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護衛が王女(わたし)の命を狙う暗殺者なんですが  作者: 遠山京
第二章 その褥に竜胆は咲く
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18 舞台裏

疲れて眠ってしまったイベリスの髪を梳き、アルベルトはひっそり溜息をつく。

おそらく起きれば今度こそ入浴したいと言うのだろうから、その準備を女中に頼もうと離れを出た。

寝ずの番をしていた女中に、明け方に湯を沸かしてほしいと伝えて離れに戻る途中、アルベルトは物陰に視線を向ける。

じわりと闇がにじむように、人影が現れた。


アルベルトが普段身にまとっているものとよく似た黒装束を身に着けたその女は、外見だけならばせいぜい三十になるかどうか。

しかし実年齢は間もなく八十になろうとしている老婆だ。

誰も老婆だとは気付かないであろう軽い足取りで、彼女はアルベルトに近付く。



「ずいぶん精力的だねえ。面倒な小細工ばかりして、そこまでお姫様に手柄を持たせてやりたいのかい」


「イベリス姫に……王子様として仕事をすると約束しましたからね」



はん、と笑い声が響く。



「あんたが王子だなんて悪い冗談だよ」


「全くです。おかげで骨を折りました」



肩が凝ったというジェスチャーを取って見せるアルベルトに、師匠は嫌な顔をする。



「こっちが言いたいね。作業員に紛れて穴掘りするのがどれだけ大変だったと思ってんだい。隠し通路にするのに他の作業員に見つかっちゃまずいし、城下町まで開通させようと思ったら寝食惜しまなきゃこんな短期間じゃできっこないんだ。骨を折ったのはあたしの方だよ!」


「老人は骨が折れやすいですからね」


「そっちじゃないよ!」


「そっちもでしょう」


「うるさいね、とっくに治ってるよ!」



流石化け物、と内心で呟いてアルは溜息をつく。

まあこの逞しさを知っているからこそ穴掘りなんて頼めたわけだが。



「それだけ元気があるならもう大丈夫ですね。うちのお姫様が気を揉むので、二度としくじらないでくださいよ」


「分かってるよ。借りは返した。もうあんたは暗殺者じゃないんだ。あたしに接触するのはやめときな」


「言われずとも」



その言葉を最後に気配は消える。

おそらくもう二度と会うことは無いだろうと思いつつも、特に言うべき言葉は思い浮かばなかった。

薄情だと言うイベリスの声が頭をよぎって、アルベルトは溜息をつく。

言いたいことも言うべきことも、濃密すぎる七年の間にとっくに伝えきったつもりだ。

それは言葉ではない時もあったけれど、伝わっていると分かる程度には長い付き合いなのだから。

忌々しい、と内心で吐き捨てながら、離れへ戻りかけた足を止めた。


おそらく今夜は静かな夜になるだろう。

躾けの最中に不穏な動きをする者がいればコリーが見逃すはずがない。

ならば釘を刺しておくには今がいいかと、アルベルトは地中の気の流れへと体を溶け込ませた。


城内は思いのほか静かだった。

微かに地下から声が聞こえるのは、おそらく往生際の悪い一部の人間が躾を受けている最中なのだろう。

しかしその声色にはもはやほとんど覇気がなく、折れるのは時間の問題だと察せられる。

春幸の私室へ目をやると、僅かな明かりが漏れていた。

起きているのならば都合がいい。

部屋の中へ侵入すると同時に、声をかけられる。



「ルアー様」



仮にも後継者候補として腕を磨いていた男だ。

日野晴ほどでは無いものの、龍脈の流れにも人の気配にも敏感である。

隠れる気が無かったとはいえ、こんなにすぐアルベルトの存在に気付くのはグラジオラス王国の人間では不可能だろう。

やはりこの男は有能だ。

何のためらいもなく平伏の姿勢をとる春幸を見下ろして、アルベルトは唇に弧を描く。



「こんばんは、寝付けないようですね」


「……いえ、このような夜更けにどうなさいました?」


「労いに来たんですよ」



その言葉に、春幸の眦が僅かに震えた。



「今回のことで、かなり手駒を失ったでしょう?」


「……何のことか」


「今更隠す必要はありません。それを理解した上で僕はお前を後継者として認めたのですから」


「………」


「毎晩毎晩同じ時間に似たような人間を送り込む。何か意図があるのだろうと思ってはいました。だからその時間にはお前の動向にも気を配っていたんですが……日野晴に行動を起こさせるためだったとは。お前にばかり警戒を割いていた僕の失態でした」


