エピローグ2
竜胆国から従者を引き連れてやってきた王子様は、黒い衣装を身にまとっていた。
けれどこれまでの闇に溶け込むようなものとは違い、随所に瞳の色に合わせた青いラインがあしらわれていたり、オニキスを使ったアクセサリーも身に着けているので、国賓に相応しい上品さがあった。
前回と違って事前予告のある王子の訪問なので、謁見や調印の際に立ち会う人の数はかなりのもの。
どんな無作法者が現れるかと口さがなく噂していた人々は、その綺麗な容姿と優雅な立ち振る舞いを見て簡単に手のひらを返した。
しかし、当の本人はかなりの無理をしているようで。
「……大丈夫?」
夜になり、私の寝室に護衛として入ってきたアルは、疲れ切った表情で溜息をついた。
「流石に神経を使います」
「あれだけ大勢の人に囲まれること、暗殺者には無いものね」
「竜胆国に押し入った時や公爵邸を訪ねた時にも囲まれましたが?」
「それは囲まれるの意味が違うでしょう……」
「まあ確かに貴族の相手は疲れますが、それは適当に流せばいいのでまだマシです。疲れたのはこっちですよ」
そう言うアルの隣にぼんやりと影が浮かんだ。
影はたちまち人の形になり、少年の姿のアルとそっくり同じ容姿に変わる。
そう、なんとアルは本当に分身の術を完成させたのだ。
ルアー王子が訪問するとなれば、どうしても護衛として私の傍に居られなくなる。
実際の護衛はコリー君がこっそり見守ることができるにしても、急にアルの姿が見えなくなれば周囲が不審に思うだろう。
そこでアルは原理だけは事前に考えてあったという、龍脈と魔法を融合させた幻影術を編み出した。
龍脈に気を乗せて、記憶魔法から呼び出した姿を具現化させているとかなんとか、何かそういうものらしい。
つまりこれはただの幻であり、実際は分身しているわけではない。
なおかつ龍脈の上でなければ発動できないらしいんだけど、この城は見事に太い龍脈の上に建っているそうでその条件はクリアしていた。
ただ幻は幻なわけで、動かすことはできても触れることはできないし声を発することもできない。
おかげで今のアルは喉を痛めているという言い訳のもと無言を貫き、誰かに触れられそうになればすぐに避けないといけないのだ。
「まだ慣れていないので集中しないと消えそうになるんです。遠く離れていると意識を繋ぐのが難しいですし……」
もちろんアルとルアー様は常に同じ空間に居るわけではない。
私が部屋にいる間は、護衛であるアルも同じ室内に待機している。
その間もアルは部屋の中の幻と龍脈を通じて意識を繋ぎ、ルアー様として振舞いつつ護衛の幻を動かしているのである。
良く混乱しないものだ。
「幻の方を動かしてるときに話しかけられて、頭に入るの?」
「入りませんよ、概ね聞き流してます。ルアー王子の登場はこれっきりにしてほしいですね」
ジトッとした目で見られて肩を竦めた。
「アルを解雇してルアー様がずっと傍にいてくれてもいいのよ?」
「酷い雇用主です……」
酷いだろうか。
私は最初からルアー王子として迎えに来てほしいと言っていたのに、何だかんだと嫌がってこの形をとっているのはアルだ。
そして今回ルアー様が訪問することになったのは竜胆国将軍のご指示である。
喜んだのは確かだけれど、私にはほとんど責任は無いはずだ。
「アルは体調を崩したことにしてしばらく休んだら?」
「流石に怪しまれるでしょう。今日もルアーと王女の護衛の関係について探りを入れてくる人間はいました。国王と少人数で会談した時には、兄弟設定を仄めかせておきましたが」
真実を知っている父王からすれば、そんな設定を聞かされたところで反応に困っただろう。
とりあえずそういう設定だという情報共有がなされただけで、特に何の対応もされないと思う。
「そもそもこんな幻影作り出せるのはアルだけなんでしょ?他の誰もできないなら一度二人とも存在しているのを見せておけば疑われないと思うわよ」
「かなり難しいとは思いますが、竜胆国の人間なら練習すればできる気がしますよ。一瞬の幻影を生み出して相手を攪乱する技術は既にありますから、その応用です」
一瞬の幻影を作り出すのと、幻影を出し続けてなおかつ意識をつないで動かすっていうのはもう別物だと思うんだけどな……
龍脈とか気とかよく知らないけど、鉄棒で前回りを一回するのと、大車輪を五時間続けるくらいには違いがある気がする。
