3 王子様からの招待状
「やっと行く気になってくれたんすか!」
「イベリス姫がどうしてもと言うので」
「まじっすか、女神さまじゃないっすか!」
「そのつもりで拝謁するように」
「わかったっす!光栄っす!」
そんな会話の後に窓から入ってきたのは、十四歳くらいの少年だった。
背があまり高くないので私よりは年下にみえるけれど、アルの例も考えると正確な年齢は分からない。
平民でよく見る赤毛に黒い瞳。
美少年とまでは言わないが、釣り目がちの猫っぽい顔立ちで愛嬌がある。
頬と鼻に大きな傷跡があるので、少し物々しい印象を受けるけれど……
彼はその猫のような目をパチパチさせて口を開いた。
「女神さまが雪だるまみたいになってるんすけど?」
「口を慎みなさい、駄犬」
アルが少年を蹴り飛ばした。
外見年齢十歳の子供に蹴り飛ばされる十四歳の図はシュールだけれど、音もなく受け身を取っている様はなおさら浮世離れしている。
おそらく慣れているのだろう……
そして彼が私を雪だるまと称したのも無理もない。
わざわざ寝間着を着たというのに、その姿を見せるのも嫌だと言うアルがさらにシーツをぐるぐる巻き付けたのだ。
初対面の人の前にこの姿で出される私の気持ちなど一切考えてはいまい。
「……えっと、イベリスです。よろしくね?」
「あ、どうも。犬っす。よろしくお願いします」
まさかの名乗り。
アルが犬呼ばわりしているのは、まあじゃれあいというか……口が悪いながら愛称の一種かなと思っていたんだけど……
「本名は?」
「犬っす!」
チラリとアルに視線をやると、そっと目を背けられた。
「説明」
「……こいつは孤児だったんです。四年ほど前に小間使いが欲しくなってきたので拾って育てていたんですが、どうやら自分の名前を覚えていなかったようで」
「それで?」
「……その役割を考えて、便宜的に犬と呼んでいただけです」
「あのねぇ!」
「大丈夫っす!おいらは気に入ってるっす!主人がつけてくれた名前っすから!」
「別に名付けたわけではありません」
少年は無垢な笑顔でそう言い、アルは気が重そうに否定した。
おそらく少年は本気で気に入っているのだろうし、アルは本当にとりあえずそう呼んでいただけなのだろう。
変に真面目なアルのことだ。
ちゃんとした名前を自分がつけるのは荷が重いとか考えて、まともな名前をつけなかったに違いない。
「……さすがに、私までそう呼ぶのは気が引けるの。あだ名をつけてもいいかしら?」
「あだ名っすか」
「そうね……犬にちなんで、犬種からとるのはどうかしら?コリーっていう牧羊犬がいるんだけど、貴方の毛の色にそっくりなの。コリーって言う名前には、役立つっていう意味もあるみたいよ」
この世界にもコリーって言う犬種がいるかは知らない。
今のところ見たことが無いので。
けれど比較的名前っぽいし、意味合い的にもこの少年が受け入れやすいのではと考えた結果だ。
結局犬じゃんとは思うけれど、犬って呼ぶのとコリーって呼ぶのとでは大違いである。
「役立つ!主人の役に立つ犬っすね!」
少年がキラキラした瞳で、アルにお伺いを立てるように見つめる。
アルは大きくため息をついて頷いた。
「イベリス姫に感謝して今後そう名乗りなさい」
「有難うっす!主人!女神様!おいらはこれからコリーって名乗るっす!」
「……女神はやめてほしいわ……」
本当に犬のように主人に忠実だ。
とりあえず私の呼び名は王女様に変えてもらった。
普通が一番です。
「それで、コリー君にも手伝ってもらうの?」
「ええ。まずは竜胆国に、僕がイベリス姫と共に訪問する旨を知らせないといけません。あとはこっそり裏からサポート兼、護衛としても働いてもらいますか」
「おいらが護衛っすか?」
「道中は僕も護衛として付きますが、竜胆国に入った後は元の姿で王子として振舞う必要があります。イベリス姫の傍を離れなければならなくなることがあるかもしれませんし、手が足りない時には手伝いも欲しくなるでしょうから」
