10 引き金
妙に疲れる着替えを終えた後、ダリアと合流して牛車に乗り込んだ。
冬の田園区域を抜けて街へと向かう。
連れていかれたお店は確かに庶民向けだったんだろうけど、事前に貸し切っていたのか他にお客さんはいない。
この街で唯一牛肉を扱った料理を出す店だとかで、出てきたのは……まあ言ってしまえば牛丼。
ダリア向けに醤油を控え、塩だれベースのものを作ったくれたようだ。
スプーンで食べやすいこともあってか、ダリアはおいしそうに食べていた。
一安心。
その後牛車を待たせて少し散策することになったんだけれど、ダリアは一つの商店の前で足を止めてしまった。
金持ち向けのお店らしいそこには食器や美術品が並んでいて、何でもグラジオラス向けにも商売をしているのだとか。
「少し店の中を見せてもらっても?」
「ええ、どうぞ」
どう見ても外国人のダリアだけれど、店主は愛想よく対応してくれた。
牛車には将軍家の家紋が入っているし、アルが『この者たちは信用して大丈夫です』と言って連れてきた女性兵士の護衛もいる。
将軍所縁の人間であることは明らかだからだろう。
「全く、ダリア嬢はたくましい」
「え?」
「国交が結ばれた暁には、竜胆国からの物品は主にスペティフィラムの地を経由します。国防上の警戒が緩和されるだけでなく、彼女の家にとっては商機でもありますからね。こうして竜胆国の商品を品定めするのも目的の一つだったのでしょう」
「しっかりしてるわ」
「見習わないといけませんね?」
「……分かってるわよぉ」
「まあ、今日のところは好きなことをして楽しんでください。そのために連れ出したので。ダリア嬢はもう少し時間がかかりそうですから、先に行きましょうか」
「え、でも……」
「護衛は置いていきますので大丈夫ですよ」
「イベリス王女様、私は大丈夫です」
私とルアーの会話は聞こえていたようで、ダリアが笑顔でそう言う。
雪音様のおかげで緊張が解けたのだろう。
ご飯をちゃんと食べられたのも良かったのかもしれない。
元の活動的なダリアが戻って来ている。
「それじゃあ……この通りをこのまま歩いてるわよ」
笑顔で頷き、またすぐに店主との話に戻ったダリアに苦笑しつつ二人で店を後にした。
昨晩は雪が降ったため、道の隅には雪が積もっている。
冷たい風に身を縮ませると、アルが自分の羽織をかけてくれた。
「有難う。アルは大丈夫なの?」
「ええ。こういう時の為に羽織っていただけなので」
最初から私の為だったなんてこと言う。
こうやって妙に甘やかす時があるのが困る。
どんな顔をしていいか分からない。
「顔真っ赤ですね」
そうからかってくるものだから、小走りに前を歩いた。
アルはそれを追いかけるでもなく、同じ歩調のままのんびりと後ろをついてくる。
この余裕の態度が腹立たしい。
枯草の匂いが風と共に通り過ぎていく。
グラジオラスとは違う、日本に似た植物があるせいだろうか、やっぱりどことなく前世を思い出した。
匂いにも記憶があるんだななんて、当たり前のことに気付いて目を細める。
きっと他の季節にはまた別の、懐かしい匂いや色に溢れているんだろう。
「……懐かしいですか」
いつの間にか足を止めていたらしい。
追い付いて来たアルがそう声をかけてくる。
「そうね。でも、戻りたいとはもうあんまり思わないの」
「そうなんですか?」
「だって、そこにはアルがいないんだから」
あえて"アル"の名前で呼ぶと、戸惑ったように視線を逸らされた。
照れているんだろうか。
「だけど懐かしいとは思うし、どうしてもこの国に惹かれちゃうのも事実ね。着物とか植物とか、前世になじみのあるものを見ると嬉しくなるし」
この時代劇のような光景が全てなじみがあるかというと違うのに、やっぱり懐かしいんだ。
思わず口元が緩む私を見て、青い瞳が眩し気に細められる。
「……貴女は些細なことで幸せそうな顔をしますね」
「何よそれ、皮肉?」
「いいえ。貴女を幸せにするのは骨が折れそうだと」
「些細なことって言ったじゃない」
「些細なことをあえて用意するのがどれほど難しいと思うんです」
そんなことを言われても。
「もっと即物的ならば簡単です。宝石でも、城でも、そういうもので喜んでもらえるならそれを用意すればいいのに。貴女がこの国を好いているからといって、この国を奪って貴女にあげても喜んでくれるわけじゃないんでしょう?」
「……そりゃあ……」
国を丸ごともらっても困る。
そしてそれを本当に出来ることのように言うのが恐ろしい。
この男に征服欲がなくて良かった。
あっという間に血生臭い時代がやってきていただろう。
「貴女を悦ばせることは得意なんですが、喜ばせるのは難しい」
同じよろこぶという言葉をニュアンス違いで言われた気がするけれど、深追いすると痛い目を見そうなのでスルーする。
