5 将軍の後継者
「お呼びっすか?」
犬笛を吹くと、近くに居たのかすぐにコリー君の声が聞こえた。
窓の外に居るようだ。
「少し話し相手になってほしいの。アルが出かけちゃって」
そう声をかけると、しばらく沈黙が返ってくる。
困らせてしまっただろうか。
「……おいら、その仕事はしたことがないんす。何をしたらいいっすか?」
別の意味で困らせていたらしい。
そうだった、コリー君も色んな意味でずれた子だった。
「とりあえず入ってきて。私が聞いたことに答えてくれたらいいだけだから」
「主人から入っちゃダメって言われてるっす」
「私がいいって言ってるんだからいいわよ。アルには私から言っておいてあげる」
「……そっすよね。王女様は主人の番っすから、王女様の命令なら」
番という言い方が動物感あってなんとも微妙だけれど、コリー君はそれで納得したらしい。
部屋の隅にじわりと影が滲み、コリー君の姿が見えた。
コリー君のことは信頼しているけれど、一応アルが心配している事実も忘れてはいない。
ベッドから少し離れた場所に置かれた椅子をすすめた。
『こんな高そうな椅子座ったこと無いっす』なんて言って戸惑っている姿は微笑ましい。
コリー君と初対面を果たしたあの後、アルからも『コリーとは信頼関係を築いてほしい』と言うようなことを言われている。
ちょうど良い機会だろう。
「コリー君はアルに拾われてからずっとサポートのお仕事してるの?」
「サポート……かは分かんないっすけど、主人が命令してくれて、それをこなしてるっす」
「報酬をもらってないようなこと聞いたけど……」
「そんなことないっすよ。食べ物や住処は主人が用意してくれてるっす。お金もくれるんすけど、おいらには使い道が分からないから住処の近くに埋めてるっす」
埋めてるんだ……ホントに犬みたい……
「アルって掃除屋って呼ばれてるのよね。やっぱりすごいの?」
もちろん王城に忍び込めるだとか、普通はできないはずの姿を変える魔法を使えるだとか、凄いところはたくさん知っている。
どんな暗殺者が私を狙っても返り討ちにできるのだから強いのも間違いない。
けれどそんな凄い暗殺者が最初から傍にいたものだから、今一つピンと来ていないのも事実だ。
コリー君から見てどうなのかと思って聞いてみたのだけれど、その問いに彼は目を輝かせた。
「本当にすごいっすよ!なんといっても早いっす!パッと現れてパパっとやったらもうシュンッていなくなるんで!」
「ああ、えっと……現場がほとんど荒れてないとか聞いたことあるような」
「そうなんす!俺がやるとちょっとこう、見つかってガシャンッてなったり、やる時もゴトッってなったりするし、ドバッって痕も残ったりするんすけど、主人は全然ないっす!服も汚れないんすよ!」
擬音祭り。
だけどそれで良かったのかもしれない。
何がゴトッとなって何がドバッてしているのか、詳しく知るのはちょっと怖い。
だけど身振り手振りで語るコリー君はとても楽しそうだ。
私の精神上失敗の話題だったけれど、コリー君と打ち解けると言う意味では正解だったらしい。
しかし、そうやって動くコリー君の腕を見て気付いた。
もともと顔にも大小さまざまな傷がついていたけれど、腕や足にもたくさんの傷がある。
「……やっぱり大変な仕事なのね。コリー君、傷がたくさんあるわ」
「へ?」
私の指摘に、コリー君は身振りをやめて自分の腕をじっと見た。
傷の存在なんか忘れていたというような仕草だ。
「ああ、でもこれ仕事でついた傷じゃないっす」
「え、違うの?」
「主人はおいらにできる仕事しか振らないっす。これは全部修行でついた傷っす!」
ニカッと笑うコリー君に反して、私は笑みをひきつらせた。
「……それって……アルとの修行でってこと……よね」
「そっすよ」
思わず額を押さえた。
スパルタなのは知っていた。
足蹴にしているシーンを見ても、あれが日常茶飯事だと思うと激しいやり取りは想像できた。
けれど改めて聞くと……
「もう少し優しくするように言っておくわね」
けれど私の言葉にコリー君は首を傾げる。
「主人は優しいっす」
調教が行き届いている……とさらにドン引きしかけたんだけれど、コリー君は真剣な表情だった。
「おいらの仕事は失敗したら死ぬっす。おいらが死なないように、主人はいろんなこと教えてくれてるっす」
「……」
「おいら馬鹿だから、教えてもらったこと忘れて突っ込んでいったりするっす。主人はそれを止めて、体に教え込んでくれるっす。おいらが体で覚えるまで、何度も何度も。おいらは考えたって駄目だから、考えなくてもいいようにって」
