1 不安の種
こちらの章は本来であれば最終章にあたるであろうお話なのですが、次にイベリスたちの話を書くことがあればこれを書こうと決めていましたので、いろいろ飛ばして書いてしまいました。
それでも分かるような内容にしているつもりです。
これまでの章に比べて短いお話になるかと思われます。
窓の外で鳥のさえずりが聞こえる。春になると姿を見せる瑠璃色の小鳥だ。王城の三階にあるこの部屋の近くに鳥が止まれるような木は無いのだが、その鳴き声は鮮明に聞こえた。温かくなってきて窓を開けているせいだろう。春だな、なんて少しだけ頬が緩む。前世では見たこともなかったその鳥の姿を季節の変化として当たり前に受け入れられるほど、私はすっかりこの世界に慣れた。
「イベリス王女様。紅蓮国の定期報告書が届いています」
「そこに置いておいて。今日中に目を通すわ」
「招待状の目録を作成いたしました。伯爵位以上の招待状はこちらに。いつも通り、それ以外のものもご覧になりますよね?」
「そうね。子爵や男爵との交流も大切にしたいのよ。良さそうなものには参加したいわ」
「相変わらずイベリス姫は働き者でいらっしゃる」
書記官と話す私を見ながら、壁際に控える少年は感心したようにそう言った。柔らかく跳ねる黒髪に、翡翠のような緑の瞳。人形のように整った容姿の少年は、もうじき青年になろうかという年齢に差し掛かっている。彼の名はアルベルト。元暗殺者で現在は私の護衛、そして恋人だ。
彼と出会ってからもうじき五年が経つ。少年の振りをしていても、実際のアルは私より年上。今の彼の姿は幻影だ。本体は誰にも見つからないところに隠れて私の護衛をしている。なぜかと言えば彼が私の護衛としてこの城にもぐりこんできた時、魔法で姿を変えて十歳児としてやって来たからで、さらにいえばその十歳児の姿にしか変身できないという制約つきだったのだ。
しかしそれでは長年私の傍に控えられない。そんなわけで魔法とは違う技術、龍脈の力を使って幻影を生み出すことに成功した。徐々に年齢を重ね、さらに人に触れられても問題ないレベルまでその技術を昇華させ、あと一年もすれば本体が傍に侍られるだろうと彼は嬉しそうに語っていた。しかしながら私は言いたい。
いい加減、護衛をやめて本当の姿で求婚しに来いと。何で明後日の方向に努力してんだと。
アルは過去に私の政略結婚を止めるため、隣国の王子という肩書をもぎとってきた。もちろん本来の姿でだ。しかし、その肩書で私に求婚するわけでもなく、今も仮の姿で護衛として身を潜めている。なんでやねん。
「王女様がお忙しいことを分かっているのなら、黙ってらっしゃいな」
私を守ってくれる護衛はアルベルトだけではない。アルに対して冷ややかな視線を向けてそう言ったのは金髪の美女だ。緑の切れ長の目を持つキツめの美人。エニスは私のもう一人の護衛である。
「イベリス姫、そろそろ休憩されてはいかがです?」
アルはエニスの声など聞こえていないかのように目もくれず、私に微笑みかけた。
「無視ですの!?」
噛みつくようにエニスが食って掛かるけれど、アルは視線すら向けない。
見ての通り、この二人は仲が悪い。エニスが私の元へやって来たのは三年ほど前だ。実を言うと彼女、もともとはアルを追いかけてやって来た。
掃除屋の異名を持つアルベルトは暗殺者の業界でも有名な凄腕。容姿はあまり知られていなかったようだけど、彼女はそのアルの容姿も知っている数少ない暗殺者の一人で、ずっと憧れていたそうだ。彼を暗殺業界に連れ戻そうと接触してきたのだけれど、何がどうしてこうなったのか彼女まで暗殺業から足を洗い、私の護衛権をめぐってアルと対立するようになってしまった。アルベルトを見てとろけた表情をしていたエニスはどこに行ってしまったのだろうか。
いかんせん護衛のアルベルト少年も、当時は十二歳になっていたわけで、王女の褥を守らせるのはそろそろまずいのではと問題視されていた。そんな王宮側の常識的な後押しもあって、夜の護衛はすっかりエニスの仕事だ。当然ながらアルはそれが気に入らないので、彼女への対応は塩っからい。