「……あれで日野晴が貴方の反感を買って処分されれば手っ取り早かったのですが」



観念したように、ため息混じりに春幸は認めた。



「お前の手先は日野晴や雪音の家臣にまで入り込んでいたようですね。色々とお前にとって都合の良いよう情報を吹き込むことができるほどにまで。雪音に僕の危険性を伝えて危機感を煽ったりもしていたようですし」


「そこまで知られているとは恐れ入りました。今日は全てわかった上で泳がせてくださっていたわけですか」


「ええ。お前がどう動くのか楽しみにしていましたから」



笑顔でそう答えるアルベルトに、春幸は目を細める。



「日野晴が王女殿下の湯上がりに無礼をした日の晩、貴方があるいは日野晴を殺してくれるのではと思っておりました。しかしそうなさらなかった。もちろん見逃されることも想定しておりましたので、その時には某の手で討ち取るつもりでいたのです」


「この国らしい決着の付け方ですね。その為に日野晴の茶に痺れ薬を混ぜたのでしょう?」


「……ええ。さらには日野晴の愛用の刀である火乃烏(ひのからす)を手の者に命じて隠させました。体が痺れ、得物も持たぬ日野晴であれば某でも十分に殺せます」


「用意周到で結構です」


「……しかし、日野晴は火乃烏を手にしておりました」


「必ずしも思惑通りに事が進むとは限りません。勉強になったでしょう?」



春幸に毒を盛られたと気付いた日野晴は激昂した。

日野晴の臣下が『春幸様の臣下からの造反を避けるため、この場で殺すのは得策ではない。どこかへ隠した方がいい』と助言しなければおそらく春幸は殺されていただろう。

全ての計算違いは、日野晴の手元に愛刀があったこと。



「やはり……あれを日野晴に返したのはルアー様でしたか」


「言ったはずですよ。イベリス姫を敬えと」



日野晴が湯上りのイベリスに接触した時、アルベルトは春幸の思惑を全て察した。

イベリスに触れた日野晴自身はもとより、それを画策した春幸を、不問のまま後継者に指名するつもりはなかった。

イベリスを離れへと連れ戻しながらコリーにひっそり指示を出し、火乃烏を元の場所へ戻させたのは、春幸の指摘通りアルベルトだ。



「……では、王女殿下も?」


「その腹の傷が塞がったことが必然だとでも思っているのなら酷い勘違いです。彼女は何も知りませんよ。もし僕がしたことを知れば怒るでしょうから、黙っていてほしいですね。その前にお前の方がイベリス姫からの信頼を失うでしょうが」


「……」


「僕はお前が息絶えるならそれでも構いませんでした。いえ、そもそもこの国自体どうなってもいいんですよ。なのになぜこんな回りくどいことをしているのだと思います?」


「王女殿下は……この国を気に入っておられる」


「ええ、その通りです。だからこそお前も多少強引な手を使うことができたのでしょう?僕が彼女の愛するこの国を滅ぼすことは無いと高をくくって」



全て見透かされていると察して春幸は口を噤んだ。



「お前があの地下牢に連れてこられたのは僕にとっても誤算だったんですよ。イベリス姫は傷を見るのが苦手なんです。あの状況でさらなる負担をかけるつもりはありませんでした」


「……しかし、某がおらねばあの場からは……」


「逃がせますよ?お前がいてもいなくても、イベリス姫はあの場から脱出し、日野晴は民衆からの支持を失う筋書きでした。お前が死んでいれば雪音を後継者に立てても良かったんです。まあ、お前の方が頭が回るのでやりやすいと思ってはいましたが」


「……」


「お前が生きているのはすべてイベリス姫の厚意によるもの。その命を救われた恩、そしてこの国を滅ぼされずにいる恩。それを忘れないことです」


「……心得ました」



頭を下げる春幸から視線を逸らし、その場を去りかけたアルベルトはふと足を止めた。



「ああ……もう一つだけ誤解を解いておきましょう」


「誤解?」


「確かに僕はイベリスが可愛いので、彼女の気に入っているこの国に手を出さないことにしました。今のところは」


「……」



訝しむような顔を見て、アルベルトは小さく笑う。



「僕は彼女を悲しませたくないなんて、別に思っていないんですよ」


「……それは、どういう?」


「そのままの意味です。今の僕は彼女の歓心を買うことにしています。その方が彼女は僕をよく頼り、僕のことをよく考えるようなので」



執着の塊のような言葉に、春幸は唇を閉ざした。



「ですがもし、お前が彼女を失望させる事があれば……僕はこの国を滅ぼします。彼女のための復讐ではありませんよ。僕以外の誰かの為に心を痛めるイベリスは我慢ならないからです」


