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護衛が王女(わたし)の命を狙う暗殺者なんですが  作者: 遠山京
第一章 命の対価はベッドの上で
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7 水の音

「孤児院の視察?」



()()()()がそう言うと、トラインは頷いた。



「毎年行っているものです。王都内、三箇所にある孤児院を見て周り、施しを行います」



それはいつも、第一王女であるお姉様がしていたことだった。

しかしお姉様は去年の末にお嫁に行ってしまった。

だからわたくしに役目が回ってきたと、そういうことなのだろう。

外にはあまり出たく無いけれど、王族としての務めを放棄するわけにもいかない。



「分かりました」



そう答えた数日後には、馬車が市街を走っていた。

それは一つ目の孤児院にもまだ辿り着かない頃。

走り出した時からおかしな振動は感じていたけれど、大きな衝撃と共に馬車が止まった。



「殿下、申し訳ございません!脱輪しました」



御者の言葉に、共に馬車に乗っていたトラインが眉を顰める。



「おかしいですな。出発前に点検しているはずですが……王女殿下、危険ですので一度降りましょう」



そういうトラインの手を取りながら、わたくしの表情は暗くなる。

たぶん、カトレアだろう。

彼女の息がかかった者が、点検の時に細工をしたのだ。

今朝、出掛けにたまたま出くわした風を装ってわたくしを見送ったのはそういうわけかと溜息が出た。


王族の権威を示す、立派な馬車だ。

車輪も車体も大きく、修理は簡単なことではない。

御者だけでなく、ついてきていた騎士までもが手を貸してなんとか車輪をはめようとしている。


わたくしは邪魔にならないよう少し離れた場所でそれを見守る。

そばにはトラインと、護衛のために残った騎士が一人。

特に会話もなく、上空の雲が足取りも早く流れていくのを、じっと見て待っていた。

不意に足音が聞こえて視線を横に滑らせる。

建物の影から出てきたのは七歳くらいの子供だ。



「これ当てたら本当にお金くれるんだよね!?」



建物の影に隠れている人物に向かって、そう少年が叫んだ。

そして、皮を繋いでできたボールを地面に置くと、それを馬車に向かって蹴りつける。



「え……?」



訝しむ間もなく、馬車にぶつかったボールがはじけ、周囲が白い煙で覆われた。

驚いたらしい少年の悲鳴が聞こえる。



「殿下!」



同時に、そんな騎士の声。

おそらくそばにいた騎士が、王女を守るべく何か行動を起こしたのだろう。

しかし、わたくしの体はその時すでに、他の誰かに担ぎ上げられていた。


そこから先のことは、途切れ途切れにしか覚えていない。

視界が戻った時、見えた景色は薄暗い路地だった。

男が、覆い被さっていた。

わたくしの腕を、また別の男が押さえつけ、足にまとわりつくドレスを、別の男がたくし上げる。

何が起きているのか、さっぱりわからないまま。

光がさす向こうの景色に人影が見えたのを最後に、意識を失った。


幸い、すぐに騎士が駆けつけてくれたらしく、背中に軽い打撲を負っただけで済んだ。

しかしそこからが辛かった。

女の医師は、わたくしの体を隈なく調べた。

男たちに汚された形跡がないか、万が一にも身ごもっていることがないか。

そして当時のことを何度も何度も質問され、回答を求められた。

清廉であれと求められてきた王女。

しかしそのように育ってきたからこそ、この屈辱は堪え難かった。


守りきれなかったことを近衛騎士達が謝罪に来た。

大勢の、屈強な男達が目の前に立った瞬間、わたくしはえずき、嘔吐した。

臣下の前で、醜態をさらすなどあり得ない。

しかしわたくしの体はもう彼らを受け付けなかった。

わたくしの身を守ってくれる大切な騎士。

けれどその姿に、暗闇の中に浮かぶ男達の影が重なってしまう。

長年仕えてくれていた近衛隊は、間もなく解体された。

わたくしの体に障るからと、トラインが国王陛下に相談した結果だった。

代わりに物腰の柔らかな壮年の兵士が二人だけつけられた。


一連の事件には箝口令がが敷かれたけれど、近衛隊の解体や医師が通った事実は消せない。

城の中に、一部の貴族に、わたくしが悪様に言われていることは想像に難くなかった。

どうして。

わたくしが何をしたと言うの?

