17 恋人
「こんばんは、お嬢ちゃん」
見知らぬ美女が、ハスキーボイスでそう声をかけてくる。
私は悪夢の影響にあえぎつつ、必死に状況を把握しようと努めた。
努めたけれど、分からない。
「あ、の……?」
「一人で居てくれて助かるよ。もしかしてあの子を待っているのかな?」
その言葉に、声を失う。
「ああ、やっぱりそうか。ふうん、なるほどねえ」
「……貴女は、誰ですか?」
「ああ、しまった自己紹介をしていなかったね。名前は言えないがこれだけ言えば分かるかな。あの子の師匠だよ」
師匠。
あの、姿を変える魔法を教えたという。
目を丸くしている私に、彼女はもう一つ付け加えた。
『今生の、だけどね』と。
「……まさか」
「その反応はこれも聞いているんだね。そうか。あたしとの連絡もほったらかして走り回っているのはやっぱりお嬢ちゃんの為なんだねえ。まあ、あたしを避けているのはわざとかもしれないけどさ」
「連絡?」
私の問いかけに、お師匠さんはにっこり笑った。
「今回みたいに潜入してターゲットに近付くようなことをしているとね。外からの情報を得にくいだろう?だからあたしはあの子が仕事中、必要な情報を外で集めて届けている。仲介業もしているから、依頼者からの声を伝えたりね。たまに条件変更が入ることもあるから。それをいち早く伝えてやらないといけない」
アルが情報通なのは、お師匠さんの力もあるのかもしれない。
一体いつその連絡を行っていたのか、私にはさっぱり分からないけれど。
「アルは、来ていませんよ」
「知ってるよ。今あの子は忙しそうだからねえ」
「……」
「んな顔しなくても、きっとまた来るよお。あの子は仕事を失敗したことが無い」
その言葉に、それならよかったと笑えば良いのだろうか。
唇を噛むしかできない。
「……なあんだ。てっきり殺されてもいいから会いたいなんて情熱的な言葉を聞けるのかと思ったんだけどねえ」
「そんなこと、簡単に言えません」
「暗殺者とターゲットの恋なんて劇みたいだなあって思っていたんだけど、そう上手くはいかないかあ」
「暗殺者とターゲットじゃなくたって……」
思わず詰りそうになるのを必死にこらえる。
この人を責めたって仕方がない。
そんな私の様子を見て、お師匠さんは眉を上げた。
「はあん。その様子だとあの子の困った癖も知ってんだね。まあそりゃそうかあ。あの子のことだから耐えらんなくて何度かナイフちらつかせてんだろ」
「……二回だけです」
初遭遇の時を除けば。
「へえ?三週間もそばに居て、二回で済んでんのかい。実はそんなに食指が動かないのかねえ」
思わず枕を投げつけていた。
しかしまるで予想されていたかのように、ひょいと避けられる。
「なんだやっぱり情熱的だ」
「黙って」
「嫌だね」
アルなら黙ってくれたのに。
「あの子の昔の恋人を知ってるかい?」
「……知りません」
「そうかあ、これは話してないのか。お嬢ちゃんはまっとうな感性の持ち主みたいだからねえ。話すと引かれると思ったのかなあ」
「恋人を殺したってことは、聞きましたよ。私のこと、ちょっと好きになってきたって言いながら」
お師匠さんは、窓の外を見ながら目を細めた。
「んん。なるほどねえ。そっから踏み込めなくなっちゃったんだね。あの子は純情だからねえ全く」
「純情……」
純情なアルを想像しようとして気持ち悪くなってやめた。
いや、不純かっていうとそれも違うんだけど、なんだろ、なんか、違うよね。
「知りたいかい?」
「え?」
「どうしてあの子が恋人を殺したのか」
そう尋ねたお師匠さんは、しかし私の答えを聞くことなく語りだした。
「前世のあの子は小さい村の農家の息子として生まれたらしい。最初の恋人は、その村の村長の娘だった。もう、顔も名前も覚えていないとかで、あたしも名前は知らないけど」
◆
村長の娘は美しい少女だった。
とはいえっても狭い村の中では、という話で、おそらく都会に行けばもっと美しい人はたくさんいただろうとあの子は笑っていたね。
五つ年上だったらしいが、幼いころから憧れていたそうだ。
あの子の両親は幼いころに亡くなり、村長が親代わりとして育ててくれていたらしいけど、娘のことは姉ではなく一人の女性として見ていたらしい。
村長の娘が成人を迎えた春のある日、祭が開かれた。
その祭では、一つの大会が行われる。
村の未婚の男たちがこぞって参加する武術大会だ。
