8 ヤンデレ?
私はそこから二日ほど高熱で寝込んだ。
イベリス……いや、今の私の体……は箱入りで、濡れた体が少し冷えただけで風邪をひいてしまうらしい。
私は庭園の池に落ちたことになっていた。
それをアルが助けたのだと。
しかも、アルは私を連れ歩いている間にやっぱり不審者を一人始末していたらしく、それも発覚してさらに褒められていた。
またもアルの株が上がる。
私を突き落とした本人だと言うのにその扱いは腑に落ちないが、本当のことが明らかになる方が面倒なので堪えた。
「それで、頭の整理はできましたか?」
ベッドのそばに置かれた椅子に悠々と腰掛けながら、アルが私に問いかける。
「……いちおう」
荒療治のおかげで、私は全てを思い出した。
前世の死に際も、欠けていた数日間の記憶も。
男たちに襲われたことをきっかけに起きた、不幸の連鎖。
私はあの時、ただ大好きな景色を見て心を癒したかっただけだ。
だけど大きなトラウマが、私の行動をおかしくさせた。
そうして湖に飛び込んだ私は、奇跡的に助かった。
もちろんその時も数日寝込んだようで、その間に前世の記憶がよみがえったらしい。
体は助かったけれど、多分イベリスの心はその時に力尽きてしまったんだと思う。
私の今の思考は、どう考えても前世のものだ。
イベリスの感覚が残っていないとは言わないけれど、もし本当にイベリスがしっかりあるのなら……あの時、あんなことは口にしなかった。
私の体を自由にしていい、なんて。
時折感じる吐き気や抵抗感がきっと、残り少ないイベリスの感情なのだろう。
「これで、元に戻ると言う逃げ道は無くなりましたね」
何が嬉しいのかアルはすこぶる機嫌が良さそうだ。
反して私は大変機嫌が悪い。
あんなことをしてくれたアルへの怒りは収まっていないし、本格的に暗殺問題と向き合わなきゃいけなくなった。
「アルなんか嫌い」
「残念です。僕は結構貴女のことが好きになってきたのに」
予想外のお言葉だ。
「……アルの好みって……」
あのギャン泣きを見て好きになるってすごいな。
いくら今の体が美少女とはいえ、鼻水垂らして子供のように泣く様は、酷かったはずだ。
私が客観的に見ても引いたと思う。
しかし私の呟きに、アルはにこやかに返した。
「僕は愛情深い人が好きなんです」
さらに予想外のお言葉だった。
「……愛とか、何それって言うタイプかと」
「失礼ですね。僕にだって恋人はいたんですよ。前世の話ですが」
「こいびと……」
なんかイチャイチャしてる姿が全然想像できない。
見た目が子供だってことを抜きにしても、この男が愛の言葉を囁いたりするとは思えなかった。
愛してるとすがる恋人を冷ややかに振り払う方がしっくりくる。
「その恋人さんはアルの仕事のこと知ってたの?」
「いえ。暗殺業を始めたのはそのあとです。むしろ彼女達はきっかけというか」
「彼女達?」
「恋人と言える存在は過去に二人居ました。二人目を殺した時に、ちょうどその場に居た暗殺者に見出されてその道へ」
「ちょ、ちょ、待って」
衝撃的な情報を話のついでに差し込まないでほしい。
「二人目を殺したって……二人目って、恋人?」
「まあ、正確にはその瞬間まで恋人だと思っていた女、ですね」
そこの訂正は大事なんだろうか。
いや、何かあったことは窺えるから大事なんだろうけど、最重要ではない。
「殺したの?」
「ええ」
「好きだったんじゃないの?」
「好きでしたよ」
ドン引きしている私に、アルは小首をかしげて当然のように返してくる。
その様だけ見ると愛らしい少年だ。
「怯えてます?」
「というより引いてるわ」
「怯えた方がいいですよ」
「え?」
何その変な推奨。
そしてアルはにっこり笑う。
「彼女のおかげで、僕はそれ以来、気に入った人は殺してみたくなるんです」
「はああああ!?」
想像以上にヤベェ奴だった。
「何それ聞いてないそれ!」
「こんなセンシティブな話、打ち解けないとできないでしょう」
「そういうレベルの話じゃないでしょ!そもそも最初の賭けが破綻してるじゃない!」
実はその気にさせたらさせたで殺されるなんて酷い詐欺だ。
年齢のことを差し引いたってヤンデレはそれだけでお断り。
冗談じゃない。
「お勧めしないって言ったじゃないですか」
「もっとハッキリ言ってくれないと分かんないわよ!年齢の話かと思うじゃない!」
「年齢は問題ないので」
「それこそ初対面でわかるわけないわ!」
「まあまあ、落ち着いて。あくまで殺してみたくなるってだけですよ。僕も前世の若い頃は我慢がきかないところもありましたが、流石に今はもう少し理性的です」
「理性的な男はこんなこと暴露しないと思うの!」
「理性的ですよ。ちゃんと事前に注意を促してるんです。これ以上僕に好意をもたれると危ないかもしれませんよ、と」
親切心だったらしい。
とてもお礼を言う気にはなれないが。
「もちろん、これ以上好きになったとしてもちゃんと我慢しますよ。期限が来るまでは、ですけど」
そうね、どっちにしろ期限が来ちゃえば殺されるのよね。
そこは変わらないわけだ。
「……こうなったら方法は一つね」
「ほう?」
アルを誘惑するなんていう選択肢はもう無い。
もともと出来る気がしてなかったけど完全に潰えた。
むしろできたらまずい。
こうなればそもそもの暗殺依頼を取り下げてもらうしかないだろう。
「……カトレアをなんとかするわ」
「殺してきましょうか?」
ド直球な解決策をご提示いただいた。
「……依頼主でしょ」
「イベリス姫が依頼主になるならそちらを優先しても良いですよ。仲介抜きで、オトモダチ価格で請け負います。僕は仕事に私情を挟むタイプなので」
「ただのろくでなしじゃない」
「都合のいい男と言ってください」
「言われて嬉しいの?」
「言われてみないと分かりませんね」
「言わないわよ」
カトレアを殺す?
