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護衛が王女(わたし)の命を狙う暗殺者なんですが  作者: 遠山京
第三章 水底の睡蓮

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6 あの日垣間見た幻想

それは去年の夏前だったか。竜胆国に東大陸の国々からちょっかいが出されるようになり、その解決のためにアルベルトはイベリスと共に海を渡った。当初グラジオラス国王はイベリスを使者として向かわせることに難色を示していたが、アルベルトが海底の龍脈に干渉して操舵すれば往復で二か月もかからないし、大海に住まう海龍との遭遇も避けて見せると告げると、しぶしぶ許可が出たのだ。


「モーターがついてない船とは思えないスピードだわ。アルってやっぱりすごいわね」


潮風に髪をなびかせながら、イベリスは感心していた。出航した日は幸い天気にも恵まれ、遠くまで晴れ渡る青い空、そしてその色を写し取ったかのように青い海が一面に広がっていた。そんな色彩の中にイベリスのピンクブロンドと赤い瞳はとても映えて、まるで女神が舞い降りたかのように幻想的で美しかった。


「……綺麗ですね」

「本当ね。天気が良くて良かったわ」


アルベルトの言葉を景色に対してだと取り違えて、イベリスは同意する。屈託のない笑顔にアルベルトもつられて笑った。


「東大陸には海からとれる宝石が多くあると聞きます。白やピンク、赤のものが多いとか」

「え、ああ……真珠とか珊瑚のことね」

「ええ。イベリスに似合いそうです。あなたに合いそうなものがあれば手に入れましょう」

「え……あ、アルが私にくれるってこと?」

「はい」


そう言っただけで、イベリスは頬を染め、口元を緩めながらソワソワとし始める。これまでも誕生日の度に竜胆国王子の名義で贈り物はしているはずだ。何をそんなに浮足立っているのかと不思議に思ったが、イベリスの機嫌が大変よくなったので気にするのをやめた。


「アルベルト、大好きよ」


その日の夜、珍しくイベリスに手を引かれて、イベリスの部屋へと連れていかれ、二人きりになったかと思えばそんなことを言って自分からキスをしてきたりもした。


「……いいんですか?こんなことをしたら僕も歯止めがききませんよ?狭い船内では誰かに気付かれる危険が高いから手を出すな、と厳命してきたのはイベリスの方でしょう?」


しっかり腰を抱き寄せて逃がさない体制をとりつつも、一応アルベルトはそう聞いた。まぁ、ここで待ったをかけられても、もう辞める気はさらさら無いのだが。しかし待ったをかけるどころか、イベリスは顔を真っ赤にしながらも無言で再び唇を重ねてきたのだ。


「……悪いお姫様ですね」


唇をたっぷり味わった後、耳元にそう囁けば、イベリスは甘い吐息を漏らした。


「け、結界……張っておいて」

「それは難しい相談ですね。僕は今、操船に力を割いてますから」

「そっ……んんっ」

「頑張って自分で声を抑えてくださいね」

「ぜ、絶対できるくせにっ……あっ」

「買いかぶりすぎです。ほら、聞こえちゃいますよ。我慢してください」


素直さの足りないお誘いではあったが、ご馳走を差し出されて食べない理由がない。貪るようにいただいた。おかげでアルベルト自身も機嫌よく船を操ることができたのだ。


イベリスが態度を変えた理由に気付いたのは、東大陸についた後だった。東大陸では求婚する際に、海を由来とする宝石を贈る文化があることを、すっかり忘れていた。

当然それらは高級品であり、西大陸ではあまり産出されないらしいので、現在の竜胆国でもほぼ廃れている文化だそうだが、さすがに将軍の一族ともなればその名残がある。なんとか入手できないかと相談されたことがあったので、イベリスもアルベルトも既知の情報だった。

なるほど、イベリスが何を考えたのかは分かった。


「断っておきますが、真珠や珊瑚を贈るのはプロポーズのつもりではありませんからね」


そう告げた時、イベリスは口をポカンと開けて凍り付いた。何を言っているのか分からないとでも言うような表情だ。随分前、王子として迎えに来ることは発想になかったと告げた時にも、こんな顔をしていた気がする。

