2 竜胆国の王子様
半年前に起きた暗殺事件のきっかけにもなった、公爵家の令息であるセロシア様との婚約話。
それを破棄させるべくアルが取った手段は"隣国の王子になること"だった。
隣の竜胆国は歴史上我が国とは折り合い悪く、まともな国交が結べていない。
いや、むしろ半鎖国状態で他の国との交流もほとんどなく、一部の商人の手により両国の商品と情報が行き来している程度なのだから、なお厄介だ。
そこでアルは武力行使にて隣国から"王子"という称号をもぎとってきた。
ちなみに竜胆国はトップは将軍であり、実力主義でその座を後継すると言われているので、実子がその座を継承するとは限らない。
もちろん王子様なんて位も存在しないんだけれど、実力者が『作れ』と言ったので作ってしまったようだ。
頑固だった竜胆国から王子が使者としてやってきたとあって、セロシア様も父王も無下には出来ず、さりげない圧力に応じて婚約話は白紙になった。
そういう経緯から竜胆国の王子と私は恋仲であるという話が広まっているんだけど、当の本人は今もこうして私の護衛ポジションに収まったまま。
竜胆国からは『将軍の位を譲る』とまで言われていたようなんだけど、それすら蹴っている。
いわく『僕に王族とか国を治めるなんて無理ですよ?』とのことだ。
それには私も同意するんだけど、それっきり王子から音沙汰が無いのでそろそろ周囲に怪しまれ始めている。
私ももうじき十六歳。
十八が成人とされるこの国において、それまでに婚約者が決まっていないのは少し決まりが悪い。
次の縁談が持って来られるのも時間の問題だと感じている今日この頃だった。
そしてそんな中で、竜胆国へ戻って来いとアルに要請がかかったという。
「どうしてお師匠さんが?」
「……どうも最近ヘマをして竜胆国から強要されたみたいですよ。僕を呼び出すようにと」
「ヘマって……ひょっとして暗殺者の仕事で?」
もうかなりのお年なのに、まだ現役で仕事もしてたのか……
一度公爵家に忍び込んでいたので、実力が確かなのはわかっていたけれど。
「僕が暗殺者をやめたので、その分師匠が自分で仕事を受けているようですからね」
「アルのせいじゃない!?」
「僕のせいではありませんよ。僕に振られた仕事はイベリス姫の暗殺で最後だったんです。それ以降の仕事をまだ僕が受けるとも言っていないのに事前契約をいくつも結んでいたのは師匠の不手際です。僕はそれらを受けたくないと答えただけですから」
「い、いや……えええ」
仕事が仕事なだけに『やってあげなよ!』とも言えないんだけれど、お師匠さんからしたらいきなり従業員が退職してしまったようなものなんだろう。
前世でも今世でも就業経験はないけれど、これが大変なことなのはなんとなくわかる。
「お師匠さん……アル以外に仕事振れる人いないの?」
「僕がこなす前提の依頼ですからね。かなり高難度だと思われます。それを代行できる人材というのはそうそういませんね」
「……アルが凄いのは分かったけど」
「それだけの人材が溢れていたとしたらイベリス姫にとっては嬉しくない話でしょう?」
そりゃそうだ。
「まあ、急に足を洗ったのは僕の事情ですからね。せめてもの償いに、補助として犬を派遣していたんですが」
「それってさっきの……?」
「そうです」
「結局暗殺業させてるんじゃない……」
「報酬は受け取っていないので暗殺業ではありませんよ」
ますます可哀想だ。
「まあ、それでも師匠自身が自分でやっていた仕事もあるんですが、どうもそれで竜胆国に捕まったみたいですね。解放の条件が僕を呼び出すことだったようです」
「大変じゃない!」
「それで犬がこの手紙を託されて運んできたと言うわけで……犬は師匠に懐いているので何とかしてくれと」
「ど、どうするの?」
「どうとは?」
不思議そうな表情を向けられて、嫌な予感がする。
「……放っておくとか言わないわよね?」
「?……まさか竜胆国に行ってほしいんですか?」
「行かない選択肢あったの!?」
「そもそもですね。この手紙になんて書いてあったと思います?『竜胆国に戻るように』ですよ?何で僕の帰る場所があの国であるかのような表現なんでしょうね。依頼の仕方として不適切なので無視しようと思ってるんですが」
「いやいやいやいや!」
信じられない。何を言ってるんだこの男は!