思ったよりちゃんとした理由が返ってきて、私は口を閉ざした。
「だからおいら修行ではたくさん怪我したけど、仕事では死にそうになったこと無いし怪我もほとんどしてないっす。主人は『助けられるときにたくさん怪我しなさい』って言ってくれるっす」
「……そっか」
「主人のおかげでおいらは毎日おいしい物食べて生きていけるっす」
コリー君は幸せそうに笑った。
正直私の感覚では信じがたい。
信じがたいけれど二人の間にはそれでしっかり絆ができているらしかった。
アルは根っからのスパルタだけれど、おそらくその中でも独自にランク付けしている。
私には比較的優しく、そしてコリー君にはとびきり厳しくしているようだ。
それが本人にあっていると判断して。
……指導法が全体的に激しいのはどうもお師匠さんに責任がありそうなので、次にあったらちょっと文句の一つも言いたい。
そうしてしばらく話しているうちに、すっかり夜も更けて私もだんだん眠気が出てきた。
「眠いっすか?」
「うん……ごめん、そろそろ寝ようかな」
「え……今、おいらに謝ったっすか?」
そう聞かれて、ハッと気づいて首を振る。
うっかりしてた。
「……何でもないわ。聞き間違いよ」
首を傾げるコリー君の目を見てそう言うと、彼は笑った。
「なんだ、聞き間違いっすか」
「そうよ……私はもう寝るから、下がっていいわ」
「はいっす」
そう返事をしてコリー君が闇に溶けて消えていく。
その姿を見届けて、たっぷり十秒数えてから息を吐きだした。
◆
「コリーを寝室にいれたそうですね」
「……」
目が覚めて朝一番に、不満げなアルの声を聞いた。
「……親睦を深めようと思ったのよ。コリー君を叱らないでよね」
「叱りませんよ。イベリス姫の命令を聞いたことが間違いだと思われたら困ります」
本気で怒っているわけでもなく、ちょっと文句を言いたかっただけらしい。
すぐにいつものように水の入ったコップを渡して、私の髪を軽く整えてくれる。
「有難う。……竜胆国はどうだった?」
「目立った動きはありません。城ではこちらの受け入れ準備が進んでいます。一応将軍には念を押してきましたし、入城してすぐに諍いが起こることはないでしょう。師匠も解放してきました」
「え、もう助けられたの!?」
予想外に早い救出だった。
「ええ。捕らえられている場所はすぐにわかりましたし。どうも師匠やコリーでは手に負えない拘束具を使われていたようなんですが、幸い前世で似たような機構を見たことがあったので何とかなりました」
ああ、なるほど……それでコリー君はアルに泣きついたのか。
「お師匠さんは無事だったのね?」
「多少怪我はしてますが、あれくらいなら安静にしていればすぐ治るでしょう」
「それでお師匠さんはどこに?」
「近くの森に置いてきました」
「ええ!?」
怪我人にその仕打ち。
「もとよりあの国は僕の不興を買うことを恐れていますから、それほど酷いことはされていませんよ。怪我も城壁から落ちた時に負ったもののようで、捕らえられた後に拷問をされた形跡もありません。逃がした後の追手も形ばかりといった様子です」
「追手かかってるの!?」
「ポーズといった程度ですのですぐに引き返すでしょう。どちらにしろ全く動けないわけではないので、ここまでしてやれば師匠ならちゃんと逃げられます。助けに来た僕に向かって『本当に来る馬鹿があるか。さっさと帰れ』なんて言う元気があるんです。大丈夫ですよ」
……本当に、お師匠さんもなかなか困った性格をしてるみたいだ。
「それで浮かない表情なの?」
「え?ああ、いえ……ついでに将軍に会って僕を呼び出した目的を聞いてきました」
「……将軍になれって言われた?」
「いえ……いや、まあそうなのですが……面倒なことになりました」
アルがこんなに大きなため息をつくのは初めて見た。
本当に参っているようだ。
「後継者を指名せよと言われました」
「……後継者?」
「今代の将軍は既に五十を過ぎています。慣例ではそろそろ後継者に位を譲る頃合いなのだそうです。そんな折に、僕が現れた」
竜胆国は武力を重んじ、血統にはこだわらない。
将軍がその時相応しいと思う人間を後継者に指名するのであれば、そりゃアルに白羽の矢が立つわけだ。
「しかし僕が固辞したため、将軍は別の後継者を指名しようとしたようなのですが……将軍が一度僕を後継者にと宣言したことから、すでに継承権は僕に移っていると言う意見があるのだそうで」