「ともかく、明日一日くらいは頑張りますよ。パーティーが終わればさっさと退散します」
「……それはそれで、破局説が加速しそうね……」
久々に会いに来た王女との時間を惜しむことなく用事が済んだら早々に帰ると言うのもちょっと。
渋い顔になる私を見て、アルは悪戯っぽく笑った。
「そう思います?」
「普通そうじゃない?」
「そうならないと思いますよ。賭けてもいいです」
「何を」
「命とかどうです?」
「小学生でもあるまいしそんな簡単に命賭けるんじゃないの!」
「ショウガクセイ?」
「何でもないわ」
我ながら懐かしいワードが飛び出した。
いや、小学校の時クラスでことあるごとに『命かける!?』ってみんな言ってた時期があったから……
なんでこんなどうでもいいことは覚えてるんだろうか。
家族の顔とか、もっと大事なことはどんどんうろ覚えになってるのにな……
ひっそり溜息をついた。
◆
早朝から叩き起こされ、慌ただしく準備が始まった。
パーティーは夜だと言うのにこんな時間から動き出さないといけないというのがうんざりする。
肌や髪の手入れをいつも以上に入念にされ、ドレスラインに響かないよう食事や飲み物も徹底管理される。
マーヤとメイドが部屋中を動き回り、年頃の令嬢であるダリアも、優先順位は低いながら準備を進めていた。
幸いにもメイドが増えているおかげで、護衛のアルの手まで借りようとすることはない。
アルの幻影は別室で邪魔にならないよう立ち尽くしているだけなので、おそらく昨日よりは維持が楽だろうと思う。
日が傾き、パーティーの時間が近づいている。
パーティー会場から遠く離れたこの王女宮には声は届いてこないけれど、おそらく会場には既に多くの招待客が集まっているのだろう。
「イベリス王女様、わたくしは先に会場にてお待ちしております」
ダリアは礼をとり、先に会場へと出て行った。
主役である私の入場は最後だ。
今日ばかりは国王も私を待つ立場になってくれる。
みんなに出迎えられて、誕生日を祝ってもらうのだ。
鏡に映る自分の姿を改めて眺めてみる。
淡いピンクがかったブロンドはふわふわで、その柔らかさを生かしながら綺麗に結い上げられている。
緋色の瞳は長いまつ毛に縁どられ、白い肌によく映えた。
今日のドレスはアルの瞳の色を意識して、青を基調としている。
ドレスの意見を求めても無駄だと言うことは以前学習したので今回は何も相談していないんだけど、気付いてくれるだろうか。
「とてもお綺麗ですわ」
うっとりしたようにメイドの一人がそう言った。
もともと可愛らしい顔立ちをしていたと思うけれど、十六歳になった今、半年前よりほんの少し大人びたようにも見える。
背も少し伸びたし、どうやら胸もまだ成長期らしかった。
もうじきアルが迎えに来る。
王子様ルアーとして、私をエスコートするために。
今日は護衛のアルベルトはお休みだ。
調子が悪いことになっているので、会場にまでは連れていけないと言うことになった。
エスコートはルアー様、会場までの護衛として騎士が二人後ろをついてくる形になる。
竜胆国から連れてきた従者たちは、パーティーにまでつれていけるほどこの国の文化やマナーを理解できていないとのことで、お部屋でお留守番だそうだ。
ドキドキしながら待っていると、間もなくノックの音が響いた。
「竜胆国王子殿下、ルアー様がお越しです」
本当は身内でも騎士でもない男性を王女宮の中にまで迎えに来させるのはあまりよくないことなんだけれど、私とアル本人の希望により部屋にまで迎えに来てもらった。
そうすれば最初から最後まで、騎士ではなくアルが私をエスコートできる。
扉を開けて廊下に出ると、王子様にふさわしい美男子がそこに居た。
正直、昨日はあまり間近で会えなかった。
謁見や調印式は国王と対峙して行われていて、私は遠くから眺めるだけ。
その後の晩餐会でも斜めの席で、あまり近くに感じられなかったのだ。
こうして目の前にしてみると声を失ってしまう。
今日はパーティー用に少し華やかな装いを意識しているようで、衣装のベースが黒なのは変わっていないものの、緋色のスカーフとルビーのピアスが鮮やかだ。
いつも跳ね気味の黒髪もしっかりセットされ、左側だけ耳が露わになっているヘアスタイルは新鮮だった。