「お師匠さんのこと心配じゃないの!?」
「僕は師匠から仕事でミスがあった場合、師匠に頼るなと散々教え込まれてきました。逆も然りです。前世でもそのようにしてきましたので特に違和感もありませんでしたし、その考えには同意します」
「だからってぇ!」
「師匠も言われて手紙を書いたものの、本当に僕が助けに来るなんて思っていないはずです。せいぜい時間稼ぎのつもりでしょうね。僕が逆の立場ならそうです。万が一助けに来ようものなら呆れるところです」
冷たい言葉だ。
けれどアルは私に話しながら、自分にもそう言い聞かせているように見えた。
アルは色々とずれているし、簡単に人を殺せるけれど、情の無い人ではない。
愛情深い人を好きだと言ったり、暗殺の対象が人の良い親子だったりした時に抵抗感を感じるような、人間らしい感情も持っている。
今世で師匠としてずっとそばに居てくれた人のピンチに、何も思わないほど冷酷ではないのだ。
きっと必要なのはきっかけ。
「……さっき、依頼の仕方として不適切って言ったけど、そんなこと無いと思うわ」
「……」
「アルはその場しのぎのつもりだったのかもしれないけど、今でもアルがあの国の王子なのは変わってないんだもの!だとしたら竜胆国に戻ってこいっていう表現は適切でしょう!」
「竜胆国に王子なんて位があるのはおかしいでしょう」
「あんたが作ったんでしょうが!」
そのツッコミは散々いろんな人にされてるわ!
「武力行使に負けた竜胆国にも問題はあるけど、その位を作らせて、自分自身でも名乗ったことがある以上、多少の筋は通すべきよ!」
「……いやに食い下がりますね。そんなに師匠と親しかったんですか?」
「アルの母親代わりみたいなものじゃない!」
私がそう言うと、翡翠の瞳が青くなって大きく見開かれた。
動揺している証拠だ。
やっぱりアルにとってお師匠さんは……
けれど次の瞬間、ものすごく嫌そうな表情に変わる。
「あれが母親?嫌な冗談ですね」
「……いや、でも十一歳で家を出てからずっと面倒を見てくれて……」
「確かにこの世界での暗殺業界のルールを教えてもらった恩はありますが、イベリス姫が思っているような温かみのある関係性ではありませんよ」
気持ち悪いとでも言いたげな表情だ。
確かに二人がどう過ごしていたかの実態は知らない。
けれど、以前お師匠さんが訪ねてきて私に色々アルのことを教えてくれたのは、確実にアルのことを想ってだ。
その時の口ぶりにも、問題児に手を焼きつつ愛おしんでいるように見えたのに。
……親の心子知らずってやつかなぁ。
「……なんですか、その目は。本当に違いますよ?」
「とにかく。暗殺業界のルールを教えてもらった恩があるのは事実なんでしょう?その恩返ししなくていいの?」
「仕事で恩は十分返したつもりです」
「わかった。じゃあお師匠さんのことはいいけど!竜胆国の王子としてもう一度将軍に会って、立場をはっきりさせた方がいいと思うわ!権利を行使しておいて義務を一切果たしてないじゃないの!」
そう言うと、さすがのアルも分が悪いと思ったのか口を閉ざした。
「……下手に戻ると、今度こそ将軍になってくれとうるさく言われますよ。もちろん逃げることはできますが、後継者の話になると妙にしつこいんです。殺してもいいなら話は別なんですが」
「良いわけないわよね」
まあ、アルだって面倒くさいからという理由で人を殺すのはポリシーに反するようなので、そうしないとは思うけど。
「でもそれなら、いっそ引き受けちゃえばいいじゃない」
「正気ですか?」
「引き受けたら自分がトップなんだもの。すぐに自分の後継者を指名して、隠居するとでも言っちゃえばいいのよ。それで文句を言う人が居たら、アルを指名した先代の将軍が悪いって言い返しちゃえばいいわ」
青い瞳が丸くなる。
「……なるほど。それは考えたことがありませんでした」
「アルって案外真面目よね」
王子という肩書をこれ以上使いたくないと言っていたのは、自分は王族に向かないから。
将軍になりたくないのも国を治めるなんて無理だから。
いずれも、ちゃんとその肩書にふさわしい振る舞いを考えているが故だ。
色々あったせいで歪んでいったみたいだけど、何の事件もなく成長していればとても真面目な青年だったに違いない。
「それにどこかで決着をつけないと、何かにつけてそういう要求が今後も続くかもしれないわよ。早めに片づけておいた方がよくない?」
こうして私が竜胆国行きを促しているのはお師匠さんの身を案じているのが第一。
しかしもう一つ個人的な理由もある。
私とその竜胆国の王子様は恋仲ということになっているのに、半年もの間公式的な接触や手紙は一切なし。
本当に周りの目が痛い。
ダリアからは『きっとお忙しいんですよ』なんて励まされるし、マーヤからは『本当に大丈夫なんですか、その男は』と未だに怪しまれているし。
正体を知っているセロシア様にもひと月ほど前に会った時『いい加減どうするつもりなのか教えてほしいところですね』なんて背後のアルに視線を向けられ、どこまで知っているのか分からない父王には『竜胆国と会談の場を設けたいのだが、王子から何か聞いていないか』と尋ねられて冷や汗をかく始末。
