15 民主主義?
「この場で!?」
「ルアー様、そのような大事は父上や家老のいる場で……」
日野晴様は目を剥き、春幸様も慌てたように口を挟んだ。
「もちろん正式な発表は場を改めます。しかし、次期将軍が誰になるかによって生活に大きな影響が出るのは城下の民です。どのような人物がどのような経緯で将軍となるのか、彼らには知る権利があるでしょう。後ろ暗いことが無いのなら尚更です」
もっともらしい言葉を語ったアルは、こちらを睨む日野晴様を煽るような笑みを浮かべた。
春幸様は諦めたように口を閉ざすだけだ。
町民たちは戸惑った様子はあれど、興味深そうに耳を傾けているのが分かる。
全員黙ったのを確認して、アルは再び口を開く。
「まず最初に、僕は後継者の条件をこう伝えました。イベリス姫を敬う事、と。しかし日野晴はその言葉を聞き入れず、敬うどころかイベリス姫に無礼な接触をし、ついにはこうして怪我まで負わせ、逃げる彼女を追い立てました」
アルがそっと私の手を取る。
そこには擦り傷と打ち身の跡があった。
気付いていなかったけれど、怪我をしていたらしい。
茶室から落ちた時や逃げる時など、思い当たることはいくつかある。
「それは……しかしながら!後継者の決定に色事を持ち込むなどもってのほかではありませんか!」
アルの言葉を受けて、日野晴様がそう反駁する。
町民の賛同を得ようとするかのように視線を周囲に巡らせて。
完全に論点のすり替えだけれど、国のトップが色恋沙汰にかまけて政治を疎かにするというのはどこの国でも前例があり、忌避されやすいことだ。
彼の狙い通り町民たちはアルに疑いの眼差しを向けた。
しかし本人はわざとらしく溜息をついて首を振ってみせる。
「僕の言葉をただの色事と受け止める。それこそ後継者としての資質の欠如に他なりません」
……え、そうなの?
私もただのバカップル発言のように受け止めていた。
「良いですか?イベリス姫はグラジオラス王国の第二王女です。隣国の王女であり、竜胆国にとってはこの地に来て初めての賓客です。その事実を日野晴は忘れているようですね」
「そのようなことは……」
「忘れていないのにこのような所業に出たというのなら、この国の実情を理解していない、もしくはただの馬鹿という他ありません」
身も蓋もない暴言に日野晴様の顔が赤くなる。
しかし彼が反論するより先にアルは私の方を見た。
「イベリス姫、認識の甘い日野晴にこの国が今どういう状況にあるのか教えてやってください」
急に水を向けられて驚いた。
硬直する私に、アルは微笑むだけ。
この場の視線が私に集中する。
逃げ腰になりそうな己を叱咤し、ぐっと唇を噛んだ。
大丈夫、今日までたくさん勉強をしてきた。
王女として振舞うと決めたのだから、ここで無様な姿はさらせない。
「長らく竜胆国は……西大陸の国々との外交を断ってきました。その理由は、この地を侵略した竜胆国にとって、地盤を固める前に門戸を開けば取り込まれるおそれがあったから。そして東大陸からの援助もあったので、西大陸に対しては鎖国状態でもそれほど支障が無かったからです」
このあたりの話は雪音様にも確認したので間違いないはず。
日野晴様や春幸様からも異論は出なかった。
「しかし……それから百年以上の時が経ちました。東大陸からの援助は数年前から滞るようになったと聞いています。隣国との商いで物資を得るようになったのは、その影響なのですよね。一方、我が国を含め西大陸の国々は同盟締結や合併が進み、国力を高めているのが現状です」
「そう、そんな中でやってきたのが、イベリス姫です」
アルが私の言葉を引き継いだ。
「イベリス姫は僕と親しく、この国にも友好的です。彼女をもてなし、融和を図ればあるいはこの国は西大陸に受け入れられるかも知れません。しかし逆に対応を誤れば、この国は戦火に包まれるでしょう」
