14 最終手段
泉の水で馬車を洗ったおかげか、それ以降馬車が魔物に襲われることは無かった。
もちろん、暗殺者の襲撃も。
私が知らないうちにアルが何かしていなければだけど……流石にあの状態で暗躍していることは無いだろうと思う。
城に帰り着く頃には、アルの熱はだいぶ引いていた。
まだ微熱はあるけれど、道中かけ続けていた回復魔法のおかげか、もともとの治癒力が高いせいか。
火傷からはもう体液が滲むこともない。
騎士達も治りの速さに驚いていた。
騎士隊長が『大人になったら騎士になるといい。近衛騎士にだってなれそうだ』なんて言っていたのは私にとって笑い話だ。
いつでも王族の寝首をかける暗殺者が誕生する。
……やめてほしい。
◆
「それじゃ、ごきげんよう。カトレア」
城についてすぐ、私は身支度を整えてカトレアに会いに行った。
もちろんミルトスを渡すためだ。
しっかり目的を果たした後は、きつい視線を受けながら退出する。
「カトレア姫、良い表情でしたね」
「そうね、今日ばかりは笑顔を浮かべる余裕もなかったみたいね」
微熱があるにも関わらず、お供をしてくれていたアルは機嫌良さそうだ。
あのおかしな空気になった夜の翌日、アルはいつも通りに戻っていた。
その日の晩にはもう寝ずの番をしようとしたので、マーヤの寝台に無理やり寝させたこと以外はいつも通り。
道中はなんとか休ませていたけれど、多分今夜からはまたいつものように護衛をするつもりだろう。
もう文句を言うつもりはないけれど。
相手は暗殺者なんだしね。
「たとえイベリス姫が無事だったとしても、花を持ってこられるとは思っていなかったのでしょう」
「……私の回復魔法のこと忘れてたみたいだしね」
道中、私が回復魔法をかけていたのはアルだけではない。
植物にも回復魔法を使うことで、摘んだ後の花が枯れるのを遅らせることもできる。
少し上手くなった回復魔法をこまめに使っていたおかげで、花は瑞々しいままだった。
傷一つない私の姿と、表向きピンピンしてみせているアル、そして文句のつけようがないほど美しい状態のミルトス。
『本当に東の泉から?』という問いかけに、『騎士達に確認するといいわ』と返せばもう彼女は何も言い返せない。
暗殺者を差し向けた手前、それを撃退した騎士達には会いたくないはずだ。
最終的に、カトレアは口をひん曲げてミルトスを受け取った。
あの顔での『有難うございます』は、敗北宣言に近いものがあるだろう。
「アル、体調は?」
「もう問題ありません」
まだ微熱があるくせに、と心の中で毒づく。
まあ、正直に言わないことは知っていた。
「僕が心配ですか?」
「まさか。暗殺者を相手に?」
悪戯っぽい問いかけに、冷たく返してやる。
これ以上、情が沸いてはいけない。
私は生きたいんだから。
「……ですよね」
背を向けたまま歩いているから、その表情は伺えない。
まさか、落ち込んだりはしないだろう。
彼だって私たちの関係は理解しているはずだ。
「そういえばちゃんと聞いてなかったわね。なんであんな怪我を負ったのよ?騎士たちに聞かれても適当にはぐらかしてたけど……出ていく時の様子からしたら、魔虎くらい簡単にやっつけますって感じだったじゃない」
「いや、そこを突かれると辛いものがあるんですが……少々誤算が」
「誤算?」
振り返ると、アルはいつものように嘘くさい苦笑を浮かべている。
ほら、いつも通りだった。
「本来魔虎は群れる魔物ではありません。ですから今回のように複数同時に遭遇するのは稀なんです」
「それは知ってるけど……」
「多少囲まれたところで、攻撃を交わすもいなすもできると踏んでいたんですが……三頭同時に練り上げた水魔法が繋がり、大きな水球になってしまいまして」
魔虎は魔法を使う。
しかし使える魔法は水か木属性のどちらかのみ。
たまたま三頭が同じ魔法を同じタイミングで使うなんて……いや、それとも連携するだけの知能があるのだろうか。