「お迎えに上がりました、イベリス姫」
恭しく礼を取られると、なんだかおとぎ話のように思えてしまう。
この光景を焼き付けたいのに、その意思に反して視界が潤む。
やばい、かっこいい。
立ち尽くす私の背中を、マーヤが呆れたように優しく押した。
アルは小さく笑って私の手をとり、そのままエスコートしてくれる。
「まったく……本当に王子として迎えに来ることになるとは、と思っていましたが、そこまで喜んでくれると頑張った甲斐があります」
耳元でそんなことを囁かれて、ますます熱くなる頬を手のひらで覆った。
後ろに控える騎士達が何だか気まずそうなのも居た堪れない。
王女が隣国の王子に見とれて立ち尽くし、その後いちゃつくように囁きあう様を見せつけられているのだからそりゃそうだ。
けれど今夜だけは許してほしい。
アルはもう二度とこんなことしてくれないかもしれないし。
「……だって、アルかっこいい」
ストレートにそう褒めると、アルは目を見開いた。
「……そんな風に言われると、どう反応していいかわかりませんね」
そう言いつつも少し頬が赤い。
珍しい反応にこちらも目を丸くしてしまう。
私の視線に気づいて、アルは少し目を細めた。
「でもそうですね……貴女をエスコート出来ると言うのは、存外僕も気分がいいです」
照れたような笑みがくすぐったい。
ああ……王子様として迎えに来てもらうと言う夢が、まさかこんなに早く叶うなんて。
なんだか脳裏でエンドロールが流れているような気がする。
遠いはずの会場までの道のりが、こんなに早く感じたのは初めてのことだった。
◆
王城の中で一番大きなホールは煌びやかに飾り立てられ、大勢の招待客たちが私たち二人を出迎えてくれる。
今日は一人じゃない。
後ろを支えてくれる護衛の代わりに、隣で私をエスコートしてくれる王子様が居た。
竜胆国王子の姿を初めて見た人々が驚いているのが分かる。
美男美女だなんていう声が聞こえてきて、また頬に熱が上ってしまいそうだ。
国王からのお祝いの言葉と、私から来賓へのお礼の言葉、そして竜胆国王子の紹介を経てパーティーが始まる。
私とルアー様の関係について、公には言及しない。
けれど誕生日パーティーのエスコート役に未婚の男性を選ぶと言うことは、実質婚約者として紹介するようなものだ。
恋仲だと言う噂が上るのと、実際に社交界にまで連れてくるのは全く違う。
国王が出席する場ならばなおさら、国王公認の仲として周囲も受け止めるのだから。
覚悟していたことだけれど、会場はすっかり私の誕生日よりも竜胆国王子に関心が移っていた。
「お似合いですわ。竜胆国の王子殿下がこれほど素敵な方だったなんて」
「こんなに美しい青の瞳は初めて見ましたわ」
「ご立派な王子殿下がおられるのですから、今後の両国の関係も安心ですわね」
たくさんの女性が秋波を送っているけれど、ルアー様は無言のまま笑顔でやり過ごす。
きゃあきゃあと黄色い声に囲まれる王子様とは対照的に、私は年配の貴族や若い男性に取り囲まれていた。
次第にアルと引き離されていってしまう。
「話に聞く竜胆国の者とはずいぶん印象が違いますな」
「黒い瞳の者しかいないと聞いたことがありますものねぇ」
「竜胆国の王子ということですが、出身は西大陸なのではありませんか?」
「第二王女殿下がいつもお連れになっている護衛の少年ともよく似ていますが何か関係が?」
「王子殿下とは一体いつお知り合いになられたのです?」
「全くです。竜胆国との国交が断たれていた中、どうして知り合うことができたのか教えていただきたいですね」
純粋な好奇心、猜疑心、いろんな感情を向けられて疲れる。
とりあえず馴れ初めは一つとして話せるエピソードが無い。
秘密ですわ、と笑顔で誤魔化すにも限界がある。
どうしたものだろうか。
さっきまで夢見心地だったのに、すっかりアルからも引き離されてしまったし……
せっかくの誕生日なのだからもう少し配慮してくれても、なんで内心で唇を尖らせた。
「失礼、イベリス姫をお借りしても?」
そろそろ逃げ出したいと思った頃合いで、またも助け舟が出された。
王子としての立場からはそろそろ逃げられなさそうになってきたアルベルトです。
イベリスはこれを機に結婚まで駒を進めたいと考えています。
そんなうまくはいかないんですが。




