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護衛が王女(わたし)の命を狙う暗殺者なんですが  作者: 遠山京
第二章 その褥に竜胆は咲く

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おまけ 辺境伯令嬢の初恋・前編

ダリアは幾度めかの溜息をついた。

胃が悲しげに音を発している。

慣れない匂いのする部屋の中に響くその音は、淑女としてあるまじきことに空腹の音だった。

世話を申し出てくれた女中に断りを入れて一人になったので誰にも聞かれてはいないが、居た堪れないことに変わりはない。

ぎゅうっと胃の辺りを押さえ込んでみても、音は鎮まらないまま。

主人であるイベリス王女と部屋が分けられたことに抵抗はあったけれど、この音を聞かれずに済んだと言う一点においては助かった。

イベリス王女のお供として竜胆国にやってきてまだ何日も経っていないと言うのに、ダリアは早くも心が折れかけている。


東大陸からやって来た竜胆国の文化が、西大陸のものと大きく異なることは知識として知っていた。

西大陸内でも国によっては建築物や生活習慣、食べるものにも違いがあるのだ。

それは気候や歴史によるものが多く、どれが優れているとか劣っているとか一概にいえるものでないことも理解している。

しかし、大陸を隔てればこれほど違うのかとダリアは圧倒されていた。


まず建築物においては、西大陸のものとは似ても似つかないほどに様式が異なった。

見た目だけでなく使用している建材も違うのだろう。

建築に明るくないダリアでも目を見張ったのだから、専門家が見ればどれほど研究し甲斐があるだろうか。

外観だけでなく、屋内でも同様だ。

一番驚いたのは、タタミという草を編んで作ったらしいさらさらとした手触りの床だ。

靴を脱いで分厚い靴下を履いただけ、もしくは素足で過ごすのが一般的だと言う。

眠るとき以外に靴を脱ぐ習慣がない身では落ち着かない。

部屋いっぱいに広がる草の匂いは不快ではないけれど、異国を感じてますますダリアをそわそわさせた。


そして服装も珍しい。

布を簡単につなぎ合わせただけのように見える服を前で合わせて帯を結ぶ衣装は、一見原始的にも思えた。

しかしその帯の結びにもいろんな種類があって一つ一つ意味が違い、大きく膨らんだ袖にも小物を入れるなどの用途があるという。

加えて長く着ることができたり、体形の変化にも柔軟だと聞くと、なかなか理にかなったものだとダリアは評価を改めた。

全て着付けをしてくれた女中が教えてくれたことだ。

イベリス王女の世話をするためにも、この国の衣装の着付けを覚えなければと色々聞いたのだ。

衣装にはレースもフリルも使われておらず装飾こそ多くは無いが、そのぶん染めや刺繍が凝っているし、異なる色の衣装を重ねて華やかさを出すような着こなしもあるそうだ。

おそらく国内で竜胆国の品を買いあさっている者の中には、この生地や衣装の愛好家も居るのだろう。


ここまでの文化は物珍しく、そして概ね魅力的に受け止められた。

しかし、問題は食事だ。

馴染みのない食材はまだしも、味付けが合わなかった。

独特の風味があるものが多く、さらにハシというカトラリーを使用することを前提とした盛り付けは、フォークやスプーンで食べづらい。

魚を焼いたものなら味に問題は無いのだが、骨が取られていないので上手く食べることができなかった。

