28話
「……もう、朝か」
カーテンから差し込む光と小鳥のさえずり。
「一睡も……できなかったな」
呟きながら、一応セットしておいた目覚ましを鳴る前に止める。
旅行の用意に手間取ったわけじゃない。
アリサさんと二人っきりでの旅行というシチュエーションに嬉し恥ずかしな期待に胸高鳴らせ心躍らせていたわけでもない。
あえて言えば不安と緊張。
アリサさんのキツイ言動に耐える事が出来るのかという不安。
家ならば何かあれば部屋にこもればいいが旅行中はそうもいかない。
アリサさんとずっと二人でいることに対しての緊張。
そんな事を考えていたら、いつの間にか朝になっていたのだった。
下の階から良い匂いが漂ってくるのはアリサさんが朝食を作っていてくれているからだろう。
今は普段より相当早い時間だけどアリサさんはいつもこの時間に起きているのだろうか……まあ、いつも朝から結構色々作ってくれてるから当然か。……そう考えると有難いよな。
アリサさんが居てくれるありがたみを実感したところで下へ降りる為に着替え始めた。
「アリサさんおはよう」
下へ降りると予想通り料理中のアリサさんがいた。
俺が起きてきた事に気付いたアリサさんは振り返る。
「おはようございます。お早いですね」
「うん。まぁ……ね」
なんとなく眠れなかったとは言いにくい。
言ったら何か俺が楽しみにしてたみたいになりそうだし。
「朝食、もうすぐ出来ますので少々お待ちください」
「ああ、うん。急がなくていいよ」
普段と違う時間に起きたのは俺だし、わざわざ急いで用意してもらうのは悪い気がしたのでそう言っておく。
「普通にもう出来ますので急ぐつもりはありませんが?」
アリサさんは振り返りもせずに言う。
「あ、そうですか……」
俺は顔を引き攣らせて椅子に座った。
そして待つこと数分で目の前のテーブルに朝食が並べられた。父さんと二人で暮らしてたときは良くてもトーストに目玉焼きぐらい。それが今では、テーブルに並ぶ料理の種類は片手じゃ数えきれないほど。
朝食抜きなんてのも珍しくなかったのに最近では朝から良く食べるようになった。
それは睡眠不足の今日も変わらないようで、普通に美味しく食べられた。
朝食を食べ終え少しの時間が経ち……出発する為に荷物を持って靴を履く。
旅行の用意は昨日の夜にはちゃんとして、眠れなかったこともあって何度も確認したから忘れ物もない。
アリサさんは朝食の片づけや掃除をいつものようにしていたが、やる事もない俺は早めに外に出てきていた。
「すぅ~……はぁ~……」
玄関に背を向け、何となく深呼吸してみる。
徹夜明けだからなのか、それともアリサさんとの旅行という状況からの緊張なのか……吸い込む空気がいつもと違うような気がした。
何度か繰り返していると玄関の開く音が後ろから聞こえてきた。
「お待たせいたしました」
アリサさんの声に振り返る。
「準備は出来ているようですね。それでは行きましょう」
「――ちょっと待って?」
鍵を閉め、歩き出そうとするアリサさんを引き止める。
アリサさんはいつもの格好で小さめのキャリーバッグを引いている。そう……『いつもの格好』である……メイド服で。
「ごめんなさい。さすがにメイドさん連れで観光できるほどの度胸は俺にはないです」
俺は謝った。
メイドさんと京都観光って……滅茶苦茶目立つだろ。ある意味拷問だよ。
「お願いですから着替えてきてくださいホントお願いします」
俺は必死に頭を下げた。
アリサさんは「わかりました」と閉めた鍵を開け、家の中へ入っていった。
「着替えましたが……これで宜しいでしょうか?」
数分後、私服に着替えたアリサさんが登場した。
「え……あ……ぅ……」
「…………樹様?」
「あ、ああ、うん……そ、それでいいです、はい」
