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23話

 俺の朝はアリサさんに起こされるところから始まる。


「朝です、樹様。起きてください」

 アリサさんが声をかけながら控えめに俺の肩を揺する。

「んぅ~……あ、と、五分……」

 俺はお決まりのセリフを吐いて布団に潜る。

 アリサさんの時間の正確さは良く分かってる。あと五分ぐらい布団から出なくても余裕で間に合うほどの時間に毎朝起こしにきてくれる。

「起きてください。朝ごはんが覚めてしまいますよ」

 それでもアリサさんは布団に潜った俺を優しく揺さぶる。それでも俺は布団から出る気はない。

「樹様、樹様――」

 何度か呼びかけていたアリサさんの声が不意に途切れる。それと共に布団からも手が離れて体の揺れが収まった。

 どうやら諦めてくれ――

「しょうがないですね……ばら最後の手段に移らせていただきます」

 てはいなかった。

 そんな声の後にウィーンという耳をつんざくような大音量の機械音が聞こえてきた。

 その音を聞いた途端に今すぐに布団を出た方がいいという予感。命が危ない、そんな危機感を覚えていた。

「な、なんだっ、いったい!?」

 耳を押さえて布団を飛び出し、目を開ける。

 視線の先にいたのは――布団の横に立ち、チェーンソーを構えているアリサさんだった。樹齢ウン百年の大木も真っ二つに出来そうな代物だった。

「あ、起きてしまわれましたか」

 アリサさんが心底残念そうに言う。

「…………」

 意味の分からないその姿に絶句。

 メイドさんがチェーンソーというアンバランスさもそうだが、何よりもなぜに人を起こすのにチェーンソー?

「…………あの、それで……いったいなにを?」

 アリサさんの持つチェーンソーを指差して尋ねる。

「起こそうとしただけですが?」

 チェーンソーのスイッチを切ったアリサさんは当然といった風に答えた。

「起こす? それで? どうやって?」

 叩くとか? まさか本来の使い方をするってことはないよな……。

「どうって……こう、サクッと」

 アリサさんは言葉と共に上から下へチェーンソーを動かす。

「さ、サクッて――それは起きる前に死ぬから!」

「そこはギリギリ加減するので問題ありません」

「それでどうやって加減を!?」

「朝からうるさいご主人様ですね」

 そう言って溜息をつくアリサさん。

「うるさいって――そりゃアンタのせいだろ!?」

「それでは、朝ごはんは用意できていますので着替えてさっさと来てください」

 いつのまにかドアまで移動していたアリサさんは俺の言葉を無視して言いたいことを言って出ていってしまった。

 俺がなかなか起きないときはあの手この手で起こそうとしてくるけど、今日はなんというか……直球って感じだったなぁ。

 アリサさんがいなくなったり、林間学校から少し経って、アリサさんと少しは打ち解けてきた感がある。

 アリサさんの言動に俺が慣れただけかもしれないけど……。

 でもアリサさんもアリサさんで先程のような突拍子もない冗談(……冗談だよな?)をしてみたり、少し以前とは違ってきている気がしていた。

「はぁ~……着替えよ」

 暫くアリサさんが出て行った方を見ていたが、大きく溜息を吐いて着替えを始めた。


 朝食を食べ、家を出る。

 時間は夏休み前よりも大分早い。……いや、夏休み前というか林間学校前と比べて、だ。

 それは『ある事』が新しく日課になったから。

 玄関を出て直ぐの駐車場(家には車がないのに結構デカイ。屋根までついている)。俺はそこに停めてある自転車に跨る。これも新たに加わった日課である。

 今までは登校に自転車なんか使ってなかった。

「いってらっしゃいませ、樹様」

 アリサさんは毎日、玄関を出てここまで見送りにきてくれる。

「うん。いってきます」

 そう言って俺は自転車を漕ぎ出した。学校とは“反対方向”に。

 十五分ぐらい自転車を走らせると目的の場所が見えてくる。さらにその場所の前に人影。

 その人物の目の前で止まって声をかける。

「おはよう、伊吹さん」

「お、おはよう……ございます」

 ここは伊吹さんの家の前。目の前の、この辺りでは結構大きく防犯も確りしてそうなオシャレなマンションが伊吹さんの家だ。

 彼女は三日前、林間学校で足を痛めた。骨折はしていないようだが骨にヒビが入ってしまい直ぐには治らない。歩くのも松葉杖を使わなければならず学校まで登校するのはきつい。 だから、俺が送り迎えをすることにした。伊吹さんが怪我をしてしまったのは俺の所為でもあるし、これは俺が自分から言い出したことだった。

 最初は自転車まで用意して断られたらどうしようかと心配していたが、伊吹さんはこちらの申し出を受け入れてくれた。

「それじゃ、乗って」

「は、はい」

 伊吹さんが荷台に腰掛ける。荷物も預かって前のかごへ入れる。

「乗れた?」

「はい」

「よし。じゃあ行くよ」

 俺がそう言うと伊吹さんは俺の腰に手を回す。それを確認してから今度は学校へ向かい再び自転車を走らせていく。

 この腰に手を回す仕草なんだけど……最初はえらくドキドキした。女の子とこんなに密着することなんてなかったし、そもそも二人乗り自体初めての経験だった。それに、なんと言うか……伊吹さんの胸が背中に当たる感触がもうほんと想像を絶する柔らかさと言うかなんというか着痩せするタイプなのか伊吹さんって意外と胸大きいです。そんな感じで俺の心臓はバックンバックンってわけだ。

 最初に比べ今日はまだ緊張も少ない。慣れ……てきたのかな? それでも初日ほどじゃないが心臓の鼓動は凄いことになっている。今、伊吹さんとまともに目を合わせられる気がしない。

