11 殺意と愛情
「ルアー様っ……」
「……」
私の呼びかけに反応は無い。
離れが見えてきたので、目的地は間違っていなかったようだと安堵する。
けれど空気は寒々しいままだ。
何度呼んでも反応してくれないのは怖い。
「アル!」
本当の名前でそう呼ぶと同時に、どさりとその場に落とされた。
いつの間にか離れの中に入っていたらしい。
いつも私が入浴している間に女中さんが用意してくれてあるお布団。
その上に落とされたようだけれど、高さが高さなので結構痛い。
文句を言おうと顔をあげるも、すぐに声は引っ込んだ。
冷え切った青い瞳の男が、その手にナイフを握っていたからだ。
「あ、アル落ち着いて」
「落ち着いていますよ?あの男の手首をあの場で切り落とさなかった僕は相当冷静です」
まさか相手も肩に触れただけでその手を失うとは思っても見ないだろう。
いや、ルアー様ならやりかねないと知っていてもおかしくはない。
その危険を冒してでも私に近付いてきたのは向こうだ。
……そう考えてしまう私の感覚も、相当おかしくなっているのかもしれない。
私が息を呑むと同時に、その切っ先が喉元につきつけられた。
いつ距離を詰められたのかすら分からない。
ほんのわずかな隙を狙うようなその動きは、紛れもなく暗殺者のもの。
ターゲットは私だ。
久々に感じるひやりとした金属の感触に、思わず目を細めた。
「……アル」
「……良かったです、まだ躊躇えそうで」
そう言いながら、アルはぎゅっと眉根を寄せてナイフをしまった。
躊躇えなかったらそのまま首を撫でられていたのかと思うとぞっとする。
ナイフが離れた代わりに、アルは顔を私の首元にうずめた。
先ほどまでの緊迫感が嘘のように、優しく抱きしめられる。
「……もう少し名前を呼んでください。またナイフを取り出したくなる前に」
「!?……アル」
そんなことを言われたらもう必死に呼ばせていただくしかない。
私の必死さが伝わったのか、五回くらい名前を呼んだところで、耐えかねたような笑いをはらんだ吐息が首筋に当たった。
「……すみません、僕が間に合っていれば怖い思いをさせずに済んだんですが」
その怖い思いと言うのが春幸様に肩を掴まれた時のことを言っているのか、まさに今起きていることを言っているのか分からない。
ちなみに怖さ加減で言えばいい勝負だ。
身の危険という意味ではこっちが上なくらい。
「少し僕の予想と違ったようで……あの動きは想定外でした」
こんなに無駄な襲撃が続いているのはおかしいとアル自身気付いていたようなのに、裏をかかれたらしい。
「私が建物の中で待っていればよかったのかしら?」
「何とも言えませんね……今回はおそらく待っていてもらえれば間に合ったでしょうが……」
そこで言葉を切って、アルが歯噛みする気配がした。
「……今回は外だったからこそ、肩にしか触れられなかったとも考えられます」
それはつまり、室内だったらどこに触られていたか分からない、と?
アルの唸るような声色を聞いて慌てる。
そんな恐ろしい妄想を続けられると私の命に関わりそうなので、考えるのはやめてほしい。
いくら何でも考えすぎだと思うけれど、それを諭したところで聞いてはくれまい。
話題を変えるしかないだろう。
「アルが助けてくれたから大丈夫だったってことよね?有難う」
強引に顔を上げさせて、目を見てそうお礼を言う。
青い瞳に私の笑顔が映っている。
なんとか引きつらずに笑えているようだ。
アルは眉根を寄せつつも、頷いた。
……なぜか私の浴衣の帯に手をかけながら。
「えっ……ま、待って! 何!?」
「この浴衣はもう着ないでください」
「浴衣?」
「他の男に劣情を抱かれた服なんて見たくありません」
別に劣情は抱かれていないと思うんだけど。
しかしその否定をしたところで目の前の男が納得するとも思えない。
返答に迷っているうちに、肌が露わにされていく。
しかしその手つきは着替えさせると言うより、すっかり冷え切っていた私の体に熱を灯そうとするようなもので。
「ま、待って!ここでするの!?」
「今の僕は結構気が立っているんです。鎮めてください、イベリス」
「しずっ……!?いや、だって……」
「でないと貴女かあの男か、もしくは手当たり次第に誰かを傷つけるかも知れませんよ」
脅迫だ。
なんで恋人から脅迫されないといけないんだ。
本当にこの男はどうかしている。
そう思うのに……拒めない。
頬に手を添えられただけで、この後どうされるか知っている体が震えた。
「イベリス」
全てを屈服させようとするかのような表情をしながら、甘えるような声でもう一度そう呼ばれて。
私は喉を鳴らしながら、そっと彼の首に腕を回した。
……回してしまった。
気が立ったアルがどれだけねちっこいのか思い知る羽目になるとも知らずに。