「私に贈り物を考えてくれてるの?」
「もうすぐ貴女の誕生日でしょう?」
まさかの誕生日プレゼント。
そういう節目を大切にしてくれるタイプだとは思わなかった。
「失礼なことを考えていそうですが、こう見えても僕は貴女のことを大切にしてるんですよ」
「……知ってる。有難う」
肩にかけられた真っ黒な羽織だって、その証の一つだ。
「プレゼントなんてなくてもいいわ。こう言う言葉が何より嬉しい」
そう口にすれば、アルは複雑そうに眉根を寄せる。
「……本当にそれで嬉しそうに笑うんだから困ったものですね」
「ふふ、安上がりでしょ?」
戸惑いをごまかすように頭にのせられた手の重み。
確かに私を本当に喜ばせる贈り物って言うのは難しいのかもしれない。
こうしている時間が何より幸せで、形に残る"物"ではないのだから。
◆
そうして思ったより穏やかな時間が過ぎていき、竜胆国に来てからかれこれ二週間。
午前中に雪音様とお茶をするのが日課になっていて、ずいぶん打ち解けたように思う。
日野晴様はあれ以降私に接触してくることは無く、春幸様は何度か会いに来たけれどすぐにアルが駆け付けて追い払うものだから、ある日を境に見なくなった。
雪音様から聞いたところによると、頭の良い春幸様は市井の子供たちに勉強を教えていることがあるそうで城から出ていることも多いという。
日野晴様もどうやら城内で建て直しを実施している建物の監督指示を行っているとかで忙しいらしい。
『暇なのはわたくしだけですわ』なんて雪音様は謙遜していたけれど、私達とお茶をしている時以外はひっきりなしに家臣の人達が彼女を訪ねているようなので、言葉通り暇だとはとても思えない。
それでもお茶会を続けてくれているのは、私とダリアが早くこの城に馴染めるようにという配慮に見えた。
そんな状況なので、結局まともに話したことがあるのは雪音様だけだ。
特に不満は無いけれど、候補者選定が本当に進んでいるのだろうかと少し心配になる。
私の知らないところでアルが候補者と話し合いをしているようにも見えないし……
いつ頃帰れるのかしら。
後継者が決まったら今後の両国の関係について正式な話し合いをしたいのに、後継者が決まらないんじゃ話が進まない。
この国での生活はなかなか快適なんだけれど、いい加減連絡をとらないと心配をかけてしまいそうだ。
そろそろ手紙を書いた方がいいかもしれない。
入国してみれば人々は想像より友好的だし、砦の兵士を経由すれば届けてもらえそうな気がする。
とはいえ手紙で無事を伝えられたとしても、実際の帰国日が把握できないのは問題だ。
年末年始のイベントに参加できないことは織り込み済みだとしても、私の誕生日パーティーはそうもいかない。
十二月のうちにこの国を出ないと準備が間に合わなくなってしまう。
少しアルを急かしてみようかしら。
そんなことを考えながら、温泉のお湯を手でパチャパチャさせる。
すっかりこの露天風呂は私のお気に入りになっていた。
ダリアは外で全裸なんて無理、とのことで一度も入っていないらしい。
勿体ない。
気持ちいいのになぁ。
食事に関しては醤油と味噌の使用量を抑えた味付けにしてもらうことで、完食できるようになったらしい。
少し慣れてきましたと笑っていたので、一安心だ。
町にも毎日護衛を連れて出かけているようだし、だいぶ馴染んできている。
そのうち露天風呂にも挑戦してくれたらいいんだけど。
なお、私が温泉に入っている間に襲撃があるのは相変わらずらしい。
あれ以降私のところにおかしな小道具が飛んでくることはないけれど、アルが対処してくれているそうだ。
『襲撃のタイミングが掴みやすいのはいいんですが、効果が無いことは分かっているはずなのに続けているのが気になりますね』とはアルの言。
今日はそろそろ襲撃者を一人捕まえて話をしてみると言っていた。
平和的な話し合いであることを祈る。
ふと視線を落とすと、白い肌にくっきり浮かぶ痕が目につく。
入念につけられたキスマークも、つけられてから四日くらい経った頃にはもう当初の鮮やかな赤みを失ってきていた。
一番濃い部分は若干青あざっぽくなってもいたので、我ながら痛々しかった。
結局はただの内出血なんだよなぁとロマンの無いことを考えてしまう。
それでも、これが好きな人につけられたものだと思うと何だか甘酸っぱい気持ちになれるんだから、恋って大したものだと思う。
しかし今私の胸元にはまた真っ赤な痕が返り咲いている。
昨日、淵が黄色くなってきていよいよ怪我っぽくなってきたなぁとか思っていたら、何を勘違いしたのやらアルがつけ直してくださった。
薄くなってきたことを惜しんでたわけじゃない。
いや全く惜しくないといったら嘘になるけど、ダリアに見つからないようにするのが大変だから早く消えてほしい気持ちもあった。
……あったんだってば!
