第七問
祭りの屋台から漂ってくる匂いを嗅ぐだけで、お腹いっぱいになりそうだ。
しかし、それどころではない。今、私は猛烈に緊張している。前髪をいじったり、意味なく袖をヒラヒラ振ったりして彼女を待ち焦がれていた。約束していた時間が近付いてくるにつれて、胃のあたりが痛みだしてくる。
「今日がベストだよね…」
告白をするタイミングとして選んだのは年に一度の夏祭りだった。ベッタベタのベタだ。
もし、振られたらどうするかを考えないように過ごしてきた。上手くいく未来だけをなるべく想像していないと「スキ」を伝えることはできないだろう。足りないのはいつも勇気だけ。伝えたい気持ちだけじゃ、ダメ。自分の手で両頬をペシペシと叩いて気合を入れる。
「よし!」
「何が“よし”なの?」
「うわぁ!?」
すぐ後ろに薫が綺麗な浴衣姿で立っていたら、そりゃあ驚くに決まっている。
「驚き過ぎ」
「薫…」
「待たせちゃったね」
「まぁ…数分くらいだよ」
「…桜らしい答えだね」
薫はあまり喜んでいる様子ではない。私はまた何か間違えてしまったのだろうか。学校の勉強ですら、どこが分からないのか分からないタイプの人間なので気づけるはずもない。ふぅ、とバレないようにため息をついて諦めた。
「それじゃあ始めますか」
「人並んでる所もあるしね」
よし、行こう。出来るだけハッピーエンドに近いゴールへ。
「綿菓子がある」
「あるねぇ」
「りんご飴もある」
「ですねぇ」
「奢ってもらえる!」
「…ですよねぇ」
あの約束を薫がどうか忘れてますようにと祈り明かした昨晩の時間を戻してくれ神様。数分だけ、だけど。
食べてばかりの私達だが、それ以外のことも楽しんでいる。太鼓のBGMが流れてくる夏の夜に遠慮など無用なのだ。射的、型抜き、焼きトウモロコシ、あれ?また食い物だ。
「食べてばっかり」
「太っちゃう〜」
子供のように目をキラキラと輝かせて私の数歩先を行く彼女を、ふと捕まえてみたくなった。
「ほら、今度はアレやろう!」
そんな私の気も知らずにコイツは楽しそうだ。でも楽しんでいるのなら、良かった。
「ちょっとテンション高すぎ」
「まぁね、奢りだしね」
畜生…と伸ばしかけた手で殴りかかるところでした。
「ほら、人多いから」
友達で手と繋ぐのは変だろうか?捕まえる口実には無理があるのではないだろうか。
「……うん、そうだね」
どこぞの怪盗のように表情が読めない彼女を相手にしていると、繋いでいいのか判断しかねる時がある。だがしかし今は、もし嫌だとしても捕まえさせてもらおう。
「はい、逮捕」
「え〜、何もしてないよぉ?」
「人の金で好き勝手食べた罪で逮捕です」
「ちゃんと分け合いっこしたじゃん」
確かに、そういえばそうだった。仕方ない、可愛い彼女に免じて今回ばかりは許してあげよう。
そうして時間を気にせずに歩いていたら、ザワザワと誰もかもが移動しだした。もうすぐ打ち上がるのだ。しかし、そんな事には見向きもしないで薫はお面に興味を示したようだ。
「あ、これ懐かしい。あ、コッチの可愛い……どうしようかな」
少し迷っていたようだけど薫自身のマネーで買うことになった。そして色々迷った末に、気に入ったやつを選んだみたいだ。
カタカタカタ。
己の食欲のままに胃袋に入るだけ食べ物を入れてしまったので、脂肪的な何かを燃やすために私たちは少しその辺をブラブラと歩いていた。
薫は早速、お面を付けて満足そうにスキップなんかもしたりして(スキップなんてするのか…)驚いてしまった。今、その面の下は、どんなに愛くるしい笑顔なのだろう。
ずっと付けていた、お面を外して笑顔を拝見することが出来た。やっぱり薫のことが好きなんだと、方程式の途中式が書き終えないまま「QED!」と証明されてしまった気分だ。
「ぷはぁ、あー、やっぱりお面付けると息苦しいよ」
そうだね、と言った。漠然と何かが始まる、そんな予感が辺りに広がって、みんな一斉にして夜を見上げた。そして、何故か私たち二人だけ、同じようにはなれなかった。
一輪、咲いたと思ったら散って消えた。また一輪、咲いて咲いて、消えた消えた。
「ねぇ、もう一回お面付けて…」
「え?なんで?」
「いいから、お願い」
「…分かった。はい、付けたよ。それで、どうしてほしいの?」
「そのまま」お面を付けていて。
顔を近付けていくと同時に大輪の花火が打ち上がっていくのを聴いていた。
ちゅ
大衆の歓声は打ち上げられた花火へ向けられている。どこかで拍手のような音も聞こえる。私は、もう動けなくなってしまっていた。せっかく繋いでいた手も解けてしまいそう。薫の顔を見るなんて恥ずかしくて、出来ない。熱くなった自分の顔を下に向けることしか出来ない。ふっ、と線香花火が終わる様に、私の手は宙に投げ出される。終わった。花火は、終わったんだ。帰ろう。まだ足が動けそうにないけど、帰ろう。でも、なかなか帰れずにいたら、私の小指に小指が絡まった。薬指も薬指に絡まった。中指も、人差し指も、親指も絡まった。お面を付けていたから薫がどんな顔をしていたのか分からなかったけど、耳が紅くなっているのが見て分かった。
帰り道、互いに何か言うべきかもしれないと思い、口が少し開くけれど言葉は出ることはないままでした。やっと、お面を外した薫も喋らない。とうとう駅に着くけれども喋らない二人。
「それじゃあ」
「うん」
「…」
「…」
またね、さえも言えないほど胸の鼓動が鳴っているようです。桜が「帰ったら、電話するから!」と言うまで数分間、何もありませんでした。えぇ、本当に、何もありませんでした。