エピローグ3
「ルアー様……」
「ご歓談中にすみません。ですが僕も忙しい身で、明日には帰らねばならないのです。僅かな時間も惜しむ気持ちはお分かりいただけるでしょう?二人きりで誕生日を祝えるように、ご配慮いただけませんか?」
するりと私の腰に手を回し、恋人や夫婦でなければあり得ないほどの密着を見せつける。
女性達が歓声を上げた。
私を取り囲んでいた人々は眉を顰めつつも、大人しく前を開けてくれる。
まさかこんな大勢の前でこんなことをされるとは思わずに、私はすっかり赤くなった顔を俯かせてアルのエスコートでその場を後にした。
父王にはどう思われているのだろうか。
もし何か突っ込まれたら、一応私は男性恐怖症のままだということになっているから、そこから連れ出してくれたのだと言い訳しよう。
もう恐怖症が治っていることも気付かれていそうだけど。
大きな窓が取られた壁際の休憩スペースに向かう。
用意されている長椅子に並んで腰かけると、遠慮した人々が遠巻きにするように離れていった。
注目されてはいるものの、小声で話せば声は聞こえないだろう。
座った後もアルは私の腰を抱いたままで、体はピッタリくっついている。
二人きりの時ならいざ知らず、人目のある中でこれは恥ずかしい。
「ちょ、ちょっと離れて……」
「嫌です。イベリス姫が破局説を気にしなくていいように、しっかり見せつけないといけないので」
まさか人目をはばからずいちゃつくのがアルの作戦だとは。
遠くで父王がこめかみを押さえているのが分かる。
遅れて会場にやってきたマーヤも何か言いたげなので、後でお叱りを受けそうだ。
さすがにこれはもう男性恐怖症なんか言い訳にならない。
「そんな顔しないでください。今日は貴女が主役でしょう?」
「そうだけど……」
「お誕生日おめでとうございます」
そう言って、アルはどこからか手のひらサイズの皮張りの箱を取り出した。
思わぬことに目を瞬かせる。
人々がまたざわめく声が遠く聞こえた。
「え、え?」
「プレゼントです。受け取ってもらえませんか?」
その言葉に慌てて箱を受け取った。
「あ……え、でもプレゼントは昨日……」
ルアー王子は訪問とともに、友好の証、そしてイベリス姫へのお誕生日祝いとして、竜胆国の名産品を多く持ってきてくれた。
私にも柘植の櫛と椿油、蜻蛉玉のついた簪が贈られて、早速今日も使っているのだけれど。
「それは竜胆国としてのお祝いでしょう?これは僕個人からです」
正真正銘、僕のポケットマネーで入手したものですよ、なんて悪戯っぽく笑われた。
震える手で箱を開けると、大粒のサファイアが収まっていた。
縁を繊細な銀細工とダイヤで飾られた、おそらく恐ろしく高価なネックレスだ。
その深い青は、初めて会った時に見たアルの瞳のようだった。
「僕の瞳の色に合わせてドレスを仕立ててくれたでしょう?」
その言葉に顔をあげる。
「気付いてくれてたの!?」
「気付いたというか、打ち合わせの声が漏れ聞こえてきてましたし」
「……」
そこはそういうことにしておいてくれたらいいのに。
「だから僕も貴女の瞳の色に合わせた差し色を選んだんですよ」
今日の衣装に赤が使われているのは私の瞳の色だったらしい。
まさかアルがそんな配慮をしてくれるなんて思わなかったから、泣きそうなくらい嬉しい。
「……なんか失礼な喜び方されてそうですね」
「そ、そんなことないわ」
「まあいいでしょう」
アルは何か言いたげなのを飲み込んで、ネックレスに視線を落とした。
「貴女は僕の瞳をよく見ているでしょう?どうやら青い瞳がお好きなようだったので、同じ色の宝石を探したんです。これなら、今日のような華やかな装いでも負けることなく身につけてもらえるかと思いまして」
私がアルの瞳をよく見るようになったのは、殺意察知できるというのがきっかけだったんだけど……
でも、初めて見た時から……この深い海の底のような青い瞳に惹かれていたのは事実だ。
「ありがとう。大切にするわ」
早速プレゼントしてもらったネックレスに付け替えてもらう。
男性がアクセサリーを手ずから付けてくれるというのはこの貴族社会ではまずないことで、私たちのやりとりは一層注目を集めた。
けれど今はもう気にならない。
かなり浮かれている自覚がある。
デコルテを華やかに彩るサファイアを見下ろして、によによと頬を緩ませた。
「喜んでもらえたようで何よりです。あまり宝石類に頓着しない方だと思っていたのですが、サファイアが好きなんですか?」
「え?……うん、もちろん宝石も素敵なんだけど……私、彼氏にアクセサリープレゼントしてもらうの憧れだったのよね」
それでこうやって付けてもらったら最高に幸せよね、なんて明かした後で恥ずかしくなってくる。
前世の私は彼氏なんていなかった。
当然男性からアクセサリーを贈られた経験もないはずだ。
記憶が抜けていなければ。
憧れていた記憶はあるので、多分叶っていないだろう。
