最終問題
午後、いつもより早めに仕事が片付けてしまったので普段より早い時刻の電車で帰った。薫は今日は休みなので家にいる。私は久しぶりに外食でもしようかと言うつもりだ。
あれからまだ薫はご飯を作り過ぎてしまう。その度にため息を吐くので彼女に少しでも元気になってもらえればいい。愛じゃ治せない傷もあるんだ。それを私たちは嫌というほど学んだばかりだった。
その時、ふっと意識を奪われる後ろ姿があった。感傷的思考になっていたから幻覚を見てしまったのだろうか。いや、でも確かにあの背中は舞ちゃんだった。
「どこだろう?」
会ったところで何を言うつもりでもないのに(言う権利もないのに)、私は必死に探した。
あ、いた。
遠くからだったけれど、少し背が伸びたように思えた。
久しぶりに見かけた舞は不良みたいになっていた。だが、彼女の隣を歩いてくれる人が出来たみたいだ。それが男なのが少し気になるけれど舞が決めた相手なら私も薫も賛成するつもりだ。たとえ異性だろうと同性だろうと、二人を祝福しよう。
私はクルリと踵を返して再び歩き出す。帰ろう、愛する人の元へ。出来るだけ真っ直ぐ前だけを向いて、決して立ち止まってはいけない。この世にいる誰一人、戻ることはできないのだから。
でも、やっぱり、ハンカチがあれば良かったな。よりにもよって今日、忘れてしまうなんて。すれ違う人に変な目で見られてしまう羞恥を振り払うためにもハンカチが必要だった。
あぁ…ダメだ…
グイグイと進んでいた足の速度が落ちていく。止まったら駄目だ、止まったら駄目だ、と何度も言い聞かせているのに自分の足が鉛のように重く感じる。
とうとう立ち止まってしまった。
私たちは後悔しているのだろうか。
いや、そんなことない。
舞に逢えてよかったと思っている。
これで良かったんだ。
二度と会えなくても生きていてくれるなら私たちは満足だ。
三人でオレンジ色の空の下で手を繋いで歩いた頃に戻れなくてもいい。
サヨナラでも哀しくない。
死んでしまったわけじゃない。
さぁ、笑おう。
………ほら、歩かなくちゃ。
家で薫が待っている。
「うぐっ…」
堪えても堪えても溢れてくる。
拭っても拭っても流れてくる。
そして、私は、神様にも聞こえないくらい小さな声で零した。
「い い…ちど、も………おかあ、………さんって よんで…くれ、なか った なぁ……… 」
朝、目が覚めた私は上着を一枚羽織って外の郵便受けを確認しに行く。
「あった」
一枚のハガキ。いつからか、私達の家宛に、写真を印刷されたハガキが時々送られるようになっていた。写真の彼女は眩しいくらい幸せそうな顔をして抱き合っている。例の男子と仲良くしているようで何よりだ。
私は早く薫にも見せたくて家に戻る。いつ結婚するんだろうね、と語り合って孫は何年後だろうね、と笑い合うのだ。
「薫〜」
私の愛する人の名前を呼ぶ。
「なあに〜?」
遠くから声が帰ってくるのが嬉しくて近寄る。それから私は、もう一人の愛する人の名前を、その次に「ハガキ来てたよ〜」と言う。薫の歩く音が少しずつ近づいてくるのを待つ間、これから訪れる沢山の幸せなことを想像した。過ぎた景色はアルバムに挟んで、目の前の光景を彩って幸せになろう。未来の私たちが羨むくらい笑って生きてやろう。今日という一日が昨日と名前に変わる直前まで、精一杯。
次の年も、その次の年もハガキが二人の元に届きました。
それは、桜が舞い薫る季節のことでした。
終
桜「これでよかったのかな」
薫「さぁ……どうだろう」
桜「やっぱり間違ってたのかな」
薫「何が正解か、なんて分からないよ」
桜「じゃあ、これでいいよね?」
薫「…いいんじゃない?」
桜「薫はさ、後悔してない?」
薫「してないよ。桜は?」
桜「私も。薫に逢えて舞に逢えて良かった」
薫「私も桜と舞に逢えて良かった」
桜「…これでいいのか」
薫「これでいいのだ」
桜「これでいいのだ(笑)」
薫「これからもよろしくね」
桜「こちらこそ」
薫「…ずっと?」
桜「もちろん!」
薫「ありがと…」
桜「よし!私たちもラブラブな舞たちに負けてられないよ!」
薫「別に勝ち負けじゃないでしょ」
桜「じゃあどうしたらいいの?」
薫「何も」
桜「ええっ!?」
薫「いてくれるだけで、いい」
桜「……嫌だ」
薫「え」
桜「毎日愛してるって言いたい、キスもしたい」
薫「……今と変わらないじゃん」
桜「あ、そうだった」
薫「ふふ、変なの」
桜「変じゃなくて恋なの!愛なの!アイラブユー!」




