夏を始める準備3
沢井家の家事は基本的に父が担当している。
母は他県の高校で監督をしているが、毎日家へ帰り、時間が遅くならない日は家族と食事を共にする。
この日も灯と両親の3人で食卓を囲んでいた。
「今日スカウトと思われる人が練習を見学していたのだけれど」
灯は食事の手を止め母の友利に視線を向ける
「えぇ、私の知り合いの大学の野球部の人だと思うわ」
友利も鋭い視線を娘に向けながら言葉を返す
「私を調査するようにお願いしたの?」
「えぇ、あなたが意地を張って無名の学校へ進学したから。私や修徳舎からの推薦が無くなっても他に推薦をくれていた学校もあったのに」
「だからってわざわざ卒業後の進路のために根回ししてくれるなんて、随分と過保護になったのね」
「アナタはプロ野球選手になりたいのでしょう?それなのに大事な高校3年間を無駄に過ごそうとしているんだもの。私が思っているより子供だったから手を差し伸べてあげないとって思っただけよ」
表情一つかえず淡々と言葉を返す友利と対照的に灯が段々と苛ついた表情になり、父も流石にこのままではマズイと2人を宥めようとするが、気の優しい父ではヒートアップする娘を止めることは出来ない
「私、大学へ進学するなんて一言も言っていないけれど?」
灯の声色が少し荒くなる
「今の学校でプロからの指名があると思っているの?申し訳ないけど私、プロの球団関係者に知り合いはいないわよ?」
母の嫌味のような言葉に灯の怒りが頂点に達し、灯は机を手のひらで強く叩くと食事を残したまま部屋へと戻った
「なぁ、少し意地悪しすぎじゃないか?灯の人生なんだから灯がやりたいようにさせてやれよ」
「アナタも私もあの子をプロにするためにどれだけのお金を費やしたと思っているの?」
「それが親の役目なんだから、どんな結果になったとしても無駄になるなんて思わないよ。それに、娘に自分の夢を重ねているのはキミだろ?」
友利も一気に不機嫌になりそれ以上言葉は返さなかった
「ごめん...」
気まずい沈黙の後、父は悲しそうに娘の残した皿にラップをかける。
同じ頃、尾上は河川敷でランニングをしていた
背番号1番を貰い、最後の夏が始まろうとしている。
少しでも練習していないと落ち着かなくていつも以上に長めにランニングをしていると、正面に同じくランニングをしている人影が見えた
お互いが近付くと街灯のお陰で顔が見え、尾上は見知った顔にハッとしてすれ違う瞬間に声をかけた
「愛美!」
対向のランナーは浦上だった、浦上も尾上に気が付き足を止めた
「おぉ!貴子じゃん」
息を切らしながら浦上は手を振る。2人はランニングを中断し、河川敷を少し降り草むらに座り込んだ
「頑張ってるね、愛美」
「レギュラーでもないのに張り切りすぎだよね...」
「ううん、そんなことない。愛美は凄いよ、後輩とも練習して、頑張ってるなって」
「うん」
「私は愛美がレギュラーでもおかしくないと思うけどなぁ~、足も速いし守備も上手いし、バッティングだって力強くなってきてるし」
「いやいや、ちゃんと実力のある人がレギュラーになったってだけだよ。それだけ監督は勝ちにいこうとしてる」
尾上はお世辞を言ったつもりはなかった。3年間一緒に頑張ってきた同期で、浦上の自慢の守備も相当な努力の積み重ねの結果だということを知っている。
だからこそ、尾上は、浦上に
「愛美、今は私と2人きりだよ」
「え?」
突然何を言い出すのかと驚いた浦上は目を見開き声が上ずった。
「私は正直愛美がレギュラーに選ばれなかったのが悔しかった。愛美が凄く頑張っているの知ってるし。最後の夏は、私の後ろで愛美に守っていてほしかった。愛美は...愛美は悔しくなかったの?」
尾上の言葉に熱が入る。
尾上は浦上に本音をさらけ出して欲しかった。優しくていつも周りに気を使って気丈に振る舞う子だということを知っている。
3年間そんな姿を見てきたから、お節介かもしれないけど最後に浦上の本音を受け止めてあげたかった。
最後の夏に1桁の背番号を貰えなかった悔しさはきっと1人で抱えられるほど小さなモノでは無いハズなのだから
「わ、私は...」
浦上の声が震え、表情を隠すように俯いている
尾上は、浦上を傷付けてしまったかもしれないと思い、焦って立ち上がった
「ゴメン、私ほんと何言ってるんだろ、ほんとゴメン、ランニングの邪魔しちゃったよね、もう戻ろうか」
「私は!!!!」
すると、浦上が大声をあげて立ち上がった
「私は、悔しいよ...控えでもいいなんて言ってたけど、やっぱりスタメンで出場して活躍したかった!でもダメだった...悔しいよ...最後なのに...」
浦上が大粒の涙を流しながら、想いを打ち明ける
尾上は浦上を力強く抱き締めた
「うん、ちゃんと聞けて良かった。愛美は優しいから気を使って愚痴とか悩みとか全然言ってくれないんだもん...」
「貴子~!!私も、貴子の後ろで最初から最後まで守っていたかったよぉ!!」
「うん、あのね、実は私もね、愛美が私達3年の同期じゃなくて後輩を頼って一緒に自主練習してるのがちょっと悔しかったんだ。嫉妬してた」
「ごめんね、ごめんね...」
「いやいや、謝らなくていいから、私こそごめんね、無理矢理愛美の気持ち吐き出させて」
しばらく2人は抱き合ったまま気持ちが落ち着くのを待った
「貴子ありがとう、もう大丈夫」
「うん」
お互いに身体を離すと、先程までランニングしていたコースまでゆっくりと歩き出す
「1試合でも多く愛美や他の3年メンバーと野球がしたい、だから私は全力で投げるよ」
「うん、私も少しでも多く試合に出たい」
「頑張ろうね」
「うん」
そして2人は並んでランニングを再開した。
いよいよ夏が始まろうとしている。
あつい夏を乗り越えるには、夏を始める準備が必要だ。




