9 胸元のお守り
「貴女はダリア様とおっしゃるのね。お隣のご令嬢なのに存じ上げなかったわ。我が国は長らくこの大陸の国々に対して鎖国的ですもの。色々とご不安でしたでしょう?」
「やはり隣人の顔が見えないと言うのは少し……ですがこの国に来て不安は和らぎましたわ。生活する民の姿も、こうしてお話してみたら雪音様も、同じ人なのだと思うことが出来ましたもの」
「ふふ、おっしゃる通りですわ」
「言葉が通じないのではという心配もしていたのですけれど、こうしてお話ができてほっとしましたわ」
「ええ。確かに母国語は違うのですけれど、将軍の周囲の人間や、商人を始めとして西大陸公用語を話せる人が最近は増えていますのよ。わたくしのおじい様は最後まで頑なに覚えようとしなかったけれど」
「なるほど、確かに商売をする上ではどうしても必要になってきますね。我が国にも漆器などが入って来ていましたし」
「あら、そのこともご存知ですのね。そうですの。何十年も前から民間では商売が行われているようで、先代に倣って開国に否定的だったお父様も一部の交易は目を瞑っておりますわ。春幸お兄様は今後のことを考えると他国との交流は不可避だとお考えのようで、まだ公用語を話せない町民に教育を行っているのですけれど、グラジオラス王国での教育というのは……」
招かれたのは本丸御殿内の茶室。
ダリアはすっかり雪音様と打ち解けていた。
次第に政治的な話になっていったもので、私は話題に入りそびれている。
一応勉強もしているんだけど、竜胆国に関する知識ではやはりダリアには及ばない。
その代わり和菓子を気兼ねなく楽しめている。
これこれ、この優しい甘さとくちどけが欲しかったのよ……!
お茶と聞いて茶道のようなマナーが必要ならどうしよう、覚えてない……と内心の不安があったんだけれど、お茶とお菓子を出されただけで特に何も言われなかった。
よく考えればここは竜胆国、マナーがあっても日本とは違うかもしれないし、それを私が知っているはずもない。
もし雪音様がマナーに厳しい人なら何か指導してくれただろうけど、何も言われないんだから本当にただお茶をしたかっただけなのだろう。
……まあ、もちろん何かしらの目的はあるんだと思うけど。
チラリと二人に視線をやる。
ダリアはしっかり者だ。
けれど念願の竜胆国との交流ということや、おそらく初めての外交ということもあって多少浮足立っている。
雪音様は上手に話を振りながら、グラジオラス王国やスパティフィラム家のことを聞き出しているようにも見えた。
ダリアが話すとまずいことを口にしているようには思えないけれど……さすがに話が盛り上がりすぎると口がすべる可能性もある。
そろそろ私も加わろうか。
二人の会話が途切れたタイミングで、口を開いた。
「雪音様は後継者候補のお一人ですが、我が国との外交はどのようにお考えですか?」
私の言葉に雪音様は小さく笑い、ダリアは唇を閉ざした。
直球な質問になったけれど、おかげで少しはダリアの頭を冷やせたようだ。
まだ竜胆国とグラジオラス王国は正式な国交も結べていない危うい関係同士。
もちろん個人の友情が成り立たないとはいえないけれど、私たちの立場上少しはわきまえる必要がある。
「そうですわね……ねえ、イベリス王女殿下は母国のことを愛しておられる?」
「……もちろんですわ」
生まれ変わってから、もうじき十六年。
ここまでの人生ではそんなにいい思い出は多くないけれど、ここまで育ってきたのは周囲の人々のおかげだという自覚はある。
大切な人達だっているし、あれからまだ見に行く勇気はないままだけれど湖の景色は昔から好きだった。
愛着のある国だ。
これからも平和に栄えていってほしいと思う。
だからこそ王女として頑張らなければと決意したところもあるのだから。
「でしたらお分かり頂けるかしら。わたくしもこの国のことが大好きですの。本来の祖国から遠い離れた地に来てしまったようですけれど、人々の気質や文化は大きく変わっていないと言います。わたくしはこの景色を守りたい」