不穏な発言に、町民がざわめく。
けれどこれは大げさな言葉ではない。
おそらくアルが王子なんて肩書を持ってグラジオラス王国を訪ねなければ、数年以内に同盟国との間で竜胆国に対する措置が何かしら講じられただろう。
「東大陸からの支援を期待できないこの状況で、この国の兵力の何十倍という連合軍が攻め入るおそれがあります。ただでさえグラジオラス王国には、竜胆国によって滅ぼされたギプソフィラ王国の民がいるのです。恨みの種はまだ芽吹く余地があります。末裔であるそこの少女はそれを望まず、この国との友好の道を探っていたようですが」
今度はアルの視線がダリアに向けられ、さらに町民がざわめいた。
亡国の末裔ときいて、胸を痛めるような表情をする人や、ダリアと交流があったらしい商人はそんな人が自分達と親しく接してくれたのかと感動したりしている。
もちろんそんな人ばかりではないけれど、こちらに同情的な人が大半だった。
どうやら自分たちの方が侵略者側であると言う歴史が、町民たちにも正しく伝わっているらしい。
「さて、この前提を踏まえて……日野晴は二人に敬意を払うことなく、将軍の地位欲しさに凶行に及びました」
「……某のこの傷も、日野晴にやられたものだが……そこの王女殿下に癒していただいたのだ。一時はもはやこれまでと死を覚悟した某を繋ぎ止めてくださった。彼女は命の恩人なのだ」
春幸様が懐の傷を見せるようにしながらアルに追随すると、一気にざわめきが大きくなった。
どうやら春幸様は町民からの人気が高いようだ。
『そんな怪我を!?』と一気に日野晴様への批判が強まる。
私の告発よりよほど効果的だったらしい。
自分の慕っている人を傷つけられたら怒るのは当然だろうけれど。
「このように、争いの種を生む人物を次期将軍にしていては、民が戦火に呑まれます」
「勝手なことを!」
「勝手なことをしたのはお前ですよ、日野晴」
そうバッサリ切り捨てて、アルの視線は雪音様へと移った。
それに合わせて町民もそちらへ関心が移り、なぜ雪音様が捕らえられているのかと囁き出す。
「雪音はこの国を強く愛し、民想いです。しかしそれゆえに兄に利用され、イベリス姫に危害を加える行為に加担しました。いかに国を想えど、大局を見極めることができず利用されるだけの人間が為政者になれば……あっという間に竜胆国は他国に吸収されるでしょう」
雪音様がぐっと唇を噛む。
何も反論はしなかった。
「最後に春幸。……お前には僕から言うことはありません。己に恥ずべきことがないようであれば自らの口で考えを述べなさい」
不意に、アルは冷ややかな視線を春幸様に向けた。
日野晴様や雪音様に向けるより冷たいものを感じて、思わず首を傾げる。
平伏していた春幸様はその言葉にピクリと体を揺らしたけれど、数秒の逡巡の後に顔を上げた。
「某は……今日まで民のことを第一に考え行動して参りました。武力に優れた兄上が将軍となることがこの地の為とあれば、その補佐としてお仕えしようと長らく考えていたのも事実!しかしながら兄上が真にこの国のことを思い、その力を振るってくださるのか某にはわかりませぬ!将軍という地位に固執し、周囲を顧みぬ兄上の言動を度々目にし……某がこの国を、民を守る道もあるのではと考えるに至り申した!」
そう叫んで立ち上がる春幸様に、町民は賛同するように喝采で応えた。
興奮の声を聞きながら、アルは面倒くさそうに首を傾けて目を閉じる。
再び青い瞳が開かれた時、その眼差しには温度が幾分か戻っているように見えた。
しかしこの流れを受け止めきれない日野晴様が怒りに任せて背後の壁を殴りつける。
騒ぎを掻き消すような轟音と共に石壁の一部が崩れていった。
……え、これ人間業?
