16 竜胆国
アルが姿を消した翌日。
昼過ぎになって、急な呼び出しを受けた。
そして向かった謁見の間で。
「イベリス第二王女、しばしガーネット公爵家にて世話になれ」
真っ赤なビロードの絨毯が真っすぐ続いた先、玉座に座った国王陛下はそう言った。
立派な髭、黒い瞳。
もう五十を超えているはずだけど、美しいブロンドは今なお色褪せない。
そう言えばカトレアの色は父親譲りだ。
私の色は、母親譲り。
そんなことを考えるのは現実逃避だと気付いている。
「……ガーネット公爵家へ、とは」
跪いたまま、問いかける。
うわ言のようにか細いその声を、それでも国王は聞き届けたらしい。
「セロシア公子から先刻申し出があった。このところイベリス第二王女の身辺は騒がしく、しかし騎士達がそばに居ては王女の心が休まらぬ。雇った少年護衛も昨日解雇したと聞く。ガーネット公爵家には数名ではあるが、女性の騎士を登用している」
なるほど、セロシア様がアルの解雇を聞きつけて急ぎ対応してくれたらしい。
何でもう知っているのかというのは気になるけれど、公爵家と王家のつながりは深い。
この城の中にも独自の情報網はもっているのだろう。
だけどそれなら心配いらない。
むしろ今日は、私の方から国王陛下に会おうと思っていた。
それなのに呼び出されて驚いたくらいだ。
私の用件は決まっている。
もう大丈夫ですから、近衛隊を再編成してください。
……そう、言うだけなのに。
それを言ってしまえば、もうあの少年護衛はいらなくなる。
戻って来る場所が無くなる。
そんなことが頭をよぎって。
「すでに受け入れ準備はできているそうだ。すぐ向かうように」
そんな国王の言葉に。
「はい」
そう返事をしてしまった。
……馬鹿じゃないの。
多分もうアルは戻って来ないし、戻って来るとしたら暗殺者としてだ。
私を殺しに来るんだ。
何で迎え入れようとしてるんだ。
しかも今ガーネット家に行けば、婚約者候補は私だと周囲に喧伝するようなもの。
既成事実にされてしまう。
そう後悔してももう遅い。
『ごめんパパ、やっぱりやめてもいい?』なんて言える親子関係ではないのだから。
だとすれば私にできることは、カトレアの耳に入るより早く出て行く準備をすることくらいか。
「もう準備はできておりますよ!」
部屋に戻ると、妙に明るいマーヤがそう言った。
一足先に伝令が来ていたらしい。
「この日を待ち望んでおりました!早く公爵家に参りましょう!そうすれば王女様にももう不便を感じさせることもありませんわ!」
「……そうね」
ずっとマーヤ一人に負担をかけすぎた。
公爵家に行けば他の世話役をつけてもらえるだろう。
マーヤは私の侍女頭としての待遇を受けられる。
そんな彼女に水を差すわけにもいかないと、私は泣き言を飲み込んだ。
◆
マーヤの行動が迅速だったおかげで、カトレアに見つかる前に城を出ることができた。
当座の服や化粧品以外は、のちほど使用人たちが運んでくれるそうだ。
公爵邸の前では昨日別れたばかりのセロシア様が待っていて、馬車から降りる私の手を取り、丁重に招き入れてくれた。
「ようこそおいでくださいました。イベリス第二王女殿下。父がお出迎え出来ないご無礼をお許しください。昨晩から仕事で不在でして」
「公爵様がお忙しいことは存じておりますのでお気遣いなく。私の方こそ、昨日の今日でお世話になることになってしまって」
「こちらから申し出たことです。イベリス第二王女殿下をお迎えできることは我が家にとっても光栄なことですから」
そのお迎え、という言葉にはおそらく結婚の意味も含まれるのだろう。
ああ、これはもう腹をくくるしかないな。
「どうぞ、ご自分の宮だと思ってお寛ぎください」
「有難うございます」
私の緊張を知ってか、セロシア様は優しい笑みを向けてくれる。
そして紹介してもらった女性の騎士達はみんな明るい人たちで、度重なる襲撃に怯えているであろう王女を励まそうとしてくれているのがよく分かった。
どこか気分が落ち込んでいた私ですら、思わず笑みがこぼれるほどに。
きっとここに嫁いでくれば、私は大切にしてもらえるんだろう。
そう実感できる。
……できてしまう。
平和な笑い声が部屋に満ちれば満ちるほど、暗く冷たい空気の中に美しく光る、青が遠ざかっていく気がした。
「夜間は寝室に誰か一人控えようと思うのですが」