カトレアはそんなにわたくしが憎いの?


すっかり静かになった自室を見渡した後、外から聞こえる雨音に誘われるように部屋を出た。

わたくしを刺激しないよう、兵士が一人、距離を保ってついてくる。

城壁へと向かうわたくしに何か思うところはあっただろうに、彼は何も問いかけない。

ただ、城壁へ繋がる扉を開けた瞬間、流石に呼び止められた。



「殿下、濡れてしまいます!」



しかしそれにも構わず、私は城壁の上へと出る。

気晴らしになればと見に来た湖は、物悲しいほど暗い色に沈んでいた。

雨の日の湖を見たのは初めてだ。

……欲しかった、青が無い。


雨が肌を這う。

服が、髪が、体にまとわりつく。

男達の指を思い出して気持ちが悪い。

全てを洗い流したい。

湖で体を洗えば、きっとこの悍ましさごと、全てすすげるのでは。

そんな思いが頭を覆い尽くし、城壁の縁へと身を乗り出した。

私の恐怖心を知っている兵士は、おそらく一瞬腕を伸ばすのをためらったのだろう。

一歩遅れて伸ばされた手が、空と重なって見えた。


落ちていく。

雨粒と共に。

抵抗もせず、頭から真っ直ぐ入水した為か、体をあまり痛めることはなかった。

代わりに意識を失うこともできず、ただ水を飲み込み、水に飲み込まれる感覚が生々しく、体を満たしていった。







その日は雨だった。

梅雨の真ん中。

いつもの通学路だ。

今日は苦手な数学の小テストがある。

嫌だなぁなんて思いながら、前方から近づいてきたトラックに気付いて道の脇に寄る。


こんなギリギリまで寄らずともぶつからないだろうが、水をかけられそうで嫌だったのだ。

しかし、何を思ったのかトラックは思いの外こちらにハンドルを切ってきた。

向こう側に誰かいたのかもしれない。

ハンドルをとられたのかもしれない。

理由はもうわからない。

ただ、私は予想外の軌道に少し驚いて、さらに後退ろうとしてしまった。


運が悪かったのは。

そこがたまたま、大きな用水路との境目だったこと。

落ちる間際、足を捻ったこと。

連日の雨で、用水路が増水していたこと。

きっと、それだけだった。





息ができない。

風が鳴っているかのように、ごうごうという音が耳を叩く。

ずっと、夢の中で聞いていた音だ。

外の音をすべて掻き消す、水中の音。

闇雲に手足を動かすけれど、どこへ向かおうとしているのかすらわからない。

ドレスが、重い。



「げほっかはっ……」



気づけば咳き込んでいた。

咳き込むと言うことは、吸い込める空気があると言うこと。

チカチカする視界に、緑が映る。



「アル……!?」


「大丈夫そうですね」



声は近くから聞こえた。

ふっと緑が離れていく。

アルが私を覗き込んでいたらしい。

彼が離れた後も、視界には緑が広がっている。

湖と城壁の間にある僅かな陸地は草に覆われている。

不審者が隠れられないよう定期的に刈られているはずだが、今はかなり丈の高い草が生えていた。

そういえば今は春の終わり、五月だったなんて、どうでもいいことを思い出す。

草に埋もれるように、私は倒れ込んでいた。



「思い出しました?」



世間話でもするような、穏やかな声。

声と同じように気負いのない笑みで、私を見ている。

彼の問いかけは、季節のことなんかじゃないだろう。



「本当に、入れ替わりでしたか?」


「……」


「一つだけヒントをあげましょう。僕と同じなら、ですが」



そう言って一見無邪気な少年の顔で、悪魔のように甘く囁く。



「前世の自分の名前、思い出せます?」



その一言に、また息が止まりそうになる。

考えないようにしていた。

普段、聞かれない限りは、呼ばれない限りは、そんなに自分の名前を意識することはない。

今はイベリスだから、その名前でしか呼ばれないから。

だから気付かない。

そう、思い込もうと。



「僕は思い出せないんですよ。前世で培った知識や強烈な出来事なんかは覚えていますが、ささやかな記憶はどんどん薄れていますし、名前は最初から思い出せなかった」



同じ、同じだ。

少しずつ、記憶が消えていく。

友達のこと、家族のこと、ゆっくり靄がかかるように。

ああ、やっぱり私は、もう……