そう語る雪音様の表情は真剣で、壁の向こうにある街並みを見つめているかのようだった。
「……私も、この国の風景は好きです」
気迫に当てられて思わず正直な気持ちを口にすると、雪音様の頬が紅潮した。
「ま、真ですか!?貴国とは建築様式や生活習慣が大きく違うと聞きますし、植物や作物も祖国から持ち込んでいるので農地の景色一つとっても異なると思いますが……」
「え、ええ。ですがこの城に来るまでの間に見てきた風景はとても素敵でした」
「そういえば王女殿下は我が国のお食事がお気に召したようだと女中が!露天の温泉もお使いいただけたとか!」
「はい、どちらも気に入りましたわ」
身を乗り出す姿に気圧されつつも応える。
うんうんと頷く雪音様はとても嬉しそうだ。
季節ごとにどのような景色の違いがあるのか、旬の食材がどうなのかという話までしてくれる。
私に人の嘘を見破るような能力は無い。
無いけれど……彼女がこの国を愛していると言うのは本当なのだろうと思う。
でなければこんなに嬉しそうに自分の国のことは話せないはず。
なんだか微笑ましく見つめていると、ハッとしたように雪音様は頬に手を当てた。
「申し訳ありません……話が逸れてしまいましたわね」
照れている姿まで悩ましい。
色気がすごい。
「とにかく、私はこの国が末永く続くことを祈っております。その為には周囲の国との関わりは避けて通れないでしょう。我が国が侵略してこの地に住み着いたという史実は覆しようが無く、周辺諸国からの心証が悪いことは承知しております。その足掛かりとして王女殿下がお越しくださったことは、喜ばしい事だと考えておりますわ」
「……そうですか。よく分かりました」
少しだけ肩の力が抜けた。
雪音様は私に対して悪い感情を持っていないようだ。
愛国心も強いようだし、周囲の人々の支持もある。
アルが目星をつけているというのは彼女のことだろうか。
もし雪音様が将軍になったならグラジオラスとも上手くやっていけるのではという希望が湧いて来た。
その後も特に揉めることもトラブルが起きることもなく、和やかにお茶会は終わった。
◆
「ずいぶん楽しそうでしたね」
お茶会の後、すぐに迎えに来たアルはちょっぴり不機嫌だった。
結局女性相手でもやきもちをやくのかと呆れてしまう。
「ルアー様も混ざりたかったんですか?」
「そうではありませんが……」
なおも何か言いたげだったけれど、ダリアが居るためか口を噤んだ。
「この後、昼食をとりがてら少し外に出ましょう。もちろんダリア嬢も。比較的受け入れやすそうな味付けの店を選びました。大衆食にはなりますが、安全性は保障します」
「分かりました。ダリア、外出着に着替えてきてくれる?」
「はい」
そう言ってダリアと別れて離れへと向かう。
周囲に人がいなくなったのを確認して、アルは心配げな表情で私の手を強く握った。
「お茶会を楽しむのはいいのですが……あまり彼女に気を許し過ぎないでください」
「彼女って……雪音様?」
「そうです。断っておきますが、個人的な感情でそう言ってるわけではありませんよ」
「一応気を付けていたつもりよ。でも、そんなに悪い人には思えなかったわ」
「これだから心配なんです。良い人が貴女にとって都合の悪い人になることだってあるんですよ」
「そりゃそうだけど……」
つい雪音様を庇いたくなってしまうのは、すでに絆されている証拠だろうか。
もう少し気を引き締めた方がいいのかもしれないと眉根を寄せる。
そんな私を見て、アルは苦笑した。
「まあ、いいでしょう。この城の中はすでに掌握しましたので、彼女も悪さはできないはずですから」
「頼もしいわね。明日もお茶しようって誘われてるんだけど行ってもいい?」
「……貴女が楽しいならいいですよ」
アルは溜息をついて頷いた。
お許しが出た!
