078→【あしたからのはなし】
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水天岐神楽果堂は水汲山を所有物としていたわけだが、その一環として、有効活用の術を同時に進めていた。
それがここ、岐神展望台らしい。
「――へえ。こりゃあ、また」
山頂部にほど近い、南方に臨む野原の広場。柵で区切られた斜面との際に立ち、足元から徐々に目線を伸ばしていけば、牧歌的で自然豊かな北峰市から、遠く、人の営み・文明の灯が散りばめられた、南河の街並みをも見通せる。
「いい場所でしょう」
風に髪をそよがせながら、身を乗り出して夜景を眺めるメメ子が笑った。
「今までは、水天岐神楽果堂の儀式や行事にしか使われていなかったけれど、そのうちここも一般に開放されるようになるでしょう。少し辿り付き難い場所にあるけれど、その分、達成感は抜群だわ。ハイキング・コースの観光スポットとして、色々な人に愛されるようになればいいわね。おやすみの日に、家族連れがお弁当を広げたりなんかして」
彼女が遠く見遣るのは、風景だけではなく、時間。その瞳には、今ここにない、けれど、いつか来てほしい夢を映している。
……ちなみにいえば、その服はもうとっくに乾いている。
道中のやり取り、俺をからかい終えて満足したのか、まるで乾燥機のように、俺たちの服が吸った余計な水分だけを抽出、空中で水玉に絞り出して見せたのだ。
そういう光景を見て、俺は改めて、この童女が、氷雨芽々子が、とてつもない、嘘みたいな超能力者であることを、実感する他に無かった。
「では、先程話した手筈通り、ここで【宿命】を迎え撃ちましょう。そこの時計によれば、今が午後十時七分――あと二時間粘り通して日付を越えられさえすれば、がらくんは晴れて、クソッタレの強制命日から解き放たれるわ」
「……なあ、メメ子。その後なんだけど」
「あら、祝杯でもあげる? ええ、それはとてもいいわね。本堂は燃えてしまったけれど、水汲山に物資倉庫はいくつも点在していてよ。強欲な常善のことだから金目のものなんかは回収していっているのでしょうけど、さすがに食料なんかまで全部というわけはなし、そうね、お互いの八年を語り合う打ち上げの席をする分ならば十二分」
「俺が生きたら、メメ子はどうする?」
それは。
まったくちらとも考えていないことを尋ねられた、虚を突かれた顔だった。
「……………………え?」
「俺を助けた後、どういうふうに生きてくのかなって、思ってさ」
相楽杜夫は、改めて、彼女を見る。
――嘘みたいな超能力者。
――八年間山にいた十七歳。
――生活の基盤を今日で失い。
――両親も何処へ行った未成年。
極めて常識的な目線で見たのなら、その前途が、多難と波乱に満ちていないわけもなく。
「――――――――――――あのね、がらくん」
「おう」
「どうしよう。それ、考えてなかった」
……うん。
「だよな。なんか、そんなこったろうと、思った」
再会してから、色々な話をした。
問題は、その中に、まるで“自分”が出なかったこと――俺を助けるばかりで、そっちの身の振り方についてを、メメ子がまったく語らなかったこと。
氷雨芽々子は。
本当に、【相楽杜夫を助ける】ということだけに、人生を使っていた。
「――はあ。おまえね、俺には自分を大事にしろって説教したくせにな」
「…………う」
その表情は、夏休み終了直前に、手付かずで山盛りの宿題を思い出した小学生そのものだ。
何の事はない――メメ子は、今の姿と同じように、八年間、置き去りにしてしまった部分がある。
ならば。
その理由である俺が、無関係にもいくまいて。
「――がらくん、わたし」
「んじゃ、予定決まったな」
「え」
意外そうな顔だが、いやいや、こりゃあまったくあたりまえの流れだろう。
「おまえは俺を助けてくれる。だから、今度は俺が助ける番だ。未来――なんて言い方はちょいと曖昧で実感も湧きにくいから、“将来”だな」
困惑の目に、徐々に、理解の輝きが増していく。
「差し当たっては夏休み、遊びながら計画練ろうぜ。これまでのデッカい目標を、一回キレイさっぱり達成するわけだし。互いへのご褒美を楽しみながら、次は、おまえが新しく、何をやりたいのか、何に興味があるのか、どういうものになりたいのかを、考えよう」
表情の奥底から、期待と、希望の色彩が、浮かんでくる。
「全然新しいことを始めようってんだ。滅茶苦茶手こずるだろうけどさ、俺ができることは何でもするよ。何があってもこれからは、手を繋いで、隣を歩くよ」
見えないこと、わからないこと、そりゃあやっぱり恐ろしい。
けれど、ほんの少し考え方を変えたなら、これほどワクワクすることもない。
「おまえには俺がいる。俺にも、おまえがいてくれる。ほら、どうだよ。これで、楽しくならねえわけはねえだろう。俺とおまえが揃ったんなら、なんでも楽しくやれちまうを、俺たちは、もうとっくに知ってるもんな」
失敗することを怖がるよりも、成功することを考え笑おう。
何もやらずに立ち止まるより、何をやってもいいと知ろう。
「だからさ、メメ子」
世界は広い。
人生は長い。
それを味わい尽くす時、
君に隣に、居て欲しい。
「一緒に、幸せになろう。おちおち死んでもられないぐらい――毎日、人生、面白くしあおうぜ、恋人」
そうして。
毎日を、今日こそが命日だと思って生きてきた男の――そこから踏み出して伸ばした手を。
たった一つの命日を防ぐために生きてきた少女が、力強く応えて取った。
「――――うんッ! 私、私も、望むところだよッ! 一生勝ち続けてやるんだから、私のほうがあなたを、私より幸せにしてやるんだから、覚悟しなさいね、がらくんッ!」
望むところの交わり合い。
今後の展望に、互いが笑みを浮かべた……その時だった。
俺たちのいる展望台、その全体に、影が差したのは。
「…………、……………………、…………………………………………マジか」
死んでも人生が終わらなかった、そんな無茶苦茶から始まり、この七月十九日に、相楽杜夫は大概信じられない経験をしてきたと思う。
そのシメとして、これはまた、申し分ない。
「なあメメ子、あれって」
「うんっ」
額に手を翳し、同じように見上げながら、
「隕石だね! それも、周囲一帯壊滅レベルの!」
夜空の彼方から、徐々に。露骨に。次第に、巨大に。
人生で初めて見る、繰り返した七月十九日でも類の無い――
――死ぬべきものを死なせる為に。
燃える星が、此処を目がけてやってくる。
意地悪な神様と目が合ったような。
そんな、奇妙な錯覚があった。