そのせいでこの国に入ってからほとんど食が進まず、はしたなくもお腹の音を部屋中に響き渡らせているのである。


それに比べて、とダリアは思い返す。

同じく初めての文化であるはずなのに、イベリス王女は堂々としたものだった。

街並みや人々の姿にも穏やかな笑みを浮かべ、食事の味も受け入れられたようで、ハシを上手く使って魚も綺麗に食べていた。

骨をとらずに出されても、そうやって取り除けば良いのかと感心したほどだ。

理解はできても実践は難しいのだけれど。

外交を任されることもある上級貴族や王族にとって、他国の文化への順応力は重要な資質だ。

それをイベリス王女はしっかりと見せつけた。

ダリアも何とか笑顔を見せていたつもりだが、何度もイベリス王女に心配そうな表情をさせてしまった。

主人に心配されるなど侍女失格だ。



「早く、慣れないと……」



何の為にこの国に来たのかと何とか気力を奮い立たせる。

スパティフィラムの娘として、この地に足を踏み入れることを、父も兄も喜びそして激励してくれたのだ。

何の収穫もなく帰れない。

ずっと膠着状態だった竜胆国との関係。

イベリス王女が竜胆国王子と恋仲になったのは僥倖だった。

一体どうやって知り合ったのかは頑なに教えてもらえないが、こうして竜胆国から招待状まで来たのは国史、いや大陸史に残るかもしれないほど大きな出来事なのだ。

招待目的は親善となっていたが、訪問までしておいて何の収穫も無く帰れば笑いものになってしまう。

おそらくそこはイベリス王女とルアー王子も何か考えていることだろう。


何故か城に招かれて早々に後継者争いを見せつけられ、ろくにイベリス王女も自分も発言することができないまま客室に通されてしまったが……まだ時間はある。

明確な滞在期間は決まっていないが、数日で追い出されるはずはないのだから。

ダリアはこの国の情報を集め、何かあればイベリス王女をフォローし、彼女の初外交が成功するよう精一杯サポートせねばならない。

そのためには口に合わないくらいで食事を抜いて体を崩しては元も子もなかった。

もう日はすっかり暮れ、夕時を過ぎている。

一度食事に関して声をかけられた時につい断ってしまったが、やはり果物か何かだけでも貰おうと思い直す。

しかし襖の向こうに声をかけるより先に、外に通じた障子がさらりと開かれた。



「失礼します、ダリア様」


「アルベルトっ……」



大きな声をあげかけて、すんでで堪えた。

そこに居たのはイベリス王女の護衛を務める傭兵の少年、アルベルトだ。

侍女として仕えるにあたり内密の話として教わったところによると、イベリス王女は大人の男性が苦手であるらしい。

複数の騎士達に囲まれただけで悪心があるそうで、アルベルトのような少年でなければ傍にいて守ることができないらしい。

騎士ですら傍に置けない状態だと言うのに、気丈に社交をこなす姿はダリアから見ても健気だった。

大抵はその場を中座するが、主催者でもない王族は長居しないことが多いのでそう目立つことでもない。

その社交の場でもアルベルトは正装で影のように付き従い、イベリス王女を守っていた。


とはいえ彼は少年であり、ダリアよりも年下だ。

その腕は細く、過去に幾人もの暗殺者や無頼漢を退けたというが、現場を見ていないので未だに半信半疑である。

今回もこっそり潜入して護衛をすると聞いた時、ダリアはイベリス王女の冗談かと思った。

しかしアルベルトは当然のようにその決定を受け入れているし、さらには国王陛下も賛同したというのだから信じられない。