一瞬言葉を失った。
そういえば……アリサさんの私服を見るのは初めてかもしれない。
メイド服から私服になったアリサさんは黒のプリーツスカートにそれと同色の皮のロングブーツ。上はスカートが半分程度隠れるぐらいの長さの白いコート。いつもは後ろで括っている髪も今は下ろされていた。
大人っぽいんだけど、スカートとかの印象なのか十代であるのは分かる。歳相応に大人っぽい……俺、何言ってるんだろう。自分でも分からない。
とにかく、可愛いと言うより断然、綺麗という言葉の方が合う。そんな印象だった。
いつもロングスカートのメイド服なアリサさんなのでミニスカートって時点で印象が全く違ってくる。さらに膝下辺りの長さのブーツからスカートへ伸びるオーバーニーソックス、その間の絶対領域……凶悪だった。
いつもはロングスカートのクラシックなメイド服のアリサさんである。普段見えないものが見えるのって凄まじい破壊力がある。
やばい……メイドさん連れでの観光とはまた違った緊張感が身体を包み込む。
「樹様? 出発しますよ」
「うわっ!?」
いつの間にか目の前にアリサさんの顔があって、俺は驚いて飛び退いた。バックステップ。
「いつにも増して挙動不審ですね」
冷ややかな瞳を向けてくる。
「た、ただ驚いただけだってば!」
「それならいいのですが……樹様」
「な、なに!?」
必要以上に声が大きくなってしまっていることに気付く。
「そんなに怪しいと捕まりますよ?」
そ、そんなに怪しいのか!?
それはヤバイな……深呼吸深呼吸。
「んん、ごほんっ……大丈夫だよ。もう大丈夫」
「そうですか。それでは行きましょう」
歩き出すアリサさん。
「あ、待って、ちょ――」
俺は地面に置いてあった鞄を肩にかけてアリサさんの後を追った。
新幹線が京都へ向かい動き出す。
チケットは豪華に指定席、勿論アリサさんとは隣同士だった。
これにも若干戸惑った。普段こんなに近くに座ることってないから。新幹線の座席の隣って案外近い。油断したら肩がぶつかってしまうかもしれない。しかも何も考えず窓側に座ってしまった為にトイレとかに逃げ込む事も難しい。
それはまあいい。いや、良くはないけど小さな問題だ。
最大の問題は別にある。
それは……ちょっとでも視線を下へ向けるとアリサさんの太腿が目に入る、ということだ。
…………いろんな意味でやばいです。
なので、俺は極力窓の外の景色へ目を向け、アリサさんを見ないようにした。
動き出して数分。多分数分だと思う。
体感時間はもっと果てしなく長いけど……。
車両の前の扉が開き、車内販売のお姉さんがやってきた。
「樹様、お飲み物はどうされますか?」
俺はアリサさんを視界に入れないようにしつつ、お姉さんが押している台車を見る。
「お茶……にしようかな。それにしても……へぇ~、駅弁って色々あるんだな」
それになかなかに美味しそうだ。
「駅弁って食べた事ないんだよな~」
俺がそんなことを呟いたからかアリサさんが訊いてきた。
「買いますか? 一応お弁当は作ってきてますけど」
「え、作ってきてくれてるの?」
「はい、一応、軽くですけど。途中でお腹が空くかもしれないと思いましたので」
「だったら買ったら勿体無いじゃん。それ食べようよ」
それに軽くって言っても、絶対にそっちの方が美味いからね。
「わかりました。ではお茶だけ買いますね」
「うん」
そんな感じでアリサさんの作ってくれた弁当を食べながら京都への旅を楽しんだ。
ちなみに……アリサさんが『一応、軽く』作った弁当は駅弁とは比べ物にならないほど豪華で鮮やかな物でした。材料とかはよく分からないけど値段付けたら、多分見た目だけで三千円はくだらないと思う。味も勿論最高だったしね。
京都に着き……旅館に荷物を置いてから観光に行く事になった。
