13 期待外れ
「何……」
音からワンテンポ遅れて、風と砂塵が舞い込んでくる。
唖然としている私に、騎士隊長が焦りの表情を向けた。
「あちらは、泉のある方角……王女殿下、先ほどの臨時護衛殿もそちらに向かわれませんでしたか!?」
「え、ええ……そのはずよ」
「なんてこと……彼はアルベルトのお兄様だということですよ!」
マーヤが声をひっくり返して蒼白になる。
私も足が震えていた。
頭がうまく回らない。
「兄弟そろって加勢してくれていたのですね。彼は一体何をしに?」
「魔虎がこちらに近付いていると言って……」
「なんと、魔虎を!?」
「では今のは魔法の……護衛殿は強力な魔法使いなのですか?」
「ううん、強力な魔法は使えないって……」
そう、言っていたはずだ。
だとしたら、今の爆発は。
「なりません!王女殿下!」
騎士に押しとどめられて、初めて自分が走り出そうとしていることに気付いた。
「でも、でも……」
「まだ魔物がいるやもしれません!我々が見てまいりますからこちらでお待ちください!」
ぐっと唇を噛んだ。
分かってる。
私が行って何かあれば、この場に居る全員が処罰される。
彼らにとって、私の安全が第一だ。
そもそも私が行ったところで何の手助けになるかも分からない。
待機以外の選択肢を、今の私は持っていない。
すぐに隊長が指示を出し、三人の騎士が爆発の起きた方角へと走っていく。
残された騎士達は全員、私の護衛。
今、私よりも危険なのがアルだとしても、優先されるのは王女だ。
「そういえば……殿下、アルベルトはお傍を離れてどちらに?」
騎士隊長の問いかけに、首を振る。
心臓が痛い。
「影に隠れている暗殺者の相手をしに行ってくれたようです」
「……それから戻っていないのですね。一体どうしたのか」
同一人物だとは明かせない。
どちらにせよ、アルの捜索は後回しだと考えていることだろう。
「隊長!アルベルトを発見しました!」
先ほど様子を見に行った騎士が、すぐに戻ってきてそう言った。
彼の腕には、マントでくるまれた少年の姿がある。
僅かに露出した肌には痛々しいやけどの跡が見て取れた。
同じく戻ってきた他の騎士達が、報告を続ける。
「爆発が起きたのは泉のすぐ傍のようです!地面が大きくえぐれ、周囲の植物が軒並みなぎ倒されています!」
「爆発の中心地近くに、魔虎三体を確認!いずれも息絶えておりました!」
「アルベルトの兄上は見つかったか!?」
「いえ、姿は見られず、呼びかけても返答がありませんでした!まずはアルベルトの処置を!」
抱きかかえられたアルがうっすら目を開ける。
「……兄は僕と共に魔虎と戦っていましたが、もう居ません」
その言葉を聞いた瞬間、周りの騎士が痛ましい表情になった。
「帰ったので」
その次の一言で仏頂面に変わる。
……いや、誤魔化さないといけないにしても、ちょっと言い方が。
「……幼い弟を一人残してか」
「仕事を思い出したそうです。あとは任せたと」
「その状況で仕事を優先するなど……いや、彼は戦闘慣れしているようだったな、何の仕事だ」
「大工です」
「大工!?」
「塀の外で建物を建てる際には魔物と戦うこともあるので強くなったそうです。そろそろ現場に戻らねばならない時間だったようで。棟梁が大変怖い人物なのだそうです」
「そ、そうか……大工も大変なのだな……我々も鍛錬せねば」
騎士がざわついている。
アル……嘘に嘘を重ねてどうするの。
実在しない兄の設定がどんどん肉付けされていく。
思ったより元気そうだなと力が抜けた。
「それより、処置をせねば!背中の火傷が酷い!」
「くそ、さっきのポーションを残しておけば……!」
慌ただしくアルの介抱を始める騎士達。
ポーションという単語を聞いて、胸がきしんだ。
使うように勧めたのは私だ。
せめてアルが戻ってきて、全員の怪我の状況を確認してから分配するべきだった。
アルは無傷だろうと、勝手に思い込んでいた。
「せめて私が回復魔法を!」
「殿下……そうですね、お願いいたします」
応急処置をされたアルの傍へ駆け寄る。
うつ伏せになった小さな体。
巻かれた包帯に、薄く赤い染みが滲んでいた。
こんなひどい怪我なのに、アルは穏やかな表情を崩さない。
まるで己の怪我くらいでは動じないというようなその様子に、唇を噛んだ。
手をかざして、慎重に魔力を練る。
こんな広範囲の怪我に回復魔法を使ったことはない。
だけど私の魔法以外、今アルを癒す方法は無いんだ。
「……上手くなりましたね、イベリス姫」
そんな珍しい誉め言葉も、今は純粋に喜べない。
「どうして、こんな怪我を」
「期待外れでしたか?」
「そうよ!」
突然の私の大声に、周囲の騎士達が驚いたようだった。
アルは苦笑するだけだ。
「すみません」
「殿下……おそらくアルベルトは、こちらの花を必死に守ったと思われます。どうぞお許しを」
「花?」
アルを運んできた騎士が差し出したのは白い花がついた枝だった。
「ミルトスの花です。あの爆発によって周囲はひどい有り様で、ミルトスの木や花も無残な物でしたが、アルベルトの持っていたこの花だけはこのように」
今にも枝からこぼれ落ちそうなほど、儚げな白い花。
その枝を、大事に持って帰ってきたというのだろうか。
自分の背に火傷を負ってまで。
「なんで……そこまでして」
「これが目的だったじゃないですか」
「だからって!」
「これでもし持ち帰れなかったら、カトレア姫がどんな反応をするか予想がつきます。今まで酷い目にあってきたんですから、一泡吹かせたいじゃないですか」
それは、紛れもなく私の為だった。
カトレアに、馬鹿にされない為。
ただそれだけの為に、たったこの一輪を守る為に……?