「暖かくなってきたせいで虫がうるさいですね」
「誰が虫ですって!?」
「あのねぇ……」
「いい加減になさい、二人とも」
私が叱るより先に涼やかな声が響き、二人を黙らせる。柔らかな銀色の髪を結いあげ、すっかり大人びた装いのダリア。彼女が私の侍女として勤めるようになってから、かれこれ五年近くになる。あどけない十二歳の少女だった彼女も今や十七歳。成人間近の年齢だ。メイド五名と護衛二名をまとめあげる立派な侍女頭として働いてくれている。
以前はマーヤという女性が私の侍女頭だったのだけれど、ある日決定的に腰を痛めたのをきっかけに田舎に引っ込んでしまった。これまで苦労を掛けたので精いっぱいの退職金を持たせたものだ。
ダリアはこのメンバーの中で実は一番若いけれど、一番のしっかり者。アルとエニスも彼女には一目置いているようで、彼女の指示を無下にはしない。いつも場を治めてくれるので大変助かっている。
黙った二人から視線をそらし、ダリアはオレンジの瞳を私に向けて微笑んだ。
「イベリス王女様、お茶会の時間が迫っておりますので、一度お手を止めてくださいませ。お着換えなさいませんと」
「あら、もうそんな時間?分かったわ」
五年前……前世の記憶を取り戻したばかりのころとは比べ物にならないほど忙しい。私の立場がすっかり変わってしまったせいだ。ほとんど部屋に引きこもっていた、影の薄い第二王女イベリス。前世を思い出してからの私はアルとの出会いをきっかけにあらゆる事件に巻き込まれ、すっかり存在感の強い王女に変貌していた。
社交界にも頻繁に顔を出しているし、他国との渉外担当としての業務もこなしている。特に北隣にある竜胆国や東大陸の国々を相手にする場には、必ず私が前面に出される。国の為になっているという実感はあるしやりがいもあるけれど、正直もうちょっとのんびり暮らしたい。
「本日のドレスは春らしく柔らかいイエローを基調としたものでいかがでしょうか?」
「いいわね。それでお願い」
手慣れた様子でダリアがドレスを選び、彼女に指示に従ってメイドが私に着付けをしていく。アルはその間、部屋の外に出されている。まぁ、あくまで幻影が追い出されているのであって、本人は相変わらず姿を消して近くにいると思われるのだけれど。
「はぁ……」
「イベリス王女様、眉間にしわが」
「ああ、ごめんなさい……この後のお茶会が憂鬱で」
「……ご家族だからこそ厳しいお言葉をかけられることもありますでしょう。お気を強くお持ちくださいませ」
「そうね……有難うダリア」
ぐっと背筋を伸ばし、深く息を吐いた。
「……よし、行くわ。アル」
「はい」
呼びかければすぐにアルが部屋へ戻ってきて、私に手を差し伸べた。身長が伸びて釣り合いが取れるようになったここ一年ほどは、基本的に彼がエスコートをしてくれている。幻影とはいえ私のエスコートを自分でできるようになったアルはご機嫌だ。私も嬉しい。……周りの雑音を気にしなければ、だけど。
「あら、イベリス」
お茶会の会場として指定されていた場所の棟に差し掛かった時、騎士にエスコートされた金髪の美女と鉢合わせた。たれ目に泣きぼくろ、厚い唇。女の私から見ても色っぽいと感じる。けれどその柳眉は私の隣の人物を見るなり顰められた。
「いやだ……まだ傭兵の男を侍らせているの?」
「……お姉様、その言い方はおやめください。彼は私の護衛です」
「素性の知れない、騎士でもない男を連れていること自体が問題だと言っているのよ」
ああ、また始まってしまった。さっさと逃れたくとも向かう先は一緒。姉のリナリアは、私が前世の記憶を取り戻すより前に他国の王子の元へ嫁いでいった。けれど年に二回ほど夫婦そろってこの国を訪れる。今回の滞在もそうだ。相手は姉であり、友好国の王家に属する貴賓中の貴賓。置いていくわけにもいかず、歩くペースを合わせることになってしまう。
「結局わたくしは竜胆国の王子とやらにお会いしたことはないけれど、その護衛とうり二つだと言うではないの。王子の兄弟だという噂がわたくしの耳にまで届いていてよ。かの国からの密偵かもしれないわ」
