17 ヤンデレの想定外
城下につくと、大きな屋敷を持つ富豪の家の前で牛車が止まった。
「宿があればよかったんですが、どうやらこの国には安宿しか無いようで。各地からやってくる商人や富豪は、個人の伝手を利用して宿を確保しているようなんですよね」
元が小さい国な上に鎖国状態だったのだから、確かに旅籠なんてほとんど必要も無かっただろう。
これから開国の動きが出てくれば状況も変わるんだろうけど。
アルが交渉したようで、屋敷内の客室が一部屋と、離れが提供された。
「……また離れ?」
何を企んでいるのかとアルを睨み上げると、ぐっと肩を抱く手に力がこもった。
甘く誘うような手つきではない。
逃がさないと言うような痛みに、ハッとした。
日野晴様から逃れて城下でアルと合流してから、アルは不自然なほどにずっと笑顔だった。
そして片時も離れずに私の肩を抱いている。
それはただ甘えているとか、周囲への当てつけだとかではなく、もしかしたらただの拘束だったのかもしれない。
アルはおそらく、私の動向をずっと観察していたはずだ。
そうでなければあれほど都合よく私たちは脱出できなかった。
だとしたら、日野晴様が私の襟をつかんだ姿も見ていたのだろう。
何故その時に止めに入らなかったのかは分からないけれど、肩を掴まれただけであれほど過剰反応していた男が、何も感じていないとは思えない。
気付いてしまえば、私を見下ろしている笑みが途端に冷たいものに思えてくる。
「あの……イベリス王女様を差し置いてわたくしが母屋を使うわけには参りません。それに、ルアー様もお泊りになるのであれば……その、お二人は未婚の男女でございますし……」
凍り付いている私に気付いているのかいないのか、ダリアがおずおずとそう声をかけてくれる。
けれどアルは笑顔のまま首を振った。
「いえ、僕とイベリス姫が離れを使います。ダリア嬢はどうぞ母屋の客室でおくつろぎください」
「ですが……」
仮にも王女を、恋人とはいえ婚約者でもない男と同衾させるわけにはいかない。
侍女であるダリアはなおさらそう思っているだろう。
けれど言っても通らないことを知っているかのように、すぐに溜息をついてゆるく首を振った。
「イベリス王女様、一つだけ確認させてくださいませ」
「……何かしら」
この後のことを考えると恐ろしくてたまらない私は、声をひっくり返さずにいることに必死だった。
受け答えをしつつも頭の中では、この後訪れるであろう危機をどう回避するかフル回転中だ。
どうやって怒りを鎮めたらいいの!?
「お二人のお付き合いについて、国王陛下はお認めになっていらっしゃるのですよね?」
突然出てきた国王と言うワードに、一気に頭が冷えた。
「……もちろんよ」
竜胆国王子との付き合いができたことを歓迎するような言葉は受け取っているし、その後も私に王子とのやり取りを期待するような発言があった。
くわえて、アルいわく全て黙認されているらしいのだから……もう思い出すだけでも乾いた笑いが漏れそうだ。
「ならばわたくしから申し上げることはございません。どうぞごゆっくりお休みになってくださいませ」
ダリアは手に負えないと言いたげにそう言い残して、女性兵士を引き連れて女中が案内する部屋へと向かっていった。
庭に取り残された私はおそるおそるアルの表情を伺う。
けれどその顔を確認しようとするより先に、アルは私の手を引いて歩き出した。
こちらの歩みを全く考慮してくれない歩調に、足がもつれそうになる。
走っているようにみえないのについて行くのがやっとなほど早く、そして足音は全く聞こえない。
それは暗殺者として行動している時の癖だ。
普段のアルは、怪しまれないよう他の人と同様に足音を立てている。
つまり、今の彼は……護衛としてではなく、暗殺者として体を動かしている。
「……アル」
かすれた声でそう名前を呼ぶと、僅かに震えた指が、ぎゅっと私の手を握り直した。
引き込むように離れへ連れ込まれる。
土間にも人影は無く、どうやら人払いがされているらしい。
脱出劇を繰り広げた上にさっき無理に歩かされたせいだろうか、足が痛い。
