異世界転生しようと思ったので実際試してみた
実際に異世界転生できるかどうか試すためにトラックに轢かれてみた。
痛かった、と思う間もなく意識が飛んだ。
これが死か、と実感することもできなかった。
というかそもそも死んでなかった。
人間というのは存外丈夫にできているようで、たかが全治八か月程度で済んだ。
死とはなかなか遠いものだなぁ、と、全身複雑骨折の身で感じたりもした。
しかし、過ごしてみると何もしない(できない)八か月は長かった。
そして一年の七割近くに及ぶ期間、何もないワケがなかった。
まず、彼女と別れた。
何で自殺未遂なんてしたの、と涙目で言われたので、正直に理由を話した。
しかし、それを信じてもらうことができなかった。
何ということだろう。
幼稚園での出会い以来、十数年にわたって付き合ってきた幼馴染兼彼女である。
なのに、異世界転生を試したいという理由を何度説明しても理解してくれない。
自分の何がダメだったの、自分にも言えない悩みがあったの、と、そればかり。
そんなことはない、好きだよ。愛してる。と言っても泣き止んでくれない。
どうやら彼女は僕が自殺未遂をしたと信じ切っているらしい。
彼女がいてどうしてそんなバカなマネをする必要があるんだ、と思うのだが。
結局、二日間にわたる説得も無駄に終わり、彼女とは別れた。
自分には僕を支える資格がない、ごめんなさい。と、謝られて終わってしまった。
残念だ。大変残念である。何でこんなことになったのか、死にたくなる。
そして、次に親友と呼べる数人が僕から離れていった。
理由は彼女と別れたものとほぼ同じで、皆、僕が自殺未遂したと思い込んでいた。
だから何でなんだ、どうしてそういうことになるのか、理解できない。
皆、別れた彼女と同じく幼稚園、遅くとも小学校低学年以来の付き合いになる。
だから、異世界転生したいという理由を説明すれば、わかってくれると思った。
ところが、そうはならなかった。
一番仲が良かった親友ですら、僕が説明した理由に対して懐疑的だった。
そして、幾度となく悩みなら聞くぞ、と言われ、カウンセリングも薦められた。
いや、違う。そういうことじゃないと、何度も言った。僕は説明を繰り返した。
結局、彼とはケンカ別れに終わった。
それを皮切りに、他の友人達との間にもいつしか溝ができ、疎遠になった。
最後に、家族から絶縁された。
これもおおよそ、彼女や友人と絶縁したのと同じ理由だ。
僕が理由を話しても、母も父も、兄や妹からも全く理解してもらえなかった。
特に、妹に理解してもらえなかったのはショックだった。
元々異世界転生って実際にできるのかどうか、その話題は妹が言い出したことだ。
気になるから試してみた。しかし死ねずに全治八か月。何がおかしいのだろう。
僕がそう尋ねると、妹から気持ち悪いものを見る目で見られた。
別にマゾヒストではないので「失礼な奴だな」以上の感情は湧かない。
しかし、その話をして以降、妹はお見舞いには来なくなった。薄情者め。
父と母とは、何度も話した。
彼女以上に親友以上に、二人が僕の悩みを聞こうと必死になっていた。
直近の悩みと言えば、僕のおしっこを汲み取る看護師さんが新人なコトだ。
尿瓶を持つ手つきが危なっかしく、しかも確実に恥ずかしがっている。
若い女性なんだからそういうこともあるだろうが、僕には由々しき事態だ。
ちょっと恥ずかしがられておしっこをベッドにぶちまけたら、と思うと……。
正直、戦慄に身震いしたくなることしきりだ。
ここ最近はおしっこのたび緊張迸る一大スペクタクルを味わってる気分になる。
だが、それを両親に話しても、これがまともに聞いてもらえないのだ。
何でだ。悩みがあるなら、と言うから恥を忍んで正直に打ち明けたというのに。
誰が好きこのんで両親におしっこの話などするものか。マゾじゃないってば。
しかし、僕がどう言っても「そんなに深刻な悩みなのか」となるばかり。
挙句の果て、何故か僕が犯罪に手を染めていることになってしまった。
オイオイ、ちょっとなってくれよ。僕はただの一般庶民な大学二年生だぜ。
が、通じず、僕が何も言わないから、父と母はどんどん邪推していったようだ。
ついには警察が呼ばれてしまった。
しかも何か犯罪者扱いで供述を求められてしまった。
だから、何でだよ。