「もし王子の兄弟だとしたら、このアルベルトもやんごとない血筋の人間だということになりますね。素性が明らかになって良かったですわ」
「馬鹿おっしゃい。何一つ明らかになどなっていないでしょう。竜胆国が血筋を軽んじる文化だということは、わたくしも知っていてよ。ましてや国の長であるショーグンよりも立場が上の王子という訳の分からない肩書を持っている男など、傭兵以上に得体が知れないわ」
「それはそう」
「何ですって?」
「いいえ何も」
うっかり同意してしまった。
「なんだ、始める前から盛り上がっているな」
そうこうしているうちに到着したようだ。部屋の入口まで私達を迎えに来てくれたのは、銀色のくせ毛を撫でつけた優男。この国の王太子であるアスターだ。たれ目で柔和な雰囲気を持っているけれど、まぁ外見と性格が一致するとは限らないことなんてまぁよくあることだ。笑顔で陰湿なことをしてくるので、世のご令嬢には引っ掛かっちゃダメな男として紹介したい。ダメ男博物館とかあったらロビーに飾っておくべき対象だ。
テーブルに座ったままニヤニヤとこちらを見ている、がっしりした体躯の金髪の男は第二王子のコーナス。勝気な目元に軽薄そうな笑み。こっちは外見と性格が一致しているタイプである。意地悪なチャラ男の見本として、こちらもダメ男博物館に飾りたい。
ちなみにその博物館のどこかの一室には、おそらく私の恋人も飾られるだろう。誠に遺憾である。
「アスターお兄様、コーナスお兄様、ご無沙汰しております」
私とリナリアの挨拶が重なった。アスターは笑顔で席へと促す。
「いつも通り堅苦しいのは抜きにしよう。せっかく兄弟だけで集まっているのだから」
このお茶会は、王太子である長兄が主催し、次男、長女、私の四人で囲む兄弟水入らずの場である。こう聞くと和やかなように思えるけれど、はっきり言って私は兄姉が苦手だ。そもそも子供のころからそんなに仲が良かったわけでもない。前世における一般家庭のように、兄弟一緒に遊ぶとか食卓を囲むなんてことは無かった。私の暗殺騒動があっても心配の言葉一つかけられたことがないくらいだ。
私がまともに公務を行うようになって、ここ数年急に誘われるようになったお茶会なのだ。それまでは相手にもされていなかった。
「我々にはこうして家族だけで過ごせる時間というものは貴重だ。今年も無事に四人で集まれてうれしいよ」
メイドが淹れてくれたお茶を口にして、私達にも勧めながらアスター笑みを見せる。一見すると優しい兄である。
「王族として生まれた以上仕方ないが、どうもかたっ苦しいことが多いからなぁ。俺も羽を伸ばせるのはこの茶会くらいだ」
「コーナスは今年に入って第二妃を迎えたばかりだしな。気を遣うことも多いだろう」
「ま、他国へ嫁いだリナリスよりは自国に留まれてる分、俺はマシさ」
「まぁ……お気遣いありがとうございます。女と殿方では課される責も異なりますもの。一概に比べられるものではございませんが……わたくしもやはり夫の前では妻として恥ずかしくないよう振る舞っておりますし、異なる文化に今でも戸惑うことはございますわね」
「大変なのは皆同じだな……おっと、イベリスは違ったか」
三人が困ったような笑みでこちらへ視線を向けてくる。下がった眉が白々しい。リナリスがこの国へやってくるたびに開かれるお茶会だけれど、実のところ私をいびって憂さ晴らしをしているだけ。……なんとも不毛な時間である。
口につけていたカップを放し、私はにこりと微笑んだ。
「ええ、おかげさまで。私はルアー王子の前で堅苦しいとか気を遣って大変だなんて感じたことはありません。ありのままを見せられない相手と結婚すると大変なのですね。勉強になりますわ」
まぁ、実際は命の危険という意味で気を遣うことは多々あったんだけど、最近はそうでもない。ありのままを愛してもらえるというのは実に幸せな事なんだとしみじみ思う。
さて、耳が痛いほどの静寂が落ちてしまったこの部屋に、いつまでもいる意味ってあるのかな?