「それを避ければ背後にある植物がダメになります。いなそうにも無理なくそれができる方向にはイベリス姫たちがいました。長期戦になれば周りにあるミルトスが全て荒らされることも考えられた」
「……一瞬でそんなことまで考えてたの」
「おかしいですか?」
おかしいといえばおかしいけど。
「……すごいなって思うわ」
思わず素直に称賛する。
「光栄です。それで、これはもうまとめて倒した上で、一部のミルトスのみを守るのが最善だろうと。水球に僕が使える最大威力の炎をぶつけて爆発を起こし、ミルトスの方に飛んで一部をなんとか守りました」
「それで、背中に……」
「本当はもう少し余裕のある数を守るつもりだったんですが、いかんせん守ると言うのは専門外なもので」
……まあ、暗殺者だしね。
「子供の体に戻っておかないとどこに行ったのかと不審がられるでしょうから、その為に魔力や集中力に余力を残しておく必要もありましたし」
「そうだったわ!そのことも聞きたかったのよ!」
勢いよく振り返る私に、アルが後ずさる。
「そのこと、というと?」
「いきなり大きくなっててびっくりしたのよ、私」
「ああ、僕の兄のことですか」
「何が兄よ」
「イベリス姫がそう言ったんでしょう」
「事前に口裏合わせしてくれたら言わなかったわよ!」
「いえいえ、都合がいいですよ。今後あの姿を見られても僕の兄ということにしておきましょう」
今後もあの姿になる予定があるのか。
冗談じゃない。
早いところこの城から出て行ってもらわなくては。
「アルって本当は十八なのよね?」
「そうですね」
「だからあれが、本当の姿?」
「ええ。流石に複数の敵を相手にするとき、子供の体のままだと体力上不安がありますので」
「……もともと戻るつもりでいたのね」
「ええ。ちゃんと服も着替えてあったでしょう?」
ああ、確かに服のサイズは元のものじゃ合わない。
あの簡素な黒装束は、体の大きさの変化に対応する為に用意された服だったからなのか。
「それでも姿を見せたのは迂闊じゃない?騎士達は何も突っ込まないでいてくれたけど、いきなりお兄さんが出てくるのはおかしいし、怪我して戻ってきたアルはお兄さんと同じ黒ずくめに変わってたなんて変じゃないの」
幸か不幸か、爆発でボロボロになっていた為に、服が大きすぎるとかは気付かれなかったみたいだけど。
突っ込まれた時どうしたらいいのかとハラハラしたわ……
……いや、違う。
それで不審に思われたらそれでいいはずだ。
暗殺者を捕らえてもらえるかもしれないのだから。
何で私はアルのことを心配しているかのようなことを口走っているのだろう。
しかし訂正するより先に、ジトッとした視線を寄こされる。
「僕だって姿を見せるつもりは無かったんですよ。裏に隠れていた暗殺者を処理して戻ってきてみたら、国の騎士ともあろう男達が角狼なんかを相手にいつまでも遊んでいるし、伏せていろと言ったはずの護衛対象はあろうことか馬車から出ようとしてますし」
……ド正論が返ってきた。
「だ、だって……どう見ても狼はこの馬車を狙ってたから」
「それに僕が気付いていないとでも?分かった上で馬車に居るように言いました。その方がまだ安全だったからです。出てきたところを狙うつもりで待機していた暗殺者がどれだけ居たと思うんです」
「……四十人くらい?」
「五十六人ですよ」
私の目算あてにならない。
いや、隠れていた暗殺者もいたのかな。
「……暗殺業界って、結構人多いんだね」
「今回来ていたのはこの業界では半端者がほとんどです。食うに困った人間とか、信用を無くして仕事を回してもらえなくなった傭兵とか。カトレア姫は団体パックを使ったんでしょう。団体パックで投じられる人材は、能力にばらつきがある上に統率がとれていません。通常は攪乱用に使うものですよ。使い捨て扱いなので、本当に優秀な暗殺者は含まれません」