 二人乗りで学校に着くまでお互いあまり話さない。俺は緊張を悟られないように前だけを見て運転に集中している。前だけを見ているため伊吹さんがどんな顔をして、何を考えているのかも分からないが彼女も何も話さない。

 今までの人生で何度も感じてきたような嫌な沈黙ではない……と思う。まぁ、このままでもいいかと思えるぐらいに。

 

 学校に着くと、まず下駄箱の前に伊吹さんを送り届ける。それから駐輪場へと自転車を停めに向かう。

 駐輪場は俺達の学年の通う校舎からは大分離れた場所にあるので、怪我をしている伊吹さんをそこから歩かせるわけにもいかないからな。

 駐輪場から下駄箱へ戻ってくると、伊吹さんは俺を待っていてくれる。先に行っててもいいと言っても彼女はいつもここで俺を待っている。さらに、このときには伊吹さんの横に三上さんもいたりする。伊吹さんに合わせ、林間学校前よりも学校に着く時間が早くなった為に三上さんとも丁度同じ時間に学校に着くようになったのだった。

「おはよう、三上さん」

「はい、おはよう~! 今日も送り迎えご苦労だね」

 朝から満面の笑みで元気のいい三上さん。

「いや、怪我させちゃったの俺の所為だし……」

「そ、そんなこと……ないです!」

 俺の呟きに伊吹さんが彼女にしては大きな声で答える。

「あはは、まあいいけど。いや~朝から二人乗りで登校とは甘酸っぱいですなぁ!」

 三上さんは俺の背中をバシバシ叩きながら言う。

 ……おっさんか。

 最近は三上さんとも大分話しやすくなったと思う。

「理由知ってるんだからそんなんじゃないって分かるだろ」

 俺はそっぽを向いて呟いた。

「それでも、だよ。理由はそんなんでも一緒に自転車乗って他の感情もあるんでない?」

「そ、それは……」

 ないと言えば嘘になるな。色々、本人の前では言えないけど。

「沙代はどうなん、そこんとこ?」

「えっ……あの……私は……」

「あはははは、そっかそっか!」

 なにやら嬉しそうな三上さんの声。二人がどんな表情をしているのかそっぽ向いてしまった俺には分からない。

 そんな風に話していると教室に着く。俺も二人もそれぞれ自分の席へと散っていく。

 それから伊吹さんと三上さんは他の女生徒たちと談笑を始める。

 俺は……いつも通り今岡が来るまで自分の席でポツンだ。

 今岡が登校してくるのはいつも朝のHRの始まるギリギリの時間だ。たまに遅刻したり、逆に早かったりするので、完全に気分次第なのだろう。


 その後、授業を受けて放課後。

 伊吹さんはバレー部のエースらしいのだが怪我のため練習に参加できないので帰る時間も帰宅部の俺と一緒だ。

 駐輪場から自転車に乗って下駄箱へ。伊吹さんを後ろに乗せて彼女の家に向かう。

「それじゃ、また明日」

 マンションの前で伊吹さんを下ろし別れの挨拶。

「はい……ありがとうございました」

 頭を下げる伊吹さん。正直そんなことをされると困ってしまうのだが。

「いや、いいよ。何度も言うけど俺に責任があるんだし、俺がやりたくてやってるんだしさ」

 言ってて恥ずかしくはってしまったので顔を合わせないようにして頬を掻く。

「…………はい」

「明日も迎えに来るから、さよならっ!」

 そう言って俺は自転車を漕ぐ。

「はい……さようなら……」

 伊吹さんの声が小さくなっていくのを感じながら、俺は後ろも見ないで手を振った。


「ただいま~」

「お帰りなさいませ」

 玄関でアリサさんのお出迎え。

 玄関を開けたときには既にそこにいるアリサさん。一体どうやって俺が帰ってくるのを察しているのだろう……謎だ。

「今日も疲れた……ん? いい匂いがする」

 これは俺の大好きなアレの匂いじゃないか!

「もしかして今日のご飯ってビーフシ……」

「それより樹様」

「…………何?」

「今日、こんなものが樹様に届きました」

 差し出されたのは袋というか封筒というかそんな感じのものだった。

「なに、これ――って、これは!?」

 俺宛の封筒。宛名の横には『これで貴方も身長一八〇センチ!? 脅威の効能! これでボクは一ヶ月で一五センチ伸びました!』とデカデカと書かれていた。

 前に通販で衝動買いしてしまったものだった。

 それにしても、もっとこう……業者さんもさぁ、中身が分からないように誤魔化してくれてもよくないですかね?

「……樹様」

 アリサさんが哀れなものを見る目で俺を見ていた。

「い、いいだろ! 俺が何買ったって!」

 俺は封筒を鞄に仕舞いながら叫んだ。

「それは自由ですが……凄く言い辛いことなのですが効果は無いと思います」

「言い切ったっ!?」

 どこが言い辛いんだよ。

 何の躊躇もなく断言してるじゃないか……。

「希望持ったっていいだろ!?」

 もしかしたら俺には効くかもしれないじゃないか。

「はぁ……そうですね。夢を見るのは自由ですよね」

「何、その良い笑顔!?」

「ちっちゃい身体に大きな夢。素晴らしいです」

「ち、ちちちっちゃいって言うな!」

「ミニマムなボディにビッグなドリーム」

「スモールより更に小さい!?」

 ル、ルー語!?

「はい、今日のメニューはビーフシチューです」

「あ、あれ? 戻った? え、なんなの?」

「いつまでも玄関で話してないで着替えてきてはいかがですか?」

「あ、あんたの所為だろうが!」

「それでは夕飯の準備がありますので」

 俺の抗議は当然のごとくスルーしてアリサさんキッチンへ向かっていった。


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