確かに今の問題はまとめて解決するのかもしれない。
でも、果たしてこの男は依頼主が死んだからって既に受けた依頼を蹴ったりするんだろうか。
……いやいや、それ以前の問題もある。
そもそも相手と同じ土俵に立つのは嫌だ。
人を殺すことを選択肢にあげるのは避けたい。
前世から培ってきた倫理観が抵抗している。
万が一それを選んだとして、一生後味の悪さに苛まれる自信がある。
いや…ほんとのほんとに追い込まれた時にも選ばないかと言うと自信はないけど。
とにかく、追い込まれる前に他の方法で何とかすべきだ。
こめかみを押さえて首を振った。
「とにかく、暗殺は無し。私は基本的に平和主義なのよ」
「いいことですね」
「アルが言うと嫌味に聞こえるわね」
「本心で言っていますよ」
「ああそう……」
とりあえずアルはかつてないほどにこにこしている。
その笑顔が好意から来ているのであれば恐ろしくて仕方が無い。
好感度を下げるアイテムとかないのか。
「それなら、どうするんです?」
「カトレアに考えを改めてもらうのよ。暗殺なんて馬鹿なことはしない方がいいってね。カトレアはセロシア様と結婚したくてこんなことをしてるんだから、私が協力者だって示せば動機は無くなるはずよ」
「そう簡単な話ではないと思いますが」
そんなアルの声は無視して、マーヤを呼び、湯あみと着替えを頼む。
もう少し寝ていた方がと心配されたけれど、あまり時間はない。
既にアルと出会ってから十日が過ぎている。
アルの気が変わる前に暗殺依頼を取り下げてもらい、この恐ろしい護衛を解雇してもらわないといけないのだ。
「どこに行くんですか?」
部屋を出た私の後を、いつものようにアルがついてくる。
「カトレアに会って話をするしかないわ。会ってくれるかはわからないけど」
「会ってくれると思いますよ。いつも出くわすように歩いているのはあちらですから」
「え?」
「イベリス姫が部屋を出ると知らせがいくようになっています」
……やたら会う率が高いと思ったら。
「カトレアって、逆に私のこと好きなんじゃない?」
「まあ、好意と悪意は表裏一体ですから」
好きの反対は無関心ってやつね。
「でも、今日は用事があるのか近くに居ませんね」
「……前から思ってたんだけど、アルって誰がどこにいるか分かる?」
「ある程度の範囲までは。カトレア姫がどこにいるのか探しましょうか?」
「別料金なんでしょう?」
「特別にタダ働きしてあげますよ」
「特別になりたく無いから遠慮しておくわ」
「それは残念」
肩をすくめるアルを引き連れ、カトレアの部屋へと向かう。
カトレアだって王女だ。
そう簡単に城の外には出ない。
部屋に居る確率はそれなりに高いだろう。
「……イベリス姫、止まって」
アルがそう言ったのは、カトレアの部屋がある宮に差し掛かってすぐのことだった。
振り返ると、先ほどまでのにこやかさはどこへやら。
すっかり表情の失せた顔に、翡翠が細められる。
「少し、ここで待っていてください」
「え?」
アルはすぐそばにある部屋のドアを開け、戸惑う私を押し込んだ。
リネン室らしいそこのシーツを私の上に被せて、アルの指が唇の上に立てられる。
「すぐに戻るので、それまで声も、出来る限り息も止めてください」
おそらく……またなのだろう。
そう察して黙って頷く。
いい子です、との一言を残し、ドアが閉められた。
一気に部屋が真っ暗になる。
窓すらない小さなリネン室。
さすが王宮の造りと言うべきか、ドアの隙間から明かり一つ漏れない。
何度瞬きして目を開けても、視界は黒一色だ。
聞こえるのは自分の呼吸音と心臓の音。
無性に不安になって目を閉じる。
荒くなりそうな呼吸を我慢して、細く細く。
時には止めて。
頭の中で、静かに数字を数える。
できるだけ無心になれるように。
百二十を超えた頃、不意に気付いた。
瞼越しに、ほんのり明かりを感じることに。
この部屋に電気なんてない。
つまり、誰かがドアを開けている?