「おいらには難しいことはわからないっすけど、主人の言う通りにすればいいんすよね?」
「そうです」
「任せてほしいっす!」
コリー君が胸をドンと叩いて請け負った。
全く内容を分かっていなさそうなのにそんな安請け合いしていいのかとこちらが心配になってくる。
「私の方で連れていくメンバーはどうしようか……マーヤは大人のアルの姿を見たことがあるし、騎士達も同じなのよね」
妹カトレアの策略で東の泉へ向かうことになった際、襲撃者から私たちを助けるためにアルは姿を見せている。
その時同行していた騎士達やマーヤは、その時のアルを、この少年護衛の兄だと思っている。
それ故に、竜胆国の王子としてのアルも目にしたマーヤからは『どういうことですか?』と説明を求められているんだけど。
あれから時間も経って最近は何も言われなくなったものの、会えば再燃するに違いない。
騎士達の中にも、王子として国王を訪問した時に目にしている可能性がある。
特に何も聞かれたことは無いけれど。
ただし、東の泉の一件以降、何かあると当時の騎士達が担当についてくれることが多いので今回もそうなる可能性が高い。
そうなれば間違いなく顔を合わせることになる。
「そこは他人の空似で通せばいいのでは?」
「ええ……通るかなぁ」
何度も言うけれどアルは美男子だ。
そこらに何人もいそうな顔立ちではない。
けれどそうアルは全く気にした様子も無く首を振る。
「何の証拠もないのですからしらばっくれていればいいと思いますが。まあ、いざとなればアルの兄の双子の兄で、昔生き別れになったとかにでもしておきましょう」
なんかややこしい設定が飛び出した。
すでにアルの兄がいるという嘘をついているのに、双子設定まで足すのか。
ここまでの設定をまとめると、長男は竜胆国の王子で次男はグラジオラス王国で大工をしており、三男はグラジオラス王国王女の護衛っていう……何かもう、同じ兄弟なのにどうしてそんなに歩む道が分かれたのか、架空の設定なのに気になって仕方がない。
というか複雑になりすぎて私がついて行ける気がしない。
「まあ、イベリス姫は『よく分からない』と答えておけばいいですよ」
「そうね……」
実際よく分からないので、心からそう言える自信がある。
今度からマーヤに聞かれたらそう言おう。
ものすごく困った顔をすれば、多分それ以上突っ込まれまい。
そんな相手で本当にいいのかというところは今まで以上に小言が増えそうだけど。
「でも、竜胆国に入ってからはいきなり護衛のアルが姿を消すことになったりしない?二人同時にその場に登場はできないでしょう?」
「流石の僕も分身はできませんからね……何かしらの言い訳を考えておきますよ」
できないのか……なんかアルならできるかもしれないと思ってたんだけど。
「……そう残念そうな顔をされるとプライドが疼きますね」
「ごめん」
「謝罪されるとなおさらです。……ちょっと方法を考えます」
ちょっと考えて分身出来るなら大したものだけど。
期待せずに待っていよう。
「とりあえず、おいらは竜胆国に伝言を伝えに行ったらいいんすよね?」
「ええ。到着予定は三週間後と伝えてください」
「了解っす!」
三週間後という言葉に驚いた。
この王都から竜胆国に入国するのにおよそ十二日、竜胆国の将軍が住まう地まではさらに一日かかると聞いている。
つまり、移動だけ二週間くらいかかるのだ。
三週間後に間に合わせようと思ったら、一週間後には出立しなければいけなくなる。
「は、早くない!?」
「早く片を付けた方がいいと言ったのはイベリス姫でしょう」
「だからって!」
「もうじき十二月です。二月にはイベリス姫の誕生日を祝うパーティーもあるのですから、早く片付けられるよう動かないと外出許可が出なくなります」
「それは……」
確かに、すでにパーティーに向けて計画は動いている。
