おまけ 辺境伯令嬢の初恋・中編
ダリアは頭を抱えたいのをこらえながら、イベリス王女の着替えを手伝っていた。
竜胆国の衣装を着付けるのはなかなか大変で、覚えたてのダリアにとっては集中力が必要だ。
しかしその集中を乱しかねないほどの羞恥心に襲われている。
昨夜届けられた魚の包み焼きが、イベリス王女の指示だったとも知らず、ダリアはアルベルトを褒めたたえてしまったのだ。
さらには真実を知った時、イベリス王女からの気遣いに喜ぶより先に明らかにがっかりした自分に愕然とした。
どうやらイベリス王女にも気付かれてしまっていたようで、ダリアはなんとか誤魔化すのに必死だった。
しかもその後、ルアー王子とアルベルトの関係を知らせてもらえたのが自分だけだと知ってあろうことか内心で喜んでしまったのだ。
知らせていないのはイベリス姫を煩わせたくないからとか、そういう理由であって、別にダリアが特別だからとは限らない。
いや、そもそも特別かそうでないかを考えるなんてどういうつもりなのかと自分を問い詰めたくて仕方がない。
アルベルトはただの同僚であり、今の自分は大事な任務の最中なのだ。
昨夜何度もその同僚の姿が脳裏をよぎっては、こうして自分に言い聞かせ、いつの間にか白み始めた空に誓ったはずだ。
イベリス王女の侍女として恥ずかしくない振る舞いをすると。
それなのにこの体たらく。
教わったばかりの着物の着付けの為に必死に手を動かしながら、ダリアは不甲斐ない自分を心の中で叱咤した。
◆
「お抹茶と言います。お口に合えばよろしいのですけれど」
「有難うございます」
後継者候補の中で唯一の女性である雪音からの招待を受けたダリアは緊張していた。
雪音は白い肌に黒い髪がよく映えるたおやかな美人で、同性であるダリアから見ても気後れするほどだ。
美しさで言えばイベリス王女もかなりのものだったが、その性格ゆえかとっつきやすい雰囲気だというのがダリアの第一印象だった。
ほどよく隙があるというのだろうか。
それに比べると雪音にそういう隙はなく、相対すると緊張感があるのだ。
もちろんダリアの不安はそれだけではない。
おそらくこの国で言うお茶は、ダリアが知っているものとは違うだろう。
この国の料理は口に合わないものが多いが、果たして大丈夫だろうか、粗相をしないだろうかと身構えていた。
案の定出てきた茶器もお茶の色も、グラジオラス王国では見たこともないものだ。
まるで草を水に溶いたかのような色の茶に、花のブローチか何かのような見た目の菓子。
残したりしたら失礼にあたるかもしれないと、ぐっと拳に力が入る。
「この器をこのように持って、口元へお運びください」
雪音に教わりながら茶を口に運ぶと、独特の香りと苦みが口の中に広がった。
けれど口当たりがまろやかで、思ったよりえぐみはない。
これならば紅茶のほうが渋くて飲みにくいこともあるくらいだとダリアは胸をなでおろす。
そして木の棒を削ったようなもので菓子を切り、突き刺して口まで運んでみた。
「あら、お口にあったようですわね」
一口ほおばった瞬間のダリアの顔を見て、雪音は微笑んだ。
その通りだ。
優しい甘みが口に広がり、ダリアは思わず頬を緩ませていた。
どんな料理を出されようと変わらぬ笑顔で口にすることが貴族の嗜み。
好き嫌いを把握されることは交渉においても不利になるのだ。
しかし、この国にもダリア好みの甘味があるという事実は嬉しい驚きで、緩む口元を抑えられない。
「とてもおいしいですわ。我が国のお菓子にはない甘さです」
「西大陸と東大陸では使用している甘味料が異なると聞きますから」
そんな会話をきっかけに話してみれば、雪音はダリアの想像より気さくな人物だった。
会話の端々からも自国を愛していることが伝わるし、その熱量はかなりのもの。
特権階級にある己のことだけでなく、民のことも考えている心優しい人だと感じる。
亡国の末裔であるダリアにも寄り添うような言葉をくれた。
グラジオラス王国をはじめ、西大陸では女性が国政を担うことはあまりない。
たいていは男性が国王として立つし、何らかの理由でトップに女性が据えられても、その実態は後ろで実務を担う別の男性がいたりする。
しかし後継者候補としてほかに男性もいる中で女性が候補の一人に上がっているのだから、きちんとその実力を買われてのことだろう。
もしこの人が次期将軍になれば良い関係を築いていけるのではと、ダリアが期待を抱くには十分だった。
互いの国について熱く語り合ってしばらく。
ふと、イベリス王女が会話に参加していないことに気づいた。
うっかり雪音とばかり話していたことを察して、ぴたりと言葉を止める。
すると、それを見計らったかのようにイベリス王女が口を開いた。