「アルベルト、口を慎みなさい」
マーヤが気まずげに嗜める。
カトレアが私を嫌っていることも嫌がらせの数々も、暗殺疑惑も……誰も表立って口にはしない、できない。
けれどそれは全て暗黙の了解になっている。
なんのことだなんて顔をしている者はいない。
みんなみんな、知っていたのだ。
けれど王家という権威が、カトレアを守り続けている。
疑いだけで非難できるほど、王族の肩書は軽くない。
「……第二王女殿下、我らは王家の盾、国王の剣です」
騎士隊長が、私の前に跪いた。
「それは第二王女殿下も第三王女殿下の前でも等しく変わりません」
「……わかっています」
もしカトレアに凶刃が向けられることがあれば、彼らは先ほどまでと同じ真剣さで彼女を守るだろう。
それが騎士だ。
わざわざ言われなくても分かっている。
「しかし、我らは忘れません」
その強い声に、いつの間にか落ちていた視線を上げた。
「これほどの危険に晒されながらも、我らの体を真っ先に気遣い、心を砕いてくださった貴女のお優しさ、お強さを。貴女をお守りできたことは、我らの誉れです」
その言葉に、背後に控えていた騎士たちも揃って跪く。
隊長の言葉に異存は無いというように、深く深く頭を垂れて。
マーヤが鼻を啜る音がした。
なんの解決もしていない。
カトレアは反省なんてしていないし、暗殺者はまだ一人残っている。
それなのに、私はこの光景に何か報われたような気持ちになっていた。
王女だからではなく、私だから守れてよかったと、私自身に生きていてほしいと思ってくれているような、そんな言葉に聞こえて。
「……えーと、イベリス姫……回復魔法、止まってるんですが」
そんな少年の声が全てを台無しにしたけれど、全員の顔に笑みが零れた。
「カトレアにこの花を渡すためにも、全員で無事に帰らなくちゃね」
そう言って、私は回復魔法を再開した。
◆
「この寝台は、イベリス姫のもののはずですが」
「大怪我してる人間が何言ってるのよ」
その日の夜。
私のテントには二つの寝台が運び込まれていた。
一つはもともと私が使っていたもの。
もう一つはマーヤが使っていたものだ。
アルを休ませるために、マーヤが譲ってくれた。
そして私がもともと使っていた方に、アルは横になっている。
私がそう指示してアルを運び込んでもらったのだ。
「僕はせめてそちらの寝台に行くべきでは」
マーヤと私の寝台は物が違う。
やはり王女である私が使うものは大きくて、セットされている寝具も柔らかい。
「ダメ、こっちは私が使うの」
「……王女殿下を差し置いて一番良い寝台を使えと?」
「文句を言う人間なんかいないわよ。アルが魔虎を倒してくれなかったら、全滅してたかもしれないんだし」
だからこそ、騎士達は文句も言わずに交代で今もテントの外に立ってくれている。
いつも護衛をしているアルがこの状態なので、代わりに誰か控えさせてくださいと申し出てくれたのだ。
今の私たちの会話も聞こえているだろうけど、待ったがかかることは無い。
「……分かりました」
そう言いながら、アルが手招きをする。
首を傾げて近づくと、小声でささやかれた。
「それなら、一緒に寝ますか?」
「なっ」
叫びかけた口をすかさず塞がれる。
「はいはい、過剰反応しないでください。僕は親切心で言ってるんです」
「ど、どこがっ」
アルに合わせて小声で返すと、横になったままやれやれと言ったジェスチャーをされる。
「イベリス姫、まだ不眠は完全によくなってませんよね」
「……まあ」
「ただでさえ睡眠に繊細な貴女が、固いベッドで寝られるとでも?」
「固いって言っても、そこまで……」
そう言われて二つを触り比べてみると……まあ、うん。
「仮にも王女殿下の侍女ですから、マーヤさんの扱いは相応に良いものです。しかし王女様の扱いとは比べるべくもない。この寝台って結構お高いと思いますよ。大きいので運ぶのも大変ですし、同じものを使えないのは当然ですよね」
「……」
「で、その寝台でイベリス姫は本当に眠れますか?三十分もせずに体が痛くなって寝台から体を起こすと思いますよ。貴女の体は幼いころから大切に扱われていて、固いベッドに慣れていないでしょうからね」
「いいわよ、それならもう起きてるわよ」
「なるほど、僕にベッドを譲ったせいで王女殿下が寝不足になったと、周りの人にそう思わせたいんですね」
嫌な言い方だ。
「これからさらに二泊残っているのに、城に着いた頃にはイベリス姫は疲れ切っているでしょう。事情を知った国王陛下に僕は打ち首にされるんですね」
「大人しく首を差し出す気なんか無いくせに……」