まだ明るかった外が暗くなり、庭の石灯篭が灯される。
精神的にいたぶられる時間はとても長く、私は何度も許しを請う羽目になったけれど、灯篭の明かりが消される深夜になっても、アルは許してくれなかった。
◆
「お腹すいた……」
「夕飯食べてませんからね。何か用意させましょうか?」
表面上は穏やかな表情になったアルがそう言った。
既に外は白み始めている。
食いっぱぐれる原因となった男にチラリと視線を向けると、瞼にキスを落とされた。
そのままにしておくとまた布団に縫い付けられそうなので、やんわりと距離を開ける。
「そういえば女中さん、夕飯のこと聞きに来なかったわね」
「来ましたよ?」
「……え?」
「たぶんそれどころじゃなかったので聞こえていなかったでしょうが。僕が一言『下がれ』と言ったらすぐに気配が去っていったので、大丈夫です」
何も大丈夫じゃない話を聞かされた。
「えっ、じゃあ会話ができるくらい近くまで来て……」
「ええ、その襖の向こうに居ましたね。心配せずとも、開けられてないので姿は見られていませんし、ちゃんと声は我慢出来てましたよ」
そう言いながら、私の噛み痕がくっきりついた手を見せつけてくる。
やだ、あの時!?
頭を抱えた。
聞こえていなくても何をしているかはおそらく察されてしまっているだろう。
なんで流されちゃったのよ私!
うわああと声にならない声をあげる私を見て、アルが笑う。
けれど次の瞬間、ひっそり溜息が聞こえて顔を上げた。
「アル?」
「……何ですか?」
「何って……元気ないじゃない、どうしたの?」
私の問いに、アルは口をへの字まげて視線をそらす。
「落ち込んでるんです」
「落ち込んでるって……」
「裏があることは分かっていたのに……貴女から離れるべきではありませんでした」
護衛失格です、と呟く声には強い自己嫌悪が滲んでいる。
まだ反省が続いていたらしい。
私が油断していたせいだよ、と言おうとしてやめた。
そんな慰めをされてもアルの気は晴れないだろう。
襲撃者に気を取られて私から離れたのは事実。
そもそも私がこうしてターゲットになる状況を作り出したのもアル本人だ。
……あれ?全部アルのせいな気がしてきた。
でも、こういう危険があるのを承知でこの国に来ると決めたのは私だ。
アルを信じていたからというのがもちろん大きいけれど、グラジオラスの王女としてできることがあるならばと、そう決意した。
それなのに安全面で完全にアル頼りにしていた私の責任が無いとは言えないだろう。
「アル。私もうちょっとしっかりするから……殺しに行かないでね」
そう言うと、青い瞳がじっと私を見つめてきた。
やっぱり……この後そうするつもりだったんだろう。
「情が移ったんですか?」
「そうじゃないわよ。そりゃ私個人としても知ってる人が死ぬのは怖いけど、グラジオラスの王女としてまずいと思うの。何だかんだで三人の候補にはそれぞれの支持者がいるでしょ。それに三者三様の長所があるっていう話だし。誰かが死んだら、正式に後継者が決まったともしばらく竜胆国の政治は乱れる気がするの。それは我が国にとっても有益じゃないわ」
「……」
「アルにまで負担をかけるのは悪いとは思うけど……より良い選択をするために、協力してほしい」
見つめ返しながらそう言い切ると、アルは大きなため息をついた。
「……あの男は生かします。が、今度貴女に手を出すことがあればその限りでは有りません」
「これで懲りたとは思うけど、次があったら私だって黙ってないわよ。この国平穏は大事だけど、仮にも私はグラジオラスの王女なんだもの。あまり礼を欠くようなら相応の態度をとらなくちゃ陛下に怒られるわ」
竜胆国との融和を望んではいても、舐められることは許してくれないはずだ。
「むしろこれまでの無礼は今後の取引に活かしたいところね」
「……そこまで強がれるなら大丈夫ですね」
そう言ってアルの手がまた私を撫でた。
「……やっぱり私のこと心配してくれてたのね」
あの時、アルは本当ならその場で春幸様を殺したかったはず。
そうしなかったのは私を優先してくれただけだ。
怯えている私を宥めるために、殺したい衝動を我慢して……
「心配……そうですね。イベリス姫があの男のことで頭をいっぱいにしたまま戻って来なかったらどうしようかと思いました」
「……ん?」
「あの男に触られて、さらには過去に受けた屈辱を……また別の男たちのことも思い出していたんでしょう?それに気づいた時の僕の気持ち、わかります?」
分かりたくないのに分かっちゃう気がしないでもないような。
「僕の腕を振り払わないだけの思考を残してくれていて良かったです。もしそんなことをされればどうしていたか僕にも分かりませんから」
そんなことをにっこりと笑顔で言われて、私もにっこりと微笑み返した。
あ……っぶなかったー!