「雪音様は後継者候補のお一人ですが、我が国との外交はどのようにお考えですか?」
ストレートな問いかけだった。
しかしそれゆえに、ダリアも口を噤む。
まだ正式に国交を結べていない国の次期将軍候補。
わかっていたのに、少し距離を詰めすぎた。
雪音は自国への愛こそ語れど、今後我が国とどうなりたいかまで言及していないのだ。
その意思確認すらしないままグラジオラスの情報を渡し、親しくなりすぎるのはよくないと反省した。
チラリとダリアが視線を向けると、それに気づいたイベリス王女がわずかに微笑む。
己の油断を見透かされた気がして頬が染まった。
雪音は少し黙った後、小首を傾げて柔らかな笑みをイベリス王女に向けた。
「そうですわね……ねえ、イベリス王女殿下は母国のことを愛しておられる?」
その問いかけから始まったやり取りは、竜胆国への愛国心をむき出しにした雪音主導の展開だった。
イベリス王女がこの国を気に入っていると知って喜ぶ気持ちはわかるのだが、どうも雪音は竜胆国の話になると我を失っているように見える。
それ以外の話題の時との落差を感じて、ダリアは目を細めた。
「とにかく、私はこの国が末永く続くことを祈っております。その為には周囲の国との関わりは避けて通れないでしょう。我が国が侵略してこの地に住み着いたという史実は覆しようが無く、周辺諸国からの心証が悪いことは承知しております。その足掛かりとして王女殿下がお越しくださったことは、喜ばしい事だと考えておりますわ」
……なるほど。
ダリアは内心で頷いた。
雪音は自国の立場をそれなりに冷静に受け止めているらしい。
けれどその口ぶりは両国間の親交を深めて協力し合いたいと言うよりは、西大陸での地盤づくりにグラジオラス王国を利用したいと言っているようにも受け取れる。
考えすぎかもしれない。
けれど油断すれば足元をすくわれるかもしれない。
何せ相手は、将軍候補……この国のトップとなり得る人物なのだから。
流石イベリス王女様はこの場でも冷静だったと感心しながら、笑顔で相槌をうつイベリス王女を見つめた。
◆
竜胆国の料理でも、自分の口に合うものがある。
そう分かったばかりのダリアだったが、それが甘味以外にも当てはまるのだと知ってさらに感激することになった。
「おいしい……!」
ルアー王子が連れてきてくれた下町の食べ物屋さんで出された料理がそれだ。
塩牛丼というらしい料理は、少し塩気が強いけれどもシンプルな味付けで癖がなく、スプーンで掬って食べられる。
コメという白い穀物の食感や風味には少し慣れたので、これならば完食できそうだった。
「良かったわ」
そう言ってイベリス王女が微笑むのを受けて、ダリアも頬が緩む。
本当にこの王女様は優しく、ダリアに心を砕いてくれる。
この人の侍女になって正解だったと、改めて思った。
そんなやり取りを、ルアー王子は穏やかな笑みで眺めている。
その表情は何度見てもアルベルトによく似ていて、その面差しに未来のアルベルトを想起した。
今はまだ可愛らしいという印象があるけれど、きっととても素敵な美男子になるのだろう。
アルベルトが成人する7,8年後……自分はどうなっているだろうかと、その隣に立つ姿をダリアは夢想する。
ほう、と溜息を零すと、イベリス王女が何か言いたげな表情をしているのに気付いて首を振った。
ルアー王子に見とれるなんてとんでもないことだ。
イベリス王女に心配をかけたくないというのに。
急いでおかしな想像を振り払い、食事に集中する。
特にイベリス王女から何か指摘を受けることは無く、ダリアはひっそり胸を撫で下ろしていた。
食後に歩いた大通りには、食料や日用品を取り扱う店の他に美術品を扱う店もあった。
今後竜胆国との貿易が確立すれば、どの品も貴重な商品として我が国に入って来る。
スパティフィラム家はその中継地点にもなることだし、相場や品質についてよくよく調べておかねばならない。
交渉が本格化した時、情報の有無が勝負を分ける。
店主は気さくな人物で、ダリアの質問に快く答えてくれた。
美術品については東大陸との貿易で重要な商品だったらしいが、そのやり取りが縮小してしまってからは市場が衰え気味だという。
文化保持に理解のある将軍のおかげでなんとか繋いでいる状態なのだとか。
我が国との国交正常化はその助けにもなるだろう。
「ダリア嬢はもう少し時間がかかりそうですから、先に行きましょうか」
「え、でも……」
「護衛は置いていきますので大丈夫ですよ」
そんな声が聞こえて意識を引き戻した。
店主との話に夢中になっていて、またもイベリス王女たちのことを忘れてしまっていた。
話に夢中になると周囲への注意が疎かになるのはダリアの欠点だ。
自覚しているのだけれど、この通りなかなか気を付けるのは難しい。