「団体パック……」
そんなレジャー感ある名称での売り出し方もされてるの、暗殺者って。
「まあ、とにかく暗殺者はこれで打ち止めでしょう」
「まだ一人いるわ」
「そうですね。でも、カトレア姫はもう負けたと思っているかもしれませんよ」
「どういうこと?」
その瞬間、アルが少し困ったように笑った気がした。
さらに疲れたように、細い溜息をつく。
そんな様子を見るのは初めてで、思わず足を止める。
「何かあったの?」
「いいえ。別に」
「別にって感じじゃなかったじゃない!」
「どうしても知りたいですか?」
「うん」
「別料金ですが」
「……いくらなのよ」
「キス一回です」
「……」
思わず表情が消えた。
「そういう冗談、いい加減やめてほしいわ」
「どうしてですか?」
「……」
青い瞳が、私を見つめている。
悪戯っぽく笑っているのかと思いきや、妙に真剣な表情だったから、思わず視線をそらしてしまう。
「目、また青くなってるわよ」
「そうですか。誰も居ないので構いません」
誰も居ないこの場で、暗殺するには絶好のタイミングで。
私への殺意を抱きながら、この男は何を考えて私を生かしているんだろう。
言葉を失った私を見て、アルは溜息をついた。
「それより、どうします?もう期限まで十日を切りましたよ」
ベッドにでも行きますか?と少年が私の手を取る。
それを素早く振り払い、私は自分の宮へと足を向けた。
「どこに行くんです?」
「トラインのところよ。こうなったら最終手段。セロシア様に直接お会いするわ!」
「は?」
アルから珍しく間の抜けた声が出た。
「セロシア公子に会って、どうするんです?」
酷く動揺したような声だ。
本当に珍しい。
「お願いするのよ」
「何を……」
「カトレアを、止めてもらうの」
呆気に取られているアルを置いて、私はトラインの執務室を目指した。
◇
大股で歩く第二王女の背中を見て、アルベルトは溜息をついた。
「……ガーネット公爵家、か」
思い出すのは泉の側で襲撃があった夜のこと。
馬車を出て、付近に潜伏していたソロの暗殺者に一人一人接触していった。
集団で機をうかがっている連中は騎士が相手できるだろう。
機動力のある、ソロの暗殺者の方が厄介だ。
一部は、背後に立たれた時点で降伏した。
アルベルトの顔を知るものは少ないが、その能力だけで"掃除屋"の異名を持つ暗殺者だと察するものも少なくない。
それでその場から去った者は見逃す。
腕のいい暗殺者が減れば、業界内で恨まれてかえって面倒になるからだ。
降伏しなかったものと、撤退すると見せかけて再度潜伏を始めた人間は始末した。
そして最後に、道中ずっと馬車を追跡していた人物に接触する。
馬車から比較的近い場所で、木の陰から様子をうかがっていた男だ。
殺気が無いので後回しにしていたが、潜伏する腕は並みの暗殺者よりも上だろう。
ただし、何十年と暗殺業をしているアルベルトにとっては児戯に等しいものだったが。
「!?」
背後からナイフを首元に突き付けると、その男は声も無く体を強張らせた。
年は二十代も半ばといったところか。
声を発さないところを見るに、やはりただの旅人ということは無さそうだ。
叫んだり暴れたりすれば首を落とされると知っている。
この手の人間は死の間際でも職務を優先することが多い。
情報を聞き出しづらい、厄介な相手だ。
そして予想よりも身なりがいい。
外套は薄汚れているが上質なものだ。
見る人間が見ればわかる。
一般人に溶け込むことが必要な暗殺者ならば選ばない素材だった。
「……主人は誰です?」
それにも応えない。
しかしわずかに心拍数が上がった。
やはり主人がいる人間だ。
つまり、フリーの暗殺者ではない。
少なくとも権力者の子飼いだろう。
「ガーネット公爵」
ふと思い出した名前を口にすると、男の首筋にじっとりと汗がにじむ。
