13 脱出
「それで彼は本来なら自分が後継者だったと主張しているんですね」
「伝統にのっとれば間違いなく日野晴が後継者だったでしょう。長子ですし、実力も申し分ない。しかし……国を治め、民の生活を守るには武力だけでは足りませぬ。某の考えに賛同してくれる者も多いのです。左様な中、ルアー様が現れたことによりほぼ確定していた後継者が白紙に戻りました。ルアー様自身が将軍になることを望んでおられぬこともあって、後継者の選定基準を見直すべきだと言う向きになった次第です」
それは確かに、日野晴様からすれば面白くないだろう。
「それで、春幸様は刺されたんですか?」
「昨晩、日野晴に呼び出されまして……不意を突かれ縛られました。後継者を辞退するよう要求されていたのですが、今朝方それを拒否したことを理由にあのような事態に」
かなり過激なやり方だ。
良かった、日野晴様と春幸様がそれぞれ違う人で。
アルが支持しようとしていたのは目の前の春幸様。
私に乱暴しようとする日野晴様なんかじゃなかった。
「雪音様は……日野晴様に賛同しているのでしょうか」
「雪音は本来優しい娘です。ただし、人一倍この国を愛しております。そこでこう考えたのでしょう。ルアー様を手放すわけにはいかないと」
「ルアー様を?」
「ええ。後継者が決まればルアー様はグラジオラス王国へお戻りになる。つまりはあの恐るべき戦闘力が他国にわたり、我が国を脅かすおそれがあるわけです。雪音が最も恐れていることは、あのお力が牙をむき、多くの民が朽ち果て、この地が荒れ果てることです」
「ルアー様はそんなこと……」
しないと断言したいところだけれど、場合によってはするかもしれないので言葉を濁してしまった。
……いや、させない。
私がさせなければいい話なんだけど!
言い淀む私に、春幸様は苦笑した。
「おそれながら、我らにとっては確証がありませぬ。しかし、ルアー様は王女殿下を大切にしておいでですからな。王女殿下がこの国にお輿入れなさればルアー様も留まってくださるのではと考え、日野晴に協力したのでしょう」
アルがそんな平和な選択をしてくれるとは思えない。
私と日野晴様が夫婦をしている傍で護衛を続けているアル……想像できないなぁ。
「さて、しかし王女殿下がそれをお望みでないことは重々承知しております。この命を拾っていただいたご恩を返さないわけにも参りますまい。まずは身内の不祥事の尻拭いを致さねば。外へ出ましょう」
「そうですね。……ダリア、大丈夫?」
背後に座り込んだままのダリアに声をかけると、先ほどより幾分良くなった顔色で彼女は頷いた。
「はい。……すみません、何もできずに」
「こんな事態だもの、当然よ。歩けそう?」
「はい、大丈夫です」
そう言いながらダリアは壁に手をついてゆっくり立ち上がった。
その姿を横目に、春幸様は扉をガタガタと動かしている。
「開きそうですか?」
「ええ、さほど厚い扉では無いようです。某がこの通り動けるようになることは日野晴にとっても想定外だったに違いありませぬ。女子のお二人にはできなくとも、某ならばこじ開けることも可能です。しかし、この扉の向こうがどうなっているかは分かりませぬ。見張りは居ないようですが」
「春幸様はこの場所のことをご存知なかったのですか?」
「おそらく日野晴がこの為に用意した場所でしょう。木材は新しく、土の湿り方からしてもこの場所は真新しい」
「……私を、閉じ込めるためにわざわざ?」
「この数週間ほど、日野晴の御殿の工事が行われておりまして、奴はその音頭をとっておりました。その人員と木材を流用してこの場所を作ったとみえます。ずいぶん前から王女殿下を手籠めにする算段があったのでしょう」
全く許しがたい、と鼻息を荒くする春幸様だけれど、私はむしろぞっとした。
衝動的な行為ではなく、そんなにもずっと前から計画的に、私を狙っていたなんて。
ただ命を狙われるより、そういう意味で狙われる方が嫌悪感が強い。
過去の経験のせいだろうか。
暗殺者ならアルがなんとかしてくれてきたという実績があるからかもしれない。
「しかし外に繋がっているのは間違いありませぬ。外に出られさえすれば何とでもなりましょう。日野晴の配下が数人いたところで某がお二人をお守り致します」
言ってしまえば行き当たりばったりで脱出してみるしかないと言うことだ。
しかし、ここでじっとしていればそのうち日野晴様が戻って来る。
せっかく傷が癒えてきた春幸様も、再び刺されてしまうかもしれない。
行動しないと言う選択肢は無いだろうと判断して、早鐘を打つ胸に拳を握りこみながら頷いた。
「では、開けますが……お二人はすぐに動けますか?」
「私は大丈夫です」
