14 泣き寝入りお断り
先ほどの話からよく考えてみれば、多少土で塞いだところで龍脈をうまく使える人ならばまたすぐに穴をあけられるんだろう。
追手が来るのも当然だ。
次第に聞こえてくる足音。
上手く走れない私とダリアではすぐに追いつかれてしまいそう。
春幸様一人なら、きっと逃げ切れるんだろうけど……
彼は私達二人に速度を合わせてくれている。
声まで聞こえてきて、これは絶対絶命かと思った時。
「くそ、どうなっている!?足がとられるぞ!」
「何故足元が揺れているのだ!?誰かが龍脈に干渉しているとしか思えぬ!」
「春幸様か!」
「よもや移動しながらこのようなことができるとは!」
背後からそんないら立ちの声が聞こえてきた。
思わずチラリと前を走る春幸様を見たけれど、苦笑気味に首を振られる。
「某は斯様に器用なことは致しかねますな。我らの足元はなんともないでしょう?」
息一つ乱れていない春幸様と違って、私に返事をする余裕はない。
とりあえず頷いて返しておく。
その口ぶりから察するに、かなり繊細な操作が行われているのだろう。
……アルなんだろうな、きっと。
つまり、私たちが追われていることはアルも分かっている。
その上で姿を見せていないのなら、きっとこれは全て想定内の動き。
希望が確信に変わり、僅かに足取りが軽くなった。
その時、前方が明るくなっていることに気付く。
ひょっとして、出口!?
春幸様が僅かに歩調を緩め、私達を制した。
「背後には幾分余裕がありそうですのでお待ちを。某より五歩ほど下がって後を追ってくだされ」
出口に誰かが居るかもしれないと警戒してか、春幸様は慎重に外へと向かっていった。
おそらく時間的にはまだ午前中だ。
ずっと暗い地下に居たものだから目がくらむ。
目を瞬かせながら急角度の坂を上っていくと、そこは簡素な木製小屋の中だった。
隙間から光が漏れているものの、明り取りの窓すら無いので薄暗いはずなんだけど、地下から出てくるとこれでもかなり明るく感じる。
いきなり日差しが燦燦と照り付ける場所に出ればさらに目がやられただろうから、屋内なのはありがたい。
外鍵は無いようで、内鍵を開ければ扉はすぐに開いた。
外は藪で覆われていたけれど、かろうじて人一人通れそうな道らしきものが見える。
「……ここを通れと言う事のようですな」
春幸様はもうどっかの誰かさんに仕組まれていることに気付いているようだ。
ダリアだけが戸惑っている。
春幸様が枝を払ってくれた後をなんとか追いかけていくと、細い路地に出た。
奥まった場所にあるのか、竜胆国の様式とは違う古い洋風の建物が目立つ。
「ここはどこかしら……」
「城下の大通りからかなり離れた場所にある路地だと思いますわ」
春幸様より先に、ダリアが即答する。
「近くに漆器を扱う工房がありますので、何度か通ったことが……」
私の視線に気付いて、照れたようにそう言い訳する姿は可愛いけれど……こんな大通りから外れたところまで足を延ばしていたとは。
いやまあ、護衛はついてたはずだからいいんだけど。
それにしても、結構歩いたと思ってはいたけれど、お城からこんな離れた場所まで来ていたとは……
流石にそこまでの距離は感じなかったんだけどな。
もしかしてこれも龍脈のトリックがあるんだろうか。
「……追手が参ります。大通りへ向かいましょう。某の配下もおりましょうし、大勢の民の前で狼藉を働くことはありますまい」
春幸様の言葉にうなずいて、私達三人は歩き出した。
しかし地元とはいえ将軍の息子である春幸様はこんな小さな路地に来たことは無いらしく、道案内はダリアがしてくれた。
お城が遠目から見えるので方角はわかるものの、このあたりの路地は入り組んでいる。
もともとギプソフィラ国があった時から少しずつ雑多に作られた街並みをベースにしているので、雑然とした道は突き当りが多く、まるで迷路のようだ。
「この短期間にこれほどまで我が国の城下町に精通しておられるとは」
春幸様から感心の声が漏れた。
ダリアは苦笑した後、視線を彷徨わせながら口を開いた。
「不躾を承知で申し上げますと、我が家にとって貴国へ渡ることは長年の悲願でした」
「……もとはこの地に住んでいた人々の末裔だと聞き及んでおります」
「おっしゃる通りです。わたくしはこの地の暮らしや歴史をこの目で見たことはありませんが、祖父たちにとってはやはり思い入れの強い場所のようです。祖父ですらこの地を知らないはずですが、先祖から長年聞かされてきたのでしょう。いずれこの地に足を踏み入れたいといつも語っておりましたわ」
「祖父君は……」
「三年前に亡くなっております」
