エピローグ1
「……王女殿下、それは我が国があまりにも不利なのでは?」
「あら?有利な立場をお求めだとは存じ上げませんでした」
笑顔をひきつらせている春幸様に、私はにっこり微笑んで見せた。
将軍が少人数の客人を招くために用意されていると言う高の間で、私は絶賛交渉中だ。
今回の旅の成果ともいえる、竜胆国との取引内容を決めている最中だった。
この二週間以上にもおよぶ滞在期間中、考える時間はたっぷりあった。
龍脈を活用する技術、西大陸ではまだ珍しい作物や調味料、美術品……国交正常化できるとなれば、竜胆国は宝の山。
少しでも好条件を引き出し、母国に大手を振って帰還するのだ。
このためにちょくちょくダリアやアルと相談もしてきたのだから負けられない。
二人もこの場には同席しているけれど、基本的に話をするのは私と春幸様だ。
よほどのことがない限り口出ししないと言われているので、私の手腕が問われている。
「春幸様、先日は私大変怖い思いを致しました。ですが今後の貴国のお立場も考えますと、父王への報告は控えたいと存じます」
「………」
まあストレートに言うならば、『おたくの日野晴さんがやらかしたことをチクられたく無かったらこちらの要求呑んでくださいね』と言うことだ。
春幸様は額に手を当て、苦い表情でこちらを見つめた。
おそらく私がこんな条件を出してくるとは思っていなかったんだろう。
滞在中に私が表立って何か発言することはほとんどなく、アルの影に埋もれていた。
はたから見れば箱入りの引っ込み思案な王女だったはず。
いやまぁ、そこは間違っていない。
私は決して有能な王女ではないし、場数も全く踏んでいない。
現に心臓はバクバク言っている。
緊張を表情に出さないようにするのに必死だ。
だって春幸様って見た目だけならめちゃくちゃ迫力あるんだもん。
睨まれると怖い。
「………はぁ……王女殿下、お気持ちはよく分かりましたが、関税についてはもう少しご配慮願います。ご存知の通り、我が国は西大陸の金をほとんど持っておらぬのです。現在下町で取引されているものも物々交換が基本となっております故。龍脈と魔法に関する技術者の交換条件はこの通りで構いませぬ。この地における龍脈の価値と魔法の価値が異なると言う言い分もごもっともですからな」
「畏まりました。では貴国の情勢に配慮して、関税免除期間を設けた後に……」
春幸様からの申し出は、概ね想定の範囲内だ。
最終的に決まった内容はかなりグラジオラス王国にとっては有利なもので、私は胸を張って客室に戻ることができた。
「……良い条件でまとまりましたわね」
人払いをして二人きりになった後、ダリアはほっと息をついて微笑んだ。
「そうよね?初めてにしてはうまく交渉できた気がするわ」
得意げに言う私を見て、ダリアは生温かい視線を向けてくる。
「将軍はずいぶんとイベリス王女様にご配慮くださいましたものね」
「なんでそうなるのよ!?」
私が頑張ったんじゃなくて春幸様が譲ってくれたという認識をされた。
「もちろんイベリス王女様が努力された結果なのは間違いございませんわ。こちらから押していかなければ、流石に将軍の方からこの条件を提示したりはなさらないでしょうから。ですが、向こうはやろうと思えばもう少しイベリス王女様から譲歩を引き出せたと思うのです」
「……今回の件があるから、立場としてはあちらの方が弱いと思うわよ?」
「それはその通りですが、こちらにも弱味はありますわ」
「弱味?」
何かあっただろうか、と首を傾げる私に、ダリアは苦笑した。
「将軍は、町民の生活が苦しくなるというような、同情を引く言葉を口にされなかったでしょう?」
「……されていないわね」
「イベリス王女様がこの国を気に入っていることも、心優しい方であることも、将軍はご存知のはず。わたくしがイベリス王女様と交渉するとしたら、そのあたりを突きますわね。この条件では民が飢える、次の災害に備えられない、だからもっと配慮を、援助をしてほしい……このような言葉にイベリス王女様は毅然とした態度をとり続けられますかしら?」
ぐうの音も出なかった。
私、年下のダリア相手ですら交渉負けするのか……
「今回、あちらには汚点があり、さらにはルアー王子の後押しもありました。交渉の練習としてはとても良い条件でしたわ。練習にするにはいささか影響力のありすぎる内容ですけれど……イベリス王女様もこれから場数を踏むことで色々学ばれると思います。この国を気に入っているような言動をしないようになさるとか」