これも龍脈によるものなんだろうか。
とりあえずその建物の持ち主が可哀想では。
ドン引きしている私とダリア、そして怯えたように一歩下がる町民たち。
静まり返ったその場を、日野晴様は恨みがましい目で見渡して口を開く。
「将軍に必要な資質は武力だ!龍脈をうまく扱えねば国を守れぬ!水害や戦から民を守れるのは私だ!」
絞り出すような絶叫に、思わず喉が心配になる。
血を吐きそうだ。
駄々をこねる子供を見るような目をして、アルは溜息をついた。
「確かに武力は必要でしょう。しかし必ずしも将軍が武力を備えている必要はありません。将軍の指示に従い動ける部下がいれば国は治められます。この大陸においても国王が戦にでないという国は少なくありませんから。それに、竜胆国で言う武力というものが西大陸で通用するものでは無い事にそろそろ気付いた方がいいですね。この地は東大陸と異なり龍脈が薄く気の力が弱いため、代わりに魔法が発達しています。今の龍脈頼りの状態のままでは他国とは渡り合えません」
アルの発言は、竜胆国の立場の弱さをつきつけるものだ。
町民たちから困惑の声が上がる。
その声を聞く限り、魔法という言葉を聞いたことはあってもよく知らない人がほとんどのようだ。
確かに竜胆国に来てから一度も魔法を目にしていないけれど、これだけ魔法を使う国に囲まれていて百年もの間文化が染まらなかったって言うのも本当にすごいと思わず感心してしまう。
「この百年我が国が攻められなかったのは、龍脈を使用した戦術を他国が恐れているからではないか!」
「確かに得体のしれない術を使われると警戒はされているでしょう。しかしそれは面倒を避けようとしているだけで畏怖ではありません」
開戦すればわかることですが、と加えてアルが溜息をつくと、日野晴様は俯いて歯噛みする。
「魔法の方が優れていると言うのか……!」
「一概にそうとはいえませんが、西大陸においては魔法を使用した戦略の方が有用であるのは事実です。東大陸では龍脈に沿って陣形を組むのが定石ですが、この地ではそのようなことはしません。そもそも龍脈という言葉すら知らない国がほとんどですので。おかげで侵略戦争当時は奇襲がうまくいってこの地を奪えたようですが、それ以上版図を広げられなかったことからも分かる通り、奇襲一辺倒でどうにかなるほど西大陸の国々も甘くはありませんよ」
「竜胆国がこの地に来た当時、西大陸はいくつかの国が戦争を繰り広げていて緊張状態にありました。この国へ派兵する余力のある国は少なかったのです。でも……今はもう状況が違うのです。竜胆国の行動次第では、他の国々が敵にも味方にもなり得ます。私はできれば、グラジオラス王国と竜胆国の間には友好関係を築きたいと願っています」
アルの言葉に固くなる人が多いので、補足とフォローを入れてみた。
しかし空気を読まない男がさらなる補足をしてしまう。
「イベリス姫の言葉を有難く受け止めた方が良いですよ。一撃の破壊力は魔法の方が圧倒的に上ですからね。治水に関しても、龍脈を使って完全に水を制御するのはこの地では難しいはずです。それは一昨年の水害からも明らかでしょう。いつまで過去の遺物にしがみついているつもりですか?」
日野晴様だけでなく、町民や春幸様、雪音様まで俯いてしまった。
こんなに遠慮なくこき下ろしたら当然だ。
日野晴様批判じゃなくて竜胆国批判になっている。
町民からしたら現将軍がこの国は駄目だと言っているかのように聞こえているだろう。
これ以上アルに任せていたらこの場がお通夜になりそうだと慌てて口を開いた。
「でも!春幸様は今後のことも考えていらっしゃるのですよね!」
私に話をぶん投げられた春幸様は、焦ったように口を開いた。
「左様です!このまま手をこまねいていれば我が国は衰退しかねませぬ!まずはイベリス姫のお申し出を有難く受け止めて隣国グラジオラス王国と友好関係を築き、西大陸における竜胆国の在り方を考え直したいと存じます!」
「と、このように柔軟な考えを持った将軍の方がこれからの時代には必要だと思いますが、民が指示するのは誰なのでしょうね?」
アルの言葉に、町民は改めて春幸様の支持を訴えた。
一気に場の熱が復活する。
町民の声に春幸様も応えることで、すっかり春幸様コールが沸き起こっている。
とうとう日野晴様は何も言わず、その場に立ち尽くした。
喧騒に目を細めつつ、アルは私に囁く。
「さて、民意も定まったようなのでこれで後継者は決定しましたね」
「民意って……」
「民主主義というやつです。前にイベリス姫が教えてくれたでしょう?」
いつだったかお互いの前世の話をしていた時に、私の前世は民主主義国家だったと話したことがある。
それを覚えていたらしいんだけど……
「これは、民主主義になるのかしら……」
他の候補者を潰すような形で思いっきり誘導してるんだけど。
「まあ、確かに一部の声しか反映されてはいませんが……全国行脚して全国民の支持を得ると言うのは時間がかかりすぎます。どうせ誰が将軍かなんて、近くに住んでいる町民以外はよく分かっていないんですから、城下の人間の支持があれば十分ですよ。この流れを受けて将軍となる春幸は簡単に引きずり降ろされはしないでしょう。あとはイベリス姫が春幸をうまく取り込めれば安泰です」
「日野晴様や雪音様を支持する人達がこれで静かになるとは思えないけど」
アルにしては楽観的だと眉を上げると、分かっていると言うように青い瞳が微笑んだ。
「大丈夫です。この後は、コリーの出番ですから」
「へ、コリー君?」
思わぬ名前が出てきた。
いつもご覧いただきありがとうございます。
跡目争いには決着がつきそうです。
次回はコリーが大活躍?




