぬと思い込んでしまっている人ばかりだったから、調査は案外とんとん拍子で進んだ。


 しかし結果は違った。言いふらしたかどうかに関わらず、死ぬときは死ぬらしいことが分かったのだ。調査に協力した人間が全員息を引き取り、しかも全員の死因が原因不明だったという事実もまた驚くべきものだったが、半分どころか七割方の人は、誰にも打ち明けていなかった。調査には協力したが、研究者に黙秘を続け、ついに誰にも言わなかった人でさえ死に至った。


 それでも僕は恐れなかった。どれだけ世間で騒がれようと、誰が夢を見たのか見ていないのか、詮索が始まっても、僕はあくまでそれまでと同じ生活を送ることに終始した。


 粗探しのようなその詮索は、まるで国勢調査のようだった。本当かどうかも怪しい、国の機関の者だと名乗る男たちによってそれは進められ、結果として七割、八割方の人間は一度は田舎の何の変哲もない、しかし記憶にない夢を見たことがあるということになった。僕はそのニュースが大々的に報道されるのを見て、心底馬鹿らしくなった。じゃあその八割の人間が大人しく死を受け入れるというのか?そんなわけはないだろう。何でもない、特に情報らしい情報もない夢を見たくらいで死んでいては、キリがない。とっくに人間は滅亡しているはずだ。


 けれど、僕以外の大多数の人間は愚かなことに、そうは思わなかったらしい。八割の人間が夢を見たということは、ほとんどが近いうちに死ぬのだと思っている、という理論を振りかざして、犯罪が増えた。街の真ん中で突然暴れ出して、手当たり次第辺りの人を刺して回る、そんなふざけた事件が連日報道されるようになった。しかもメディアはこぞって例の夢のせいだと余計なことを吹聴して、くだらない憶測を世間に広めた。普段から大した発信もしないくせに、こういう時だけご自慢の影響力を利用して、くだらないことや信憑性のないことをばら撒く。その程度しか取り柄のない既存メディアにはうんざりだ。僕は実家から譲ってもらって、十年は使っていたテレビをハンマーで叩き割って捨てた。


 人々の詮索はとどまることを知らなかった。あらゆる場面で、夢を見たかどうかを尋ねられるようになった。あの程度の夢を見たというだけで、犯罪者予備軍だ。夢など関係なく、犯罪を犯す人間は犯すだろうし、善良な人間なら凶行には及ばない。その程度も現代人は分からなくなってしまったのか、と僕は嘆いたが、同時に同情もした。ここまで事態が悪くなれば、まずは疑ってかからなければ自分の身が危ない。例えば夢を見ていない残り二割の人間からすれば、八割の人間のエゴに巻き込まれて殺されるなどまっぴらごめんだ。それこそ、八割側だが真っ当な思考をしている僕と同じような考えだろう。


 人と出会う時も、必ず夢のことを尋ねられる。先の研究者が余計な仕事をして、相手に悟られずに夢を見たかどうかが分かる質問、とやらを生み出したのだ。夢を見た側の人間も当然対策を練ろうとしたが、それより新しい質問が生み出される方が早かった。それを外でご飯を食べたり、買い物をしたり、友人に会ったりするたびに訊かれるものだから、僕自身も何度も引っかかってしまった。昔からの友人は僕がどんな人間かを理解してくれているから、それでも味方になってくれたり、冗談にして笑い飛ばしたりしてくれたが、初対面の異性ともなればそうはいかなかった。質問に引っかかったというだけで、縁が切れてしまう。向こうだって夢を見た側の人間である可能性が高いにも関わらず、それを棚に上げて僕を非難するのだ。よく鏡を見て考え直してほしい、と面と向かって言いたかったが、僕は多少なりとも利口な人間ということで通っているから、そうはしなかった。その代わりこの人はダメ、あの人もダメと自分の中でブラックリストに入れることの繰り返し。このままだと僕の味方は友人以外いなくなるんじゃないかと心配したが、そうなったらそうなったで構わない。間違っているのは向こうのほうなのだから。


 そのうち、僕を捕まえろと言い出す人間まで出てきた。人間も愚かになると行くところまで行くんだな、と呆れてしまった。僕が何をしたというのか。夢を見ただけで不当に拘束されるようでは、いよいよ世も末だ。百歩譲って、夢を見た人間はみな犯罪者予備軍だと疑心暗鬼になる気持ちは分からなくもないにしても、僕のような「それでも平静を装って普通の顔をして生きている人間」がより怪しいという考え方には、どう頑張っても賛同できない。けれど一度扇動されてしまった人々は、立ち止まり引き返す方法をすっかり忘れてしまった。僕はただ普通に生きているだけで、ついに指名手配され追われる身になった。もちろん追っ手は、僕と同じ夢を見たことのある人間。こんなに恐ろしいことはない。


 だから僕は今、街で一番高いビルの屋上にいる。僕を追っているのは警察だけではない。私刑が大好きな頭の悪い一般市民も、僕を捕まえると出る報酬に目がくらんだのか、自分の状況は一切合切棚に上げて、警察の真似事をしている。そんな状態でまともな暮らしが送れるはずはない。


 結局僕を含めたこの世の全員が、穏やかなはずの何でもない夢に振り回されるだけ振り回されて、何の生産性もないまま次々死んでいった。そして生き残っている人さえこうして排除しようとして、何が正しくて何が間違っているのか、そもそも正しさなんて必要なのか、何もかも分からない世界に様変わりしてしまった。正直、僕はこれ以上この世界で生きていて、意味を見出せるとは思えない。逃げ続ける生活が生きた心地のするものとは到底思えないし、捕まれば僕は少なくとも社会的に死んでしまう。ならばもう、自分から逃げ切った方がいいんじゃないか。僕はそこまで追い詰められていた。


 そしてそんな僕の思考回路さえ読み切られて、もうすぐそこまで追っ手が迫っていた。僕は大昔、刃物を振り回した人に追いかけ回される怖い夢を子どもの頃に見たのを思い出す。あれはどんな心理状態の時に見やすい夢だったか。思い出せそうで思い出せない。それよりも、もうフェンスを乗り越えた僕は、あと半歩足を前に出せば重力に逆らえなくなる。


 ああ、そうだ。


 これが、死に至る夢だということか。






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