騎士の一人がそう言ってくれたけれど、私は数秒考えて首を振った。
「ごめんなさい。警備が大切なのは分かっているんですが、最近人の気配を感じると眠れなくて」
「そうですか……」
心配そうな表情に胸が痛む。
だけど嘘じゃない。
多分、彼女たちが居ると眠れないし、まだ時々うなされるから、心配をかけてしまう。
それに……訪問者が来た時、騒ぎになってしまう。
「……だから、迎え入れてどうするのよ……」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、何でもありません」
自己嫌悪を伴うそんな自問自答を繰り返し、悶々としたまま夜は更けていった。
私の配慮など素知らぬ素振りの窓やドアは、今日も深夜の訪問者を招き入れることは無いまま。
◆
何も起きないことにモヤモヤを募らせて、数日が経った。
アルに聞いた期限はもう、三日後に迫っている。
「どうされました?」
ぼうっと庭の景色を眺める私に、セロシア様が声をかけてくれた。
ああ、そうだ。
お茶をしているんだった。
「申し訳ありません。少しぼんやりしてしまって」
「暖かいですからね。お気持ちわかりますわ」
そう言って笑ってくれたのは十二歳くらいの少女。
名をダリア・スパティフィラム。
銀色の髪にオレンジの大きな瞳をもつ、可愛らしい女の子
。
彼女はスパティフィラム辺境伯家のご令嬢だ。
ちょうど辺境伯が定期連絡に王都に来ていたので、それに同行していたらしい。
今日のお茶会のお客様だった。
私がこの屋敷に来てから、セロシア様はあれこれと世話を焼き、私が退屈しないようにと毎日お茶会も開いてくれている。
毎回二人だけではつまらないでしょうからと、今日はこうしてゲストも招いてくれた。
「スパティフィラム辺境伯が治める土地は、竜胆国がお隣でしたよね?」
「ええ、その通りですわ」
イベリス王女として培ってきた知識をなんとか引っ張り出す。
竜胆国はハッキリ言ってしまうと和テイストの国だ。
なんでお隣の国なのにそんなに文化の開きがあるのかと言えば、竜胆の国がもともとは遠く離れたところにある島国だったからだ。
その島国は別の大陸の方が距離が近く、その大陸の文化の影響を大きく受けている。
しかしあるときその島国で大きな火山の噴火が起き、新天地を求めて彼らはこの大陸にやって来た。
今ある竜胆国の土地は昔、別の小国があった場所だ。
その国は我が国の同盟国でもあった。
それを竜胆国が攻め落として自国の領土にしてしまったのだ。
もう、百年くらい前の話らしいけど。
「最近の竜胆国の動きはどうだい?」
「大人しいものです。しかし竜胆国は血気盛んな国柄ですから。正式に国交を結べるまでは安心できませんわね」
百年前の侵略戦争の時には、もちろん同盟を結んでいる我が国も争った。
しかし少数かつ遠い島国からの侵攻であったにも関わらず竜胆国の勢いはすさまじく、小国の人々を極力周囲の国に逃がし、土地を明け渡すことでなんとか停戦に持ち込んだそうだ。
あやうく我が国の土地まで奪われかねない状況だったと聞く。
退路を断たれてなりふり構わなくなった人間は強いっていうことなんだろうか。
スパティフィラム家は、その小国の血を継ぐ一族の一つだ。
そしてそんな経緯から、この国と竜胆国との関係は微妙なまま。
本当ならそんな経緯があるからこそ、形だけでも国交を結びたいのに、竜胆国が頑ななのだとか。
移住して間もなくは物資が必要だっただろうに、もともと親交のあった他大陸の国とばかり貿易をしている。
そのうち竜胆国を拠点に、他大陸の国々が攻めてくるのではと、周囲の国は戦々恐々だ。
……平和な前世が懐かしい。
「こちらが下手に出るのを待っているのだろうね」
「細々と行商は行われていますからね。彼の国の品々は我が国には目新しいですもの。一部ではコレクターもいると聞きます」
「今は商人がほとんどのようだが、貴族に及ぶと厄介だな」
「既にひっそり購入した者がいるとの噂もありますの。有力な貴族が懐柔されると危険ですわ」
セロシア様と対等に会話をしているダリア様は、幼いながらとても優秀なご令嬢のようだ。
私は相槌を打つばかり。
知識はあれども生かせるほどの考えが無い。
王女としてこれはいかがなものだろうか。
もう少し勉強して、いろんな人と話をしてみるべきだよなぁ。