とはいえ店主との会話を中断させるのも気がとがめた。
ようやく話が乗ってきて、深い話も聞き出せそうなのだ。
こういう情報収集を王女自らさせるわけにもいかないし、そうなるどグラジオラスの人間はダリア一人。
どうしてもダリアがすべき仕事になる。
ならばこのまま仕事を全うし、二人にはデートを楽しんでもらったほうが良いだろうと判断して、ダリアはイベリス王女の方を振り返った。
「イベリス王女様、私は大丈夫です」
食事をとることができたおかげか、落ち込んでいた気分も上向いている。
この国に来てからろくに役に立てていないのだから、下町での情報収集くらいは任せてほしい。
「それじゃあ……この通りをこのまま歩いてるわよ」
その言葉にうなずいて、また店主に質問を続ける。
「なるほど、漆器についてはこの町にも優れた職人が多くいるけれど、陶器については山間の町に直接出向いて仕入れた方が良い品が手に入りやすいと。磁器についても近年生産が増えているというのは興味深いですわね……」
とてもいい話が聞けた。
その日以降、ダリアは下町に繰り出しては情報収集に努めた。
本来であれば唯一の侍女なのだからイベリス王女のそばから離れるべきではないのだが、どうやら離れについている女中がよく世話をしてくれているようで、朝起こしに行くと既に身支度を整えたイベリス王女がいるのだ。
ルアー王子も気にかけてくれているようで、あまり身の回りの世話で困っている様子が無い。
眉尻を下げるダリアを見て、情報収集を指示したのはイベリス王女だ。
『やっぱり滞在中にできるだけの情報を集めようとイベリス王女様もお考えでしたのね』とダリアは意気込んだが、実際は手持無沙汰にしているダリアの気晴らしとして頼んだだけだ。
あまり世話を焼かれるとルアー王子とのあれやこれやがバレそうで、身の回りの世話以外の仕事を与えたかったという思惑もある。
そんな本音に気づく由もなく、ダリアは一週間ですっかり顔なじみとなった店へ今日も足を運んだ。
「おはようございます」
「おお、これはダリア様。おはようございます」
こちらの店主からは一通り話を聞き終わっている。
連日長時間拘束するのも申し訳ないので、この数日は挨拶をして少し世間話をしたら店を出るようにしていた。
今日は漆職人がいるという大通りから少し奥まった区域まで足を伸ばすつもりだ。
大通りを離れると人通りが少なくなるし、商人と違って普通の町民や職人は西大陸の言葉を話せない人も居る。
しかし常に護衛の女性兵士が二人そばについてくれているので、安全面でも言葉の面でもさほど不自由していなかった。
女性兵士たちは口数こそ多くないもののよく気を遣ってくれる親切な人達で、人柄の良い人物をつけてくれたのだろうと、ルアー王子の配慮を感じられた。
どこか奔放で、立ち位置が今一つよくわからない王子ではあるが、イベリス王女のことも大切にしてくれているようだしダリアの中でも印象は悪くない。
アルベルトの兄であるということを差し引いても、だ。
「ダリア様?どうなさいました?」
道を歩きながらぼんやりしていたようで、見かねた女性兵士の一人が声をかけてくれる。
「なんでもありませんわ」
慌てて首を振るも、ダリアの脳裏には昨夜会いに来てくれたアルベルトの姿が焼き付いて離れない。
心配するといけないので無事を報告しに来たという少年と交わせた言葉はわずかだった。
しかしその僅かなやり取りにすら舞い上がり、何気ない表情一つに見とれている自分に気づいたダリアは流石に誤魔化しようが無く自覚した。
おそらく自分はアルベルトに恋をしてしまったのだろう、と。
すでに半年以上も傍にいたのに、今更異性として意識するなんてと自分でも驚いた。
確かにアルベルトは綺麗な顔立ちだが、ダリアにとっては年下だ。
その大人びた言動ゆえにそれほど年の差を感じてはいなかったが、事務的な会話以外ほとんどしたこともなかったし、平民と貴族という立場の違いによる境界も明確にあった。
おそらく、ダリアが弱っていたせいなのだろう。
この国に来てから己の不甲斐なさに嘆いていたところで、アルベルトの優しさや頼もしさに触れたものだから……
そう分析したところでダリアは首を振る。
そこにどんな経緯があろうと、この想いはさっさと捨てなければならない。
ダリアは辺境伯の娘だ。
傭兵ギルドから派遣された平民の少年と結ばれることなど有り得ない。
貴族と平民の身分差は絶対だ。
それを超えて結ばれるなど、物語の中でしか起こりえない奇跡なのだから。
次で終わり……にできたらいいな……
ダリアは真面目でギャグシーンを入れづらいです。
イベリスはそこまで深く考えられていないんだけど、この時のダリアにはとても立派に見えているようです。
主人としての面目が立ってよかったね。