文句を言おうとした瞬間、目の前のアルがナイフを足元に放り投げた。
「え?」
それを追いかけるように、次々とけたたましい音を立てて、その場に暗器が散らばっていく。
懐や足元などいろんな場所から魔法のようにナイフや針のようなものが取り出されては下に落ちた。
何事だろう。
というかいつもこんなに仕込んでいたのか。
普段はこれだけのものを落とすことも無ければ音一つ立てることもなく歩き、そして服を脱いだりもしているのだと思うと……感心よりも呆れが勝つ。
問うべきかツッコミを入れるべきなのかわからないながら口を開いてみたけれど、こちらを振り返ったアルの顔を見た瞬間に声を失った。
代わりに、悲鳴のような音が喉から漏れる。
青い瞳が、無機質に私を見下ろしていたからだ。
この眼差しを見るのは久しぶりだ。
最初の頃、私の反応を伺うようにしていた……観察するような眼差し。
今だって私の命を奪いたいという言葉を聞かされることはある。
嫉妬をあらわにした時に、少年の目が青くなることも。
昨夜だって、久しぶりにナイフを突きつけられた。
殺意をにじませるその眼差しにぞっとするのは、そんなに珍しい事じゃない。
けれど最近向けられているその瞳には熱が通っていたのだと、今気づいた。
最初の頃とは全く違う色をしていたのだと。
アルから発される混じりけの無い殺意がどういうものなのか、思い出したくも無いのに思い出された。
「どう触られました?」
「どうって……」
かろうじて声が出た。
日野晴様に襟をつかまれた時の事を言っているんだろうと察せられたけれど、質問の意図が分からない。
触られたことを知っているのなら、詳しい状況も知っているはずだ。
それなのに何でそんなことを問うのか。
戸惑う私にも構わず、アルは淡々と問いかけを繰り返す。
「どう触られたんですか?」
「……咄嗟だったからそんな覚えてない……」
手が伸びてきたと認識してすぐ、恐怖に頭が支配されてしまった。
襟を掴まれたと言う事実しかもう覚えていない。
「昨夜、肩を掴まれた時のことは?」
「それも覚えてないわよ……」
それがそんなに大事なことなのか。
ひとまず正直にそう返事すると、じっとこちらを見ていた青い瞳が僅かに細められた。
「……そうですか、安心しました。最悪触られた部分は無くせますが記憶を消すのは難しいですからね」
その言葉の意味を理解すると同時に背筋が冷える。
「触られた部分を無くすって……」
「……しませんよ。たぶん……後悔するので。それとも清々するんでしょうか」
「後悔してほしいわ……」
「努力します」
後悔する努力って初めて聞いた。
そんな訳の分からないことを言いながら、アルは物騒なものが散らばった土間から框に足をかけ、私を抱き上げた。
「ひゃっ!?」
私の足に引っかかったままだった下駄を土間に放り投げて、アルはすぐ傍の部屋へ入った。
畳敷きの広い部屋には床の間以外、家具も布団すらも無い。
壁にもたれさせるように私を下ろしたアルは、当たり前のように私の着物をはぎ取っていく。
「ちょ、ちょっと……!」
「両掌、右肩と腰、脛と足首、それから右腕」
「え?」
青い瞳が苛立ったように細められる。
「治療してください。今すぐ」
その視線を追いかけて自分の体を見てみれば、さっきあげられた箇所に打ち身や擦り傷があった。
手のひらの傷は知っていたけれど、他にもたくさん怪我をしていたらしい。
自覚すると急に痛みを覚えだした。
『自分以外の人間がつけた傷を見るのは気分が良くない』というアルの言葉を思い出して、慌てて回復魔法を使う。
この半年の練習成果に加えて、今日は命に関わる怪我を必死に治したおかげだろうか。
この程度の怪我なら軽いものだと思えるほど、簡単に傷を癒すことができた。
けれど肌が綺麗に戻っても、アルの冷たい目は戻らない。
肌を見られるのが恥ずかしくて着物の前を合わせようとするけれど、無言でそれを制される。
一体なんの羞恥プレイなのか。
落ちる沈黙が耐え難くて、口を開いた。
「アル……なんで怒ってるの?」
私の問いかけに、形のいい眉が顰められる。
なぜ分からないのかと言いたげに。
いや、知ってはいる。