大丈夫、ただ遊んでいるわけではない。
こうして女性同士交流を深めることも立派な公務。
おしゃべりに興じてはいても自分の立場は忘れていないつもりだ。
竜胆国の情報はどれだけ集めたって足りない。
「ところで、もう機嫌は直ってしまったんですか?」
喜んでいる私に、デリカシーの無い男が水を差す。
私の機嫌が悪いことを喜ぶその性癖、本当に何とかならないものだろうか。
忘れかけていたモヤモヤがまた湧き上がってくる。
わざわざ自分から蒸し返してくれたのだから、嫌味の一つくらい許されるだろうと口を開いた。
「べっつにー。アルがダリアに優しくしててもそれを悪いなんて言えないしー」
「ダリア?ダリアが何か?」
私とダリアの会話は聞いていなかったらしい。
「昨夜、ダリアに食事届けてくれたでしょ?」
「ああ……コリーに用意させた魚を、グラジオラスにもある香草で包み焼きにして……それが何か?」
「アルのこと優しいって言って、とっても喜んでたわ」
「……それで何でイベリス姫が怒るんですか?」
本気で分かっていない様子だ。
これはもうストレートに伝えた方がいいだろう。
「ダリア、たぶんアルのこと恋愛対象として意識してるわよ」
「……まさか」
「どう見てもそうだったもの。何を話したのよ」
「食事が合わないようだからどうぞと魚を渡して……あとはルアー王子との関係を聞かれたので、おそらく生き別れになった兄であると伝えただけですよ」
それだけを聞けば特に何も問題なさそうだ。
何がダリアの琴線に触れたのだろうか。
「後は……アルベルトは小さいのにしっかりしている、と言われたので……ダリア様の方がよく頑張っていると思います、と返したくらいでしょうか」
「それよ!」
思わず大声を上げてしまった。
慣れない土地で心身ともに参っている時に、よく頑張っているよなんて声をかけられたらジーンとするに決まっている。
そうだった。
アルは何だかんだで人の好みは割と真っ当というか、普通に良い人が好きだ。
ダリアにも好感は抱いているはず。
私が大切にしている人は大切にすると言う精神もあるようなので、なおさらダリアへの扱いは丁寧になる。
そう考えればこの状況はなるべくしてなったとも言えるだろう。
何度も言うけれどアルは顔がいい。
その上丁寧な物腰で、外見年齢に不相応な大人っぽさがある。
同様に年齢の割に大人びているダリアからすれば、同年代の中で最も魅力的に見える異性がアルになるのも当然のこと。
「……そりゃアルのこと好きになるわよ」
「なるほど、確かにダリアもそろそろ婚約者を考える年でしょうしね。そういうことを意識しますか」
他人事のようだ。
「何でそんな落ち着いてるのよ……」
「取り乱しようが無いでしょう。まさか僕がダリアとイベリス姫の間で揺れるとでも思ってるんですか?」
「……それは、思わないけど」
「でしょう?そもそもダリアにとってのアルベルトは、傭兵ギルドから派遣された平民の護衛です。辺境伯家のご令嬢の相手として不相応であることはよく分かっているはずですから、そのうち自分の中で折り合いをつけるでしょう。万が一思いを告げられても僕がそれに応えることはありませんし」
「……」
そう……言われると……そうね……
「今日は普通に慰めてくれるのね?」
「ダリアが関わっていますからね。僕のことだけで悩むならもう少し様子を見たいところですが、他の人間のことで悩んでいるのは面白くありませんし、こじらせるとダリアとの関係にも軋轢が生まれそうですし」
僕ってよくできた人間でしょう?とでも言いたげな口ぶりに半眼で返すと、楽し気な笑みとともにキスを落とされた。
「イベリス姫は少し離れているとすぐに僕の気持ちを疑うようですね。嫉妬は嬉しいんですが、この地でその様子だとつけこまれかねません」
「何よそれ」
しかし真意を問う間もなく、着物がするりと解かれた。
「ちょ、ちょっと!?」
こんなところでそういうのは嫌だと昨夜もさんざん言ったはず。
手を付いて逃れようとしたけれど、あっさりその手は掴まれ後ろに回された。
乱れた襟の隙間を縫って、アルが顔をうずめる。
吐息が肌を撫でる感触に身を強張らせていると、じわりとした痛みが広がった。
「いっ……」
払いのけようにも、しっかり肩と腰を抱き込まれていて身動きできない。
「…………」
……な、長い!
何をしているのか知らないけれど十秒くらいそうしていたのではないだろうか。
「……不安になることがあれば、これを思い出してください。お守りです」
ようやく顔を上げたアルの視線を追うと、胸のふくらみの少し上に、赤い痕がくっきりついていた。
これって……キスマークというやつなのでは。
「ちょっ!?」
「グラジオラスではマーヤやメイドの目があるので付けたことはありませんでしたが、この国に滞在中なら問題ないでしょう。帰る頃には消えてます。万が一ダリアの目に留まっても、彼女なら胸に秘めてくれると思いますよ」
「そ、そういう問題じゃ……」
「さて、あまり時間をかけるとダリアが迎えに来るかもしれません。着替えましょうか。ご安心ください。着つけは覚えたので」
ここにも簡単に着付けを習得してしまう天才がいた。
文句を言おうにも生まれて初めて見るキスマークはすぐに整えられた襟に隠され、あっという間に着替えさせられてしまう。
その間、絶対今触る必要無かったよね?というところにタッチされることが何度もあったけれど、これも文句を言おうとするたびに唇をふさがれるのだ。
何でそれで着つけができるのか全く理解できない。
このセクハラおやじ!
これでも本人は我慢しているつもりです。