まさか生まれ変わってからこうして願いが叶うなんて思っていなくて、思わず口が滑ってしまった。
恥ずかしくて俯いていると、大きな溜息を落とされた。
チラリと隣を伺ってみると、片手で顔を覆い隠し、疲れたような表情をしている王子様がいる。
「な、なに?そんな呆れるところ?」
自分でも余計なことを口走ったと思っていたけれど、そんな反応をされると焦る。
けれどアルは手のひらの隙間から青い瞳を半眼にしてこちらを見下ろした。
「これだから、貴女を喜ばせるのは難しいんです……まさかそんなところに喜ばれるとは予想外でした。まったく、本当にささやかなことで喜ぶ可愛い人ですね貴女は」
「えええ」
貶すような口調で褒められた。
「今度、憧れていることを全部箇条書きにしてください。叶えます」
「い、いいわよそんなの!」
そんなノルマみたいにこなしていってほしいわけじゃない。
「僕の機嫌がいいうちにねだっておいた方がいいですよ」
「機嫌いいの?」
すんごい険しい顔してるけど……
「そんなささいなことで喜ぶくらい男慣れしていないのは僕の望むところですよ」
「同意しづらいわ……なんでそんな怒ったような顔してるのよ」
「めちゃくちゃにしたいのを堪えてます」
そう言いながら顔が近付いてくるのを察して、慌てて手で制した。
「ここ!パーティー会場!」
アルが本気になれば、私が止めるより先に唇を奪うくらいできただろう。
どう考えても私の反応を楽しんでいる。
分かっているのにまんまと反応してしまうのが悔しい。
ダンスの音楽が流れ出したのに気付いて、これ幸いとアルを促した。
「ダンスの時間よ、ほら!」
「え?……ダンスもあるなんて聞いてませんよ……」
「嫌そうな顔しないでよ。こうしてシャンデリアの下のいかにも舞踏会っていう場所でもアルと踊ってみたいと思ってたんだから」
憧れてたの、と付け足せば、仕方ありませんねと言ってアルは立ち上がり、私に手を差し出した。
「踊っていただけますか?」
王子様にダンスに誘われる。
これはもう幼稚園児からの夢だと言っても過言ではない。
本当にもう、叶わない方の夢だ。
だからこそ頭をよぎることすらなかった幼少の頃の憧れが蘇り、私を高揚させる。
「喜んで!」
跳ねるようにその手をとり、ダンスフロアの真ん中へと進んでいった。
私のエスコートをしながらアルは苦笑する。
「イベリス姫にとっては憧れなのかもしれませんが、僕は明るい場所は少し苦手なんですよね」
「アルは夜の王子様って感じだもんね」
私が思い浮かべるアルは、僅かな灯に照らされた、夜の匂いのする麗しい暗殺者の姿だ。
けれどそのニュアンスはうまく伝わらなかったようで微妙な顔をされた。
「……なんかいかがわしいですね」
「!?なんでよ」
夜の帝王じゃないわよ、王子さまなのよ?
……なんて訴えたところで通じなさそうなので説得は諦めた。
アルのリードに任せて、夢見心地でステップを踏む。
誰もが私達のダンスを見守っていた。
まさか竜胆国の王子がこんなにダンスまで達者だとは思われなかったようで、また驚きの声が上がっている。
ほんと、多才なのよね。
けれど周囲の賞賛や私の感嘆など知らぬそぶりで、アルは私を見つめながら僅かに眉を下げた。
「どうしたの?」
「何がです?」
「元気ないわ」
「そんなことありませんよ」
「嘘、何考えてたの?」
出会ってままない頃ならきっと何も引っ掛からなかっただろう。
けれど半年ずっとそばにいて、私もアルのことはよく分かってきたつもりだ。
飄々としているように見えて、案外ネガティブで自己評価が低いということも知っている。
さっきの表情は、勝手に納得して勝手に落ち込んでいる時の顔だ。
じっと見つめると、根負けしたようにアルは口を開いた。
「やはりイベリス姫はこういう華やかな場がよく似合うと思っていただけですよ」
微笑んで言われたその言葉は、きっと他の貴公子に言われれば褒め言葉として受け取っただろう。
けれどアルが口にすると全く意味が変わって聞こえる。
決して交わらない世界に生きているとでも言いたげなその口ぶりに、思わず唇を尖らせた。
「アルだって、今その場にいるじゃない」
「言ったでしょう。明るい場所は苦手なんです。眩しい光が当たり続けると火傷しそうな気がします。貴女には、その光の下にいて欲しいんですけどね」
ほらやっぱり勝手に感傷的になってる。
今度はこちらがため息をついた。
「……大丈夫よ。どんなに眩しい日が当たっても、そこにも夜は来るんだから。たまに私のそばで日に当たってもらうことはあるかもしれないけれど、貴方の時間である夜にも私はそばにいるから」
そこが眩ゆい太陽の下だろうが、月明かりすら届かない暗闇の底だろうが、私はアルのそばにいる。
そう覚悟を決められるくらいには、私はこの人が好きなんだから。
「……ベッドのお誘いですか?」
「そうじゃないわよ、ばか!」
慰めて損した。
恥ずかしいことまで言ったのに!