私がアル以外の人に怪我を負わされたこと、日野晴様に触れられたこと。
その二つはアルにとってとても気に食わないことなのだということは。
けれど分からない。
「おかしいじゃない。だってアルはずっと見てたんでしょ?なのに止めなかったんでしょう?」
「それは……」
僅かにあるの表情に躊躇いが生まれた。
このまま冷静さを取り戻してほしい。
「それに触られた時のことだって……騎士にエスコートされてる時はここまで怒らないのにどうして?」
しかし、その畳み掛けはまずかったらしい。
僅かに視線を落としていた青い瞳が見開かれたかと思えば、いつの間にか床に押し倒されていた。
アルの顔に影が落ちる。
まるで命の通わない人形のような綺麗な顔立ちに、こんな時だというのに見惚れてしまった。
「それが同じだとでもいうんですか?もちろん僕は騎士のエスコートだって気に入りませんよ。何度騎士の手をそぎ……叩き落としたくなったことか分かりません」
「……我慢してて偉いわ」
思わず褒めてしまった。
なんかそぎ落とすとか言いかけていた気がするけれど聞かなかったことにしよう。
「しかし日野晴は明らかに貴女を凌辱するつもりで触れました。同じ感情で見ていられると思いますか?」
そう言われると、確かにそうなんだけど……
「それなら、どうして……」
止めることもできたはずなのにどうして止めなかったのか。
アルはきつく目を細め、ため息をついた。
まるで私以上に戸惑っているかのように。
「僕のことをおかしいと言いましたね。その通りです。僕はおかしい。正直なところ、貴女が他の男に何かされそうになっても、もう少し平気だと思っていました」
「……そこは平気じゃないでいてほしい」
「それなら朗報です。ちっとも平気ではありませんでした」
喜びづらい。
「他の誰かになびいたら殺すみたいなこと言われた気がするんだけど……本当は平気だと思ってたの?」
「本当に心奪われることがあればもちろん殺しますよ」
もちろんなんだ……
「でも、他の男にちょっかいを出されるくらいはもう少し我慢できると思っていたんです。もし貴女が誰かに傷つけられても、それ以上に傷つけて頭の中をまた僕のことで塗り替えればいいと思っていました。完全に僕のそばから離れるのは許せませんが、多少どこかにふらっといったところでお仕置きの口実ができるというのも悪くないと」
「………」
共感も納得もできないこの告白にどんな反応をすればいいのか誰か教えて。
凍り付いた私に、アルはふっと笑う。
「もちろん、貴女には僕のことを好きでいてほしいんですよ。だから優しくしたいと思います。怖い思いもさせたくありません。けれど貴女は僕の手の内に収まっていることを望まないようですし、それなら少しくらい貴女が傷つくことも許容しないといけない。かといって僕以外の誰かの為に涙を流す様は見たくないので」
熱烈な口説き文句のようでいて、実際に語っていることは『監禁して守りたいけどそれが無理なら他の誰かより自分の為に傷ついてほしい』というようなことだ。
相変わらず重い。
「だから多少のことは目を瞑れるようにしようと思っていたんです。……でも無理でした。服の上から男が手を触れるだけで耐えられなかった。まさかと思ったので今日はその確認をしていたんです」
「確認?」
「ええ。たまたま昨夜虫の居所が悪かっただけなのか、本当に耐えがたいことなのか。それにイベリス姫がこの国では自分で頑張りたいようなことを言うので、今日は手出しを最小限にして様子見を心がけることにして……日野晴が手を出しても止めないでいようと決めていました。……ひどく後悔しましたが」
私の言葉を尊重してくれていたらしい。
僕の手の内に収まることを望まないというのは、そういう意味だったのか。
自分がやりたいようにやるタイプのアルが、私のお願いを聞いて自立を応援してくれていたんだと思うとなんだかジーンとする。
そんな感動に気づいていないらしいアルは、視線を逸らしながらため息をついた。
「それで気づきました。僕は……思ったより嫉妬深いようです」
「………いまさら!?」
自覚なかったなんてびっくりなんですけど!?