今までは面倒なので黙って嫌味を受け入れていたけれど、今の私は機嫌が悪い。このところ本当に忙しいのだ。兄姉の憂さ晴らしなんかのために時間を使うのが心底惜しいほどに。
「………」
唖然としている兄姉を横目にぐいっとカップの中身を飲み干して、私は席を立った。
「残念ながら私はお兄様たちの話題には入れないみたい。仲間外れの私がいてはお話も弾まないでしょうから、これで失礼いたしますね」
フリーズが解けてしまう前にさっさと部屋を出る。後からついてくるアルの気配を確認して、小さく口を開いた。
「アル」
「殺しますか?」
「殺しちゃダメよって言おうとしたところなのよ」
「ですが、毎度毎度飽きもせず同じことを繰り返す人間ですよ?なんの生産性もありませんし、殺したところで誰も困らないと思いませんか?」
「私が困るわ」
「イベリスがなぜ困るんです?」
「お兄様が亡くなったら私が王太子になってしまうのよ」
「ああ、それは困りますね」
そもそも人を殺すのはいけないことなのだという根本の倫理観をこの男に説くことは、とっくに諦めている。損得で話をした方が早い。
「それなら次男と長女はいりませんね?」
だけどこういう返しが来てしまうのが困りもの。
「長男に万が一のことがあった時の為に次男は必要なのよ」
「それなら長女はいいでしょう?いつもいつも僕との関係に難癖をつけてきて不愉快なんですよね、あの女。僕とイベリスが恋人であることで何か不利益があったわけでもないでしょうに」
まぁそれはそうなんだけど。
「隣国との関係に影響が出て私の仕事が増えるかもしれないわ」
「そこは隣国に僕が説明をしに行ってあげますよ」
流血沙汰を説明と呼ぶ男を派遣などできるわけがない。こめかみに手を当てて私は首を振った。
「……アル」
「はい?」
「私、家族を殺されたくないの。面倒な性格をしていても血のつながった兄姉なのよ」
「それなら仕方がありませんね」
なぜだかこういう情に訴える言い分は通るのだから謎である。そして『イベリスは優しいですね』となんだか嬉しそうにするのだ。本当にこの男の感性は何年経っても分からない。そんな男を好きになってしまった自分のことはもっと分からない。
「予定より早く仕事に戻れそうだわ」
「予定より早いなら、少しだけ僕に時間をくれませんか?」
私の肩を、すっかり大きくなった手が包み込む。鎖骨の線をなぞる様にをアルの指がなぞるように動いて、それだけでピクリと体が反応してしまうのがつらい。
「……本当に、忙しいんだけど」
「そんなことはよーく知ってます。でも、ずいぶんご無沙汰でしょう?」
「あのね」
近くの部屋の扉に差し掛かった瞬間、肩を抱いていた手が消えた。いや、手だけじゃない。アル自身が消えた。それと同時に、扉の向こうから伸びてきた腕が私を抱きすくめる。青年と少年の境目じゃない。大人の男性……本物のアルだ。
「ちょ」
あっという間に部屋の中へと引きずり込まれた。抗議の声をあげる余裕などない。すぐに唇を塞がれてしまったからだ。声を発しようとすれば都合がいいとばかりに熱い舌が侵入してきた。
「んんぅ」
喉で抗議をしてみるけれど、背中を大きな手がゆっくりと撫でただけで体中に熱が走り、力が抜けて縋り付いてしまう。
「……ろくに抵抗しませんね?」
「なっ」
挑発的な言葉に反射的に言い返そうとした口は、耳を優しく食まれて言葉にならない声を上げた。
「どこぞの女が貴女のベッドルームに居座っているせいで、しばらく満たしてあげられてませんでしたからね」
やれやれ、と言いたげな気だるい物言いをしながらも、その手は驚くほどの手際の良さで私のドレスを脱がしていく。
「ま、待ってっ。ていうかこの部屋どこ……」
ソファやテーブルにコートラック、最低限の家具が置かれたような場所だ。埃っぽくは無いけれど、それはつまり人が来る可能性があるから整えられている部屋だということで。
「来客用の待合室です。この棟は今あなたの姉夫婦のために開放されていますので、ご夫妻に来客があればこちらを使うことになるかと」
「えっ」
「来客予定がないといいですね?」
「は?え!?まずいでしょ、そんなところで!」
「でももう我慢できないでしょう?それともこの状態で部屋に戻って、仕事に集中できますか?まぁ、ここをこんな風にしたまま、澄まし顔で仕事をする姿を僕に見てほしいと言うのであれば、吝かではありませんが」
ソファにクッションが置かれていないことが実に惜しい。まあ、どうせ当たらないんだけど。仕方が無いので胸元に仕込んであった金貨を額にぐいっと押し付けてやった。額に金貨跡が残ればいい。アルのばーか!