すうっと吸い込んだ息が、肺よりももっと奥の方に入り込んだ気がして。



「うわああああん」



それを吐き出すように、私は衝動を口から吐き出した。

顔をぐしゃりと歪ませ、しまった喉から声を張り上げ。

ぎゅっと閉じた瞼に、火傷しそうなほど熱い涙が滲み、こぼれ落ちていく。

こんな泣き方はきっと、小学生以来していない。



「イベリス姫……」



呆然としたような呼び声が聞こえても、私はそれより大きな泣き声で打ち消した。

きっと鼻水は出ているし顔は真っ赤でみっともない。

だけどそんなことを気にする必要があるのだろうか。

今ここに、格好つけたい家族も、笑いあいたい友人もいない。


アルが、何か声を出した気がした。

けれどその声は言葉を形成することもなく引っ込む。

目も開けられない今、アルがどんな顔をしているか分からない。

流石の彼も驚いたのかもしれない。

この歳になってこんな泣き方をする女は、前世と通算しても見たことが無いに違いない。

そんなこと、知ったこっちゃないけど。


一体どれだけ泣いただろう。

力尽きた喉は、しゃくりあげることしかできなくなっている。



「……イベリス姫」



もう一度聞こえた呼び声。

優しく宥めるような声色は、初めて聞いた。



「思い出したく、なかった」



口を開くと、また衝動が襲ってくる。

目が痛い。

頬が痛い。

これ以上泣きたくないと思っても、肺から、心臓から、込み上げる。



「帰りたかった」


「家族に会いたい」


「戻れないなんて、思いたくなかった」


「酷いよ、アルの馬鹿」



しゃっくりと嗚咽の合間、感情のままにアルをなじる。

気分を害して今すぐ殺されるかもしれない。

だけど理性なんて湖の奥底に置いてきてしまった。

何で私がこんな奴に気を遣わないといけないんだ。



「大っ嫌い」



そんな私の呟きを受けて、そっと何かが覆い被さる。

頬に当たる、濡れた服の感触。

アルも濡れているのだと、その時初めて気がついた。

私を引き上げるために自分も湖に飛び込んだのだろうか。



「……すみません」



小さな呟き。

それが謝罪だと気付いて、あまりの衝撃にしゃっくりが止まった。



「貴女も……知らないことは怖いと、言ったので。忘れたふりをしているのは意識的と言うより無意識だろうと。防衛本能のようなものだろうとは思いましたが、貴女が知りたいと思うなら、教えるべきなのだと」



言っただろうか?

言ったような気もする。

だけどそれをそんな深読みされるとは。

貴女も、ってことは、アルにも何か知りたいことがあるんだろうか。



「貴女は、僕とは違った」


「……当たり前じゃない」


「前世にそんな未練を残しているとは、思わなかったんです」



私を抱きしめる細い腕に、力がこもる。



「僕は前世に戻りたいなんて思ったことがない。会いたいと思う相手もいない。だから、忘れているのがイベリス姫の心の傷ではなく、前世の貴女の未練の為だとは、思わなかった」



体が冷えて寒いのに、これ以上動きたくない。

体が重い。



「貴女はきっと、愛情深い人なんですね」


「何それ」


「そんなに泣きじゃくるほど、家族を愛していたんでしょう」


「……家族だけじゃないよ。友達もいるし。生活全部。普通でしょ」



そうでもありません、なんて呟いて、アルは体を離す。



「戻りましょう。風邪をひきます」



湖に突き落とした本人のセリフとは思えない。

しかし私はそこで完全に意識を手放した。

ご覧いただきありがとうございます。


↓以下おまけ


「私のこと、アルが引き上げたの?」


「ええ」


「子供の体でよくそんなことできたね」


「その時だけ魔法を解除して本来の姿で救助しましたので」


「……服は?」


「そこですか?」


「だって、小さいでしょ」


「……脱ぎましたけど」


「全裸で助けたの!?変態!」


「次にイベリス姫が溺れていたら救命は諦めて一思いに死ねるように手助けすることにします。感謝するか謝罪するか選んでください」


「ごめん」

(ガチギレじゃん……)

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