こっちはちょっと異世界転生できるか試しただけだというのに。
どうやら、両親は僕が口に出せない重大犯罪に関わったと思ってるようだ。
トラックに轢かれたのはその情報を世に出さないための自分自身への口封じ。
悩みを打ち明けないのは、家族を巻き込まないよう口を割らないため。
僕の周りにはその犯罪に関わっている組織の監視が二十四時間体制でついている。
そのため、僕は決して知っている情報を誰にも言うことができない。
と、いうようなストーリーが父と母の中で出来上がってしまっているらしい。
そして刑事さんも何故かそれを信じて、君を守ると熱く語られてしまった。
みんな、スゴい想像力だなァ、と、ベッドの上で感心したものだ。
それをネタに小説書けば本にできるんじゃなかろうか。いや、割と本気で。
やがて、兄が死んだと聞かされた。さすがに驚いた。
事故、だったらしい。
何でも、運転してた車がトラックと正面衝突したとのこと。
辛かった。悲しかった。
そして同時に、考えていることもあった。
果たして、トラックとの交通事故は異世界転生の開始条件に合致するのだろうか。
でも生身で轢かれたワケではないし、兄は敏腕有能サラリーマンだったしなぁ。
転生するのは、おおよそ僕のような冴えない大学生かブラック社畜のたぐいだ。
それを考えると、きっと兄は異世界転生はできないだろう。
クソウ、かなり条件はそろってるのに、これは残念だ。
仮に異世界転生をしたとしても、どうやら転生先で兄に会うことはなさそうだ。
そして、両親から絶縁を言い渡された。
僕から話を聞けないままでいることに疲れてしまった、と言われた。
あとは、不安だから。というのも理由として挙げられた。
兄の死は、もしかしたら僕が関わってしまった組織による見せしめじゃないか。
父は真っ青になった顔で、僕にその可能性について打ち明けてきたのだ。
一から十まで絵空事なのに、人はここまで鬼気迫る表情を浮かべられるのか。
父によると僕の周りには組織の監視がついてるから、絶縁すればそれが伝わる。
僕が知っている情報を知ることなく僕から離れれば自分達は生き残れる。
と、それが、家族が僕と絶縁する本当の理由であった。
なるほどアホでバカだなぁ。それで切れる親子の縁って実に儚いものだな。
入院費用と当面の生活費は僕の口座に振り込んでくれたのはありがたいけど。
しかし、それを最後に両親は僕の見舞いには来なくなった。
そして八か月経って、退院した僕を出迎えてくれる人は誰もいなかった。
大学も退学になっていた。これは、何か、色々あったらしい。
色々あったことについては教えてくれる人がいないので、僕は何もわからない。
つまり要するに、僕は今までの人生の全てを失ったということだ。
――そう、異世界転生しやすくなったということだ!
じゃあ、これからどうするか。
決まっている。異世界転生を試すのだ。
が、死にぞこなう可能性は極力なくしたい。
そのためには確実に死ねるトラックに轢かれなけばならない。
しかし、確実に死ねるトラックとは何だろうか。
一回目に試したとき、即死できるよう見るからにデカイトラックを選んだ。
それでも死ぬことができず、僕は無為な八か月を過ごす羽目になってしまった。
色々考えた末に、僕は一つの結論に至った。
トラックじゃダメだ。
どうし死ねない可能性が残ってしまう。
しかし、異世界転生するにはトラックに轢かれる必要がある。
どうすればいい。
一体どうすれば、僕はトラックに轢かれて死ぬことができるのだ。
この八か月間、一度もなかった懊悩が僕を苛んだ。どうすればいいんだ。
と、悩みながら街中を歩いていると、踏切に差し掛かった。
カンカンカンと鳴る音に顔を上げると、目の前を丁度貨物列車が走っていた。
そのとき、僕の脳髄を電撃の如き閃きが迸った。
――貨物列車って、実はトラックなんじゃ?
まさに天啓ともいうべき閃きであった。
電車は電車であって自動車じゃないから貨物列車はトラックじゃない。
と、そのように思う輩もいることだろう。
それは確かに、当然と思えるかもしれない。
しかし、考えて見てほしい。
どっちも「車」という字が使われている。つまりは同じもの!
トラックは道「路」を走り、貨物列車は線「路」を走る。つまりは同じもの!
さらにはトラックも貨物列車も、荷物を運ぶための乗り物。つまりは同じもの!
