第二問
人と話すのが苦手だ。いや、話すこと以上に誰かといることが苦手だ。心臓に悪い。例え医者が「違う」と否定しようとも、私の心臓には悪い。本当だ。嘘じゃない。
そんな心臓の持ち主である私は今日も学校という名の世界に通う。憂鬱になるには十分の世界で、教科書とノートとペンケースを持って歩いていた。今が春なのか冬なのかなんてどうでもいい。季節は何でもいい。いつでもネガティブだ。
こんな私じゃ、誰にも好かれない。でも最低限は好かれないと人は生きていけない。だから、仮面を付けることにした。自分以外の人には見えない仮面を。接する人の数だけ種類を増やして、付け替えまくって、今日まで生きてきた。ある人は私を明るい人だと言う。ある人は暗い人だと言う。「変な人、何を考えているのか分からないね」って、影で言われても、仮面を付けているから、よく聞こえなかった。
「ひ、久しぶりー」
廊下、手を挙げて私に近付く女子が一人。彼女は誰だろう。人違いじゃないのかな。瞬時に過去の記憶を遡ってみる。最近、人と遊んだのはカラオケの時ぐらいで………あ。
「…うん」
そういえば3日くらい前に会っていた人だ。何を話したっけ?どんな仮面を付けてたっけ?付けていた仮面はどこにいっちゃったかな。まぁ、クラスも違うし、なんでもいいや。カタカタ…。
「えっと、なんかゴメン」
「…なにが?」
「なんか私したのかなって」
人は生きている限り誰かに迷惑をかける生き物だ。一々謝罪してたら日が暮れるだろうに。この人は見た目は不良っぽいけど、真面目な人なんだと思った。私より、人間らしい人で羨ましい。…と、こんな場所で道草食っている場合じゃなかった。
「…もう、授業始まるから」
仲良くなるのはフリだけで限界。仮面の裏の自分の顔を見たことがない。いや、ほんとは見たくないだけだ。薄ら笑っているかもしれない私の顔を見てしまうのが怖いだけ。だから、貴方ともサヨナラ。すれ違う日々に戻ろう。
この日を私は将来、恨むことになるし、大切な思い出になるなんて…
お別れした次の日。昼休みになると私は大抵、図書室に行って、新刊を一番に借りて、学食を食べれる会館の隅っこでお弁当を広げるのが日課だ。唯一仮面を付けなくてもいい大切な時間。ここから見える景色は意外と気に入っていたりもする。バスケをする男子、固まっている女子のグループ。世界の縮図と言えなくもない光景を肴に白米を口に運ぶ。タコさんウィンナーに箸をつけようとした時だった。
「あ」
また彼女に会ってしまった。カタカタ。
「…どうも」
「薫さんはコッチで食べてるんだね」
「…」
面倒くさい。一人で食べているのが楽だからココにいるのに。そっとしておいて欲しい。
「あ、空いてる?席」
見ればわかるだろ、とは言わない。どっか行ってほしいと目で訴えてみたが彼女は鈍感なのか椅子を引いて座った。そんな彼女の昼飯は購買のパンだ。私は相手をチラリと見て、それからは一言も会話もせず、チャイムが鳴る数分前には教室に戻った。明らかな拒絶をするのは胸が苦しいけど、誰にも「私の内側」に土足で入ってきてほしくないのだ。その可能性が出ることはしない。そのための仮面だ。本当の私じゃない私。でも、最近…その本当の私の顔も分からなくなってきているんだけどね…。
桜、と呼ぶ声が聞こえた。廊下で楽しそうに笑っているグループの中に、呼ばれた彼女が混ざって行くのが見えた。そうか、桜と言うのか。幸せそうに生きているじゃないか。私なんかに話しかけなくてもソッチで仲良くしろよ。友達を大切にな。
そう心の中で呟いて顔を見ないようにしてグループとすれ違う。っ!?
一瞬、目が合った。何か言いたそうな顔が、気分を激しく害した。一人がいい、一人がいい、一人でいい。
これまた心の中だけで呟いた。いいね は勿論一個も付くことはなかった。
それから廊下とかで視線が向けられているのを感じるようになった。私のことは気にしないで、桜は桜のグループで生きていけばいい。私はどこにも属さない。というか属せないと言うのが正しいか。私は仮面を付け替える生き方で生きるだけ。誰から見ても、どの角度から見ても、普通であるように。好かれ過ぎないように、嫌われ過ぎないように、振る舞うのだ。
昼休み、トイレで手を洗う。鏡に映る顔は本当の私?ピエロ?そう、ピエロがお似合い。失笑。私の声じゃない。声のした方を見る。
「なに鏡ジロジロ見てるの?」
「…別に何も」
何故か桜がいた。お互い女子なのだからココにいてもおかしくはない。そして、お互いにこれ以上話すこともない。このまま何も言わずに逃げてしまえば…。
逃げる?なんで?何を怖がっている?ピエロに怖いものなんてない。ついでに心もない。そうして私は口を開いた。
「最近、ジロジロ見てますよね、私のこと」
「え?!き、気付いてたの?」
「そうですね」
「いや、その」
「言いたいこと、あるんですよね」
「ま、まぁ、無いというか、無いからこそ話しかけたいというか…」
「…?つまり話すネタが思いつかない?」
「うーん。なんか薫さんって面白い人だと思ったから」
「私、普通ですよ?」
そう見えてくれなきゃ困る。
「いやいやいや!すっごい面白いよ!カラオケのテンション凄かったし」
あー、そうだった。一番はしゃいだ時に桜は一緒にいたんだった。
「ストレス溜まってたから」
嘘じゃない。歌うことに関しては譲れない所もある。
「凄く、綺麗だったよ」
「…?上手かったじゃなくて?」
「確かに歌うの上手かったけど、歌ってる顔がキラキラしてたから」
「…そう」
今まで、トイレに居ても誰かの悪口しか聞いたことがなかった。だから、少し、動揺してしまう。彼女が眩しい。
「ねぇ」
桜が緊張した様子で聞いてきた。
「これからも、お昼、一緒に食べていい?」
何を言い出すのかと思えば、そんなことか。
「嫌だ、って言ったら?」
「い、嫌だ」
いや、お前が言うのかよ。
「私、一人で食べたいんだけど」
「うう…ごめん…」
「あと話しかけてこないで」
「はい…」
「“さん”は付けなくていいです」
「はい…薫さん…」
付いてる、付いてる。
「桜“さん”とは友達になれそうにないですね」
それじゃあ、と言ってハンカチを取り出してトイレを後にする。こんなに私に興味を持ち続けてくれた人は桜が初めてだった。だけど他の人と同じように近付き過ぎたら、気付かれないように距離を置こう。そう、いつもの私と変わらない。彼女にとって私なんかは、ただの人になるように。少しの間だけ、警戒すればいいだけだ。彼女も皆と同じように冷たくなるに決まっている。
その方が楽だ。これでいいんだ…これでいいんだ…