「え、断ったのに!?」
「断ることができるという前例が無いので無効だと」
「めちゃくちゃじゃない!」
「結局はこじつけなんですよ。どうやら派閥争いが起きているようなんです」
「派閥争い?」
「後継者はもちろん将軍が指名しますが、やはり有力候補というものは出てきます。それが主に三人。そのうち一人を将軍は指名するつもりだったようですが、他の二人を支持する派閥がそれを阻止しようとしている形ですね」
「……ひとまずアルを後継者ってことにして、時間稼ぎしようってこと?」
「そういうことです。後継者の指名権は既に僕に移っていますので、僕が将軍になりたくないのであれば後継者を指名しろというのが向こうの言い分です」
これは……確かに面倒なことになっている。
「でも、もともとそのつもりだったじゃない。誰か適当に指名するんじゃダメなの?」
「それがそう単純な話では無くなったんですよ。竜胆国はどうやら転換期にあるようです。これまで武力を重んじていた考えから変わりつつあります」
「え、そうなの?」
「現在の将軍は古くからの考えに従い、強者が国を統べるべきと言う考えのようですが、統治者に必要なのは武力では無いと言う考えも臣下や民衆の中には出てきているようです」
「それは同意するけど……」
別に王様や首相が戦えないといけないとは思わない。
「三人の候補者はそれぞれ武力、知力、求心力に特徴があります。武力に秀でた人間を選んで良いのであれば話は簡単です。それ以上の武力を見せつけて裏で操れれば、僕の要望を通すこともできるので」
「……」
そうなんだけど、そう明け透けに言っちゃうと悪役感がすごいっていうか。
「しかし周囲の考えが武力至上主義で無くなっているのであれば、たとえ僕が都合の良い後継者を選んでも、僕の目が届かなくなった途端に政変が起きるおそれがあります。ずっと竜胆国に目を光らせているわけにはいきませんからね。せっかくイベリス姫に都合の良いようグラジオラスと国交を結ばせてもすぐに覆されては意味がありません」
「むしろ私や竜胆国王子の評価が下がるおそれもあるわね……」
これは頭が痛い。
「グラジオラスに好意的な候補者はいないの?」
「まだそこまでは分かりませんね。今のところ得ている情報は候補者の名前と肩書くらいです」
そしてアルから教えてもらった情報はこうだ。
現将軍は前将軍の臣下だったそうで、名前は風月雪之丞。
思ったより風流な感じの名前でびっくり。
そして候補者について。
一人目が武力に長けた人物、現将軍の長男で、風月日野晴。
二人目が知力に長けた人物、現将軍の次男で風月春幸。
三人目が求心力のある人物、現将軍の長女で風月雪音……
「全員身内じゃない……」
血統気にしない精神はどこへ。
「まあ、これはそうおかしな話ではありません。能力は環境によって磨かれるものです。幼いころから良い環境で育ってきた権力者の子供が頭角を現すのは当然のことでしょう」
「いや……そうなんだけど」
「血筋を重んじないとはいえ現将軍の子供であれば、周囲も相応の態度で接します。長年かけて支持者を増やしやすいのですから、候補者としてこの三人が名を連ねるのは自然な流れです。問題は誰を指名するかですが……」
またアルは大きくため息をついた。
「……もういっそ竜胆国を滅ぼした方が全て丸く収まる気がしてきました」
「何にも丸くなってないから落ち着きなさい」
角が立ちまくりじゃないの。
「私も一緒に考えるから……ひとまず竜胆国に行きましょ」
王都出発前よりも少し気分が重くなりつつ、再び竜胆国を目指した。
◆
竜胆国との国境を示す川が見えてきた。
防壁のようなものがあるわけではなく、グラジオラス側と竜胆国側に、それぞれ小さな砦があるだけ。
あまり砦を補強すると戦意ありと判断されてしまうので、互いに防備は最低限となっている。
川を渡す橋は古くからある石橋で、補強工事は主にグラジオラスの方で実施しているらしい。
完全なる分断を望んでいないのは我が国の方なので仕方がない。
グラジオラスの砦に寄ってあちらへ渡る旨を伝えていると、竜胆国側の砦から三人の人影が出てきた。
橋の手前に立ちこちらを伺っている人々の姿は、時代劇なんかで見るような鎧姿。
二人は女性のようで、着物姿に髪を一つにまとめ、胸当てだけをつけていた。
日本っぽい文化様式だと言うのは本当らしいとなんだか感動してしまう。
砦は昔からあるものを流用しているせいか洋風なのでものすごい違和感だ。
ご覧いただき有難うございます。
 




