表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Crônica

Crônica #3: ブロークン・ウィンドウ

作者: Acta est fabula.

  ある大学付属図書館に、張り詰めた空気が流れていた。血走った目で本に喰らい付く青年や、ノートを見ながら四六時中片手で鉛筆を回している少女、参考書に顔を埋めたまま束の間の(意図してなかった)安眠を取る者、3~4人で固まって知識を交換し合っているグループ、果ては光を失った目で虚空を見たまま呆けている者等が集まっている様は、ある種異様な雰囲気を醸し出していた。時折、生徒達の口から漏れる「期末テスト」という呻き声や、まるで念仏の様に唱えられる語呂合わせも、この、図書館に似つかわしく無い緊張感を生み出すのに一役買っていた。生徒たちに対する、「期末テスト」という言葉の重みは、よもや計り知れない。因みに同時刻、それを宣告した教師は、至ってのん気に職員室でコーヒーを飲みながら、同僚たちと談笑していた。


  土間諏訪子も、あの異様な舞台を形成する小道具である。至って平凡な医学生の彼女が望む物はただ一つ。偏差値以上の点数を約束してくれる、ご都合主義的な参考書だった。ガウス曲線のど真ん中に属するような当たり障りの無い成績を、常にキープしてきた土間諏訪子は、今回の試験でマイナス方向に変動してしまうのを恐れていた。(プラス方向はそもそも諦めていた。)その為、今回のテストの為にとにかく我武者羅に、現在進行形で勉強している。しかし、彼女はある壁にぶち当たることになる。たまたま借りた「バイオエチケット」の参考書が、その名に反して全く参考にならなかったのだった。元からこの教科が得意ではなかったが、それを抜きにしても本の内容がまるで頭に入らなかった。【世界的権威である4人の著者が世に送るバイオエチケット参考書の永久保存版】という触れ込みは単なる誇大宣伝かぁ、と呆れながら土間諏訪子はその教科書を見限り、もとあった本棚に返した。


  「マシな本は無いかしらねぇ」書物を然るべき場所に返しながら、少女は呟く。それから、ライトノベルを品定めするかのごとく、表紙を見て軽く飛ばし読みするという行為を本毎に行い、「良さげ」な物を探していった。六冊目に到達した時、彼女はある「直感」を抱いた。この感じ、まさか―――自身の勘を信じた土間諏訪子は、前の五冊よりも更に慎重に内容を吟味し始める。そして予感は的中した。彼女の求めていた()()()を引いたのだ。かくして、危なくも最後の一冊を借りることが出来たラッキーな女子大生は、もと居た机に戻り早速勉強を再開するのであった。


  その本は恐ろしく内容の理解のしやすい物だった。決して世界的に有名とは言えない著者ではあったものの、世界的権威が4人集まって書かれた先の参考書よりも、簡潔で判りやすく、そして尚且つ綿密に書かれていた。すっかり土間諏訪子は作者のファンとなっていた。軽やかに一章、また一章と読み進め、彼女がその教科書の半分を読破するのにそう時間はかからなかった。彼女はそれを借りて家で読み終わり、また再度読み直すことを決意する。いくら読みやすくても、葦編三絶無しにはただの付け焼刃の知識で終わってしまう、という事を土間諏訪子は知っていた。テストでアガってしまった時、真っ先に頭からホワイトアウトするのは、そういった知識だ。


  20時。帰宅し、シャワーで心身ともにリフレッシュした土間諏訪子は、勉強机前のイスに腰掛け、借りたばかりの本を開き、再び勉強し始める。カフェインという唯一無二の心強い味方に助けられながら、順調に読み進めていいる最中、ある考えが頭に過ぎった。アンダーラインを引いたら更に効率が良くなるかもしれない―――それを実行に移そうとしたものの、「いや、さすがに図書館の本だし駄目だよね・・・」と呟き、踏みとどまった。家に代わりとなる付箋が有ったかどうか思案したが、自らの記憶によってその可能性は否定された。残念がりながら参考書のページをパラパラとめくった矢先、気になる物が目に入った。それは当書の中でも特に複雑なテーマを扱う章にあった。