急に重たい話が始まって、私は口を挟めなくなる。
スパティフィラム家が竜胆国と特に因縁の深い家であることはもちろん知っていたけれど、しょせんはただの知識。
普段ダリアがそのことを詳しく話すことも無いので、彼女がどれほどの重責を背負ってここにいるのか、分かっているようで分かっていなかった。
「心に従うまま頭を下げることができぬ某をお許しくだされ」
「春幸様のお立場は理解しております。互いに立場ある身ですもの。もとよりわたくし達の世代にとっては過去のこと。もはや伝聞ばかりの話に、どれほどの信憑性があるのか、確かめようもありませんわ」
「我が国がこの地を侵略したのは事実です」
「ええ。そして百年もの間、我が国の隣人であったのも事実。上の世代にはいろいろと思うところがあるようですが、わたくしは過去より未来の方を選びますわ。内政干渉をするつもりはないという前提の下、個人的な望みを口にするのが許されるのなら、次期将軍には建設的な話し合いができる方を希望します」
……本当にダリアはしっかりしている。
十三歳とは思えない。
隣国の次期将軍候補……王国で言うならば王太子に近いような立場の人に、これほどのことを言えるのだから。
春幸様は返事はせずに、黙って頷いた。
「……建設的な話をするためにも、ひとまずこの場を切り抜けましょう。追手が近づいているようです」
「大通りはすぐそこですし、なんとか間に合いましたわね」
ようやく道幅が太くなり、歩く人が多くなってきた頃になって、追手が来たらしい。
このあたりに来ると春幸様の顔を知っている人もいるらしく、周囲に『春幸様だ』と口にする人も増えていた。
これだけの人の目があれば、いくら日野晴様でも強引な手には出られないはず。
滞在しているこの短い期間でも、お偉いさんだから横暴が許されるという国ではないことは分かっている。
竜胆国は血筋に重きを置かない。
実力主義というのはつまり、周囲に認められる実力が鍵になるわけで、民衆を含めた周囲の人々の支持が思いの外影響している。
過去に私利私欲のため富を独占し、挙句は実力の伴わない実子を後継者に指名しようとした将軍がいたけれど、民衆や家臣たちが一斉に反発して態度を改めることになったと、雪音様が教えてくれた。
雪音様が人望という一点のみで後継者候補に出てくるのも当然で、将軍は民衆からの人気も重要なようだ。
武力が重んじられていたのは、この国にとって大切な技術である龍脈をうまく扱える人は戦闘能力も高いという事実があり、さらに戦争時には武力のある人が支持されやすい為だ。
戦争が終わって久しい今の時代に、武力以外の能力に特化した指導者を人々が求めるのは当然のこととも言えた。
「待て!」
そんな声がかかったのは、大通りに出たのと同時だった。
ダリアはホッとしているようだけれど、私はこのタイミングで追手が追い付いたのもどっかの誰かさんの企み通りなのだろうと思っている。
慌てて大通りに駆け込んできた異国の娘二人と、将軍の息子である春幸様。
そしてそれを追うように飛び込んできた兵士数名と、いつの間にか合流していたらしい日野晴様。
対峙する私たちは、否応なくその場の視線を集める。
「ご兄弟そろって……これは一体何の騒ぎで?」
一番近くのお店から店主らしき人が出てきて、戸惑ったようにそう声をかけてくる。
どうやら二人ともそれなりに城下町の大通りでは顔を知られているらしい。
人々の視線を集めていることにようやく気付いたらしい日野晴様が、険しい表情を解いて笑みを浮かべて見せた。
「いやなに、他国の姫君が少々お転婆でな……」
心外すぎる言葉を口にした。
私のせいにしようというのか。
カッとなって口を開く。
「私を無理やり手籠めにしようとして何をおっしゃいます!」
「将軍の地位を得るために、イベリス王女様の御身を危険に晒し、春幸様まで凶刃にかけておいてよくもそのようなことを!」
私の怒声にダリアも同調した。
逃げ切った安心感から恐怖が一周回って怒りに替わっているのか、私より熱量が高い。
私たちの言葉を聞いた日野晴様は大きく目を見開く。
「な、何を……」
「王女殿下、そのようなことを往来で叫ばれては王女殿下の矜持に傷をつけませぬか」
反論されるなど思ってもみなかったと言いたげな表情だ。
私を守るように立ってくれている春幸様まで困った顔でそんなことを言う。
この国では女性は一歩下がり、口数が少ないのが美徳。
そして手籠めにされそうになったと言う事実は女性側の汚点であり、他に嫁に行きにくくなるのだという。