それに優勝した男が、娘の伴侶になれる。
村長の娘の伴侶というものは、代々そうやって決まって来たんだそうだ。
もちろんあの子も参加した。
上は二十五までだけど、下は制限がなかったらしい。
まさか十二の子供が勝つなんて、誰も思っていなかっただろうしね。
前世のあの子は魔法も使えない平凡な子供だったそうだが、頭は回ったし、人より少し身軽だった。
場外に出れば負けというルールを利用して、次々自分よりずっと年上で体格のいい大人達を倒していった。
そしてついに優勝しちまった。
それが全ての始まりだったのさ……
◆
「 !勝ったよ!」
そう無邪気に喜ぶ少年を見て、村長の娘は微笑んだ。
「おめでとう」
婚約者同士が一つ屋根の下というのはまずいとあって、少年は村長の家を出て一人で暮らし始めた。
それから二人は時々村のはずれの花畑で短い逢瀬を重ねては日々を過ごした。
流石にすぐ結婚とはいかず、花婿である少年が成人するまで待たねばならない。
「待たせてごめん、 」
「ううん。貴方が大人になるのを楽しみにしてるわ」
そんな優しい彼女を、少年はとても大切に思っていた。
しかしある日、幸せな日々が終わりを告げる。
娘が少年に、『もう会えない』と伝えたのだ。
「どうして、何でだよ!」
そう問い詰める少年に、娘は黙って首を振り、それ以降会ってくれなくなった。
村長の家を訪ねても、『会いたくないと言っている』との一言で追い返された。
そして少年がようやく娘の姿を見れたのはしばらく後。
とある家の窓の隙間から、一人の青年と向かい合う娘の姿が見えた。
その青年は大会で優勝候補と言われていた体格のいい男で、娘に長いこと懸想していることも有名だった。
そんな青年の家で二人きり。
少年はそれを見て悟る。
裏切られたのだと。
やはり大人の男の方に、彼女はなびいたのだろうと。
間もなく、村長が宣言した。
娘の伴侶はこの男に変わったと。
少年は絶望し、ろくに外にも出なくなった。
しかし婚儀の日の朝、浮かれる村の雰囲気には耐えられないだろうと、少年は村の外へひっそりと出かけて行った。
そして何度も逢瀬を重ねた花畑に立ち寄った時、そこに横たわる娘の姿を見つけてしまう。
「 !?」
「……ああ、来てくれたのね」
娘の胸にはナイフが刺さっていた。
ワンピースは真っ赤に染まり、か細い呼吸が、彼女の命が長くないことを教えていた。
動揺する少年に、娘は語る。
ある日、寝室に突然青年が入ってきたこと。
父親である村長の許しを得てやって来たというその男に手籠めにされたこと。
だから少年に合わせる顔が無くなったこと。
でも、こんな結婚を受け入れることはできなかったこと。
震える手で差し込んだであろうナイフは浅く、出血はあれど死ぬにはまだ至らない。
もはや助けるのは難しい。
けれどこのままでは彼女は長く苦しむだろう。
少年はそっとナイフの柄を握り。
「……有難う。愛してるわ」
今際の愛の言葉を代わりに受け取った。
少年は村を出た。
おそらく今の状況では、少年が娘を殺したと疑われるだろう。
いや、とどめを刺したのは自分なのだから間違ってはいない。
何にせよ、故郷への未練は全くなかった。
近くの大きな街に、少年は着の身着のまま逃げ込んだ。
少年は街の孤児院に保護された。
村から追手はこなかった。
醜聞を気にする小さな田舎の村だから、外の街に出てまで事を荒立てたくはないのだろう。
娘を追い込んだ村長や男に恨みはあるが、それをぶつけるほどの気概も力も彼にはない。
むしろ、最後に苦しんでいた娘の姿の方が少年の頭に強く残り、彼は医者になりたいと考えるようになった。
やがて成人し、孤児院を出てからは街の医者の下で助手として働きだした。
それだけでは食っていけず、身のこなしが軽かったのを生かして魔物を狩る冒険者の仕事もこなす。
睡眠時間を削りながら、彼は必死に働いた。
そんなある日、彼に近付いてきたのは派手な女。
忙しない日々を癒すかのような甘い言葉とその容姿に、女性経験の少ない彼はほだされ、次第に良い仲となっていった。
そしてある日の夜、彼は目撃する。
女が見知らぬ男と、路地裏に消えていく姿を。
その様子に、かつての娘の姿が重なった。
彼女の身に危険が及ぶのではと彼は急いでそれを追いかけたが、路地裏に入るより先に人にぶつかった。
それは先ほど彼女と共に歩いていた男だった。