凍っていた表情がゆるゆると震えながら解けていき、瞳が潤みだす。三週間ほどの航海の間、ずっと浮かれさせていたのは悪かった。わざと泳がせていたわけではない。さすがにそれは趣味が悪いとアルベルトでも思う。だから気付いた日の夜に、すぐさまこうして告げたのだ。

しかし過去最高に浮かび上がっていたイベリスの気分が、この一言で真っ逆さまに急降下したことは想像に難くない。


「なんっでなの!?」


その時のイベリスの癇癪は、それはもう過去一番だった。さすがに周りが驚くと思ったので、いかがわしい事を抜きにわざわざ結界を張ったほどだ。


「ほんっと無神経!私がどれだけ肩身狭い思いしてるかも、寂しい思いしてるかも分かってない!傍にいてくれたって寂しいって気持ちはあるんだから!いっつもいっつも!私ばっかり結婚したいって言うのが、どんなに惨めだと思ってるのよ!」


涙をボロボロ零しながら、ありとあらゆる不平不満をぶつけられたが、さすがに自分に非がある自覚はあったのでイベリスの気が済むまで聞くつもりでいた。しかし。


「アルは……本当は私の事なんか好きじゃないんでしょ!?遊んでるだけならそう言ってよ!」


この言葉は聞き捨てならなかった。一体自分はどんな表情をしていたのか、アルベルト自身にはわからない。しかし空気が変わったことに気付いたイベリスはアルベルトに枕を叩きつけていた腕をゆっくり下ろし、涙を浮かべた目を丸く見開きながら青ざめた。


「遊んでいる、ですか。好きでもない相手と遊ぶために、東大陸までやって来ていると。なるほど、ずいぶん酔狂な人間だと思われているんですね」

「ご、ごめ……いや、でもアルだって……」


口ごもった後、イベリスは意を決したようにアルベルトを睨んだ。


「今回ばっかりは、私謝らないから!」


いつもは折れるはずのイベリスが折れなかった。しかもその後、紅蓮国の皇子がイベリスに求婚したことで完全にこじれた。

その結果アルベルトがとった行動はといえば、国盗りである。紅蓮国の皇子からの求婚など、そう簡単に断れるわけもない。ましてや向こうはグラジオラス王国への婿入りを了承してきたのだ。和睦としてこの上ない成果になってしまう。以前、アルベルトが仕掛けたのと同じことだ。

だから、その国を支配下に置くことにした。そして所有者をイベリスとした。イベリス自身が宗主ならば、国王の判断を仰がずともその場で拒否が可能になる。


東大陸はアルベルトにとってこの上なく肌に合う土地だった。西大陸より東大陸は龍脈が濃いと聞いてはいたが、これほど違うのかと驚いたほどだ。大気に龍脈からあふれた龍の気が漂い、これまで感じていた制約が一切消えた。針に糸を通す繊細さが求められていたものが、指輪に糸を通すくらいの簡便さになったようなものだ。この恵まれた地にあぐらをかいていた人間にとっては、アルベルトの気の扱い方は人外と評するに値するものだったらしい。それなりに期間は必要だったが、あっさり陥落した。


「遊びで国を贈る人間なんていないでしょう?僕の愛を信じてくれました?」


そう笑顔で言う男を見るイベリスの目は、未知の生物に対するそれだった。実際のところイベリスにとっては意味不明すぎて恐怖すら覚えていたわけだが、しかしあまりの衝撃に、わだかまりが有耶無耶になったのも事実だった。


強引にイベリスに紅蓮国を与えたアルベルトだったが、彼女が宗主としてうまくやれると思っていたかと言われれば、答えは否だ。外交を中心に公務をこなすようになって日が経ったとはいえ、政に積極的に関わってきたわけではないし、そのような教育を受けていたわけでもない。しかしイベリスは毅然とした態度を貫き、言葉を尽くして紅蓮国の使者から信を得て、次第に宗主として認められてきている。

