くれてやるところはない
エルがそう決意した時だった。エルの手を掴む腕があった。
勇者アズラルト……。
「嫌! 離して!」
残る片腕でファブリスを抱えたまま、エルはアズラルトから逃れようと身を捩る。
「魔族の娘から、離れよ!」
上空でアイシスの怒りを含んだ声が響き渡った。同時に金色の雷撃がアズラルトに向けて放たれる。しかし、放たれた雷撃はアズラルトの頭上で霧散してしまう。
「あら、いけない子ね。子供が大人の邪魔をするなんて。躾がなっていないわよ?」
気がつけばエルたちの近くにマルヴィナの姿があった。
聖女マルヴィナ。
ダナ教の最高指導者である教皇。彼女が何らかの防御魔法を展開したようだった。
「あんたが西方の魔女? よく知らないけど、この前から少し生意気なのよね」
マルヴィナは女性のエルでも見惚れてしまいそうな美貌に、背筋が寒くなるような笑みを浮かべていた。
「女、あの獣人族はどうした?」
アイシスが上空から尋ねた。
「知らないわね。どこかで丸焼けになっているんじゃないかしら?」
「貴様!」
再び魔法を放とうとするアイシスに向かってマルヴィナが口を開いた。
「無駄ね。あなたの魔法ではこの障壁は破れない。あなたが神級魔法の使い手だとしてもね」
マルヴィナの言葉に魔法を発動しようとしたアイシスの動きが止まった。
同時に、動きを止めたアイシスを火球と氷の刃が襲った。
しかしアイシスが片手を翳すと、それらは彼女の小さな体に達することなく宙で霧散する。
次いで姿を現したのはガルディスだった。どうやら今の魔法はガルディスが放ったようだった。
「獣人族に少し手間取ったぞ。しかし、西方の魔女は防御魔法にも長けているか。やはり大したものじゃな」
ガルディスはどこか他人事に聞こえるような口調で、そんな感想を漏らしている。
獣人族とはマーサのことで間違いないはずだった。確かに先程からマーサの姿が見えない。
マーサは無事なのか。そう思うとエルの胸が締めつけられるように苦しくなっていく。
「アズラルト、その魔族は何なの?」
アズラルトに片腕を捕らえられたままで抵抗し続けているエルに、マルヴィナが視線を向けた。
「純粋な古代種の魔族だ」
「あっそう」
興味なさそうな声を発したマルヴィナに対して、ガルディスは違うようだった。
「ほう。想定外に全てがここに集ったということか。いや、集うべくして集ったと言うべきか」
ガルディスはそう言って、マルヴィナに顔を向けて再び口を開く。
「マルヴィナ、こういう時こそ、神の思し召しと言うべきところだぞ」
渋い表情を作るガルディスだったが、マルヴィナは興味のなさそうな顔を変えようとはしなかった。
「ガルディス、マルヴィナ、あとは任せる。俺はこの女を連れて行く」
「離して! 嫌! 離して!」
アズラルトの手から逃れようと、さらに激しく身を捩るエルの正面にガルディスが歩を進めた。エルの正面に立つと、ガルディスは片手をエルに向けて翳す。
「嫌!」
本能的な身の危険を感じて瞬間的にエルは身を固くする。ガルディスが口を小さく動かして何事かの呪文を唱えた。
魔法!
エルは心の中で叫んだ。さらに身を固くして、片手で強くファブリスを抱きしめるエルの意識が黒で塗り潰されていった……。
ファブリスは薄暗い闇の中にいた。以前にも、どこかでこれと同じ風景を見たことがあった。ここはどこだったかと思うと同時に、自分がアズラルトの長剣によって貫かれたことを思い出す。
成程なとファブリスは理解する。あの時と同じく魂喰らいの剣で自分は貫かれたのだ。
となれば……。
そう思ったファブリスをぞくりとした感覚が襲う。ファブリスはその気配がある方に顔を向けた。
「久しいな、化け物。今度は貴様にくれてやるところはないぞ」
前は片腕をくれてやった。だが今回は、体のどこの部位もこの化け物にくれてやるつもりはなかった。
あの時と同じ赤黒く大きな獣らしきものは跳躍すると、そのままファブリスに覆いかぶさった。押し倒されるような格好で地面に背中をつけたファブリスは、獣の頭らしき部分を片手で掴む。
「言ったはずだ。くれてやるところはないとな」
ファブリスの手から逃れようと暴れる獣の喉笛らしき箇所に、ファブリスは歯をむき出して齧りつくのだった。