キャリーバッグのアリサさんはそのままでもまぁ良いとしても、俺はずっと肩に担いでいなければいけないからだ。アリサさんだって転がせるとは言っても、荷物は少ない方がいいだろうしな。
というか、そもそも大荷物をもって観光なんてするもんじゃないだろう。
ということで、タクシーに乗って泊まる旅館に向かっている。
福引きで当てたチケットに宿泊先の地図も入っていたからそれをタクシーの運転手に見せたら、名前だけでも「ああ、あそこね」と分かったようで、どうやら京都でもそこそこには有名なところらしい。
タクシーに乗ってから二十分ぐらい経った頃、
「はい、着いたよ」
という声、そしてタクシーが止まる。
目の前にある旅館を見る。なかなか大きい。それに古くて趣もある建物だった。
「ありがとうございます」
アリサさんがお金を払っている間に、俺は外に出てトランクから荷物を取り出す。
アリサさんが出てきて、タクシーは走り去っていく。その後二人で旅館の中に入る。
「うお~……すげぇ」
中も凄く良い感じだ。古いと言っても古臭いって感じじゃない。
なんというか……なんとなく凄く京都っぽい雰囲気がする。いや、京都なんだけどさ。
アリサさんと一緒にチケットを持って受付へ。
「あら、ご姉弟で旅行ですか? 仲が宜しいですねぇ」
中年の、多分女将さんらしき人が俺達を見てそう言った。
まぁ、そう見えるのかな……恋人って言われるよりも良いか、な。
「お姉さんは美人さんやし、弟さんもちっちゃくて可愛らしいわ~」
「ちっちゃいって、あの――」
「それでお部屋はどちらに?」
俺の女将さんへの抗議の言葉を遮ってアリサさんが尋ねた。
「ああ、はいはい。着いてきてください」
カウンターの奥に掛かっている鍵の一つを取って歩き出す女将さんに着いていくアリサさん。
俺は釈然としない気持ちで二人の後を追った。
旅館の中を進み、入ってきたところとは別のところから外に出る。そこから綺麗に整えられた日本庭園を進んでいく。
「ここになります」
女将さんが立ち止まった先には一つの小さい建物。離れというやつだろうか。
鍵を開けて中に入る。
中は畳で、窓の向こうには小さな池。というか、窓のあるところは一畳分ほど板の床になっており、そこは池の上に作られているようだ。
「お風呂もこの部屋専用の露天風呂が付いてます。それとは別に大浴場の方も使ってもらって構いません」
女将さんの説明を聞く。
部屋の奥の扉を開けると、そこには確かに露天風呂。多分二~三人ぐらいが精一杯の小さなものがあった。
「それでは食事は朝と夜、部屋まで運びますんで。何かありましたらフロントまで電話してください」
「分かりました、有難うございます」
露天風呂を見ている間に、部屋を出て行こうと入り口まで移動した女将さんとアリサさんが頭を下げあっていた。
「あ、あのっ!」
俺は慌ててそちらに駆け寄って声を出した。
「なんでしょう?」
女将さんに一番気になっている事を訊いた。
「ここ、どう見てもここしか寝る部屋がないんですけど!?」
俺の質問に女将さんは首を傾げて、
「そうですけど……何か問題でも? ご姉弟なら宜しいのでは?」
「あ、あの、姉弟じゃないんですけど!」
アリサさんと一つの部屋で寝るって……有り得ないよ。
「ご姉弟じゃない?」
女将さんはアリサさんに確認する。
「はい」
アリサさんはそれに頷く。
「でも、ご姉弟じゃなくて恋人同士なら尚更一つの部屋で宜しいのでは?」
そう言って女将さんは俺に耳打ちする。
「というか、そういう関係じゃないんならこれはチャンスだと思いますよ」
「なっ!?」
「ほな、鍵はここに置いときます」
女将さんは耳打ち後、固まっている俺をニヤリと見つめてから去っていった。