……三日後も生きてたら、頑張ろう。
ひっそりと反省する。
しかしそんな私の反応を、二人は退屈していると受け取ってしまったようで。
「申し訳ありません。お茶の味がしなくなるお話になってしまいましたわね」
「気が利かなくて申し訳ない。せっかくダリア公女をお招きしたのだから、女性二人でお話をされるのもいいだろう」
「え、いえそんな……」
私の控えめな否定を笑っていなし、セロシア様が席を外す。
イベリスのように内向的では無いにしても、初対面の相手は気を遣う。
ましてや私は社交界に疎い。
年下かつ根っからの貴族であるダリア様と何を話せばいいのか。
しかし身構える私に反して、突然王女と二人きりにされたというのに、ダリア様は気負った様子も無く……いやむしろ嬉しそうに微笑んだ。
「イベリス王女、とお呼びしても?」
「ええ、構いません」
「有難うございます!イベリス王女はセロシア様とご結婚されるのですよね!?」
ド直球。
しかしデッドボール。
考えないようにしていたことに直面させられる。
思わず凍り付いた私を、ダリア様は不思議そうに見つめた。
「違いましたか?」
「ええっと……」
「未婚の王女殿下をお迎えしているのですから、そういうことなのだと」
「……そう。そうなのですが」
予想していた。
周囲からもそう見られるだろうと。
そして国王陛下も公爵もセロシア様自身もそのつもりだろうと。
この提案を受け入れた時点で私も承諾したものとして受け取られるのだろうと。
……分かってはいたのに。
「そう、なってしまうのですが」
どうしても、青がちらつく。
どうして青なんだろうか。
比較的にこやかに話していた時のアルは緑の瞳だった。
青い目をしている時なんてろくな話をしていない。
だって彼が私を殺したいと思っている時なのだから。
それなのに、私がここのところ思い返す彼の姿は、いつも青い瞳をしていた。
「イベリス王女、他に気になる御方が?」
見透かしたように、そんな問いかけをされる。
すぐに否定すべきだったのだろう。
無駄な波風を立てたくないのなら。
さほど親しいわけでもない、年下の少女に妙な情報を与えてはいけない。
それなのに、私は一瞬口を閉ざしてしまったのだ。
途端に、少女の瞳が輝く。
「まあ!どなたですの!?」
「だ、ダリア公女様」
「あ、申し訳ありません。セロシア様に聞かれては大変ですわね……きっと、道ならぬ恋なのでしょう?」
道ならぬというか命がけというか。
そんな言葉が思い浮かんだ瞬間、私は頭を抱えた。
どうして訂正しようと思う言葉がそこなのか、と。
恋を真っ先に否定しなかった時点で、もうそれが答えだ。
どんなに気付かないふりをしても、蓋をしても。
これだけ頭がいっぱいになっているのだからもう遅い。
私は、アルが好きなんだ。
自分の命を狙う暗殺者が。
気になる女性を殺したくなる狂人が。
サイテーなファーストキスを残していった、あんな男が。
「……ダリア様」
「はい!」
「どうぞ、ご内密に」
「キャー!もちろんですわ!」
いつでも相談に乗ります!という心強いお言葉を残して、ダリア様は帰っていった。
聡明な彼女のことだから、無暗に吹聴したりしないだろうとは思う。
思うけど……十二歳の少女に恋愛相談はちょっとしづらい。
そもそも経緯が説明できないし。
ダリア様が相手を見たら驚くことだろう。
普段の姿はむしろ、ダリア様の方がつりあいのとれる少年なのだから。
◆
深夜。
その日はまた、悪夢を見ていた。
頻度は減ったとはいえ、水の夢は未だに時々見る。
前世の私の命を奪い、今世でも命を落としかけているのだから、無理も無いだろう。
加えて、ここ最近はアルの夢を見ることも多かった。
アルの夢を見た後は無性に泣きたくなるけれど、会えるだけまだその夢の方がいい。
しかし、残念ながらその日は溺れる夢だった。
起こしてくれる人がいなくなってから、この夢は長い。
けれどこの日、私を揺り起こしてくれた人が居た。
「大丈夫?」
「……あなたは……」
呼吸を忘れてのたうつ私を引き戻してくれたのは、緑の目の少年でも、青い目の青年でも無い。
豊かな黒い髪に黒い瞳、体の線をあらわにする黒い装束を着こなす美女だった。
「……誰?」
いつもご覧いただきありがとうございます。
先週更新できずにすみません。
代わりに今日は二話投稿予定です。