「わたくしも行けます!」
ダリアが力強くそう返事した。
先ほどまで座り込んでいた負い目があるのか、無理やり元気を振り絞っているように見える。
あれで気分が悪くならない令嬢の方が少ないだろうし、気にしなくていいんだけど。
「では早速……ああ、申し訳ないがどちらかその蝋燭を持っていていただけますか。そして扉から離れて、背を向けていてください。そうです」
蝋燭を手にしたダリアが燭台を両手で抱えて背中を向ける。
私もその隣に立って待機した。
それを確認すると、春幸様は小声で『参ります』と呟く。
細く息を吐きだして助走を付けた大きな体が、扉に勢いよくぶつかった。
けたたましい音を立てて扉ごと巨体が吹っ飛ぶ。
しかし身軽に受け身をとってみせた彼は、こちらを振り返った。
「足音が……すぐに追手が来ます。走れますか!」
「わたくしなら大丈夫です!」
「わ、私も走れますが……」
正直私は春幸様の傷口が悪化したんじゃないかと気が気でない。
大きな血管は塞げたはずだけれど、傷口はまだ開いているし出血も微量ながら続いている。
既に流した血の量を思えば、一番走れる体調じゃないのは彼のはずだ。
その心配が顔に出ていたのだろう。
春幸様はこちらを見て笑顔を見せた。
「これしきで参っていては竜胆国の武人の名折れ!参りましょう!蝋燭をお借りします!」
「は、はい!」
迷っている暇はなさそうだ。
ダリアから燭台を受け取った春幸様が先行して歩き出す。
大股とはいえ春幸様は走っているとはいえない動きだ。
怪我でうまく動けないこともあるだろうけれど、おそらく私達を気遣ってのこと。
なれない着物に歩幅は狭く、足を素早く動かしてもそれについていくのがやっとだった。
ダリアも動きづらそうにしている。
扉の向こうはが土が掘られたままの真っ暗な道が続いていて、春幸様が手にした蝋燭の明かりだけが頼り。
それを目印に、転ばないよう後を追うので精一杯。
「あれは……おい、逃げたぞ!」
そんな声が聞こえたのは、歩き出して間もなく、曲がり角に差し掛かった時のことだった。
「ち、やはり無人とは行かぬか」
そう言う春幸様が燭台を私に押し付けるように渡して、臨戦態勢に入る。
しかし、ようやく私の目にも向こうから走って来る人影が確認できたのと同時に、突如土壁が崩れてきた。
土埃が舞い、ダリアの小さな悲鳴が聞こえる。
私はとっさに蝋燭を庇いつつ、顔を袂で覆い隠した。
春幸様や見張りらしき男性たちも戸惑いの声を上げている。
どうやらどちらかが狙ってやって事では無いらしい。
おそるおそる腕をどかして様子を伺うと、まだ土埃で視界が悪いながらも状況が窺えた。
見張りと私たちの間をふさぐかのように崩れた土は、天井にまでに及んでいた。
「……これは一体……」
「春幸様、これ……」
そしてその反対側は、さきほどまでただの土壁だったはず。
しかしこちらも同時に崩れていたようで、向こう側に通路が見えた。
どう見ても、もとあった通路を土で隠してあったような形だ。
ここまでくると人為的なものを感じる。
春幸様もそう思っているのか険しい表情をしていたけれど、私をチラリと見た後頷いた。
「仕方ありますまい。こちらへ参りましょう!」
「だ、大丈夫なんですか?」
躊躇いを見せたのはダリアだ。
この訳の分からない状況は、ダリアにとって恐怖でしか無いだろう。
また土壁が崩れてくるかもしれないと考えてもおかしくない。
けれど私は怖くなかった。
こんな風に私たちに有利なおかしな現象が起きるとしたら、起こせるとしたらそれは一人しかいない。
「心配には及びませぬ。王女殿下にとって悪いようにはならないでしょうから」
春幸様も同じ人物が頭にあるようで、力強く断言した。
どうやらこちらの道は通りやすさも考慮されているようで、崩れた土の山は広範囲のかわりに高さはあまりない。
着物でもさほど苦も無く上ることができた。
「一体どこへ続いているんでしょう?」
「……分からないわ」
不安げなダリアには悪いけれど、それは私にもわからない。
背後からは、なんとかして土壁を崩してこちらを追おうとするような声が飛び交っている。
足を止めている暇はなさそうだ。
私はただ、あの時言われた通り……アルを信じるしかない。
通路は狭いながら非常に長く続いていて、次第に息が上がってくる。
この道もこの二週間程度の間に作られたのだとしたら凄い作業スピードだ。
土魔法で掘ることも可能らしいけれど、かなり高度な魔法なので使える人は少ないと聞くし、それにしても一日で五十メートル掘り進められれば良い方のはず。
この道幅のことを思えばさらに半分くらいの距離になるだろう。