シーツや枕が置かれた部屋だ。
侍女や女中が使うこともあるだろう。
けれどそれならなぜ、ドアを開ける音がしなかったのだろう。
足音もしない。
シーツを取る気配すら無い。
アルならすぐに声をかけてくれるはずだ。
それじゃあ、今ドアを開けているのは誰?
止めたままの息を悲鳴と共に吐きだしそうになって、必死にこらえる。
怖い。
怖い。
ぎゅっと固く目を閉じた瞬間、少し離れた場所で何か重い物が落ちたような音が聞こえた。
続け様に、ごそごそと物音が続く。
そして。
「お待たせしました。今戻りました」
聞き慣れた声が聞こえて、そっとシーツがどかされた。
差し込む光とともに、優しい緑の瞳が見えて、視界が潤む。
「すみません、怖かったですか?」
「いま、いま……誰が居たの?」
しかし私の問いかけに、アルは微笑んで。
「誰も居ませんよ」
嘘だ。
はっきりそう分かるけれど、それ以上は問い詰めなかった。
「立てますか?」
差し出された手を掴み、うつむいて唇を噛む。
認めたくない。
認めたくは無いけれど、私はさっき、安堵した。
この男だって暗殺者なのに。
ヤンデレだ。
デリカシーもないし大嫌いだ。
だけど私はほんの少し、この男を頼りにしているらしかった。
「さあ、部屋にカトレア姫が居るようですから、参りましょう」
そう言って差し出された手をおずおずと取ると、アルはまた機嫌が良さそうに歩き出す。
「何しに行ってたの?」
「おや、僕のことが気になるんですか?」
「……護衛が側を離れたんだから、気にするのは当たり前でしょ」
「それもそうですね。カトレア姫の部屋に同業者の人間がいたので、様子を見に」
息を呑む。
その同業者というのは、おそらく傭兵ギルドじゃない方だろう。
「何かわかった?」
「カトレア姫が貴女に暗殺者を仕向けていたことは確定です。失敗続きだと憤慨していましたね」
「それで、新しい人を?」
「ええ。ですがまた問題のある人間を呼んだものです」
「問題?」
むしろ問題ない暗殺者って何。
「いえね。これまでイベリス姫を狙ってきていた暗殺者というのは、そんな質は悪くなかったんですよ」
「……良質な暗殺者を簡単に撃退できちゃうアル、スゴーイって褒めたらいい?」
「悪い気はしませんね。とにかく、これまでの暗殺者は、それなりに"手順"を知っている人間が手配していたと思われます」
手順が何かは知らないけれど、暗殺者への依頼の仕方に精通した人物が行なっていたということだろう。
「そう……やっぱり協力者がいるのよね」
「当然ですね。お城をろくに出ることができない王女様が自分で暗殺依頼なんて出せません。ある程度身軽な人々が助言や手伝いをしているはずです」
それはカトレア以外の人間からも死を願われているということだ。
……流石にへこむ。
「権力争いなんて王侯貴族の常でしょう?これくらいでへこたれてどうするんです」
俯いている私の頬を、アルの指がつつく。
励ましているつもりなのだろうか。
「大丈夫ですよ。カトレア姫はずいぶん焦っているようです。いつも助けてくれている人間を仲介せずに、独自の情報網で奴を見つけて呼び出したんでしょう。奴は商人に成りすますのが得意ですからね。でもさっきも言ったように、奴は問題のある暗殺者なんですよ。腕は悪くないんですけどね」
「……その腕の悪くない暗殺者が私を殺しに来るのは事実なんでしょう?」
「いいえ?」
「え?」
思わず足が止まる。
「死者が生者を殺すなんて無理ですよ」
「……あのさ」
「はい?」
「さっき、リネン室で……」
「はい?」
にこにこと、翡翠が笑う。
……やめておこう。
確認したところで明るい気持ちにはなるまい。
とりあえず。
「……有難う?」
「貴女は僕の獲物ですから」
「……そうだったわね」
「それより、今カトレア姫に会いに行けば動揺するでしょう。僕が隣にいることも、以前より良い牽制になるはずです。思ったよりは手応えのある交渉ができるかもしれませんよ」
私とは対照的に、アルはワクワクしているようだ。
もはやアルがどっちサイドの人間なのか分からなくなってきた。
ご覧いただきありがとうございます。
↓以下おまけ
「アルって恋人居たのよね?」
「いましたね」
「どっちから告白したの?」
「……告白……は、してないですね。そう言えば」
「うわー!これあれだ!なあなあで付き合って何年も経ってから彼女の方に『結婚しないの?』って聞かれるまで何も動かないやつだ!何なら『今と何が違うの?』とか聞き返しそう!」
「だから何の統計なんです」