社交に忙しい貴族たちを相手にするには、早めに招待せねばならないので、もう招待状も送られているはずなのだ。
日が近づけば、ドレスや会場準備で私も忙しくなる。
「あとついでに、師匠の救出も考えるのならなおさらです」
「救出に関してはその通りね……」
ついでという言い方が気になるけれど、確かに捕まっているお師匠さんのことを思えば一刻も早く向かうべきだ。
だけど仮にも一国の王女が隣国に赴くのだから、それなりに準備というものがある。
……間に合うだろうか。
「向こうからの返答があり次第、僕の名前でイベリス姫へ招待の手紙を出します。コリー、竜胆国からは往復三日もあれば戻って来れますね?」
しかもコリー君が戻って来てから招待状を受け取り、そこから準備ってなると……実質準備時間がほとんどない。
しかしコリー君にとってもそのスケジュールはあり得ないものだったようで。
「……三日って、おいらの睡眠時間はとられてないっすよね?」
アルがにっこり微笑むと、コリー君はうなだれた。
「頑張るっす……」
「うまく龍脈に乗れたら睡眠時間は確保できるはずですよ。頑張りなさい」
「うっす……行ってくるっす」
この世界には魔法がある。
といってもそんなに融通がきくようなものではなくて、ワープなんかもちろんできない。
けれど実は魔法とは別に"龍脈"とか"気"みたいな不思議な力もあるそうで、アルやお師匠さんはそれを利用して色んな所に侵入できているらしかった。
地中深くに枝分かれしながら走っている龍脈という気の流れ。
そこにうまく意識を溶け込ませれば、龍脈に沿ってものすごいスピードでの移動が可能なのだとか。
馬車で普通に移動すれば二週間かかる道のりを三日以内で行けるなんて今でも信じられない。
秘伝の技なのか一般的には知られていないようなんだけど、コリー君はその技を伝授されているようだ。
ちなみに、じゃあなんでそれを警戒した対策がとられていないのかと言うと、この大陸ではほとんど知られていない技術だから。
私もアルに聞くまで知らなかった。
どうやら東大陸では一般的な技術だとかで、お師匠さんも昔東大陸の人から教わったらしい。
グラジオラス王国がある西大陸では魔法、東大陸では気が発達しているそうだ。
両方が合わさればもっといろいろ便利になるのかもしれない。
そんなことを考えつつ、しょんぼりしながら出て行く後ろ姿を見送る。
その哀愁漂う背中が消えたのを確認してからアルにジト目を向けた。
「コリー君に厳しくない?」
「あれはこうして厳しく接した方がうまくやれるタイプなんですよ。そうでなければ僕も優しくしています」
それはどうだろうか。
私はアルに魔法の教えを乞うたことがあるけれど、なかなかの煽りスキルでこちらに負荷をかけてくる指導方法だった。
どうもそれはお師匠さんの影響がありそうなので、アルばかり責められないんだけど……
「コリー君、大丈夫かしら……」
心配になってそうこぼすと、アルは思わずと言ったようにフッと笑った。
「イベリスはあまり見る目がありませんね」
「何よ、どういうこと?」
「まあ、僕を選ぶような人ですから無理もありませんか」
馬鹿にされているようだと判断して文句を言おうとしたけれど、それを阻むように唇を塞がれた。
結局その日私はまた睡眠不足かつ筋肉痛になったんだけど、犯人は『ベッドの上で他の男の名前を何度も呼ぶので』と供述した。
全く心の狭い恋人だ。
◆
三日後、竜胆国から招待状が届いた。
私がいない間にアルと接触していたようで、話を聞くことはできなかったけれどコリー君は無事勤めを果たせたらしい。
しかしアルに大丈夫だったのか聞いたところ『まだまだですね』とのことだったので、結局睡眠時間はあまり確保できなかったのかもしれない……
とはいえここまでは予定通り。
しかし、一つ問題があった。
「四日後には出立せねばならない日程に加え、騎士の入国は不可、侍女も一人だけというのはあり得ません!」