「……出よう」
なんだかまたのぼせた気がする。
お風呂には一人でゆっくり入らせてほしいと言う私の意見を尊重して、女中さんはついてきていない。
手ぬぐいや浴衣は用意してくれてあるので不自由は無かった。
浴衣くらいなら私だって一人で着られる。
そうえいば前世でも夏祭りの時には自分で着ていったっけななんてことを思い出した。
もはや浴衣の柄も思い出せないけれど。
露天風呂が隣接する湯殿から離れへは、歩いて三分もかからないけれど、外を経由することになる。
火照った体に冷たい空気が気持ちいい。
まだ日が落ちる前だと言うのに、今日はずいぶんと冷え込みそうだ。
湯冷めする前に戻らなければと足を速めると、母屋の近くで思わぬ人に出くわした。
「ああ、ようやくお会いできました」
春幸様だった。
雪が降っていたのだろうか、濃紺の羽織にうっすら積もっている。
今は止んでいるのに……一体いつから待っていたのか。
待ち伏せ、という言葉が頭をよぎると同時に体が強張る。
「ど、どうしてここに……」
「ぜひ一度お話したかったのですが、いつもルアー様に止められてしまいますので……この時間には貴方がいつも入浴していると、家臣から聞いたものですから」
入浴後の女性に会おうとすると言うのは、グラジオラスではもちろん、この国でも無礼なことだったはず。
それを押してでも会おうとして、あげく悪びれていない。
柔和な笑みを浮かべているけれど、この人は危ないかもしれない。
このところ平和だったから油断していた。
きっと私が入浴中に襲撃が多いのはこの人の仕業だ。
知略に秀でていると言う候補者の一人ならそれくらい考えそうなもの。
よりによって今日はアルの戻りが遅い。
特に待機しているよう言われてはいなかったけれど、戻ったのを確認するまで動くべきでは無かったのかもしれない。
いや、湯殿に居たのは私だけだし、出てくるのが遅ければ足を踏み入れてきた可能性もある。
それくらいしそうなほど、目の前の男は不気味に見えた。
後退りしようとする私に、長い手が伸ばされる。
「やっ!」
大きな手が私の肩をつかんだ。
おそらくそんなに力は強くない。
けれど薄い布越しに伝わる、良く知らない男の体温が気持ち悪かった。
薄い路地裏の景色がフラッシュバックして、膝がガクガク震えだす。
「お待ちください。話をしたいだけなのです」
そんな声もろくに届かない。
もはや私の頭には恐怖しかなかった。
叫ぼうとする私の口元をふさごうとしてか、もう片方の手が伸ばされた。
こわい……!
しかしその手が唇に触れるより先に、春幸様は弾かれたように後退り、私を解放した。
気付けば背後から誰かに抱きしめられていた。
いや、誰かなんて確かめるまでもない。
私の胸の前に回された腕を、震える手でつかむ。
良かった、この腕のことまで怖いと思わずに済んで。
助かったと言う事実より先に、その安堵が胸を満たす。
「……ルアー様」
苦い表情で春幸様がその名を呼ぶ。
一体アルはどんな表情をしているのだろうか。
春幸様はその場に崩れ落ちるように土下座した。
背後の彼は何も言わない。
ただじっと、私を抱きしめたまま佇んでいる。
……怖くてアルの顔を見れない。
痛いほどの力で抱きしめられているものだから、どちらにしろ仰ぎ見るのは難しいだろうけど。
春幸様は身動き一つでもすれば首が飛ぶと思っているかのように微動だにしないままだ。
「……イベリス姫。行きますよ」
抑揚のない声でそう言われたのは、おそらく一分以上経ってからのことだ。
「ひゃっ……」
私を強引に抱き上げたアルは、平伏する春幸様の横をそのまま通り過ぎる。
すれ違う間際、震えているのが見えた。
同情はできないけれど、ひょっとしたらこの場で殺すのではと思っていたので最悪の事態が回避されたことにはホッとする。
流石に目の前で知人が殺されるのを見る勇気は無い。
先ほどまでと変わらぬ力強さで抱き込まれているものだから、相変わらずアルの表情は伺えずにいる。
離れの方に向かっているので送ってくれるのだと思うけれど、今の彼の心理状態を考えると思わぬところに連れていかれそうな気もする。
……お願いだから落ち着いてほしい。
ご覧いただきありがとうございます。