「この短期間にこれほどの距離を掘り進めることができるものですか?」
「………我が国が過去、この地を侵略したと言う事実は王女殿下もご存知でありましょう。なぜこの地を選んだか、お分かりになりますか?」
私の問いに対して、思わぬ問いが返ってきた。
首を傾げつつも記憶を引っ張り出す。
「元あったギプソフィラ国は小さな国で、軍事力はそれほど高くありませんでした。それでいて湾に面していて海軍が中心だった竜胆国にとっては攻め入りやすかったのだと聞きましたが……」
「それもまた間違いではございませぬ。しかしながら、最大の理由はこの地が……龍脈が濃く走る場所だった為にございます」
「龍脈?」
ダリアが首を傾げる。
「左様。この大陸の人々はほとんど利用しておられぬようですが、地中には龍が這った痕とも言われる膨大な気を孕んだ、目には見えぬ道が不規則に走っております。その龍脈を利用すれば、人の力では成しえない現象を引き起こすことも可能にございます」
「それは魔法とは違うのでしょうか?」
「似て非なるものです。こちらの大陸は東大陸に比べると龍脈が薄いので、これを利用している者は少ないようですな。代わりに魔素が濃いため、魔法が発達したのでしょう」
「それで、この地は龍脈が濃いんですか?」
「他の地に比べればといったところですが。しかし気を扱う我ら竜胆国の人間にとっては、その差によって暮らしぶりは大きく変わります故」
「そうなんですか」
「農業や治水にも龍脈が大きく関わるのです。しかしこの大陸の人々はあまりご存知でない」
「それは……できれば詳しく教えてほしいのですが」
「ふむ……王女殿下は命の恩人ですので……この件が片付きましたらば、多少技術を融通いたしましょう」
よし、言質とったわ!
おそらくこの知識と技術は竜胆国にとって要でもある重要な機密。
それを教えてもらえる関係というのは間違いなく友好国の証であり、技術を持ち帰ることはかなりの成果と言えるはず。
もちろん私がその場で教えてもらってというわけではない。
私が聞くのは概要だけで、後に改めて技術を習得する人材を派遣することになるだろう。
その人材の行き来というのが大きい。
絶対なかったことになんかさせないんだから、と意気込んだ。
「しかし、ルアー様はこの大陸のご出身にも関わらず龍脈の扱いがお上手ですな」
……アル、龍脈使ってるのバレてる。
何度も忍び込んでるんだから当たり前か。
「奇襲対策の結界を張っておったのですが、破られました。ルアー様のお師匠や弟子も龍脈の扱いが飛びぬけておいでです。ぜひ我が国の技術者たちへの指南をお願いしたかったのですが、色よい返事を頂けず……」
「そ、その話はこれくらいで」
ダリアが何のことだと言う顔をしている。
お師匠さんのことやコリー君のことを、ダリアは知らない。
春幸様はどうやらお師匠さんだけでなくコリー君のことも知っているようだ。
ひょっとするとお師匠さんを捕らえたりコリー君を伝令に出したりしたのはこの人なのかもしれない。
「ルアー様が竜胆国の人間ではないという噂は聞いていましたが……事実だったのですね。どうして他国の人間を王子や将軍にしようと?」
ダリアがそう尋ねた。
師匠や弟子の話は置いておいたとしても、そのあたりはずっと疑問だったのだろう。
アルの容姿はどう見ても西大陸の人間のものだから、そういう噂話が立つのは無理もない。
「龍脈を感じ取り、うまく扱えることも将軍の素養の一つ。有事の際、龍脈を用いて国を守るのは将軍の役目なのです。我が国では気を上手く巡らせることは武力にもつながります故、日野晴が最有力候補でありました。ルアー様には遠く及びませぬが」
武力を重視した将軍選びはただの脳筋発想ではなかったらしい。
失礼な勘違いをしていたとひっそり反省する。
「それで、この道も龍脈と関係あるんですか?」
「ああ、そうでしたな。左様です。龍脈に沿って土を掘る方法があるのです。うまく気を巡らせながら掘れば通常より早く掘り進めることができますし、穴掘り病も防げます故」
「穴掘り病?」
「土中深く穴を掘っていると、急に意識を失うことがありましてな。そのまま放っておくと死に至ることもございます」
「ああ、酸欠……」
そういえばそう言う話は聞いたことがある。
土中の成分が空気に触れて酸化することで、酸欠になるとかなんとか……
「サンケツ、ですか。王女殿下、よろしければ全て片付きましたらば互いに技術者や学者の交換を……」
何やら交渉が始まりそうな雰囲気で身構えるけれど、春幸様はそこで言葉を切って背後を振り返った。
「……外交は後程ですな。走れますか?追手が来ています!」
え、もうあの土を乗り越えてきたの!?