「いえ、嫉妬深い自覚はありましたよ。でも相手の男に殺意を抑えられないほどというのはさすがに限度がすぎるというか」
「アルの基準が分からないわ……」
「貴女だけではなく、日野晴まで殺したくなったんですよ?」
また『なんで分からないのか』という顔をされた。
分かるわけがない。
「無理です。他の男が貴女と一緒に逝くのは……我慢ならない。それなのに殺したくなるなんて最悪です」
「………」
理解できない。
変な独占欲だ。
最初から誰も殺すなとか色んなツッコミが頭をよぎるのに……
なんで今、私はちょっとドキッとしたのだろうか。
私の頬にのぼった熱に気づいたかのように、アルの手が私の首を伝って頬に触れる。
ぞくりと体を震わせると、甘い声が耳に落とされた。
「僕以外に傷付けられないでください」
「……何よそれ……アルにも傷つけられたくないわよ」
「それなら早く宥めた方がいいですよ」
「宥めるって……」
「どうすればいいかは昨夜教えたでしょう?」
体に刻み込まれた記憶が蘇り、ぞくりと体に熱を走らせた。
どこか甘い空気を感じると同時に、ハッと我に返る。
私、めちゃくちゃ汗かいたんだった!
「ま、待って……まだお風呂入ってない!」
「そんなに汚れてませんよ」
「か、髪にも土とかついてるはずだし」
「後でいいでしょう、それくらい」
そんなことを言いながら私の首筋を舐める様は、本当に私が気にしているのが何の汚れなのか知っているとしか思えない。
これは逃がしてもらえそうにないと悟った。
「選べるのは二つに一つですよ。僕を宥めるか……僕にこの場で殺されるか」
淡く笑みを浮かべながら、大きな手が私の首をゆるく掴む。
手のひらを押し上げるように、ごくりと私の喉が鳴った。
首に手をかけられていると言うのに、目の前の暗殺者はどこまでも綺麗だ。
薄暗いこの空気が、本当によく似合う。
私に向けられるのは、殺意を孕んだ冷たい眼差し。
けれどそれに反するように熱い手のひらが物語っている。
あの時と同じ瞳でも、彼の心の中は同じじゃない。
私を愛してやまないから、こうして殺意を抱いている。
殺したくないと思うから、鎮めてほしいと懇願する。
首から手が離された。
チャンスは今しかないと促すように、青い瞳が私を見つめる。
生死が関わっていると言うのに、体の奥が甘く疼く。
羞恥を押し隠して上体を起こし、そっと自分から唇を重ねれば、そのまま強く抱きしめられた。
きっと酷くされるのだろうと思っていた。
そう覚悟していたのに、初めての時よりずっと優しくアルは触れてきた。
時々辛そうに眉を寄せる姿を見ても、きっと堪えていたんだろう。
口では酷いことをいくらでも言うくせに、結局アルは私を傷つけないように……いつだって気をつけてくれている。
それがたまらなく愛しいんだ。
私の声が間違っても他の誰かに聞こえないよう、執拗に唇をふさぐ様も。
私の肌に他の誰かの感触が残らないよう、全身を余すところなく撫でる指も。
もっと乱暴でもいいのにと、私の方が思ってしまうほど……優しい。
私の肌のあちこちに新しい花が赤く咲いていることに気付いたのは、翌朝の入浴中だった。
ヤンデレが本領発揮(自重あり)です。
どこまでの表現が許されるのか分からないのですが、多分これくらいならR15の範囲ですよね?