砦ですぐに見とがめられ、捕まったアルベルトの命乞いをしなければならないのではないかと覚悟していたほどだ。


しかしそんなダリアの心配をよそに、代官の屋敷にひょっこりとアルベルトは姿を現した。

兵士が詰めていたあの砦をくぐりぬけ、さらには代官の屋敷にまで忍び込むなど常人の所業ではない。

しかしアルベルトはまったく疲弊した様子も無く、イベリス王女もそれを当然のように受け止めているのだ。

感覚が違う、とダリアはそれだけで眩暈がしていた。

そしてさらに、おそらく竜胆国内で最も警備が厳重であるはずの将軍の城にまでこうして入り込んでいる。

ダリアにかけてきた声は小声ではあったけれど、障子を開けて入って来る少年の姿に一切気負いはなく、呆れるほどに自然体だ。



「よく無事で……」


「ええ、イベリス王女の護衛は問題なく果たせます。基本的に隠れていますが、ご心配なく」



そう言ってアルベルトは微笑んだ。

ダリアから見ても、アルベルトは綺麗な顔立ちの少年だった。

少し跳ねやすい髪の毛はふわふわして柔らかそうだし、令嬢がうらやむ白い肌に、宝石のような青い瞳。

イベリス王女について社交の場に出た際も、彼は極力目立たぬよう過ごしているようだが、どうしてもその美貌は目を引く。

話の種に度々あがるのを、ダリアも耳にしていた。

まさかこの少年が竜胆国の要所に侵入できるほど凄腕の傭兵だとは、噂話をしていた誰も信じられないだろうが。



「アルベルトは、凄いのね……」



とんでもない手腕を見せられて、先ほどまでの自己嫌悪がまだ噴き出してくるようだ。



「そうですか?」


「わたくしより幼いのに、これほどの重大な任務を見事にこなしているのですもの。とても……とても立派ですわ」



年下の子供を褒めるようなつもりで口にしようと思ったのに、なんだか羨むような口ぶりになってしまった。

優れた人材がイベリス王女の傍に居ると知って、侍女として安心する反面、今のダリアには眩しすぎた。

しかし羨望を向けられたアルベルトは、うーんと小さく唸った後、ダリアをじっと見つめる。



「ダリア様の方がよく頑張っていらっしゃると思いますよ」


「え……?」



慰めるでもなく、淡々とした声色だった。

この半年ほどの付き合いで、アルベルトは気休めを口にしないと知っている。

一見朗らかな少年なのだが、実際は見た目以上に冷静で大人びているし、独自の仕事観を持っているようにも見える。

イベリス王女相手には軽口や冗談も言うのだが、ダリアやマーヤに対しては明確な線引きをして対応しているのだ。

互いに侍女と護衛という異なる分野のプロとして、尊重と不干渉を決めているように感じていた。

本来はイベリス王女に対して敬意をもってその線引きをするべきだと思うのだが、王女自身がそれを許しており、公の場ではわきまえているようなので特に注意はしていない。

ともかくダリアは、アルベルトから慰めの言葉や誉め言葉を寄こされたことなどない。

だからこそ、今聞いた言葉が信じられなくて目を瞬かせた。



「ダリア様はまだ十三歳になられたばかりでしょう。それなのにこうして情勢も分からない他国へ、ただ一人侍女としてついてくるのです。スパティフィラム家としての立場もあるでしょうし、その重責を僕には理解できませんが……竜胆国の人間にあれだけ囲まれていても震えもせず背筋を伸ばして堂々と振舞える侍女は、大人でもそういないと思いますよ」