ここまで共通点が存在するなら、それはもう同じものと捉えるしかないだろう。
言うなればおやきと大判焼きと今川焼みたいなものだ。
そして今こそ、僕は絶対確実な異世界転生の方法について見出したのだった。
早速、夜の終電近い駅へとやってきた。
貨物列車は夜の方が来やすい、それはここ数日調査してすでにわかっている。
駅のホームは閑散としていているのは僕一人。これはいい。やりやすい。
僕の調べによれば、貨物列車はあと一分後に目の前の線路を通過する。
そのときこそ、僕はトラックに轢かれて即死することができる。
さぁ、いよいよだ。ドキドキしてきた。
人は本当に異世界転生できるのかどうか。それを試す最後のチャンス。
と、思っていたら、背後から突然僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと別れた元彼女がいた。離れた元親友がいた。絶縁した元家族がいた。
皆、血相を変えて僕を睨み、顔色を蒼白にして何事かを喚き散らしている。
一体全体、何だというのか。どういうことかというのか。
元彼女が「死なないで」と叫んでいる。
別にそんなつもりはないと何度も言っただろうに。
元親友が「生きてくれ」と叫んでいる。
だから自殺する気など微塵もないんだってば。
元家族が「帰ってこい」と叫んでいる。
異世界に行く気はあっても家に帰る気は別にないしなぁ。
やがて、線路の向こうに光るものが見えた。
来た。貨物列車。いや、僕を異世界へと導いてくれるトラックが、ついに来た。
僕は歓喜する。そして、ホームの果てへと走り出す。
すると何ということか、元彼女と元親友と元家族が僕を追いかけてきた。
まさか、僕を捕まえる気だというのか。
この状況で? この理想的なシチュエーションの真っ最中に!?
バカなコトを、と思う。
これから、八か月間オアズケをくらっていた夢をかなえようというのに。
どうしてそれを邪魔するのか。あいつらは頭がおかしいに違いない。
貨物列車がくる。
僕はホームの端へと走る。
しかし元彼女と元親友と元家族が僕を追ってくる。
貨物列車の影が見えた。僕は歓喜する。列車だ。いや、あれはトラックだ。
異世界への扉だ。夢にまで見た転生への切符だ。
だが後ろからわずらわしい声が幾つも重なって、しかも近づいてきている。
何故だ、どうして追ってくる。
ちょっと異世界転生を試すだけだ。それだけだ。
しかし言っても通じまい。
そして僕は、散々言っても通じなかったものを今さら試す気はない。
だから無視する。やめろ、追ってくるな。邪魔だぞ。
「――お兄ちゃん!」
一際大きな声で、僕を呼ぶ者がいた。
妹だ。僕に異世界転生の話を振ってきた、僕の妹が僕を呼んでいる。
「お願い、変なこと試して死んじゃわないで! お願いだから!」
あまりにも切羽詰まった声に、僕はついつい、振り返ってしまった。
そこには大量の涙をあふれさせて僕に訴えている妹の姿。それを見て心が竦む。
僕は、自分で言うのも何だが、妹には甘い兄だ。
妹のお願いには大抵逆らえなかったし、何かあるたび骨を折っていた気がする。
それが決していいことだとは思えない。親にも、苦言を呈されたことがある。
それでも、甘やかしてしまう程度には、兄として妹が可愛い。
その妹が泣いている。愛している妹が――、僕の行動のせいで、泣いている。
思った瞬間に、足が止まった。全身が凍り付いて、動けなくなった。
貨物列車が迫っている。
走らなきゃ、逃げなきゃ。僕を捕まえようとする連中が追いついてくる前に。
そう思っても、妹から目が離せない。
自分がしていることが急に悪いことのように思えてきてしまう。
僕は気づいてしまった。
そうか、僕がしてきたことは、そこまで妹を悲しませることだったのか。
それを悟った僕は、体ごと妹の方へと向き直った。
元彼女の方へと、元親友の方へと、元家族の方へと、クルリと向き直った。
足を止め、自分達の方を向いた僕に、必死だった皆も表情を和らげる。
妹も嬉しそうに笑って、ホッ、と全員の間に広がる安堵の空気。
「やっぱちょっと気になるから、異世界転生してくるね」
僕はみんなに手を振って、線路に身を投げた。
そして全員が見ている前で、超高速の貨物列車が僕の体を轢き潰す。
グチャ。
かろうじて、その音だけは聞こえた。