074→【君が得た、君の成果】
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馬鹿と馬鹿の相乗りが、無人の町の車道を突き抜けていく。
その進路に立ち塞がるは、アスファルトを突如刳り抜く落とし穴、根元から折れ倒れてきた電柱、横合いから飛び出すトラック、理不尽と非常識をミックスした恥ずかしげもない難易度の妨害たち。
――しかし。
「ヌルいヌルいヌルいヌルぅぅぅぅぅぅぅいッッッッ!」
デタラメにハジけた山田ソロモンの勢いは、そのことごとくを突破する。
落とし穴出現と同時にその手前にジャンプ台が出てきてホッピング、倒れてきた電柱を支える【ただいま爆走中】の看板、トラックがぶつかるその一瞬、後輪のスタンドが変形し、ブースターとなって超加速してすり抜ける。
うん、成程! この馬鹿馬鹿しさ、間違いない!
「なるほど! つまり山田、これって一種の夢なわけだな!」
「うん、そりゃそうさッ! じゃなきゃあ、今はまだどこにもいない、しかもそれぞれ別の七月十九日から派生した“一年後”の僕たちが、一堂に会せるわけがないだろう!?」
膝が地面に擦れそうな角度でカーブを曲がった。そこからまた直立に姿勢を立て直せるのも、これが現実でないからか。さっきから山田のドラテクは物理法則とか軽くぶっちぎってしまっている。原動機付とかならまだしも、人力・足漕ぎ動力でやっていい動きじゃないよねこれ?
「だがね杜夫、勘違いしないでおくれよ? 彼女たちも僕も夢で幻ではあるが、まったくの無根拠、都合のいい妄想ってわけではないんだ」
「――いや、そりゃあ無理があるだろ。これが、この世界が丸ごと俺の深層心理か何かってんなら、ここに現れるのは俺の心が自動的に設計した、つまり相楽杜夫が無意識に【こうあってほしい】と思ってる現象なんじゃないのか?」
「ああ。もしも、僕らが本当に、存在しなくなっていたのならね」
何の変哲も無い路地の一部が、唐突に地雷原に変わっていた。背後にはさっきから、全高5メートルほどの大型犬が、千切れたリードを引きずりながら追ってきている。
選択の余地は無く、また、臆するつもりもないらしい。
『しっかり掴まれ』と指示をして、山田は自転車をそのまま地雷原に突っ込ませた。
連続する爆発と閃光と轟音、もうもうと沸き立つ煙。
それを裂いて俺たちは飛び出す。
俺が愛用しているママチャリ、乗っている俺たち、共に傷一つついておらず、驚いた大型犬は地雷原の手前で立ち竦み、怯えた声を鳴き声を上げて口惜しそうにこっちを見ていた。
「覚えてるかい、杜夫。君は初めて自転車を買ってもらった時、【これがあればどこにでも行ける】と本気で思って本気でハシャいだ。だから、こいつに乗っている僕らは何にも止められない。それが君の、とても強い認識だったから。実際にそう思い、そう信じ、自転車に乗り続けた記録があるから。君の心の中では、それこそが事実より確かな経験なんだよ」
……事実より確かな、経験。
「ここは君の中だから、そうしたものが現れられる。過ぎ去ったもの。忘れたとしても、決してなくなったわけではない、行い、感じてきたすべて。それは杜夫――君が過ごした、十一回分の七月十九日もまた、そうなのさ」
……あ、と掴んだ答えに息が漏れる。
わかっただろう、と山田が頷く。
「客観としては、何もなかったことになった。けれど、相楽杜夫の中には、十一回分の七月十九日、その主観が残っている。君が紡いだ因果、君が拓いた未来として、僕らの世界は其処に在る。自分で自分を助けるために用意した深層意識なんかじゃない。僕たちが、僕たちの意志で……自分の命日だってのに、人を助けたくてしょうがなかった君みたいな大馬鹿を助けたいと思ったからこそ、頼まれもしないのに現れたんだぜ、杜夫」
「…………」