だからこそ夜這いで手を付けてしまえば狙った女性を得られると、夜這い文化が残っているらしいのだが。
確かにグラジオラス王国においても王女の純潔は重要な問題で、疑いをもたれること自体屈辱だ。
私自身、過去に苦い記憶がある。
けれどそれを隠すためだけに泣き寝入りするなんて冗談じゃない。
私の中に残る過去のイベリスが、騒ぎになりたくないと言う気持ちと、身の潔白を証明したいと言う気持ちをない交ぜにしながら苦しんでいる気がした。
ごめんね、騒ぎにはなるよ。
だけど誇りを貶めることになんかならない、させないから。
息を吸い込み、もう一度口を開いた。
「手籠めにされそうにはなりましたが、ダリアのおかげで未遂に終わりました!そして私は現将軍ルアー様の恋人であり、グラジオラス王国の第二王女です!私に乱暴しようとした日野晴様には正式に抗議をいたしますし、私自身になんら恥じるところはございません!」
そうきっぱり宣言する。
騒ぎを聞きつけて、集まっていた民衆がどよめいた。
将軍がいつの間にか変わっていたと言う事実に驚く声やら、日野晴様がそんなことを?と失望する声やら。
あ、ルアー様はあくまで王子様であって将軍って言っちゃいけなかったんだっけ。
でも実態は将軍みたいなものだし、王子なんて言ったら民衆は混乱するだけだからいいだろう。
中には私の振る舞いを見て眉を顰めている人もいるようだけれど、そこはもう価値観の違いだ。
騒がせているのは申し訳ないけれど、私が悪いと謝る気はない。
これで黙ろうものなら日野晴様は適当にこの場を言いくるめてうやむやにしてしまう。
私だけでなくダリアも危険な目にあったのだ。
目を瞑ることなどできない。
私たちの剣幕に気圧されて、日野晴様と兵士が狼狽えている。
「でたらめを!次期将軍の座を狙う春幸に唆されてそのような虚言を口にするとは許せぬ!」
「何がでたらめですか!私は隣国の王女です!この国の政に口を出したりはしておりませんし、一人の後継者に肩入れなどもいたしません!ましてや己の身を貶める虚言など、するわけがないでしょう!」
民衆の声は未だにこちら寄りだ。
ダリアがせっせと店に通っていたおかげで、私とダリアのことを知っている人が少なくない。
「あの子、よくうちの店に来てくれるけど素直ないい子だよ。主であるお姫様の話もよく聞かせてくれたけど、人格者だって話だ」
「手籠めにされそうだったなんて、そうそう口にできるもんじゃない。よほど耐えかねることがあったのは間違いないだろう」
そんな声が後押しとなり、日野晴様に非難の目が向けられる。
分が悪いと見て取った日野晴様が後方の建物に視線をやって何かを促すように小さく手を振った。
何事かと身構えるけれど、何も起きない。
それを不思議に思ったのは日野晴様も同じらしく、戸惑ったように視線を周囲に巡らせている。
「探しているのはこれですか?」
ざわめきの中でもよく通る涼やかな声がその場に落ちた。
私と日野晴様を隔てるようにどさりと降ってきた黒い影。
日野晴様が視線をやっていた後方の建物から放り投げられたのは人だった。
意識を失っているのかピクリとも動かない。
まさしく忍者というような衣装に身を包んだ人の姿を見て、日野晴様の表情が歪む。
それを追いかけるように壁を飛び越えて現れたのは、ずっと待っていた姿だ。
「ルアー様!」
とっさにアルと呼びそうになった私の声はかき消された。
ダリア、春幸様、日野晴様がそろってそう呼んだからだ。
助かったというべきか、負けたというべきか。
相変わらずの黒い着流し姿を見て、周囲の人々は訝し気にしている。
会話の流れから彼が現将軍だと言うことは分かっても、とてもそうは見えない風貌だからだろう。
穏やかな笑みを浮かべたまま、アルがこちらへ歩いてくる。
「アル」
「よく頑張りました」
小声で名前を呼ぶと、ぎゅっと肩を抱き寄せられた。
それだけで涙が出そうになる。
アルがいるから大丈夫だと言い聞かせていたとはいえ、やっぱり怖かった。
いつの間にか背後の春幸様は跪いており、それを見て取った町民たちも頭を下げていく。
日野晴様も悔し気に、ゆっくりとその場に伏せた。
ダリアはみんなに合わせるべきか戸惑いながら中腰の体勢で固まっている。
腰がやられる前に、そのままでいいよとさりげなく伝えておく。
アルが手を二度打つと、女性兵士に挟まれて連行されるような形で雪音様も現れた。
その表情は暗く俯いていたけれど、私とダリアの姿を見て少しだけ安堵したように緩んだ。
「……さて、役者が揃いました。この場で次期将軍を決定いたしましょう」
微笑んでそう言ったアルに、周囲がざわめいた。