思わず顔を背けると、その隙を狙っていたと言わんばかりに頬に柔らかいものが触れた。
本日幾度目かの黄色い声が湧く。
「……愛してますよ、イベリス姫」
私の文句を封じ込めるように愛の言葉を囁くのだから、本当にこの男はたちが悪い。
けれどおかげで私は最高のお誕生日だったなんて思い返しながら眠りにつけてしまったし、翌日本当にさっさと城を後にした王子様が居たと言うのに破局説は一欠片も噂に上がることはなかった。
命をかけなくて本当に良かったと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
なお、このパーティーで初めて正式にルアー様のお顔を確認したマーヤから再び追及され、アルをも巻き込んでメイド達までヒートアップしてきて辟易する私とアルを助けてくれたのはダリアだった。
「イベリス王女様への信頼と敬愛がおありならそれくらいになさいませ!」
マーヤをも黙らせる一喝、カッコ良かったです。
◇
暗闇が部屋に落ち、カーテンの隙間からもれた一条の月明かりがベッドを染める深夜。
隣で眠るイベリスの右肩を、手遊びにゆるく掻く。
しつこく指を動かすと、小さく呻いたイベリスは寝返りを打って逃げていった。
それを追いかけて今度は全身を抱きしめれば、安堵したように腕をぎゅっと握ってくる。
「……イベリス」
返事などないであろう呼びかけを小さくつぶやき、彼女の首筋に散った赤い花を愛でるように優しく口付けた。
今日もよく堪えたと、僕はひっそり自分を褒めた。
イベリスは気付いていないのだろうが、僕はこれでもかなりの我慢を己に強いている。
乱暴にしてしまいたいのをいつだって堪え、こうして鬱血の痕くらいで収めているのだから。
あの夜……久々に理性が飛びそうだったあの時、早々に暗器を手放したのは正解だった。
得物が手元にあれば、取り返しのつかないことをしそうだという自覚があった。
頬を赤らめ、声を堪えながら体を震わせるイベリス。
その姿が全て己のものだという優越感が芽生えると同時に、同じだけ他の男に手を出された事実が癇に障った。
ナイフを手にしていたら、自分だけのものになっている彼女の姿を、そのまま永遠のものにしたくなっていたかもしれない。
大切にしたいし笑っていてほしい。
けれど同時に僕以外に頼る当てのない絶望に沈んでほしいとも思う。
矛盾する感情が渦巻き、以前ならもう少し許容できたはずのことが、狭量さに自分で呆れるほど我慢できなくなっている。
日に日に、狂っていくように。
こんな凶暴な感情を隠し持ったまま傍にいることは、おそらく彼女にとって為にならない。
為になるかならないかなんて話をしたら、僕が傍に居て良いことなどほとんどないだろう。
こんな男に目をつけられたのが運の尽きだ。
けれどこれを口にすればイベリスはきっと顔を真っ赤にして怒る。
その姿が容易に想像できたけれど、どうしてこんな自分を好きでいてくれるのか、正直なところさっぱり分からない。
分からないから、いつまで経っても不安が消えないのだろうか。
日の下でも夜の中でもそばに居ると言ってくれた彼女の言葉は確かに僕の心を打ったのに、愛されていると実感するほど不安は増していくばかり。
ぎゅう、と抱きしめる力を込めると、腕の中のイベリスがもぞもぞと動いた。
少し力を緩めた隙に、ゆっくりこちらへと向き直ってくる。
眠たいのか、瞼が半分閉じたまま、イベリスはこちらを見上げた。
「どうしたの、怖い夢でも見た?」
「……怖い夢……」
それで眠れなくなるのはイベリスの方だ。
だからこそそんな発想が出たのかもしれないが、思いがけない子供扱いに呆然と言葉を繰り返すと、それを肯定と受け取ったらしいイベリスの手がよしよしと頭を撫でてくる。
「だいじょうぶ、こわくない……」
「……」
自分の胸に僕の頭を優しく抱き込み、イベリスはそう囁く。
次第に眠気が勝ったのか、頭を撫でていた手はゆっくりと止まり、また穏やかな寝息が部屋に響いた。
柔らかな胸に顔をうずめたまま、ひっそり溜息をつく。
これだから、敵わない。
この予想外の行動とそれによってもたらされる感情を手放したくないから、僕は彼女を殺さずにいられる。
傍にいて、共に生きていたいと、まっとうな人間のようなことを願える。
「……まあ、これはイベリスの方から煽ったということで」
すっかり寝付いてしまった相手には聞こえていないであろう言い訳を呟いた後、もう一度覚醒してもらうべく目の前の膨らみに優しく噛みついた。
これにて第二章完結です。
ご覧いただきありがとうございました!
ますますこじらせ気味のアルベルトでした。
もしかしたらダリア視点のお話をおまけでそのうち投稿するかもしれません。
第三章以降もネタがないわけではないので、気が向いたら再開する可能性もあります。
その時はよろしくお願いいたします。