振り払われなくてよかったって、拒否されなくて良かったとかそういう意味合いじゃなくてそっちなの!?
また斜め上の判定基準があったと冷や汗をかく。
振り払わなかった私を褒めたい。
「ホッとしているイベリス姫に朗報です。後継者を決めました」
「え、本当!?誰!?」
「春幸です」
「え!?」
よりによって!?
「な、何で……」
「イベリス姫が今後もこの国との関係を続けたいのであれば、それなりに頭の良い人間でなければいけません。与することができても馬鹿に任せていてはおかしな暴走をするとも限りませんから」
「そ、そりゃそうだけど……」
殺さないでと頼んだ手前、その人は嫌だとも言えない。
まあ、実際不気味ではあったもののそんな明確な被害を被ったわけではないしね。
お風呂上がりに待ち伏せとか乙女心的には好感度ダダ下がりだし、体に触れてくるのもマナー違反だとは思うけど、それだけ必死だったというのも理解できる。
国を治める人間に頭の良さが必要だという点にも共感するし。
「分かった、それなら正式決定した後は私も歩み寄れるように……」
努力する、と言おうとした私の唇に、アルの手が当てられる。
アルは襖の向こうをじっと見つめていた。
何事かと私も黙ってそちらを見つめていると、離れの戸が開けられる気配がした。
「早朝に失礼いたします。ルアー様はおいででしょうか?」
この部屋でいつもお世話をしてくれている女中さんの声だった。
「用件は」
アルが声を返すと、襖の向こうで女中さんはホッとしたように息を吐いた。
「ああ、良かった。こちらでしたか……それが、春幸様のお姿が見当たらないのです。どこかへお出かけになった様子もありませんし、城の者達で探しているのですが……何かご存知ありませんでしょうか?」
春幸様が……いない?
あの時別れた後、どこかへ行ったのだろうか。
アルは訝しむように眉を顰めて、溜息をつく。
「着替えてから出ます。ダリア嬢と日野晴、雪音を広間へ集めてください」
「かしこまりました」
「イベリス姫、ろくに休ませてあげられずにすみませんが、一緒に来てもらえますか?」
「も、もちろん」
慌てて布団からまろび出る。
またアルに着付けを手伝ってもらい、急いで準備を整えた。
広間には既に雪音様とダリアが揃っていたけれど……
「日野晴様がいらっしゃらない……?」
私の呟きに、雪音様が困ったように眉を下げる。
「お父様と日野晴お兄様は、春幸お兄様を探しに行かれましたわ」
それでもまだ見つかっていないと言うことか。
雪音様の言葉に目を細め、アルはしばらく何か考えるように黙り込んだ。
「イベリス姫。僕は春幸を探してきます。雪音とダリア嬢から離れないように」
「わ、分かりました」
私と離れたがらないアルが探しに行くと言い出すのは意外だった。
それだけ緊急事態だということなのだろうか。
急激に緊張感が高まってくる。
表情が強張る私を見て、アルは微笑んだ。
「僕を信じてください」
そう言い残して、その場から離れて行く背中を見送る。
闇に溶けるように消えるわけでもなく、こうして後ろ姿を見送るのは初めてで、妙な不安を覚えた。
ご覧いただきありがとうございます。
ヤンデレがちょっぴり顔を出しました。
……ちょっぴりですよね?