  本を構成する文章の一部に下線が引かれていた。それと共に本の余白の部分に所々誰かが書き残したかのようなコメントがあった。裏表紙に挿まれている貸し借りカードによると、「土間 諏訪子」の前には「須津河原 丸」という生徒の名前だけが記載されていた事から、土間諏訪子はそれに眉をひそめずにはいられなかった。下手すれば器物破損で訴えられかねない―――そうでなくとも大学側から然るべき処分を下されかねない行為だ。しかし下線とコメントが本の内容をより分かり易くしていたのもまた事実であった。心に若干引っ掛かった物を感じながらも、彼女は件の章を読み終えた。それ以上に、大部分を理解することが出来た。


  「やっぱり下線と注釈付けると大分違う。でも引いちゃ駄目だよね、みんなの本なんだし・・・だけど、この本がそのままって事はきっと、誰もそんな真面目に本のチェックしないんだ。だったら、大丈夫だよね、やり過ぎなければ・・・。どうせもう誰かが書いちゃったんだし、今更私の分が増えた所で、きっと大きな問題は無いわ、うん」

  

  「他の人が使う物は殊更大切に扱わなければいけない」という主張と「テストの為なら形振り構っていられない」という反論のぶつけ合いは土間諏訪子の脳内で10分ほど繰り広げられ、結果として「本当に難しい所にだけ、書いてしまおう」という結論に至った。もし何か言われたら、「それらの落書きは借りる前から既にあった」と弁解しようとも思った。

  

                     *


  借りた参考書の読破が功をなしたのか、期末テストの成績はいつも通りの平凡なものだった。当たり障りの無い成績に常に満足してきた土間諏訪子は、喜びながら図書館に本を返した。先日感じていた一握りの罪悪感は既に胸から消え去っていた。


                     *

  

  しかしテストが終わったからといってバイオエチケットを勉強しなくて済むようになったわけではない。再度勉強するために、土間諏訪子は図書館へ例の参考書を借りに行った。幸いにも今回も誰にも借りられていなかった。勉強を始める前に、ページを何気なくめくっていた彼女は、再び眉をひそめる事になった。

  本全体を通してアンダーラインと注釈の数がかなり増えていた。それどころか付箋やクリップで挟んだメモ用紙なども見受けられ、あろう事か蛍光ペンで強調された文まで存在した。少し前まで一部を除いて新品同然だった()()()()教科書は、私物さながらの扱いを受け、見る影も無くなってしまった。引かれ過ぎた下線と多過ぎる注釈は、却って重要な情報を読み取りづらくしていた。更に、メモ用紙を挟むためのクリップはページを痛め、ただでさえくたびれた参考書をますますみすぼらしくしていた。裏表紙に挿まれていた図書館の貸し借りカードによると、どうやら多数の生徒があの後借りたようだった。


  「何で皆、物を大事にしないんだろう。私とこの須津河原さんがこの本に下線と注釈付けたからって、皆がしていい訳じゃないのに」


                     *


  窓が一枚割られた。その一年後に窓がもう一枚割られた。その半年後に三枚目の窓が割られた。その三ヵ月後に六枚も窓が割られた。その一ヵ月後に二十枚も窓が割られた。それから一週間ごとに窓が三十枚割られていった。更に二ヶ月経過してようやく窓が割られなくなった。もう割る窓が無くなっていた。

■今回のテーマは「割れ窓理論」。どこかで聞いたことがある人も多いのでは?興味のある方はぜひ検索してみてください。「短く、小気味いい文体でもなお、考えさせられる作品」こそが、Crônicaの真髄だと、私見ながらそう思っています。因みに落書きだらけの本は実際に何十冊と出くわした事があります。ある意味実話ベースの話です。勿論下線を引いたりはしていませんが。

■最後に、ここまで読んで下さりありがとうございました。ご意見・ご感想など、常に歓迎しております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