イベリスにあの国を贈ると決めた時、アルベルトの脳裏におぼろげによぎった光景とは、真逆だった。


きっとイベリスは、そのうち自分に泣きつくだろうと思ったのだ。龍脈への感度がゼロに等しい体質は、東大陸では侮られる。皇子の求婚にしたって、周囲の者は否定的だったのだ。使者ともまともに交渉できないのではないかと思っていた。

もしそうなったなら、間に入るのはアルベルトだ。東大陸では言いようのない万能感があった。何かあっても力技でどうとでも解決できるという自信ができた。そういう仕事なら、できるかもしれない。

ほんの少し、イベリスの夫として立つ姿が見えたような、そんな気がしたのだ。護衛以外の存在として、彼女の隣に立つビジョンが、微かだけれど確かに。

しかしそれをずっと待ち望んでいたはずのイベリス本人が、そうとは知らずあっさりかき消してくれたわけなのだが。





用を足しに行った帰り。川べりを歩いていたイベリスは、アルベルトの姿を認めた途端慌てたようにポケットをまさぐった。


「きゃっ、アルベルト!ご、ごめんなさい。すぐに目隠しを……」


しかし一瞬視界に入った鮮烈な色に違和感を覚えて、再び視線をアルベルトに戻し、顔を青くした。


「そのっ……その怪我は、どうしたのです!?」


止血に使用した布は生成りで、黒いアルベルトの服の中では浮くし、滲んだ血の色がはっきり分かる。すぐに気付かれるのも当然だった。こんな面倒な反応をされるのであれば隠すべきだったかと、アルベルトは眉を顰める。


「……何でもありません」


今にも転びそうな危うい足取りで駆けよってくるイベリスの様子には、アルベルトの怪我に対する動揺しか見て取れない。どうやらこちらに使者が来ていたということはなさそうだ。その事実に胸をなでおろすと同時に、変化のないイベリスの様子にアルベルトの眉間に力が入る。

オロオロしながらまとわりつくイベリスから視線を外し、重い足取りで河原を歩く。ジャリジャリと大きな音が頭に響き、傷むのが足ではなく頭であることに気付いた。


小屋の中に唯一ある一脚の椅子。テーブルと同じくコリーが作った粗末なそれに、アルベルトは珍しく荒っぽく腰かけた。酷い疲労感に襲われていた。先ほど逃げて行った男が嫌がらせのように龍脈に障害を仕掛けていったせいだろうか。いや、あの程度は師匠にもよくされた。ここへ戻るのにかかった時間にもそれほど影響はない。

怪我をしているとはいっても、アルベルトからすれば軽傷だ。このまま放っておいても三日もあれば完治するだろう。

ならば、なぜ……


「アルベルト、怪我を見せてください」


後を追って小屋に入って来たイベリスが、アルベルトの足元へ屈みこむ。しかし血が滲んだ布へと手を伸ばす白い指は容赦なく払いのけられた。


「触るな」


額を押さえながらぐしゃりと前髪を握り締め、アルベルトは歯噛みする。頭痛が酷い。毒でも盛られただろうか。いや、あの攻撃は純粋に魔力で生み出された岩だった。毒はないはずだ。なのに、頭が割れそうに痛い。

自然と下に落ちていた視線の端に、痛ましげな表情をしたイベリスが映る。唇をギュッと噛んだ後、ため息を吐き出すように、彼女は言った。


「……わたくしの中の、あなたのイベリスがそうしたいと願っていても?」

「………」


少しそらしていた視線を、彼女に戻した。アルベルトのイベリス。それはずっと、求めてやまない存在だ。鼓動に合わせてズキズキと痛む頭の奥。霞む視界の中に映る美女は、どう見てもその人に間違いないのに。


「あなたのイベリスは、消えたわけではありません。とても小さくなっているだけ」


なら、さっさと戻せ。そう口にしたかったのだが、一際強い痛みとともに、アルベルトの意識はそこで途絶えた。きちんと口にできたかはわからない。最後に見えたのは、潤んだ緋色の瞳だけだ。

ご覧いただき有難うございます。

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