おそらくこれほど早く追い詰められるとは思わなかったのだろう。
玄人めいていてもまだ青い。
素直な反応に思わず微笑ましくなってしまうほどだ。
「……なるほど。目的は王女殿下か」
「き、貴様は何者だ!殿下を狙う暗殺者の一人か!」
男は初めて返事をした。
ガーネット公爵家に由来する人物。
そして王女が暗殺者に狙われていることを知っている。
「……もしそうだと言ったら?」
男は外套の中に手を突っ込んだ。
「おっと」
反射的にその首を絞め落とす。
それと同時に外套から飛び出した影を飛び立つ前に掴んだ。
足を掴まれバサバサと暴れるその鳥は、帰巣本能が強く、なおかつ鳴き声をあまり出さないことから隠密の伝書運びによく利用される種類のものだった。
「……高価な鳥を抱えておいでですね」
その足には赤い紐が結ばれている。
この色に何かしらのメッセージがあるのだろう。
男の外套の中に仕込まれていた籠に鳥を戻し、そのまま荷物を探る。
男が残したらしいメモを見つけて、すぐに中身を確認した。
王女の馬車の行動履歴、そして地図には何かの印も書き込まれている。
「これは……」
アルベルトは、道中でも暗殺者の気配を幾度か感じていた。
中でも行動を起こしそうな者はこっそり片づけるつもりでいたのだが、その前に気配が消えることがあった。
その印のほとんどが、その現場に該当する。
おそらくこの男が、暗殺者を片付けていたのだろう。
もしかすると王女殿下を守るために派遣された人物かもしれない。
そう当たりをつけて溜息をつく。
「さて、どうするか」
男は意識を失ってはいるが死んだわけではない。
殺していいものか判断がつかなかったからだ。
ガーネット公爵家がなぜこの男を派遣したか……
「ふむ」
アルベルトが今回、イベリスの暗殺依頼を受けた時には、妙な条件がついていた。
実行は一か月後に、と。
その条件がある以上、アルベルトは初めからイベリスを一か月生かすつもりだったのだ。
あの日はただの様子見だった。
予想外の言葉がイベリスから飛び出したので、都合がいいと暇つぶしに付き合うことにしただけだ。
その依頼内容からして、アルベルトは自分の依頼者に関してはカトレアではないのではと、ずっと考えていた。
もしかすると、その依頼者のことをガーネット公爵家は何か知っているのかもしれない。
ただの勘ではあったが、なんとなくそう思った。
どちらにせよ殺しておいた方が面倒が無くて済むか。
そう考えてナイフを取り出した。
余計な情報を持ち帰られればアルベルトの身が危うくなる。
イベリスにとっては味方かもしれないが、アルベルトの仕事のためには仕方ない。
そしてその首にナイフを沿わせた瞬間、手が止まった。
「……はは」
イベリスの味方かもしれない。
そう考えたせいだろう。
イベリスの顔が脳裏に浮かんだ。
ただそれだけ。
それだけのことで手が止まったという事実に、思わず笑い声が零れる。
「……これは酷い」
この稼業に身を投じてから、躊躇いに手を止めたことなど一度も無かった。
数秒の逡巡の後、結局アルベルトは男を殺さずにその場を後にした。
このまま放置すれば獣に襲われることも考え、わざわざ胸部圧迫で意識を引き戻してやってまで。
その時のことを思い返しながら、溜息を零す。
ずんずん歩いていた王女の背中は、後ろからついてくるべき足音が無いのに気付いて戸惑ったようにチラチラとこちらを振り返っていた。
その姿に、アルベルトは小さく笑う。
「……全く、つくづく可愛い人ですね」
アルベルトの予想通りなら、ガーネット公爵家は……いや、もしかしたらセロシア公子本人は、食わせ物だ。
胸の不快感を感じながら、アルベルトは心細げなお姫様を追いかけた。
ご覧いただきありがとうございます。
評価とブックマークしてくださった方、とても嬉しいです!
有難うございます!
そろそろ物語も佳境に入りますので、今しばしお付き合いください。