滞在期間中の振る舞いまで暗にダメだしされて、私は肩を落とした。
「ダリア様、それくらいに。イベリス姫は頑張っていましたよ」
そっと襖をあけて顔を出したのは、少年の姿をしたアルだった。
こうして時々この姿を見せないとダリアが心配するので、わざわざ着替えてきたのだろう。
「ええ、もちろんイベリス王女様はご立派でしたわ。この結果を持ち帰れば、イベリス王女様を侮っている方たちも静かになるでしょう。西大陸における我が国の発言力も上がるはずです。大変な功績なのですよ。長年どの国も、誰も成し遂げられなかったのですから」
ダリアは落として上げる指導方針なのだろうか。
まんまと嬉しくなっている自分がいるので間違っていない。
分類としてはアルの指導法もそんな感じなので、私にあっているのかもしれない。
ただしダリアとアルでは持ち上げてくれる熱量が違う。
ツンとデレで表現するなら、ダリアは6:4、アルは9:1って感じだ。
ダリア側を希望したい。
「まあ、おそらくこの好条件が続くのは一時的です。イベリス姫への義理を果たせたと判断される頃には再交渉があるでしょう」
「そうでしょうけれど、一度締結した条件を変えるのはそう簡単ではありませんわ。しばらくの間は我が国が優位な立場に立てるでしょう。その間に竜胆国がどれほど国力をつけるかによりますけれど」
「今回の話を受ければ他国も竜胆国に接触するでしょうしね。それでもグラジオラスほどの好条件を引き出せるとは思えないわ」
しばらくの間、竜胆国絡みでグラジオラスの優位は揺るがない。
実質的にはほとんどアルのおかげというのが悔しいところだけれど。
「これで話もまとまったことですし、そろそろ帰国できそうですね」
ダリアは少し疲れをにじませる笑みを浮かべた。
確かにこれなら数日中に出立できそうだ。
すでに十二月も終わり。
帰国途中に年明けを迎えることになりそうだけれど、私の誕生日パーティーの準備にはなんとか間に合うだろう。
急いで帰国を告げる手紙を出さないといけない。
慌ただしく帰国準備を開始し、国境にある砦から『お迎え準備が整いました』という手紙が届いたのを確認した翌日、私たちは城を後にした。
◆
「あれから……雪音様とはお話しできませんでしたね」
牛車の中で、ダリアが少し残念そうにつぶやいた。
私とダリアがひどい目にあうきっかけとなったのは雪音様とのお茶会。
とはいえ首謀者は日野晴様で、雪音様が好き好んで私たちを陥れたわけではないことは理解している。
現に彼女は、私たちの無事を確認した時安堵したように見えた。
ダリアもそれを分かっているのだろう。
あの後私がダリアの傷も癒したので、実質的な被害があまり無かったこともあるかもしれない。
それまでのお茶会ではとても楽しく過ごせていたからこそ、ダリアは和解を望んでいた。
けれどあの日以来雪音様は私たちの前に姿を現すことは無く、裏方に徹しているようだった。
なお、日野晴様も姿を見せていない。
こちらは春幸様が徹底的に私たちの目に触れないよう配慮してくれているのが分かる。
正直気分のいい相手ではないので助かった。
「雪音様は、もう少し時間が必要なのかもしれないわね。次にこの国に来ることがあれば、会ってくださるかもしれないわ」
雪音様が後悔していることは表情から伝わってきた。
それならばもう少し気持ちが落ち着けば、また前のようにお茶をすることもできるかもしれない。
そうですね、と寂し気に微笑むダリアを慰めながら、私は……正直なところ内心それどころではなかった。
絶賛回復魔法発動中なのである。
ダリアに気付かれないように手のひらを自分の胸元に当てながらこっそりと。
何をしているのかと言えば、どこぞの王子様が『竜胆の花みたいですね』とか寝言を宣いながら私の体にめちゃくちゃにつけた痕を消している最中だ。
出立直前にも痕をつけてきたので、『どうするのよ!』と絶叫した私を見て、『結局はただの鬱血なのだから回復すればいいでしょうに』と不思議そうに首を傾げたアルの顔は忘れられない。
ただの打ち身みたいだと思っていながらそこに思い至らなかった自分が恥ずかしくて、なおさら怒ってしまった。
怒られた本人は機嫌が良さそうだったのがまたなんとも苛立つところ。
グラジオラス王国内に入れば侍女であるダリアが私の世話をしようとするはず。