◇
「紅蓮国の使者にはこちらの書状を持たせてくれる?」
「承知いたしました」
お茶会の終了予定時刻より少し遅く戻ってきた私を、ダリアは困ったような笑みで迎えてくれた。こういう時、さりげなくドレスの裾を直してくれたりもする。時々、なんかもう全部気付かれているのではないかと思うんだけど、何も言ってこない。こうして平然と仕事の続きをしてくれる。
……いや、本当にダリアには頭が上がらない。
彼女は辺境伯家の令嬢だ。竜胆国との交易の要衝地を治める彼女の家の発言権は年々高まっており、当然ながら縁談も山ほど舞い込んでいる。しかし未だに婚約者すらいない。
というのも、「イベリス王女様のご結婚を見届けるのが先です」と言っているのだ。私のせいで、いや、アルのせいでダリアが婚期を逃してしまう。私の焦りの一端はここにある。
なお、紅蓮国というのは東大陸に位置する大国である。この五年の間に東大陸とは交流……というかひと悶着起きた。その結果、東大陸で一番大きな国である紅蓮国が、私の属国となったのだ。我が国の、ではない。私の、である。一国が個人の属国になるとか意味が分からない。
私は王様になったわけではない。王様は別にいる。私は宗主になったのだ。『国王になるとその国に滞在する必要が出てきますし、何かと煩わしいかと思いまして』とは、この事態を引き起こした男の弁である。配慮が斜め上。彼としては愛を示すプレゼントのつもりだったそうだ。いつまで経っても結婚に踏み切ってくれない彼に対して私が癇癪を起した結果がこれである。迂闊に痴話げんかもできやしない。喧嘩するたび、ご機嫌取りに国を一つずつ贈られては堪らない。意図せずして世界征服しちゃいそうで怖すぎる。
これも自分の蒔いた種ということで、宗主としてそれなりの仕事はこなしている。彼からの贈り物は結果的に私の仕事を増やしてくれた。お礼は言っていない。当たり前だ。
◆
「先に言っておくんだけどね」
「はい?」
夜。
アルベルトはイベリスの寝室にいた。寝室で本来イベリスを守るべきエニスはというと、昏倒させられてソファに寝かされている。周囲の目もあるので寝室の護衛を譲ってはいるし、普段はそれに従っているのだが、アルベルトは基本的にやりたいようにする主義だ。どうしてもイベリスを抱きたいと思えばエニスをその場から排除することに一切抵抗がない。
そして最初こそ説教をしていたイベリスも、エニスに後遺症が残らないように配慮するならばということで、もはや異論を唱えない。いや、おそらくイベリス自身も二人の時間を欲しているのだろうということは、アルベルトも、そしてエニスも理解しているのだが。しかしながらエニスの不満はアルベルトに対して溜まっていく一方で、関係は悪化の一途を辿る。
そして昼間のじゃれあいだけでは発散しきれなかったはずの熱を再び手繰ろうとしていたアルベルト。その手を制して、イベリスは改まったように向き直り、口を開いたのだ。
「国とか人とか変なプレゼントはいらないから。愛の証とか必要ないから」
「突然なんの拒絶ですか」
「……アルってさ、私の事愛してくれてるのよね?」
アルベルトの青い瞳がパチパチと瞬く。珍しく思考が停止した。
「……おかしいですね。伝わってないんですか。分かりました。もう嫌だと言うまで伝えましょう」
「もう嫌だって言いだしたらたぶん伝わってないわよそれ!」
ネグリジェに滑り込んでくる手のひらをペチンと叩いてイベリスは憤る。
「そういう肉体的なことばっかりじゃなくて!」
「愛してます。イベリス」
「うっ……」
サファイアを思わせる透き通った青が眼前に広がる。そんな至近距離でまっすぐ見つめられながら愛を囁かれてしまえば、長い付き合いとはいえやっぱりまだ動揺してしまうのがイベリスだった。
「そ、そういうことじゃないの!結婚の話よ!」
「………ああ、結婚」
「ああ、結婚……じゃないでしょ!」
「実質、僕とイベリスは婚約状態でしょう?いまだに縁談でも?」
