8 暗躍しろとは言ってない
森に入って間もなく。足元がおぼつかない私を、エニスが背負ってくれることになるまで、数分もかからなかった。
「悪いわね、エニス」
「いえ、もう少しご辛抱ください。道まで出れば馬車が待機しておりますわ。ダリアが医師も手配してくれたので、すぐに診てもらえるはずです」
「流石だわ……」
「本当に。国王陛下にもいち早く連絡をとって、指揮権をいただいておりましたのよ」
「その指揮の下、ちゃんと私のところへ駆け付けてくれてたエニスもさすがだわ。ありがとう」
「護衛ですもの、当然ですわ」
背負われていて顔は見えないけれど、エニスの表情が緩んでいることはなんとなくわかる。いつの間にかアルベルトより私の方に味方してくれるようになったエニス。アルベルトやダリアとはまた別の信頼をおける、大切な仲間だ。
それにしても……体調、最悪……
もう一人のイベリスは強がっていたけれど、やはり王女にこの生活は厳しかった。慣れない食事と水にお腹は下すし顎は筋肉痛になるし、川の側なので夜は冷えるし、寝床はゴワゴワしていてろくに寝付けない。そんな中でトドメとばかりに溺れかけたのだ。これは今夜あたり高熱が出るだろうと何となくわかる。
エニスの背に揺られて何十分経っただろうか。足場が悪い上に背中の私を気にかけてくれて、普段より彼女の足取りがゆっくりだったせいか、結構時間がかかった。二頭立ての小さめの馬車が木々の向こうに見えてきたころには、エニスの息は上がっていた。思わず口をつきそうになる謝罪を飲み込む。こうして私の為に息を切らせてくれているのに、何度も謝るのは違うだろう。落ち着いてから、改めてお礼を言おう。
見えてきた道は、この小さな馬車がようやく通れるくらいであまり広くは無く、大きな石も点在しているし草も生えっぱなしで整備が甘い。交通量が少ない場所なのだろう。これは馬車が揺れそうだとひっそり覚悟した。
「申し訳ありません。王女様をお迎えするには貧相な馬車なのですが……」
「いえ、十分よ。目立ちたくないしちょうどいいわ。ありがとう」
恐縮するエニスの背から降りて、馬車へと乗り込む。そこには女性の医師が待機していた。東大陸の顔立ちの医師は、以前に春幸様の城で見かけたことがある。……予想はしていたけれど、やっぱり春幸様にだいぶ迷惑をかけてるな、これは。急いで濡れた服を着替えさせてもらって体を温めて薬湯を飲ませてもらった後、案の定容赦ない揺れと共に馬車が動き出した。けれど疲労の激しい体はそれ以上に睡眠を欲していたようで、気付けば私は意識を手放していた。
◇
早くも熱を出した私を乗せた馬車が、竜胆国の城へとたどり着いたのは昼過ぎのことだった。体調が落ち着くまではここで静養させてもらえるらしい。待機していてくれたダリアとも落ち合えたし、さらには温かい寝床と大好きな和食を提供してもらえる幸せ生活。たちまち熱は下がって体調も安定し、五日後には帰国の準備に取り掛かれるようになった。
「本当に面倒をかけたわね、ダリア」
「いいえ。大事にならずに済んで安心いたしました」
「それもあなたの対処のおかげだわ」
この間の私の扱いについてグラジオラス王国内では、紅蓮国と竜胆国の間にトラブルが発生したので、仲立ちの為に急遽竜胆国へ派遣された…ということになっているらしい。父王と春幸様、そして紅蓮国の使者の間で認識合わせは済んでいるという。春幸様も紅蓮国の使者も、巻き込んで本当に申し訳ない。
けれど私やアルの立場を守るために奔走してくれたことに感謝しきりだ。
「……それで、イベリス王女様は……ルアー王子を待たれるおつもりですのね?」