自分より年下からの評価とは思えない。

年かさの人間のような言葉だ。

けれどアルベルトのどこか超然とした雰囲気のせいか、その言葉は引っかかりも無くダリアの胸に届いた。

まだ何の成果も得られていない。

けれど、イベリス王女の侍女として恥ずかしくない振る舞いができていたのだろうか。

じんわりと胸が熱くなる。

幼いころから厳しい淑女教育を受け、周囲から褒められたことはこれまでもあった。

それはどれも頑張っている子供を暖かく見守るようなもので、嬉しくなかったわけではないけれど子ども扱いを同時に感じて悔しく思ったこともある。

しかしアルベルトは、ダリアのことをプロの侍女として日ごろから扱う。

そんな彼からの誉め言葉は格別だった。

すぐにお礼を言いたかったのに、なんだか喉が引き絞られるような感覚になって、口の中にもごもごと言葉が空転する。



「あ、ありが……」


「ああ、そうでした。こちらをどうぞ」



ぼそぼそとしたダリアの声には気付かなかったらしいアルベルトは、手にしていた包みを差し出した。

首を傾げつつ受け取ったそれは布越しでも暖かい。

大きな布を解いてみると、次第にスパイシーな香りが鼻をついた。

中身はさらに紙でくるまれているようで、懐かしい香りに誘われて指が急くようにその紙を開いていく。



「わ……」



大きな魚の切り身と野菜がゴロゴロと入った包み焼きだった。



「川でとった魚と野菜を香草と共に包んで焼きました。この国の料理は口に合わないのでしょう?」



何だか既に懐かしい気がする、グラジオラスでもよく使われる香草の匂い。

アルベルトが『イベリス姫が……』と何か言葉を続けていたようなのだが、その匂いに気を取られて聞き逃してしまった。

まさかアルベルトがこんなことまでしてくれるとは。

涙が滲みそうになるのをぐっと堪えた。



「有難うございます、アルベルト」


「いえ。これなら食べられそうですか?」


「はい」



銀のカトラリーはダリアの荷物に入っている。

イベリス姫の食事の毒見はアルベルトがしてくれるので必要ないと言われているのだ。

これならばナイフとフォークで食べられる。

テーブルも皿もないので少し行儀は悪いが、空腹状態のダリアにとってはもはや些細なことだった。

すぐに手を伸ばしたくなるのをこらえ、少年に向き直る。

この国に滞在するにあたり、どうしても確認しておきたいことがあったからだ。



「あの、アルベルト……一つお聞きしたいのだけれど……」


「何でしょう?」


「答えたくなければ答えなくて構いません。アルベルトはこの国に、ご兄弟がいらっしゃったりするのかしら?」



かなり核心をついた問いをしてしまったが、アルベルトは表情一つ変えずに頷いた。



「ああ、ルアー様のことですね」


「とてもよく似ていたものだから……」


「実は僕には兄が二人います。二人は双子で、片方はグラジオラスに居るのですが、もう一人は昔に生き別れになっていました」



そう言いながら、アルベルトは僅かに目を細める。

戦の無いこの時代で生き別れになるなど、よほどの事情があるに違いないと、ダリアは口を開く。



「変なことを聞いてごめんなさい」


「いえ、気になるのも当然です。おそらくルアー様はその生き別れの兄だと思いますが……今の僕はイベリス姫の護衛で、兄は竜胆国の王子です。このようなことで周囲を混乱させたくありません。ダリア様もどうぞお気遣いなく」


「……分かりました」



ルアー王子は竜胆国の人間だ。

場合によっては敵対することもあるかもしれない。

おそらくそれも想定したうえで、アルベルトはそう言っているのだろう。

さすが幼いながらもイベリス王女の護衛として重用されている人物だと、ダリアは改めてアルベルトへの尊敬を篤くした。

先ほどから心臓が忙しないのは、きっとそのせいだ。

自分もこんな立派に仕事をこなせるようになりたいと、そう思ってのことのはずだ。

胸の高鳴りに気付いた途端、どう振舞っていいか分からなくなる。

そんな自分の動揺を悟られたくなくて何か話題を変えようと口を開いた。



「あ、あの……」


「すみません、そろそろ行かないと」


「あ……」



その言葉で我に返った。

アルベルトはイベリス王女の護衛だ。

こうしてわざわざ食事を届けてくれたのはあくまで厚意であり、彼の職務は別にある。

いつまでもダリアに構っていられるわけがない。

顔に熱が上るのを感じながら、それをごまかすように何度も頷いた。



「そうですわね!イベリス王女様をよろしくお願いいたしますわ」



思わず声が大きくなったダリアに、アルベルトは苦笑しながら唇に指をあて、また障子の向こうへと消えていった。

そんな仕草一つにまた胸を高鳴らせながら、ダリアは着物の襟をぎゅっと掴む。



「どうかなさいましたか?」


「いいえ、何も」



ダリアの声が聞こえたのだろう、襖の向こうから女中が声をかけてきた。

それに慌てて返事をして、ダリアはこっそり食事をとる。

急いで片づけて空気を入れ替えなければ、匂いが漏れてしまいそうだ。

柔らかな魚肉が舌に転がり、香草の風味とほのかな油が口いっぱいに広がる。

胃の中が満たされる充足感に反して、いつまでも収まらない鼓動が食欲を押さえ込もうとしているようにも思えた。

脳裏に何度も、先ほどのアルベルトの表情が思い浮かんでは、首を振って振り払う。

アルベルトのことを考えている場合ではない。

しっかりしなくちゃと自分に言い聞かせながら、ダリアはいつもより時間のかかる食事を終えた。

ダリア視点のお話です。

不毛な恋心が芽生えました。

次でおしまいにしたいと思っていますが、収まりきらなければちょっと分けて全3話予定です。

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