そう叫んだのはダリアだ。
それは竜胆国の王子からの招待状に付けられていた条件だった。
もちろんアルが考えたことではない。
急にグラジオラス王女が来ると聞いた竜胆国が慌ててつけた条件である。
……まあ、そりゃそうか。
まだまともな国交も結べていないんだ。
騎士をぞろぞろ連れてこられたら困ると、向こうが警戒するのも当然のこと。
「あちらから招待しておきながらこのような条件……あまりにこちらを侮っています!」
そう言われてしまうのも当然だ。
一応文言としては『必ず私がお守りします』という王子様からの甘いお言葉が添えられているんだけれど、それで誤魔化されるほどダリアは単純ではなかった。
「初めて公式的に伺うんだもの。竜胆国が警戒するのも当然よ。おそらく王子ではなく将軍から圧力がかかっているんだと思うわ」
「そうかもしれませんが……」
嘘ではない。
当の王子も、将軍からの返答を聞いて渋い顔をしていたのだ。
騎士がついてこないこと自体は、アルにとってむしろ都合がいいだろう。
少人数の方が動きやすいというのが彼の言だし、騎士相手にすらヤキモチを焼くのが私の恋人だ。
けれどこの条件では私を連れ出すのが難しいということは分かっているらしかった。
そもそも、あちらが呼んでいるのはアルだけ。
急に私を連れて行くとなって、それ自体を受け入れているだけでもかなりの譲歩だ。
それだけアルに来てほしいのだろう。
アルとしてもこれを受け入れたくはない。
しかし今から再交渉をしていると時間がどんどん足りなくなる。
かといって要求を無視して騎士を連れて行くと、入国後に竜胆国が攻撃をしかけるおそれもある。
アルならすぐに制圧できるだろうけど、攻撃されたと言う事実は残る。
竜胆国王子からの招待の体を取る以上、そうなれば王子が裏切ったと受け止められるし、私は騙された王女という汚名を被ることになるのだ。
故に、アルはこの条件を呑んだうえで私を招待することに決めた。
しかしそんな裏事情、ダリアが知る由もなく。
「まさかお受けになるつもりですか、王女様!」
当然ながらマーヤも反対のようだ。
けれど私はアルなら私を守ってくれると信じているし、お師匠さんのこともあって行かねばならないと思っている。
さらに、安全と天秤にかけるほどでは無いけれど、竜胆国の文化もちょっと気になる。
日本に似た文化のようだし、街並みとか見てみたい。
「国境までは騎士達を連れて行くことも可能だし……これで私が無事成果を持ち帰ることができれば両国の関係は急速に進展するはずよ。チャンスを逃す手はないわ」
「あちらがおとなしくイベリス王女様を帰してくれるとは限らないではありませんか!」
「そこは王子を信じて、あとは私がうまくやるしか無いわね」
この後父王に非公式で謁見し、訪問の許可を取り付ける予定だ。
ダリアが口にしているような懸念は父王も考えていることのはず。
私の予想では……おそらく許可は出るだろう。
グラジオラスとしてもこのチャンスは逃したくないし、私に万が一のことがあれば開戦も考えているのではと思う。
竜胆国が西大陸に来た頃は、この辺りの国もまだ互いに牽制が続いていた時代だ。
けれど今はほとんどの国が和平を結び、同盟関係にある。
竜胆国が敵に回したくない国であることは変わらないが、それほどの横暴をすれば流石にこちらも黙っていられない。
何を企んでいるか分からない国に対していつまでも気を揉んでいるよりは、多少荒っぽくなっても何かしらの決着をつけたいというのが各国の本音。
あっという間に連合軍が結成されると思う。
さすがの竜胆国もそれは避けたいはずなので、そう悪いことにはならないだろうというのが私の予想だ。
「第二王女殿下、国王陛下がお呼びです」
ようやくお声がかかったらしい。
まだ何か言いたげなダリア達をその場に残し、アルだけを連れて部屋を出た。
ご覧いただき有難うございます。
コリー君は猫顔なのに忠犬です。