ダリアは困ったように笑いながら、そう問いかけてきた。問うている割には、答えはもうわかっていると言いたげだ。私自身も自分に呆れている。どうして愛想をつかさないのかと、本当に常々疑問なのだ。
「期限は切ったわ。それまでに向こうが何の覚悟も決められないって言うなら……」
そこで言葉を切って、障子窓の向こうにある景色へと目を向けた。遠くにかすむ景色。その向こうにはグラジオラス王国がある。
「……私も王女だもの。国の為になる婚姻を、考えなければと思ってるのよ」
そう口にした瞬間、不意に悪寒に襲われた。思わず部屋の隅へ視線をやるけれど、そこに黒髪護衛の姿はない。……ないはずなのに、異様に存在感を覚えてしまうのは何なのか。
「……アルベルトがここに?」
「いえ………まぁ、うん、たぶん、いないんじゃないかしら……たぶん……」
「……本気で隠れられれば見つけようがありませんからね」
ダリアは頭痛をこらえるようにこめかみを押さえている。その通りだ。さすがにこんなに早く舞い戻りはしないと思うのだけれど、もし侵入されていたとしても誰も分からない。……改めて考えるとすごく怖いわね?
そして翌日の朝、私は出立の挨拶の為に春幸様のもとを訪れていた。
「この度は本当にお世話になりました」
「いえ、お役に立てて何よりにございます。今後とも我が国をよろしくお頼み申します」
にっこりと微笑む春幸様に、私もにっこりと微笑み返す。今回のことを貸しにしようという含みが見える。お世話になったと感謝はしているのだけれど、一国の王女としてそう簡単に借りを作るわけにはいかない。
「ええ、もちろん。貴国とは今後も友好関係を築いていきたいと思っておりますわ。たった一人の王子殿下のやんちゃくらいでは、この関係は揺るぎません」
「はは、お二人の痴話げんかくらいで揺らいでは困りますからな!」
「ふふ、ええもちろん、ただの喧嘩ですわ。王子が他国の王女を誘拐しただなんて与太話が広まっては困りますものね?」
はははうふふと、ひとしきり笑いあった後、春幸様は眉を下げて疲れたように息を吐いた。
「ええ、ご安心くだされ。これを貸しにしようなどと思っておりませぬよ。第二王女殿下に貸し付けようものなら、翌朝にはこの首が無くなっていそうですからな」
「ご冗談を。あわよくば次の商談で有利に運びたい、くらいはお考えでしたでしょう?」
首をかしげてそう問うてやれば、春幸様は眉を上げてニヤリと笑う。
「それはもちろん、第二王女殿下が隙を見せてくださるならば」
「ほらやっぱり」
「とはいえ、無茶を申すつもりはございませんでしたよ。近いうちに利をいただけそうな目途がございますしな」
利とは?と問い返そうとしたけれど、その前に春幸様が立ち上がって会話を切り上げた。
「そろそろ準備も整いましたでしょう。お見送りを」
「……ありがとうございます」
何か見落としが無いか、自国に帰ったら竜胆国との貿易関係の契約内容見直しておこう。そうひっそり心に決めた。
◇
グラジオラス王国に戻って二日目。私は違和感に首をかしげていた。
何がおかしいって、まず国王陛下からのお叱りが一切なかった。なんだかんだとズルズル関係が続いているようで、結婚の意思を示さないルアー王子とのことを、ただでさえ陛下は快く思っていなかった。彼を怒らせると危険だということと、私が王女として外交に力を入れ、成果を出しているので見逃してくれていただけ。だから今回の一件を受けて、厳しいお叱りと今後に関して何らかの話があると思っていたのだ。
しかし、帰国したその日にはしっかり体を休めるように言われ、ようやく翌日の昼頃に呼び出されたかと思えば……
「体調はどうだ。竜胆国でしばし休養が必要な状態であったと聞いたが」
「全く問題ございません。ご心配をおかけしました」