その時に裸を見られても困らないよう、それまでに消しておかなければならない。
通り過ぎていく街並みに郷愁を感じる余裕も無いまま、私はせっせと回復に勤しんだ。
◆
私が帰国して成果を報告した時、父王からはねぎらいの言葉を受け取れたけれど、他の人々は半信半疑の反応だった。
私の誕生日パーティーに合わせて訪問する王子自らが文書を持ってくることになっていたので、私の手元には証拠となるものが無かったのだ。
しかし、王子がやってくるより先に、竜胆国将軍から今回の訪問に関する礼状と王子の訪問に関する手紙が届いたことで、竜胆国との親交が明確になったと国中が大騒ぎ。
ほらね、と私はようやく胸を張れたのだ。
王子がやって来るのは私の誕生日パーティーの前日ということになっている。
その日が刻一刻と近づくにつれ、私の護衛は憂鬱な溜息を零すようになった。
いつものように寝室のドアの前に控える少年は、暗い表情だ。
「ああ、面倒ですね……」
「それ、本人の前で言っちゃう?」
私の誕生日パーティーに参加するのが面倒だと、目の前の男は言っているのだ。
怒っていいところだろう。
「何で僕が面倒なことを我慢していると思っているんですか。他の人間相手ならとっくに逃げているので面倒だなんて思う事すら無いんですよ。面倒に思っているのはつまりイベリス姫への愛ゆえなのですから喜んでください」
面倒がられていることを喜べという斬新な返しを頂いた。
時々アルは頭がいいのか悪いのか分からなくなる。
「まあ、他の男に釘をさせる良い機会だと思うことにしますが……少々疲れました」
「お疲れ様」
実際、アルは私の護衛をこなしながら間を見つけては王子様としての訪問準備をしなければいけないようで、相当面倒なことをしていると思う。
パーティーの時に着るための服を仕立てるにも、大人の姿で採寸に行かないといけないし、立場上竜胆国側の他の従者も連れて行くことになったので、従者の衣装の準備に打ち合わせ、教育まで行っているようなのだ。
竜胆国とグラジオラス王国では文化が大きく違うので、失礼なことをしないよう教育させるのは大変らしい。
けれどこれで教育を怠ってなにかやらかされるともっと面倒なことになるとぼやいていた。
できれば単身で来たいそうだが、半年前のように突発的な訪問を何度も繰り返すわけにはいかない。
正式に竜胆国との国交が成立することになった以上、竜胆国は非常識と言う印象をこれ以上強くするのはまずいと、春幸様にも懇願されたそうだ。
最低限の従者を伴って、今度こそアルは王子様としてこの城にやって来る。
負担をかけているのは申し訳ないけれど、楽しみにせずにはいられない。
「何をニヤニヤしてるんですか」
「喜べって言ったじゃない」
頬が緩む私を恨めし気に見ながら、アルはこちらにじりじりと近づいてくる。
「イベリス姫を喜ばせるのは吝かではありませんが、僕にも多少の利益は欲しいです。頑張った暁には報酬を要求します」
「ほ、報酬?」
「そうです。僕が頑張ろうと思えるような報酬を考えてください」
「ええっと……」
視線を彷徨わせても、アルが喜ぶ物がなかなか思い浮かばない。
そもそも浮世離れしたこの男に物欲と言うものがあるようには思えなかった。
お金もそれなりに持っていそうだから、本当に欲しいものは自分で手に入れているだろう。
うんうん唸る私を見て溜息をつき、アルは私の耳元に唇を寄せて、具体例をつぶやいた。
……耳を傾けたことを後悔した。
一気に頬に熱が上がり、手元の枕を引っ掴む。
「ばかっ!」
至近距離で投げた枕は、それでもあっさり片手で受け止められた。
私の反応が楽しいのか、アルはすっかり機嫌が治ったように笑っている。
「馬鹿とはひどい言い草です。いつも僕の方がご奉仕しているのですから、たまにはイベリス姫が」
「黙って!」
「黙りましょう」
黙る代わりに私の懐へと滑り込んだ影は、性懲りもなく胸元の肌に吸い付いた。
もう何度目かわからない。
わからないけれど、最近はこれくらいなら十秒程度で治せるようになってきた。
誰にも自慢できないけれど、私の回復魔法はめきめき上達しています。
王女として頑張っているイベリスですが、ダメだしされました。
とはいえ春幸が譲ったのはイベリスのこれまでの言動に好感をいだいていたからなので、イベリスの頑張りは無駄ではありません。
アルとダリアとの会話についていけているのも、半年間の勉強の成果です。
 