路地裏から引き返して来たらしい男は、逃げるようにその場を去っていく。
不審に思いつつも、彼女の安全確認が先だと路地裏を覗くと……腹にナイフを刺された彼女が、倒れていた。
しかし彼はすぐに駆け寄ることができなかった。
彼女の近くに、薄汚れた外套を着た、壮齢の男が立っていたからだ。
まるでこの状況を俯瞰しているかのように淡々とした表情で。
「あーあ。先にやられちまったなぁ。どうすっかなー。俺がやったってとことにしときゃいいか」
「な……にを、助け……」
のんびりした声で頭を掻きながらそういう男に、彼女は手を伸ばす。
「助けねーよぉ。あんたあっちこっち粉かけすぎなんだよ。俺みたいなのにまで依頼が入るんだからよっぽどだ。そんなだから刺されんだ。この街でも少なくとも三人には手ぇ出してんだろぉ?どいつもこいつも独立前の将来有望な男ばっか。独立資金巻き上げて贅沢三昧たぁ、いいご身分だねぇ」
男が何を言っているのか、理解するより先に、彼女のうめき声が聞こえる。
「ふざけんなッ…!私みたいな良い女相手にできんだから、金払うくらい当然だッ!」
その声はとぎれとぎれだったはずなのに、嫌に耳にはっきり届いた。
彼も独立資金を貯めていた。
その管理は、独立後に結婚を約束していた彼女に任せていたのだ。
彼は悟った。
己の未熟を、浅はかさを。
人の心の奥深さを。
簡単には覗けないほどの最奥に、その本音を隠している人間はたくさんいるのだということを。
そして彼は……そっと足を踏み出した。
冒険者業で獲物に対してそうするように、足音を殺して素早く。
男はこちらに気付いたようだったが、黙ってそれを見守っている。
彼女はきっと、その首に手をかけられるまで、彼の存在に気付いていなかった。
事切れた彼女の遺体を見下ろして立ち尽くす彼に、男が声をかける。
「あんた、この女に引っ掛けられてたカモの一人じゃねぇか。いい腕してんね」
「……医者見習いと、冒険者もしていたもので」
「あー、そうだっけかぁ」
また頭を掻きながら、男が言う。
「あんた、うちに来な。そんな顔した人間は、多分もう元の生活には戻れんよ」
そして、彼はその街を出た。
◆
「……と、まあそういう経緯だ」
「……壮絶」
「あたしに言わせりゃ青臭いだけだけどねえ。まあ運が悪いのは確かだ。あの子はね、今際の言葉で、恋人の本音を知ってきた。だからこう考えたのさ。死の間際こそ、その人の本音が聞けると」
「それは……」
思わず眉根を寄せる。
「馬鹿みたいな話だろお?やけになって酷いこと言うやつもいるし、何も言えないやつも、強い意思で嘘をついて死ぬ奴だっているよ。まあそんなこと、本当はあの子だって知ってるのさ。でも確かめる術の一つとして、試したい気持ちを押さえられない。だから大切な相手ほど、思いを交わしたい相手ほど、自分にかけてくれた声が、態度が本物なのか知りたい、確かめたいとナイフをつきつける」
「……」
「……なんてことをね、前世では繰り返していたらしいよ。流石に大人になったとか言って、今生ではやってるところを見たこと無いがね。今のあの子は仕事以外の殺しはしないよ。あんたが初の例外になるのかね」
「嫌なこと言わないでください……」
殺してみたいという言葉。
苦しませたくないという言葉。
彼から聞いた言葉が繋がっていく。
ああ、なんだ。
「アル……人を、殺したいわけじゃないのね」
顔を覆う私に、お師匠さんが溜息をつく。
「そうかもねえ。でもあの子の殺しのセンスは天才的だよ」
「……天才的だからって、それをしなきゃいけないわけじゃない」
「そりゃあ道理だ。でもあの子は他の生き方を知らない」
「知らないだけなら、知ればいい。私は協力を惜しまないわ」
いつの間にか私はお師匠さんを睨んでしまっていた。
正直、簡単な話じゃないだろう。
既に彼はたくさんの罪を犯しているし、何より彼が他の道を望むとも限らない。
だけど……私はその無理を押してでも、アルの傍に居たい。
「はは、こりゃまた意外と肝が据わってんねえ。あたしも暗殺者だよ?大事な弟子を引き抜くような話なんかして、殺されるとは思わないのかい」
「殺す相手にこんな話わざわざするんですか?」
「するときもあるさあ。暗殺には条件がつくこともある。たとえば今回のアルの仕事は、期限最終日にターゲットを殺すこと」
思わぬ言葉に目を見開いた。
いつもご覧いただき有難うございます。