内心ビクつきながらそう返す私に、父王は「そうか」と呟いて疲れたように少しだけ息を吐きだし、私をジッと見た。何を言われるのかと身構えたものの、ゆっくり頭を振られただけだった。
「今後も竜胆国や紅蓮国との関係をよく保つよう、王女としての役割を期待する」
その一言でお開きとなってしまったのだ。
そして拍子抜けしながら部屋へと戻る道すがら、第二の違和感に気付いた。城内が静かすぎる。
第二王女の私が突然姿をくらましたのだ。ダリアが懸命に対応してくれたとはいえ、怪しむ人達はいるはずだ。表向きの理由にしたって、竜胆国へいくなんてなったら、私の恋人であるルアー王子と何かあったのでは、とか……ゴシップ好きの人間が多いメイド達とか、揚げ足取りが大好きな官僚たちがこちらを見てヒソヒソするくらいは覚悟していたのに。
「王女様がお戻りになる前は、しばらく騒がしかったんですよ」とは、王宮で留守番をしてくれていた私付きのメイドの言だ。私が戻ってくる前日あたりからピタリと噂話は止み、第二王女付きメイドに詮索をしてくる人たちもパッタリと居なくなったのだという。
……早くも何者かの介入を察してしまう。
ダリアに首を傾げて見せたら、困った顔で首を振られた。
さらに三日後、急にお兄様が立太子するという話になった。しかも式典を省略して明日には正式に王太子になるのだという。一体何があってそんな急ぐのかとダリアに調べてもらったけれど、明確な理由は分からなかった。
その翌日、今度はお姉様から手紙が届いた。私がいない間に帰国していたらしい彼女からの手紙には、竜胆国ルアー王子を褒めたたえる文面がびっしり並んでいた。優しくて聡明で誰もが憧れる王子様って誰ソレ。そんな素晴らしい男性から愛されているイベリスは幸せ者であり、以前の言葉は完全に撤回する。だからさっさとあの男を受け入れて手綱を握れと、最後は命令だか懇願だか分からない一文で締めくくられていた。
なんて返事を書いたらいいんだ、これは。
さらに翌日、無事に立太子したアスターお兄様からお茶の誘いを受けた。今度はどんな嫌味が待っているのかとうんざりしつつ渋々向かうと、青白い顔をした兄がそこにいた。なぜか首に包帯を巻いている。怯えるような目で私を見つめていた。今にも取って食われるとでも言いたげで心外である。妙な緊張感と沈黙の中、おそるおそる席に着くと同時に、勢いよく頭を下げられた。
「いつも立ち入ったことを言って悪かった。反省している。この通りだ」
これまでのお茶会での発言を指しているのだろう。なんでまた急に、とは聞くまい。もはや想像がつく。
「……謝罪は受け入れますから、顔を上げてください」
王太子になったばかりの兄に頭を下げさせているなど、人に見られれば何を言われるか分かった物ではない。しかし兄は頭をなかなか上げようとしない。
「本当か!?いいのか!?」
「いいですって」
「頭を上げた瞬間、その頭が飛んでいくことはあるまいな!?」
「怖いことをおっしゃらないでください!」
まるで私がそんな凶行におよぶかのようじゃないか。人聞きが悪い。彼だってしないはずだ。……さすがに。たぶん。少なくとも私が見ている前では……
「明日の朝、ベッドから起こす頭がなくなっていることもないな!?」
まるでそんな私の心の中での補足が聞こえたかのように、兄は震える声で聴いてくる。
「ありません。私の名で約束いたします。お兄様は無事に国王に即位し、私達の平和な暮らしをお守りくださるため、国務に尽力なさるはずですもの」
「わかった!頑張る!頑張って平和を守るから!」
必死な兄の声が寒々しく部屋に響いた。とりあえずさりげなくお兄様が私に回してきていた仕事が減りそうだ。正直ありがたい。