「………肝に銘じます」


「そうしてください。僕も面倒は好きではありません。イベリスの機嫌をとれているうちはわざわざ手を汚す気もないので」



頑張ってくださいね、と気の無い応援を残してアルベルトはその場を去った。

一人残された春幸は細い溜息を長々と零し、天を仰ぐ。



「想像以上に厄介な御人であったか。振舞い方を考え直さねばなるまいな」







「おかえりなさいっす。主人、王女様!」



翌日、アルやダリアと共に城へ戻った私は、前将軍と三兄弟、その家臣たちに平伏して迎え入れられた。

ずらりと居並ぶ土下座の向こうで、一人得意げな笑顔で明るく声をかけてくれたのはコリー君だ。

非常に浮いている。

……なんか一部の人達がすごい震えてるんだけど、コリー君は何をしたのかしら……



「もうこの城の主人は主人と王女様っすよ!逆らうものはいないっす!」



同意しろとばかりにコリー君に小突かれた日野晴様が、震えているのか頷いているのかよく分からない動きで、か細く『はい』と呟いた。

あの日野晴様がこうなるなんて……

私もぞっとしたけれど、おそらくこの場で一番まともであろうダリアはドン引きだ。

『やっぱり竜胆国は野蛮です……』という小さな声が聞こえた。

違う、主に野蛮なのはグラジオラス出身のアルとコリー君だ。

日野晴様も酷かったけど、それを上回っているのがこの二人だ。

竜胆国の名誉の為にそう訴えたいけれど、言えるわけもない。



「とりあえずっすね、主人の言う通りこの国の将軍は春幸っす。でも主人は王子様っすよね?王子様っていう肩書がこの国ではよく分からない位置づけだったみたいなんで、将軍より偉いってことにさせたっす」



とうとう王子様が将軍より上って明言されちゃったよ……

いや、これまでも実態としてはそんな感じだったんだけど。

しかしそういう肩書を厭うアルは、嫌そうにコリー君を見た。



「そんなことは指示していないはずですが?」


「指示されてなくってもこれはどうしようも無いっす。だって主人がこいつらの下につくなんてありえないっすよ。こいつら、おいらより弱いのに」



でしょう?と真っすぐな瞳を向けるコリー君に、アルは大きなため息をついた。



「まあ、いいでしょう。僕は基本的には政治に口を出しません。春幸、口を出されずに済む為政者であるように努めなさい」


「はっ」



ハキハキと返事をした春幸様はゆっくりと顔を上げた後、私の方を見た。



「王女殿下、某の命を救っていただきましたこと、改めて御礼を申し上げます」


「いえそんな……」


「この国の将軍として、王女殿下のおられるグラジオラス王国へ感謝と親交を示したく存じます。今後の両国の関係を良いものとすべく、このあと会談のお時間をいただきたい」



正式な会談の申し出に、思わず拳を握ってしまった。



「はい!喜んで!」



王女らしからぬ元気な返事をしてしまった私を微笑ましそうに見た後、春幸様はアルへと視線を向けた。



「ルアー王子にも公務のお願いがございます」


「公務?」



青い瞳が細められた。

ものすごく嫌そうだ。

しかしそれにもめげず、春幸様は言葉を続ける。



「某が竜胆国の将軍であること、そしてルアー様が王子であり、この国における最高権力者であること、そしてこの後の会談で決定したことを文書として(したた)めます故、グラジオラス王国へとお届けください」


「なぜ僕が……」



イベリス姫に託せばいいだけでしょう、と面倒くさそうにするアルに対して、春幸様は笑顔を向けた。



「雪音より聞いたのですが、二月には王女殿下の誕生日を祝う大規模な宴が開かれるとか。その場には夫婦、もしくは恋仲の男女が共に参加するものであるとも聞き及んでおります。当然、王女殿下はルアー王子と共に参加されたいとお考えのことと存じます故、この国の代表として王女殿下へのお祝いをお願い致したく」


「春幸様……!」



なんて素敵なプレゼント!

こういう後押しでもない限り、アルが自ら舞踏会のパートナーを務めてくれることなどない。



「ご配慮有難うございます!」


「礼には及びませぬ。王女殿下を敬えと言うのはルアー王子のご指示であり、こうして王女殿下にお喜びいただくことこそ、ルアー王子の本懐にございます故」



にっこり微笑む春幸様。

喜ぶ私と、良かったですねと苦笑しつつも同意してくれるダリア。

アルは一人舌打ちしそうな顔で、『当てつけか』と低く唸ったけれど、サプライズに喜んでいた私は聞き流していた。

暗躍していた人々のお話と、春幸の忖度。

「イベリス姫に気を遣えばいいんですよね?ルアー様じゃなくて」(にっこり)な春幸でした。

たぶん春幸はさっさとイベリス姫にルアー様をもらってほしい。


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