イベリスはとっさに首を振った。いや、実のところ縁談が全くないわけではない。アルベルトの手前あからさまな話はないのだが、父王からそれとなく打診が来たことはある。しかしそれをアルベルトの耳に入れれば見合い相手、なんなら打診してきた父王自身の命まで危ぶまれるので秘密を守っているのだ。本当にバレていないかは怪しいが、今のところ縁談相手の訃報は聞いていない。
「そうじゃないけどっ!実質婚約状態ってあくまで実質ってだけで何の保証もないのよ!周りの目が痛いのよぉ!白馬に乗って迎えに来いとか、ロマンチックなシチュエーションで跪いて甘い言葉と共に婚約指輪差し出せなんて贅沢は言わないわ!手紙で簡略的な申し込みをしてくれるだけでもいいの!結婚の話をルアー王子に持ってきてほしいって言うのはそんなに難しいこと!?」
そうわめくイベリスは今日も愛らしい。アルベルトは彼女の癇癪を、穏やかな表情で見守った。
「なるほど」
「なるほどじゃないわよ!菩薩みたいな顔でスルーするのやめてくれないかしら!?あなたに言っているのよ?わかってる?」
「ボサツが何かは知りませんが、分かっていますよ」
分かっていると返したのに、イベリスはさらに肩を怒らせた。分かっていてほしいようだったから分かっていると言ったのに、それでますます怒るイベリスはまったくミステリアスである。もう慣れたものだが。
「分かってるならっ……」
しかしいつもならそこで益々ヒートアップするはずのイベリスのテンションが、見る間にしぼんでいった。弱々しくなる声を不思議に思って首をかしげると、俯いていた顔をあげてイベリスがしなを作る。
「そんなに私と結婚するの嫌なの?」
目じりに涙を浮かべて上目遣いでそう呟く可愛い恋人。その切実な訴えは本音だろうが、この表情と角度は打算的だ。アルベルトはその打算も嫌いではない。自分に何とかよく見られようとあれこれ画策する様は実に愛らしい。その誘いに乗って甘やかしてやりたくなるくらいには、アルベルトはイベリスの打算が好きだ。目じりに唇を寄せて頭を撫でれば、イベリスは甘えるようにアルベルトの胸へもたれかかってくる。
「可愛いですね、イベリス」
「……じゃあ」
「涙ながらに僕との結婚を切望されるのは悪い気はしません」
「本当!?」
「でもそれとこれとは別です」
「なーんーでーー!」
とっくに成人を迎えた王女が未だに正式な婚約者もいないというのは外聞が悪い。実質婚約状態とは言ったが、あくまで恋人関係が周知されているだけで婚約の手続きなど一切していないのだから。さらにはその恋人として認定されている王子がほとんど表に出てこないのも、醜聞のもとになっている。それは重々承知しているし、彼女自身が結婚というものに憧れを持っていることも分かっている。分かってはいても、どうしようもなかった。
今の関係以外に、彼女と生きていくイメージができない。ずっと暗殺者として生きてきて、今はその技術を生かして護衛になって。しかし竜胆国の王子と言う肩書を使って彼女と結婚をした場合、アルベルトの仕事はどういうものになるのだろうか。結婚と何度も口にする割に、イベリスは案外そのあたりを深く考えていないようにアルベルトには見えていた。
アルベルトには殺し以外大した技能はない。少なくとも彼自身はそう認識している。前世では多少工作を必要とする仕事をさせられていたこともあって、口は回るし企み事も嫌いではないが、今世においては私利私欲でしか発揮したことが無い。王族としての義務を課されて、公務にそれを生かせと言われたところで、自身の能力を十全に発揮できる気がしない。あらゆるしがらみに耐えられる自信もない。
結婚後もイベリスの護衛として仕事をさせてくれるならば考えても良いのだが、隣国の王子と言う肩書がそれを許さないだろう。
彼女と結婚するために必要な肩書と、自分が彼女の傍で生きていくのに必要な肩書が一致しない。アルベルトにとってそれが最大の問題だった。加えて……
「今でもこうして貴女を愛することはできるんですよね」
「ちょっと、まだ話のとちゅ……」