さらにさらに翌日、今度はコーナスお兄様が執務室を訪ねてきた。見たこともないほど顔色が悪い。こちらもアスターお兄様とおそろいの首に包帯スタイルだった。
「あー、イベリス?」
「何ですか、お兄様。私見ての通り忙しいのですが」
嘘ではない。しばらく城を空けていた間に手紙も書類もたまっている。この数日は、ずっと返事を書いていた。急な外出であらゆる予定をすっぽかしたので、その相手に説明の手紙も送らなければいけなかった。丁寧に謝罪したいところだが、王族は簡単に謝ってはいけないとかいう謎の文化があるせいで、ただ言い訳を連ねて埋め合わせの約束をするだけのような、居丈高な文面を書く羽目になって地味にストレスが溜まっている。それが終わってようやく溜まっている書類仕事にとりかかれるという矢先の事なので、私は機嫌があまり良くなかった。
私の冷ややかな声にひるんだ様子を見せたものの、コーナスお兄様はグッと気力を奮い立たせたように歩み寄ってきた。
「その……色々と、お前に悪かったかなと思うことがあってだな」
「………」
「……少し、静養してきてはどうかと」
「この書類の山、目に入ってます?」
私が今まさに何に埋もれていると思っているのだろうか。けれどコーナスお兄様は前のめりになった。
「それらの仕事は!俺達兄が引き継ぐから!」
「はぁ?」
思わず目を瞬かせた。
「お前にも少しは休みが必要だと思う!仕事のことを気にせずに過ごす時間が!」
「はぁ……」
「俺の領地には湖のそばに建つ景色が良い屋敷がある。そこに話は通してあるから、しばらく羽を伸ばしてくるといい!」
「いえ……さすがにこの量の仕事を放り出して羽は伸ばせないというか」
「何も心配するな!俺とアスター兄上とでやっておくから!お前が気を揉むことの無いよう、死ぬ気で取り組むから!」
「いやあの、さすがに死ぬ気でやってもらわなきゃいけないほど深刻な事案はないですよ、今のところ」
「お前に休暇を与えることこそ、俺が死ぬ気でやらなきゃいけない事案なんだ!」
コーナスお兄様の指が首筋の包帯を撫でた。
「………わかりました。西部の方で現地調査が必要そうな案件があるのですが、あの地域はコーナスお兄様の方が顔がきくでしょうし。それ以外の仕事はアスターお兄様の王太子としての実力披露もかねて丸投げしちゃいましょう」
ここで私がゴネたところで、話が長引くだけだ。そう察して、私はコーナスお兄様の提案を受け入れた。これまで私も仕事を回されてきたのだからお返ししてもらってもいいだろう。
もし竜胆国や紅蓮国からの緊急の連絡があるようなら、龍脈を扱える人材に急いで知らせてもらえるようお願いだけしておく。
コーナスお兄様が鬼気迫る形相でダリア達に旅支度を命じたものだから、彼が去った後、彼女たちは準備のために慌ただしく執務室を出て行った。傍に残っているのはエニスだけだ。
静かになった部屋の中、私は肺の中をからっぽにする勢いでため息をついた。
………いや、私、王子様として求婚しに来いってニュアンスのことしか言ってないよね?あの人何しようとしてる?
「……エニス、私なにか、伝え方間違ったかな?」
あの場で私とアルのやり取りを唯一聞いて居たはずの彼女に、思わずそう問いかけた。
「王女様が間違っているのは伝え方ではなく男選びでしてよ」
「そこはもう諦めてちょうだい。私も何年か前に諦めたのよ」
「そこは最後まで諦めてはいけないところだったと思いますわ……」
そんなこと言われてももうどうしようもない。
ああ……二年待つって言ったのに、なんかすごいスピードで動きだされてる気がする。その性急さ、もっと早くに発揮してほしかった。
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