それに国王陛下だってそれくらいでそんなことしない。
怒られるとしたら私の方だと思う。
王族としてもうちょっと上手く立ち回れと。
「分かったわよ……」
アルが空けてくれたスペースに横になる。
背中をつけないようにだろうか、アルは左肩を下にして寝ているので、向き合うことが無いよう背を向けて横になった。
「そんなに警戒しなくても、流石に今日は何もできませんよ」
「今日はって」
「明日はできると思います」
「それだけ元気になったらベッドから追い出すわ」
「冷たいですね」
少し距離を開けていても、ほんのり背中が暖かい。
……というか。
「アル?」
「はい?」
体を起こしてアルの方に向き直り、おそるおそる額に手を伸ばす。
翡翠が細められたけれど、振り払われることは無かった。
触れてみた額は……
「あつっ!?」
「焼けた鉄板を触ったわけでもあるまいに」
「そこまで熱かったら死んじゃうわよ!すごい熱じゃない!」
「流石にこれだけの火傷を負えばそうなります」
経験者のような口ぶりだ。
過去にこんな怪我を負ったことがあるのだろうか。
「……そんな顔しないでください」
「私、アルに頼りすぎてたわ」
「僕にですか?」
「アルは無敵だって、思い込んでたの」
「それはそれは……光栄です」
アルは困ったように笑った。
「過去形にさせてしまったのが残念ですね」
「……」
「でも、いいんですか?僕は暗殺者なのに、そんなに心を許してしまって」
翡翠が悪戯に笑む。
「暗殺者なのに、こんなことばっかりするアルが悪いのよ」
「……僕が悪い、ですか」
「そうよ」
私をからかったり、身を投げ出して花一輪守ったり。
「何を考えてるのか全然分からない。だけど私を助けてくれるんだから、ちょっとくらい心許しちゃうのは当然でしょう」
「何を考えてるのか、ですか」
私の言葉を繰り返すアルは、何か考え込んでいるようだった。
「……僕にも分からないんです」
「え?」
「僕が教えてほしいくらいです。何でこんなことしてるんでしょうね」
「……何それ」
「教えてください」
「私に聞かれても分からないわよ。アルが分からないなら」
「本当に?」
暗闇に、浮かぶ紺碧。
「……なんで、今」
思わずそう口にしていた。
その色は、私を殺したい色。
そのはずなのに、恐怖を感じるべきなのに。
この震えが、怖いせいなのか、私にはもう……分からない。
アルが私の宙に浮いていた手を取って、熱い首筋に当ててくる。
「冷たくて気持ちいいですね」
「……」
「今日は振りほどかないんですか?」
分かっていそうな口ぶりで、そんなことを言う。
「……これは看護だから」
「なるほど」
アルは小さく笑って、目を閉じた。
「……こういうのも悪くない」
「何それ」
「貴女といると平和ボケします」
「喧嘩売ってるのね?」
「まさか、褒めてますよ」
「……平和ボケしても、貴方の仕事は変わらないんでしょう」
思わず、そんな問いかけが口をついていた。
即答されると思ったのに、その返事にはわずかな間があって。
「そうですね。貴女は僕の獲物です」
今、どんな目をしているのか見たいなんて。
その為に目を開けてほしいなんて。
そんなことを思う私はどうかしている。
「少しだけ眠ります」
「少しじゃなくてちゃんと寝なさい」
「努力します」
そんな言葉を最後に、アルは静かになった。
「……」
私の命を狙う暗殺者が、私の手を大切そうに抱えたまま眠っている。
そして私は、そんな彼を起こさないように、微動だにしないよう努めている。
……おかしいでしょ、こんなの。
初めて見る寝顔は幼くて、どう見ても年下の少年だ。
それなのに、心臓が痛いくらい鳴っている。
……息が詰まりそうだ。
彼との賭けのリミットが近づいている。
このままだと、私は彼に殺される。
それは嫌だ、と思う。
そう思えたことに安堵した。
大丈夫、私はヤンデレお断り、それは変わっていない。
……やっぱり、暗殺依頼をなんとか取り下げてもらうしかない。
どこまでいっても私は彼の獲物なんだから、そうしなければ、自分の身を守れない。
そう言い聞かせて、アルを起こさないようにそっと手を抜き取る。
ただでさえ眠りの浅いアルは、すぐにそれで起きたのだろう。
目を開く気配があったけれど、その色をなんだか見たくなくてすぐに背を向けた。
「……」
アルは声をかけてこない。
私も、何も言わない。
そのまま夜が明けるまで、私はじっと息を殺していた。
ご覧いただきありがとうございます。
ちょっと私生活が忙しくなっていますので、来週は更新お休みします。