「なんて、こんなふうに言っても実感が湧かないか。よし、じゃあこういう具合に受け取ってくれ。ほら、あの宗教家も言っていただろう?」
俺の知る山田であって、しかし同時に別人な――相楽杜夫最期の日、いつものように馬鹿をやり、小学校のプールに忍び込んで大笑いした、あの日の山田が言う。
「善因楽果。自分の命日だってのに、他人の幸福を願って、最期にプレゼントを残していこうなんて考えた大馬鹿がさ」
幸せになれないなんて馬鹿げた話があるわけないだろ、と。
たとえ百万人に反論されても撤回しない頑固さで、俺の友達は断言した。
「――――と、いったところで、到着かな」
自転車が、正面から、自動ドアのガラスを破って突っ込む。
無人の受付を通り過ぎ、正面通路を抜けた先、エレベーターには【故障中】の張り紙が、ベタベタと何枚も貼られている。
雷光丸はそこに衝突して止まり……それでもエレベーターは、うんともすんとも言わない。
「さて、着きましたよお客さん」
山田は自転車を止め、親指で通路を指し示す。
その先にあるのは、非常階段。
「僕の仕事はここまでで、ここから先は君の仕事だ。一番会いたくて、会いたくない人に、会ってこい」
「――――おう」
俺は自転車を降り、掲げられていた掌に、掌を打ち合わせる。
ぱぁん、と鳴り響いたその音は――【よーい、スタート】の空砲に似た。
「言っとくが、僕は君の面白いトコ、まだまだ全然見足りちゃいない。むしろ、高校卒業してから、大学出てから、社会人になってから――自由にやれるコトと、自由に出来るモノが増えてからこそ。三十四十、いやいやおっさんじいさんになってからこそ、本番だって思ってる」
山田がエレベーターにぶち当たった自転車を反転させながら語る。
この先の未来。
清々しいほど透き通った青写真を。
「笑って死ぬまで遊ぼうぜ、悪友。お互いに負けないぐらい、相手が羨ましいぐらい、一杯幸せになりつつさ」
「――はっ、おうとも、望むところだ。おまえにゃ、おまえだけには絶対負けねえから、覚悟しとけよ、親友」
お互いに背を向ける。
俺は階段を駆け上がり、山田は入り口に現れた、俺の姿を模した【黒い靄】に、バイク・アタックを仕掛けていく。
「何が【宿命】だってのさ! お前なんかと遊ぶよりなあ、杜夫は僕と遊んでたほうが、百億万倍楽しいんだよ――――ッ!」
その馬鹿馬鹿しさに、最後まで勇気を貰う。
俺はただ前だけを見て、階段を駆け上がる。
迷いはしない。
懐かしい道だ。
いつもいつも、エレベーターは使わなかった。待っている時間も惜しかったから。一分でも一秒でも早く、自分の足で辿り着きたかった。会いたかった。
三段飛ばしのダッシュ。手摺を使ってターン。踊り場を四回越えて、辿り着いた五階、向かって右側、一番奥。
何度怒られても、直せなかったクセ。
ノックもせずに扉を開けて、
「こら、杜夫」
窘めるように、叱られた。
「言ったでしょ。病院にはね、元気がなくなっちゃってる人が休む為に来てるんだから、騒がしくしちゃあ駄目。お行儀よく出来ないなら、もう来ちゃあいけませんっ」
「――――ンなこと言ったってさ」
八年前、何度も何度も使った、お決まりの反論――正しくなかろうと、間違っていようと、それが必要だと信じていた、自分なりの答えを返す。
「ただでさえゲンキがないのに、まわりまでシーンとしちゃってたら、さみしいじゃんか。だからおれがさ、そういうひとらも――母さんにも、にぎやかを分けたいんだよ」
窓際。
病床の母は、そんな子供じみた勝手な理屈に、しょうがなさそうに苦笑した。
「本当は自分だって、不安で、辛くて、笑えない時もあるくせに。そーんなに背がおっきくなっても、そういう強がり、変わらないのね、杜夫は」
意味はないんだけど。
俺はなんだか、泣きたくなった。
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