第二十二問
幸いなことに私も桜も就職活動は滞りなく終えることが出来た。中の上。二人とも地元の会社員になることが決まった。そのお祝いを二人きりでしようと話してから数日経つ。桜の友人関係の広さには驚かされる。しかも聞くと私との関係も明かしているというのだ。あの明るさで周りを活気良くするところは、まさしく私が惚れたところの一つでもある。
「それにしても今日は遅いなぁ…」
桜が今日こそは大丈夫だからと言うから予定より30分早く待ち合わせ場所に着いたというのに…。携帯は繋がらないしLINEも既読が付かない。良くない想像ばかり浮かんできて怖くなった。
(もし事故にあっていたら…)
嬉しいことを考えるだけで嬉しくなるのと同じように、悲しいことを考えるだけで悲しくなってくる。
「ごめーん!お待たせー!」
桜の声だ。手を振って近付いてくる。
「あれ?泣いてた?」
「ううん、なんでもない。それより、何してたの?遅かったけど…」
「お母さんに結婚の許可もらってきた」
「…嘘」
「ほんとほんと」
膝から崩れそうになった。私は桜に謝らなければいけないようだ。たった一人で戦って望んだ未来を勝ち取った彼女は、もう昔の泣き虫ではなくなっていた。
「ごめんなさい…」
「え〜?なんで薫が謝るの?むしろ褒められるかと思ったのに〜」
「うん、うん、凄いよ。桜は凄い」
もっと時間のかかる案件だと言い訳して逃げていた私より、桜は本当に凄い。知らないところで努力していたんだ。そして気付けば靴先を見詰めていた。
「やっと、だね」
婚約をした“あの放課後”から何年経ったのだろう。
「マンションでもアパートでも借りて一緒に住もうね」
紅葉狩りでプロポーズされた時から随分と時間がかかったような錯覚もある。何度も桜に恋をした。高鳴った心臓は今も、これからもずっと脈を打ち続けていく。今夜の御祝いは泣いてしまうかもしれないと思った。
さて、ここからは私の出番だ。物件情報を集めて、両家庭の間も取り持って、引っ越しの準備もして…。必要品もリスト化して整理する。卒論もおざなりにならないように必死にやった。正直、無理なスケジュールで無気力になりそうになった。けれども二人三脚で歩いていく。
綺麗事だけじゃ私たちは生きてはいけないんだ。
何度か体調を崩すこともあって、その度に桜に説教されたので本当に彼女には頭が上がらない。お互いに忙しい中、周りの人にも助けてもらいながら、なんとか卒業まで漕ぎ着けることができた。
ようやくスタート地点に立てたんだよ。私たち二人だけじゃ無理だった。
一枚の紙切れに「大森 桜」と「二宮 薫」の名が片寄せあっているのを見ているだけで頬が緩んでしまう。印鑑は既に押してある。午後から市役所に提出するために家で桜を待っていた。
「でも、少し休息…」
机に顔を伏せて目を閉じる。二分ぐらい寝るつもりだったのに熟睡してしまっていたようだ。(今、何時だろう)
眠気に邪魔されて時計が正確に見えない。
(あ、桜の足音だ)
それだけで心がドクンと弾んでしまう。「おまたせ〜」の声も、本当に好きだ。顔を見なくても桜が今どんな表情をしているか分かる不思議。あぁ、なんだ。そうだったのか。シアワセがなんなのか分かったよ。
「薫?…あれ、寝てる」
私は桜を驚かせてやろうとする気が失せてしまったので、しばらく狸寝入りを決め込むことにした。
ギィと椅子が引かれる音がした。向かいに座ったのかな?頭の方から愛しい人の声が優しいシャワーとなって、とっても心地良い。
「薫♡」
(なあに?)
「本当にお疲れ様」
(いえいえ、こちらこそ。桜も沢山頑張ったね)
「………やっと、だね」
(そうだね)
「結婚できるんだね」
(私は待ちくたびれちゃったよ)
「私、すっごく幸せだよ。色々と、ありがとう」
(私こそ、ありがとう)
「なんだか夢見たい」
(夢じゃないよ。映画でもドラマでもない。私たち本当に結婚するだよ)
「薫は、私には勿体無いくらい綺麗だね」
瞬間、呼吸を忘れそうになる。起きているとバレないように微塵も動いてはいけない。
「頭も良くて、可愛くて、読書家で、家事も出来て、………私の自慢の恋人」
桜は、優しくて、明るくて、一緒にいると本当に楽しくて、一人で悩みを抱えることもあるけど心は強くて、…………私の自慢の妻だ。あ、私も桜の妻になるのか。
「薫」
(なぁに)
「これからも、よろしくね」
(こちらこそ、よろしく)
「大好きだよ♡」
「私も、大好き」
「えぇっ!?起きてたの!?」
ムクっと起き上がって桜の顔を見る。なんだか二人とも照れてしまってワタワタしてしまう。
「ええ!?ど、どこから聴いてたの?」
「全部」
「ああ…忘れて!忘れて!」
「絶対、嫌!」
「もう〜」
なんだか、一生分の幸せを感じてしまったかも知れない。でも本当に残念なことに明日も明後日も明々後日も、今日のような時間がこの先幾つも待ち構えているんだ。
「あ、大変だ!」
「え?」
「市役所閉まっちゃう!」
気付けばこんな時間になってしまっている。書類を大切にカバンに入れて、玄関へ二人でドタバタと走っていく。別に婚姻届を出すのは今日じゃなくてもいいんだけれども、どうしてか今日出したい気分だ。あぁ、きっと、桜の言葉を聞いてしまったせいだ。
緊張していた私たちは市役所まで何を会話したか覚えていない。そして書類提出は呆気なく終わった。もっと何かがあるものかと思っていたけれど、受付の人から「おめでとうございます」の一言だけ。それだけじゃ実感が湧きにくかった。式でも挙げれば桜と結婚したんだと実感できるかな。指輪を嵌めれば桜の妻になったんだと思えるのかな。
オレンジ色の空を二人、手を繋いで眺めてみましたが分かる気配がしませんでした。以前として、桜を愛しているという想いだけが募るばかりでした。
ご結婚、おめでとうございます。
薫 桜 「「ありがとうございます!」」