突き放そうとする手をすかさず掴み、細い手首をまとめあげて拘束する。そのままジッと見下ろせば、白い頬がサッと朱色にそまり、緋色の瞳が逃げ道を探すように視線をさまよわせる。イベリスには被虐趣味があると思う。そう口にしてやればますます顔を赤くするだろう。そして嵐のような反論が待っているだろうが、首筋をひと撫でするだけでそれは封じられるし、答えを知りたければその手を下へ滑らせればいい。
拘束したままの手首を指の腹で軽く撫でただけで、全身を震わせ甘い吐息を漏らすイベリス。その姿を見下ろしながら、青い瞳を笑みに歪ませる。
「イベリスがもう不安を感じなくていいように、何時間でも愛を伝えましょう」
いや、何時間もはガチで勘弁してほしい。そんなことを小声でイベリスがつぶやいた気がしたが、アルベルトは聞こえないふりをした。
◇
その違和感は、彼女が目を覚ました瞬間から始まった。
「目が覚めましたか?おはようございます」
「……おはよう」
アルベルトの声にワンテンポ遅れて返事をするイベリス。時々寝起きが悪い時にはこういうこともある。まだ眠り足りない時だ。昨夜……というより寝付いたのは今朝と言ってもいい時間なので、寝不足なのは間違いないだろう。加えて昨夜は上で頑張ってもらったので、肉体疲労もあるかもしれない。しかしそれだけでは済ませられない、言いようのない違和がそこにある。
「……貴様、王女様に無理をさせているのではないでしょうね?」
一時間ほど前に起こしてやったエニスがアルベルトを睨む。その問いには肩をすくめて返すにとどめた。無理をさせていないとはとても言えない。ただし、イベリスもその無理を望んでいると思っている。アルベルトに促されてではあるものの、求める言葉を最後まで口にしていたのだから。イベリスは本当に嫌ならもっとハッキリ拒絶する。そう知っているが故の無理なのだ。
しかし……ぼんやりとシーツを撫で、指で髪を梳いているイベリスは……なんだか……
「えっと、アル……そろそろダリアが来てしまうと思うの……」
イベリスが困ったように眉を下げてそう言う。いつもなら面倒にならないようさっさと姿を消すはずのアルベルトが、じっとイベリスを観察するように眺めたままだったせいだ。
「……そうですね。すみません」
軽く頭を下げて、その場を離れた。
ダリア達に着せ替えられ、身なりを整えたイベリスが執務室へと向かう。そこで待っていた幻影の護衛アルベルトと合流し、入れ替わりでエニスを昼まで休憩に向かわせる。イベリスはダリアや書記官と共に書類仕事をこなし、招待状に目を通し、最近面白い発明をしたという男爵家への訪問を検討する。
いつも通りの仕事風景を、アルベルトは姿を消したまま部屋の隅で見守る。幻影の護衛はいつものようににこやかに控えているが、実際のアルベルトからは表情が消えていた。
そして仕事を始めて二時間ほど経過したころ、イベリスは凝った体をほぐすように少し首を傾ける。
「ふう……」
「お疲れでしょう。少し休憩なさってはいかがです?」
ダリアにそう促され、イベリスは「そうね……」とつぶやいた。
「少し散歩をしてこようかしら。アル、一緒に来てくれる?」
幻影のアルベルトに、イベリスが微笑む。愛しい相手に向ける、甘い笑顔で。その表情を見た瞬間、疑惑は確信に至った。
「……喜んで」
幻影のアルベルトがイベリスの手をり、二人はそのまま部屋を出る。その他の供はつけない。アルベルト一人ついていれば護衛には十分足るし、イベリスは自分の身の回りの世話はある程度自分でできる。それよりは身軽な行動を好むので、あまり大勢連れ立つことはしない。いつものことだった。
しかし……この日ばかりは付いていくべきだったと、ダリアは後悔する。
ついていけば、何か声をかけられればあるいは……二人が姿を消すことは無かったのではないかと。
ご覧いただきありがとうございます。
5年の間にあったはずのお話もいずれ書くかもしれませんが、ひとまずはご想像にお任せということで。