アルが一度でも竜胆国に戻った暁には、是非手紙の一通でも書いてほしい。
そして公式的に私と国王に送ってほしいのだ。
もちろん私には恋文、国王には国交に関しての文書を。
私への恋文は中身なんてスッカスカでも構わない。
ちゃんと関係が続いていることがアピールできればいい。
そんな邪念が混じっているせいか、アルはなかなか首を縦に振ってくれない。
「……でも僕はイベリス姫の護衛ですから、傍を離れるわけには」
「最近は暗殺者も減って来てるんでしょ?大丈夫よ」
半年前に起きた暗殺事件の黒幕、カトレアと正妃はすでに処分を受けている。
しかし、それと同時にその派閥に属していた貴族や商人達もまとめて処断され、その逆恨みからかしばらくの間はまだ私の周りは騒がしかった。
暗殺ギルドは手を引くということだったけれど、傭兵ギルドという何でも屋さんの集まりから似たような人たちが派遣されたり、有力者たちが子飼いの暗殺者を派遣してきたり。
それをことごとく片づけてくれていたのがアルだった。
しかし事件から半年、いい加減弾切れとなってきたようで、この一か月は何の襲撃もないとアル自身が語っていたのだ。
しかし安心させるべく言った私の言葉を、彼は悪い方向に受け止めてしまったらしい。
「……イベリス姫、つまり僕はもういらないって言いたいんですか?」
「え、え!?違うわよ!」
緑に戻りかけていた瞳がサッと青に染まり、鋭く細められる。
やばい、地雷踏んだ。
「さっきから聞いていれば、僕を追い出したいようにも思えますね。僕が傍にいない方が都合の良いことでも?」
「違う違うっ」
これはまずい。
不貞を疑われようものなら比喩でも何でもなく命が危ない。
現にアルの右手が後ろ手に回っている。
多分そこにはナイフがあることだろう。
急いで誤解をとかないと!
「私だってアルとは離れたくないわよ!」
「……本当ですか?」
「本当!だけど今後のことを考えて一度竜胆国へ行くべきだと思ってそう言ってるだけ!……アルと離れたいわけないじゃない。そこは疑わないでよ」
これは嘘じゃない。
今後のことを考えて言っていたのは事実だし、何だかんだで私はアルのことが大好きだ。
そしてすっかり頼り切ってしまっている。
いざ離れるとなったら、不安が大きいのは私の方だろう。
護衛がいなくなる不安もあるし、アルが知らないところで女の人に言い寄られてたりしないだろうかとか……離れたいなんて思うわけがない。
その気持ちがちゃんと伝わったのか、剣呑な空気が和らいだ。
「……イベリス姫にそこまで気を揉ませるのは本意ではありません。決着をつけてきます。その代わり、イベリス姫もついてきてくださいね」
「へ?」
それは予想外のお言葉だった。
「僕はイベリス姫の護衛ですよ?護衛が傍を離れるのはまずいでしょう」
「護衛が姫のお出かけについてくるっていう話は聞いたことあっても、姫の方が護衛のお出かけについて行くって話は聞いたことないわよ……」
「いいじゃないですか。竜胆国の王子はイベリス姫の恋人でしょう?国交正常化の為に会談の場を設けるのでイベリス姫をご招待、という形であれば……イベリス姫の悩みは全て解決されるのでは?」
私の邪念は全てお見通しだったようだ。
確かにその提案にのれば、破局説の払拭もできるし父王が心配している政治的な話も多少前進するだろう。
「そうと決まれば犬に手配させましょう」
そう言ってアルは五センチほどの長さの棒をどこからか取り出して口にくわえた。
空気が抜けるようなか細い音が響く。
遠くで犬が騒ぐ声が聞こえだした。
おそらく王城内で飼っている猟犬達だろう。
「……それって犬笛ってやつ?」
「イベリス姫は博識でいらっしゃる」
実際、猟をするわけでもない王女が知っているのは珍しいと思うんだけど、アルにそう言われると馬鹿にされているようにしか聞こえない。
「ほめてますよ」
「その付け足しが怪しいけどまあいいわ……でもそれって、犬にしか聞こえないんじゃないの?」
「そうですね」
「さっき話してた人って、人間じゃないの?」
犬だなんだと呼んでいたけれど、まさか本当に犬な訳があるまい。
この世界には獣人なんて存在、今のところは確認されていないようだし。
「人間です。聞こえるように訓練させましたが」
訓練でどうにかなるものなのか……
「聞こえるようになるまで飯抜きにしたら聞き取れるようになりました」
「……ええ」
最悪な指導方法にドン引きだ。
「ちなみにこの指導方法はあのクソババ……失礼。師匠譲りですよ。僕と師匠の関係、お分かり頂けます?」
「……ごめん」
母親扱いがよほど嫌だったらしい。
「竜胆国行きには犬も同行させます。不本意ですが今から紹介しますので……イベリス姫、服を着てもらえますか?」
そう言われてまだシーツしか身にまとっていないことを思い出した私は慌てて寝間着を探した。
ご覧いただき有難うございます




